第7話 Sweet dreams
祭りの喧騒が続いている。
もう太陽が落ちかけて空が茜色に染まっているのに、人々の出す熱気が渦巻いているようだ。ここまで大きな祭りは生まれて初めてのアリッサには、周りの全てが珍しくて心地よい。
おまけにハンサムなハーフドワーフにエスコートされているとあっては。
当の本人、ヴォルトがしてもいないネクタイを直す仕草をしながら、言った。
「王がぜひ会って礼をしたいと――どうする?」
アリッサは首を横に振った。
「あんまり目立ちたくないわ」
「もう十分有名人だけどな。大臣が言ったことを気にしてるのかい? 謝礼をもらえるかもしれないのに」
「もしそうだったら――それを元手に
「考えておこう」
アリッサとジロー、ヴォルトの三人はアリッサの宿に向かって通りを歩きだす。しばらくして、ヴォルトは一軒の感じのいい食堂を指差した。ドワーフの食堂だからして、当然酒も飲める。
「約束だ。飯をおごるぜ」
「アリッサ・メイフィールド!」
ひとりの女がアリッサの目の前に現れた。目立たない服装だったが、顔はどこかで見た――ああ、大臣の召使だ。拘禁はされなかったようだ。あくまでも命じられて従っただけ、ということなのだろう。
しかしあれから半日もたたないのに、顔の様子が一変していた。青白く、目がつり上がっていて尋常じゃない。
「お前が来てからすべて変わった。お前のせいだ。大臣様はもう表舞台には立てない。体のいい軟禁状態がづっと続くだろう。なぜ、あのお優しい、素晴らしい方が――この魔女め」
「あたしたちは巻き込まれただけよ。冤罪で下手すりゃ終身刑なんて、大人しく従う義理なんてない」
「うるさい! うるさいうるさい!!」
「もとはと言えば大臣――いや、元大臣か。そちらが起こした事件だろう。バレたから恨むなんて筋違いもいいところだ」
ヴォルトがアリッサを援護する。
「お前さえいなければ――」
思いがけない素早さで女が突進してきた。その手にはいつのまにか短剣が握られていた。
意外過ぎる展開に集中できない。詠唱はともかく、イメージを強固に持たなければ魔法は使えない。このままでは刺される――。
「危ない!」
アリッサが突き飛ばされた。
短剣の刃はヴォルトの二の腕に突き刺さった。ヴォルトは気にもせずにそのまま当身をくらわせる。襲撃者はその場に倒れた。
「ヴォルト!」
「どうってことない。そっちは大丈夫か? これ位――う、なんだ」
短剣を引き抜く。鍛錬している筋肉のおかげかダメージは少ないようだが、急激に方向感覚が失われた様子だ。ヴォルトは膝をつく。
「俺としたことが……毒が塗ってあったのか」
「嘘……」
どんな種類の毒かがわからなければ解毒剤は使えない。しかし襲撃者は気を失っている。
ヴォルトの顔からみるみる血の気が引いてゆく。かなりの即効性を持つ毒だ。
「どうしよう……彼が死んじゃう!」
ヴォルトが道に伏した。このままでは――病院に搬送されるまで待っていられない。
「……まあ……きみが無事でよかった」
アリッサはヴォルトの手を握った。
何もできない自分が恨めしかった。知っている治癒系の魔法では軽傷の手当てくらいしか役に立たない。
ジローがいきなり叫んだ。
「あれだ、
「出して早く!!」
ジローは肌身離さず持っているポシェットから
「ヴォルト!」
返事がない。
一瞬ためらった後、アリッサは
パナケイア――全てを癒す万能薬。錬金術師の到達点、<賢者の石>への第一歩ともいわれる、最高技術をもってしか作れない秘薬だ。まして闇で売られるまがい物などではなく、正真正銘
実物もその効果も、実際に見たことがある者などほんの一握りに過ぎない。
いまグラムサルの大通りの片隅で、その人数がほんの少し増えた。
赤い火の
それが消えた時、ヴォルトが身じろぎした。目を開けると、すぐそばにアリッサの心配そうな顔がある。
冷たい何かがヴォルトの頬に当たった。
アリッサの涙だった。
「……すまん、意識がなかったんだ。もう一回キスしてくれないか?」
「馬鹿」
涙を
自然に顔が近づく。
二人は唇を重ねた。
暗くなりかけた空に、花火の音が低く響いた。
どうしても彼を目で追ってしまう。なんなんだと自分でも思ったが、どうにもならない。何度か目が合うとその度にヴォルトは
――んー、もう。
けれどヴォルトは急に真面目な顔をして。
「アリッサ」
「なに?」
「魔法使いでも結婚できるんだろう? この街で俺と暮らさないか」
「……まだまだあたしは何もできない子供でしかない。十分思い知ったわ。立派な魔法使いでござい、なんて顔をしててもね」
「盗難事件を解決した。俺の命を救ってくれた。何もできないなんて、そんなことはない」
「ありがとう。でも、その薬だってもらっただけのものよ」
「おいおい、魔法使いってのは何でもできる超人でなきゃいけないのか? 俺には今のきみで十分だ」
「アリッサ。きみが好きだ」
「あたしは――」
アリッサはヴォルトの、茶色のまっすぐな目を見つめ返す。
「もっといろんなことを知りたい。いろんなところへ行きたい。ただの魔法使いじゃなくて、みんなが尊敬できるような立派な魔法使いになりたい」
――例えば、エヴァンス先生のような。
「だから、ここで止まっていられない。あたしは先へ行くわ」
「わかった。でも、一つだけ聞かせてくれないか。俺のことは嫌いか?」
「いいえ」
ちょっとばかり返事が早すぎたかな、とアリッサは思った。ヴォルトの顔ににやにや笑いが広がる。でも、駆け引きなんてできない。
「あたしはヴォルトが好き。だから、必ず戻って来る、
ヴォルトはにやりと笑った。
「つまり、保留ってわけだ。これからはヤケ酒だな」
「あ、酒なら俺も――」
「あんたはあたしと行くの、ジロー! 当分禁酒だからね。だいたい、今回の事件はあんたの酒のせいでしょうが」
「そいつはないぜ……じゃあせいぜい飲んでおくとしようか」
「懲りない奴だな」
ヴォルトが笑った。アリッサもつられて笑う。ジローがはしゃぐ。
いつかこの夜を懐かしく振り返る時が来るだろう。アリッサはそう思った。これからどういう人生を過ごすことになるのかはわからない。
だけど、きっと思い出す。
そんなかけがえのない夜だった。
翌朝、旅の準備をしているとヴォルトと
「じゃあアリッサ、いい旅を!」
「ありがとう」
アリッサはヴォルトにキスをした。
ヒューヒューと囃す声が聞こえて、アリッサは真っ赤になった。そういえば三人組もいたんだった。
三人が手を振っている。調べたことをアリッサたちに教えてくれた。
「ルート000へ戻るにはたぶんこの道が一番近道だと思う。古い話で自信はないけどね。グラムサルへ来た道を戻れば確実だけど、だいぶ遠回りになるから。この先には岩山が続いていて、でっかいトンネルがあるんだ。それは<出られないトンネル>で、その先には誰も行ったことがないんだって」
「うーん、まあ何とかなるでしょ」
「そうだな」
ジローがうなずく。
この街ともお別れだ。荷物をナイトウォーカー2000に積みこみ、
「身体には気をつけて」
「そっちもな。無茶するなよ――って言っても無理か」
これはあたしの決めたこと。でもここで振り返ると、決心が鈍る。とどまって、この街でヴォルトと過ごしたくなる。
だから、今は。
「さよなら。また会いましょう」
アリッサはナイトウォーカー2000を走らせる。
グラムサルが遠くなっていく。
「あれー口数少ないよー」
「……」
スピードが上がる。
「『友達は見捨てられない』(キリッ)だもんね。しびれたなー。俺、トモダチだもんね。恋愛相談ならいつでも乗るぜ?」
「うるさい馬鹿」
アリッサは急ブレーキをかけ、足をポンとついて180°ターン。
遠心力でジローは弾丸のようにすっとんでいく。
小さくなった街に最後の
「さ、<出られないトンネル>とやらに行こうか。……何やってんの?」
「あんたのせいだよ……」
顔面から地面にスライディングしたジローは、そのまま気絶した。
*** ディディの物知りメモ(次章予告) ***
こんにちは、ディディです。今回は
パナケイアとはギリシャ神話に登場する神であり名医でもあるアスクレーピオスの娘たちのひとりの女神の名前で、<全てを癒す>という意味です。
転じて、錬金術師が追い求める<賢者の石>の前段階としての霊薬の名前となりました。
似たようなものに
ただ、パナケイアは基本的には呪いを含むすべての異常を治してしまうとんでもない薬です。元に戻す――ということが主眼なので、薬を飲んだからと言って以前より体力が跳ね上がったりすることはないようです。
これを作ることは錬金術師にしかできません。また作成した錬金術師の技術がダイレクトに反映されます。純度40もあれば高い方です。一般に万能薬として売られているのはそれをさらに希釈したもので――それでもたいていの傷や病は治ってしまいます。
では次章、
『満月のフォーチュン』
です。
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