演劇部に入部したはずなのに、いつの間か終末戦争に巻き込まれてた件について

弦崎あるい

第1幕 ープロローグー


 「お願いします! マジでやらせてください!」

 

 関岡千敦せきおかちづるは廊下に土下座したまま叫ぶ。女子2人の目の前で。今いる場所は3年生の教室がある1階、かつあまり人気がない北側にある階段の踊り場。そこで千敦は貴重な昼休みの時間を犠牲にして土下座していた。

地面に頭を擦り付けて必死にお願いすること1分。どこか呆れたようなため息が頭上から聞こえてくる。


 千敦は恐る恐る頭を上げた。


 「悪いけど考えは変わんないから」

 

 右手を腰に当て、左手で肩まで伸びた茶髪を軽く掻きあげながら、ひどく呆れた顔をしている女子と、その傍らに立っているクールな、もといひどく冷ややかな視線を千敦に向けている背が高い女子。


 「そこを何とか! マジで、本当に、もう一生のお願いですから、やらせてください!!」


 千敦は別にナニをしたいわけではない。それに土下座して頭を踏まれたい、などという妙な性癖もない。そもそもしなくていいのなら、土下座なんて男、もとい人間のプライドが大変傷つくものなのでしたくはない。でもそのプライドを真っ二つにへし折ってでも、千敦には土下座をしないといけない理由があった。

 

 その理由とは所属している部活に関係している。

 クラスの大半に意外という感想を言われたが、千敦は演劇部に所属している。そして、今は夏に行われる全国高等学校演劇コンクールに向け、5日前にようやく演目が決まり、部活内の士気も上がってきている6月の梅雨時期。今日は舞台の配役が発表される大事な日なのだが、偶然廊下で部長に会ったときに関岡はブラウンだから、とあっさり役名を告げられた。

 

 「……ブラウンじゃなくて、ゴールド・ロバーツをやらせてください!」


 ブラウンとは劇中に出てくる村人Aの名前で、端役とはまさにこいつのことだ、といえるくらい端役だった。約1時間舞台で台詞は2つのみ。そして、ゴールド・ロバーツというのは主役ではないが、ニヒルでクールなベテラン海賊。台詞は多くないが、良いところを持っていく美味しい役どころ。


 「っていうか、男の役者なんて俺か鈴木すずき先輩だけじゃないですか。もしかして……あの人にゴールドやらせる気なんですか?」

 「バーカ、鈴木はピンキーさんだ」


 茶髪の女子は空いている左手も腰に当て、あまりない胸を張って自信満々に答える。


 間。

 

 「いやいやいやいや! 鈴木先輩は男ですから。それに女の役者はたくさんいるんですから、うこ辺りでいいじゃないですか!」

 

 茶髪の女子は不満そうにバーカ。と言って鼻を鳴らす。

 女子の名は宮島愛みやじまあい。この良衛高校りょうえいこうこうの3年生で、演劇部の現部長でもある。

 髪は窓から侵入した光によってかなり明るく見えるが、本来はそこまで染められていない。肩につく寸前の位置にある髪を軽く掻きあげ、勝気そうな瞳で千敦を見つめると、桜色の唇を軽く釣り上げ余裕綽々の表情を作る。すらりと伸びた肢体に細い肩、背は女子の平均よりやや高めで胸はやや小ぶり。初めて会ったときから無駄に態度がでかい人だった。


 その横にいるかなり背が高く、腰まである黒髪を靡かせている綺麗系の女子は同じく3年生で、副部長の佐渡ヶ谷莉穂さどがやりほ。莉穂は相変わらず千敦に対して冷めたい視線を向けている。2人は正に陰と陽のように正反対で面白い。


 「バーカ、それが面白いんだよ。全く分かってないなぁ、お前は」


 愛は歯を見せて笑う。笑うと少しだけ八重歯を覗せるのが愛の特徴で、千敦は密かにその特徴を可愛いと思っていた。

 というか部長の愛も副部長の莉穂も、女子のレベルとしてはかなり高い。つまり普通に可愛いので、仮にどちらと付き合っても周りに自慢できるのは間違いない。

 が、千敦は2人から全く相手にされていなかった。


 「って話が逸れてるじゃないですか!」

 「お前が逸らしたんだろうが!」

 「とにかく俺の役を変更してください! 絶対に上手くやってみせます、もうマジで命賭けますから!」


 千敦は再び床に額を擦りつけて必死にお願いした。

 これが口先だけならただの馬鹿な自信家だが、千敦には立派な裏づけがあった。千敦は中学校でも演劇部で、といってもたまたま3年のときに勢いで参加しただけのだが、それでもたまたま出た全国中学校演劇コンクールで優勝を攫った。主役だった千敦はその演技を絶賛されたという実績がある。


 「それに<ブラウンってキャラじゃないんですよねぇ。 地味だし台詞も少ないし、あぁいう役って俺には合わないと思うんですよ」


 千敦はあははと能天気に笑ったが、その笑い声はすぐに止った。愛が千敦に鋭い眼光を向け、おまけに思い切り胸倉を掴んできたからだった。


 「お前さ……役者を何だと思ってんの?」

 「えっ? えっ?」

 「役者が役を選ぶな! 役者は与えられた役を魂燃やして演じる。ただそれだけなんだよ、馬鹿!」


 愛の言葉が人気のない踊り場に響き渡る。

 沈黙。

 千敦は正直その言葉の意味をあまりよく分かっていなかった。たた、魂が震えた。愛の言葉を聞いた途端、無性に胸が熱くなって、それからひどく泣きたくなって、とにかくそれは重く鋭く熱い言葉だということだけは分かった。

 

 千敦が静かに顔を上げると、偶然なのか愛と目が合う。真っ直ぐな目だった。気を許すと心の奥まで貫かれてしまいそうな、そんな目だと思った。

  突然、愛が不機嫌そうに鼻を鳴らす。


 「……あと、簡単に命賭けるとか言うなよ、バーカ!」

 

 愛は千敦の額にデコピンをする。その後なぜか少しだけ寂しそうに笑った。そんな風に笑う愛を千敦は初めて見た。いつも笑っているか怒っているか睨まれているかのどれかなので、切ない顔をした愛を見たことがない。けれどその寂しげな表情は一瞬のことで、すぐにあの特徴的な八重歯を覗かせて笑う。

 

「お前は今を精一杯楽しめ!」

 

 愛は最後に千敦の背中を思い切り叩くと、莉穂を連れ立って自分の教室へと戻って行く。一方、千敦は色んなことが頭の中に渦巻いていて、しばらくの間その場を動けなかった。

 

 予鈴のチャイムが聞こえてきてようやく我に返る。いつまでもこんなところにいても仕方ない。ということで自分の教室へと戻る。

 教室へ戻り自席に腰を下ろすと、すぐさま後ろから肩を叩かれた。

 首だけ後ろに向けると、中学時代からの友人である須藤武すどうたけるが机に頬杖をつきながら、楽しそうな顔をしてこちらを見つめている。


 この男とは友達というよりも悪友、といった感じの仲だ。髪は金髪で、背は千敦より頭1つ分ほど高く、第3ボタンまで開けたワイシャツの隙間から、色黒な肌だが意外としっかりとした胸板と、ドクロのついたシルバーのネックレスが見える。


 須藤は見ての通りのチャラ男で、かつ顔が良いのであり得ないくらいモテる。高校に入学してから約2ヶ月半、既に10人以上から告白されている、という話を風の噂で聞いてた。本人の申告によると、15人らしい。

 とりあえず爆発すればいい。

 

 それに比べて千敦は全くモテなかった。自分で言うのも何だが顔は中の上、または中の中なので悪くはない。背が少し低いほうかもしれないが、未だモテ期がきた試しがない。けれど遠い記憶を遡ると、幼稚園生の頃に突然3人の女の子から告白されたことがあった。そのうち1人は幼馴染みなのだが、今にして思えばあれがモテ期だったのかもしれない。が、その場合、3回のうちの1回を使い終えてしまったことになる。それはあまりにも勿体なさすぎる、というか実用性がなさすぎて困る。

 

 「それで結果はどうだったんだ?」

 

 須藤はまるで答えを知っているかのように、口元が既にニヤけている。千敦は深い溜め息を吐き出した。絶対に役変えさせっから! と無駄に自信満々に言い切って教室を飛び出したのに、結局役は変えられず逆にお説教を受ける始末。

 千敦は言葉に詰まて咳払いで誤魔化した。

 

 「あー、その……やっぱりさ、役とか選んじゃダメだと思うんだよ。どんな役を与えられたって、それを魂燃やして演じるのが役者だから」


 完全に愛の台詞のパクリだったが、そんなこと須藤には分かりはしないだろうと思い、千敦は少し格好つけて言ってみた。

 

 「そう部長に言われたのか?」

 「うっ!」

 

 見事に図星を突かれて千敦は完全に言葉に詰まる。

 

 「……っうかさ、千敦は千敦らしくやれよ。俺はお前がどんな役でも、ちゃんと舞台見に行くぞ」

 

 白い歯を見せて爽やかに笑う須藤。その笑顔と真っ直ぐな言葉に、千敦はたまらなく嬉しくなる。それと同時に、どうしてこいつがモテるのか分かった。

 

 「……絶対モテるわ、お前」

 

 千敦が深い溜め息を吐き出すと、何だよそれ。まぁ事実だから否定しねぇけど。と須藤は鼻を鳴らして自慢げに告げる。

 右手が疼いたが理性で何とか押さえ込んだ。

 

 時は過ぎて放課後。千敦は部室までの道のりをのんびりと歩いていた。

 ちなみこの良衛高校は無駄にと言うと失礼だが、とにかく広い。

 私立でもないのに色々と設備が充実していて、図書室は市営のものと変わらない大きさだったり、他にもプラネタリウムや温室、カフェテリアなど普通の高校には絶対ないものが多数ある。

 

 あとは、剣道場と柔道場などそれぞれ専用の道場があったりと、部活の設備も異様に良いため、様々な方面からかなり人気を博している。

 正直そう頭が良くない千敦が入れたのは奇跡、と言っても過言ではない。


 「……たた、やっぱ広すぎなんだよ」


 なんて独り言を呟いて苦笑する。

 演劇部を含め、様々な部活の部室が固まってある部室棟は校舎から少し離れた場所にある。そのため千敦がいる1年の教室からは、歩くと大体10分程度はかかる。

 

 放課後ともなると、昼休みの件はすっかり吹っ切れていた。愛からブラウンだと言われたとき自分に相応しくない役だと思ったが、千敦は何よりも皆の前でブラウンだと発表されるのが恥ずかしかった。端役だから馬鹿にされるか、冷やかされるんじゃないかと不安だった。けれど冷静に考えると、そういうことでからかう奴は我が演劇部にはいない。

 

 とにかく、今は愛に言われた通りちゃんと役と向き合おう! と胸の前で拳を構えて燃えていると、廊下の突き当たりにある階段の踊り場がある角から、微かに愛の姿が見えた。その姿はすぐに見えなくなってしまったが、愛に間違いない。千敦は今の気持ちを聞いてほしくて、ついでにさっきの勘違い発言を謝りたくて、早足で愛の元へと向かった。


 「部長!」

 

 千敦が角を曲がって愛に声をかけると、顔を向けた愛の瞳が大きく見開らかれる。

 

 「関岡!?なんでここにあんたがいんの?」

 

 愛は何を思ったのか千敦に向かって勢い良く駆け出してくる。そして思いきり手を伸ばす。けれど、その手は届かなかったし、千敦もその手を掴めなかった。

 

 突然、愛が足を止める。

 ふと千敦の顔に水滴のようなものがかかる。妙に生温かくて、不思議に思い頬を撫でると指に赤いものがついていた。それが血だということに気づくのに数秒を要した。

 

 千敦はうわぁぁぁ! と驚きの声を上げる。まるでその声を合図にしたかのように、糸を切られた操り人形のごとく愛の体はその場に崩れ落ちた。

 

 「愛!」

 「宮島先輩!」

 

 視界に入っていなかったが、近くにいたらしい副部長の莉穂と、なぜか幼馴染みである祐美ゆみの声がした。ゆっくりと顔を上げると、確かにその2人の姿がある。千敦は呆然と床に崩れ落ちた愛を見つめていた。いつの間にか辺りには血が広がっていて、少し離れた自分の足元まで辿り着きそうになっている。

 

 声が出なかった。というか、目の前に起こっていることが現実だとは到底思えなかった。しばらくの間呆然と愛を見つめていると、息も絶え絶えな愛が自分に向かって弱々しく手を伸ばす。千敦は我に返ると、無意識のうちにその手をしっかりと握り締めて傍らに膝を着く。

 

 血で制服のズボンが濡れたことが一瞬気になったが、生気のない愛の顔を見たらそんなことは頭の片隅から消えてしまった。

 

 「…………せき……おか……」

 「はい!」

 

 僅かな沈黙。

 

 「…………千敦」

 「えっ? あ、はい!」

 「私は……わたし、は……千敦のことが、好きだ」

 

 愛はいつものように笑う。笑うと八重歯が見えて、それが密かに可愛いなと思っていた。いつもと変わらない笑顔なのにたまらなく切なくて、胸が締めつけられて、ひどく痛くて苦しくて、千敦は何か言いたかったけれど言葉が出なかった。

 

 愛の目が静かに閉じられていく。

 完全に閉じられると、握っていた手から急に力がなくなり、熱がどんどん奪われて冷たくなっていく。

 

 「ぶ、ちょう……部長?……部長! しっかりしてください! 部長!」

 

 千敦は力強く愛の手を両手で握り締めて、大声で声を掛ける。けれども、愛が目を覚ますことはなく、手は既に異様なくらい冷たくなっていた。千敦は愛の死を認めたくないのに、現実が容赦なく千敦に襲いかかってくる。愛の顔は完全に生気を失っていた。しっかりと目が閉じられ、まるで化粧をしているかのように顔全体は白く血の気がない。誰が見たって死んでいるのは明らかだった。

 

 千敦は愛の頬に触れようと恐る恐る手を伸ばしたが、触れられなかった。手が震えて全く動かせない。それでも触れようと悪戦苦闘していると、突然頚椎の辺りに鋭い衝撃を感じ、千敦の意識が少しずつ薄れていく。千敦が最後に見たのは、血の海に伏せた愛の姿だった。

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