第二十一夜 ヴァシーレの宣戦布告
警視庁の中へは、難なく侵入する事が出来た。
いつものように手慣れた暗殺作業と同じだ。
だが、今回はあくまで、挨拶のつもりだった。あるいは、挑発……宣戦布告だ。
「MDのマフィア。『アルレッキーノ』は、MD中のカジノの利権を持っている。以前から眼を付けているぜ。なあ、おい? 警視総監さまよぉー、テメェのポケットにはどれくらいの金が入るのか、物凄く興味があるんだよなぁー。ひひひっ……」
ヴァシーレは警察署内の壁に寄り掛かりながら、板チョコレートを齧っていた。ぽろぽろ、と、チョコレートの破片が床に飛び散っていく。
コルトラは突如、廊下の中に現れた人物を見て、眉を顰める。
コルトラの背後には、特殊部隊の者達がいた。銃を携帯している。
「テメェのそのナチス長官みてぇーなコート。スゲェ似合っているぜ? 差別主義者っぽくてなぁー。ひゃははははっ、格好いいんじゃあねぇの? 警視総監殿よおぉー」
「何が言いたいか分からないな。…………、そうか。貴様、見た事がある。確か、連合が募った暴君の暗殺者達の一人か。顔を見た事がある」
コルトラは面倒臭そうに言った。
「此処で、はっきりとさせておきてぇーんだ。なあ、おいよぉ? 警視総監殿。コルトラ・ノーサリラ……。年齢、54歳。誕生日9月2日。血液型O型。趣味は酒。アルコール依存症の傾向があると医者に言われている。現在の役職は警視総監だが、上の警視長官よりも、権力があると言われている。妻子あり、と」
ヴァシーレは、ポケットからメモ帳を取り出して、しげしげと眺めていた。
「なんなんだ? 貴様。この私にこんな無礼な事をして、タダで済むと思っているのか?」
コルトラは眉を顰める。
「いやよおぉ。コルトラさんよぉ。テメェ、ぶっ殺せば、賭博利権握っている『アルレッキーノ』乗っ取れるんじゃねぇーのか? って、思ってな。あの組織(カルテル)はデケェ、組織だからなあ。MDの外にもカジノ持っている」
ヴァシーレは舌舐めずりをする。
「行くぞ。二度と、此処に来るな。見逃してやる」
まるで、雑魚を見るような眼で、コルトラはヴァシーレを見ていた。
「なあよおぉ、テメェの特別部隊のオフィスよおぉ。なんで、コカインの塊がビニールパックに入って、幾つも置いてあるんだ? ええ? バイヤーのガキ共から押収したものじゃあねえぇなあ、それに課が違う」
コルトラに付きそう特殊部隊の警官達が、拘束許可をコルトラに仰ぐ、が……。コルトラはそれを手で制した。
なおも、ヴァシーレは挑発する。
「はっきり言うぜ。コルトラ。テメェと『アルレッキーノ』のボスは、俺が始末する。覚えておけよ」
そう言うと、ヴァシーレはコルトラの横を通り過ぎた。
「この私には敵が多い。君、名前は?」
「ヴァシーレ。『アルレッキーノ』の利権は、いずれこの俺がブン取ってやるよ」
「そうか。“ボス”にも、そう伝えておく。君の顔と名前もな」
ヴァシーレは鼻を鳴らすと、その場から立ち去った。
「隙を見せませんでしたね」
コルトラの部下の一人が言う。
「そうだな。今回は挨拶代わりだろう。私の能力の正体を探りに来たのだろうな。無意味な行動だろうが」
そう言って、警視総監でありマフィア組織の大幹部の男はせせら笑うのだった。
†
ヴァシーレは自分の能力が“弱い”という事を自覚していた。これ以上、能力の威力は伸びないし、応用出来るアイデアも自分の頭では考え尽したと考えている。……これ以上、自分の能力を引き伸ばす事が出来るとすれば、
…………、信用出来る人間が必要だ。
自分の能力に対して、アドバイスを行ってくれる人間が欲しい。だが、この世界においては、自身の能力がバレる、という事は対抗策を練られる危険性がつねに付き纏っている。
ヴァシーは元々、自分は地頭が良くないと思っていたし、ギャンブラーの裏側も知っていたから、この世界では誤魔化し、誤魔化しやっていけたと思う。
策略を見破って、敵を始末する為には、敵の情報を可能な限り入手する必要がある。
それに、自分よりも絶対的な能力者に当たってしまえばまず勝てないし、自分と同程度の実力の持ち主だったとしても、敵の能力の相性が悪ければ敗北するだろう。それで、何度も、死地をくぐってきた。今、生きている事そのものが幸運の産物でしか在り得ない。
ウォーター・ハウスは強過ぎる……。
自分の知っている“強いと思う能力者”を何名も倒してしまっている。
彼の協力は、いずれ何らかの形で必要になってくるだろう。
だが、自分の目的と彼の目的は一致しない。
ウォーター・ハウスはおそらくは、ラトゥーラとシンディを助けるという口実に、この世界の構造全てを壊したがっている。
対して、ヴァシーレはこの世界の構造の頂点の一人に成りたがっている。
だが、今は、だ…………。
ウォーター・ハウスの方も、積極的にヴァシーレに協力してくれた。
今だけは、おそらくは、心強い“味方”なのかもしれない。
ヴァシーレは、連合と暴君、両方に協力する事によって、両方の利益を得る事を考えていた。ムルド・ヴァンスはそんなヴァシーの事をどう思うのだろうか? 今後、ムルドとは敵対する事になるのだろうか。
ともかく、コルトラに対しては宣戦布告を行った。
向こうの方が、ヴァシーレをちゃんと敵と見做すかどうかは分からないが……。
ヴァシーレはそんな事を考えながら、一度、ムルドの下へと戻る事を考えていた。
2
猛吹雪が止み、街が平常の状態へと戻っていく。
「ホテルのボーイに聞くと、シンディの奴、どうやら救急車に担ぎ込まれて、病院に運ばれたらしいぜ。敵と一緒にな。どっちも相当、負傷しているらしい」
ウォーター・ハウスとラトゥーラはグリーン・ドレスと合流する事になった。
赤い天使はホテルの中で二人を待っていたのだった。
彼女は頬に大きな湿布を貼っていた。それに全身、かなり負傷しているみたいだった。
暴君は、自身の治癒能力で、彼女の頬の孔を埋め、全身の傷を治療する。
「敵はしっかりブッ倒したぜ。あなた達は?」
「ヴァシーレに持っていかれた。……そして、俺達は、もう一人の敵から逃れなければならない」
「逃れる?」
ドレスは首を傾げる。
「ブエノス。TV局のプロデューサーだ。ヴァシーレが提供してくれた情報によればMD中に支部を持っている。だが、ヴァシーの奴はろくな資料を寄越していない。俺達で調べるか、奴はまだ資料集めに錯綜しているんだろう。ブエノスという男はメリュジーヌのTV局にいるかもしれないが……。余り、敵の罠にハマりに行きたくない」
「TV局、焼けばいいんじゃねえの?」
グリーン・ドレスは淡々と言う。
「そういうわけにもな。……この後に及んでだが。やはり、まだ無関係な人間を巻き込みたくない。それに、ブエノスの能力はまだ未知数だ」
ウォーターは小さく歯噛みする。
「とにかく、病院でシンディを拾おう。そして、この国を脱出する。このまま北東のファハンに向かって、マイヤーレの本拠地を壊滅させるぞ。当初の予定通りだ。マイヤーレのボスも幹部達も全員、始末する」
ウォーター・ハウスはそう言って、タクシーに乗る。
そして、注意深く、吹っ掛けられないようにメーター付けるように言って、メーターを見ながら病院へと走らせた。
†
「もしもし、ムルドですか?」
ロジアは傷だらけのまま病院を抜け出していた。
彼はコートを着て傷を隠しながら、メリュジーヌの大通りを歩いていた。……正直、ダメージが酷くて、今にも倒れそうだが。それでも、今は此処から離れるしかない。
ウォーター・ハウス達は、シンディと合流しに、この病院に向かってくるだろう。彼らの気分次第では自分に止めを刺しにくる。その前に、自分は病院から逃げる必要があった。
<ああ。ロジアか。……どうやら、ウチのヴァシーレが好き勝手に動いているみたいだが。お前らの方の首尾は?>
「魔女ラジスが始末されたみたいです。炎の天使は生還している。ボクもかなり負傷している。子供の始末に失敗しました。……そして、ムルド」
ロジアは息継ぎをしてから言う。
「どうやら、我々は連合の何者かによって見張られているような気がします。泳がされている。それが一体、何なのか分からない……」
<その事だが、ヴァシーレはメリュジーヌの警視総監のコルトラと、TV局プロデューサーのブエノスの二人がかなり裏で暗躍していると言っているが…………>
「成る程…………。ブエノス、一度、会った事があります。極めて気に入らない男だった。けれども、ボクは何か嫌な予感がする。もっと、大きな何かが動いているような……」
ロジアは自身の勘で物事を述べた。
だが、彼の勘は当たる事が多い。
<後。これはヴァシーにはまだ内密にしているんだがな……>
電話の向こうのムルド・ヴァンスは一呼吸置いてから言う。
<メリュジーヌの猟奇殺人鬼を殺害したのは、あいつだろう? あの刑務所で、元死刑執行人をやっていた男を。それにしても、あの男は、いつから発狂して個人的に人を殺すようになったんだろうな? まあ、それはいい。ヴァシーレにはまだ内緒にしているんだが…………>
「なんですか?」
<死体が持ちされたそうだ。……ああ、完全に死んでいた。全身、刃物の裂傷、喉に致命傷を負っているが。ヴァシーレの手口だろう、という事は、既に情報が出回っている。あの猟奇殺人鬼の死体は回収された。……何に使うのかは分からないが。奇妙だ。誰が持ち去ったのだろう?>
「分かりませんね。とにかく、ボクは…………」
この仕事から、一度、降ります。
ロジアはそう告げた。
自分の職業は医者だ。
今は、それを優先させなければならない。
†
ムルド・ヴァンスは苦虫を噛み潰しながら、メリュジーヌの街を歩いていた。
戦いは終わったみたいだ。
暴君達は全員、この国を出るだろう。
「それにしても、ヴァシーレの奴……」
完全に、ウォーター・ハウスに寝返った。気持ち良いくらいに裏切ってくれた。そして、奴の性格からすると、再びムルドに近付くだろうが……。
「この俺の立場も危うくなるぞ。一体、何を考えてやがる?」
殺し屋同士のチームだ。
以前から古い付き合いがある、というわけではない。それに賞金を手に入れるのは競争になっている。当然、このような事態になる事は予想するべきだった。ムルドは今後、ヴァシーレを抹殺対象として考えなければならなくなる。
だが…………。
「奴の性格からすると、完全にウォーター・ハウスの味方をしているとも考えにくいな。……何を狙っている。ひとまず、弁解をさせてみるか……」
先程、何度かヴァシーレに電話を掛けているが繋がらない。
辺りは雪が解け始めている。
空は太陽が差し込み始めていた。
ヴァシーレの方から、メールが来る。
先程、マフィア組織アルレッキーノのコルトラに喧嘩を売ってきた、今回はまだ始末していない、今後、始末する、とメールには書かれていた。文句は後で聞く、と。
ムルド・ヴァンスはわなわな、と、震えていた。
そして、一呼吸置く。
葉巻を取り出して、火を点ける。
「まあ。本当にああいう奴だな。気持ち良いくらいに。本当に組織に所属するっていう、俺の誘いが嫌なのか。それとも、この俺が嫌なのか。……まあいい。お前の事は庇える範囲で庇っている。だが、俺が狙われるなら赦さない」
彼は建物の壁に背をもたれさせて、大きく葉巻の煙を吐き出すのだった。
カルト・オブ・ヴェノム 朧塚 @oboroduka
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