第十七夜 凍える世界を作る者 1


「俺自身も寒いんだぜ。なんだよ、こんな朝っぱらに呼び出してよぉ。今度は何だあ? この俺様をこき使いやがって」

「事のついでだよ。先程、ちょっとしたやっかい事が片付いたのでね。君にもちょっぴりだけ、手伝って貰おうと思ってなあ」

 防寒具に包まれたガローム・ボイスは警視総監のコルトラに呼び出されて、夜の河川敷にいた。雪が降り積もっている。この辺りは民家から離れている。


「既に、ブエノス君が君の処に向かって説明したと思うがね。今夜の天気予報の報道は操作して貰っている」

「そうかよ。で、死亡人数は?」

「数十名……。そうだな、五十名とちょっとくらいしか確認されていない。まあ、ホームレスやストリート・チルドレンの死体が雪解けにはゴロゴロ出てくるだろうが」


「で。それ、何?」

 ガロームは縛り上げられて、地面に転がっている男を見据える。そして、コルトラの後ろには何名かの警察官が立っていた。近くには彼が乗ってきたパトカーが駐車されている。


「ちょっと、ウチの署にはねえ。特殊部隊が設置されている。普通の殺人事件とか、銀行強盗とか、道路交通している者達には、余り詳しく知らせていない」

「分かったぜ。つまり、ナチスのゲシュタポやロシアのチェーカーみたいな秘密警察ってわけだろ?」

 ガロームに言われて、コルトラはでっぷりと太った腹を摩る。


「ま、そんなトコだな」

「何したの? そいつ?」

「何でも、国籍を調べてみると『ボジャノーイ』のジャーナリストみたいだ。この国『メリュジーヌ』においての我々を嗅ぎ回っていたからね。スクープを他国の政治家やTV局やらに売ろうとしていたわけだ」

「コルトラ、テメェの汚職をか?」

「そういう事だな。ガローム、少し手袋を脱いでくれないか?」

 ガロームは言われた通りに、手袋を脱ぐ。かじかんで手が痛い。


「さて」

 地面に伏せっている男の猿轡を取る。


「最後に、何か、言い残す事は?」

「…………、地獄へ落ちろよ、クソ野郎っ! こっちは証拠全部、押さえているんだぞ。政治家との賄賂も、マフィアとの賄賂もっ!」

 ジャーナリストの男は猛り、叫ぶ。


 コルトラは何の躊躇も無かった。

 ポケットから、38口径の拳銃を取り出して、男の脳天に全弾、ブチ込んでいく。


「んんー、硝煙反応ありぃー。指紋は~」

 コルトラは手袋をしていた。

 そして、彼は素手になっているガロームの手に拳銃をボールのように放り投げる。ガロームは思わず、空になった拳銃を掴み取る事になる。


「ガローム。これで、その拳銃からは君の指紋が出る。君がやったという事にしよう」

「おいっ! ちょっと、待って!」

「拘束される前から、三百人以上殺したんだろう? これ以上、何名殺したって構わないだろう。部下の書類には、拳銃から君の指紋が見つかった、と書くように命じておくよ」

「ク、クソ野郎があああああああああああああっ! この俺を、この俺を何処までも、コケにしやがってっ!」

 ガロームは怒りと憎悪に満ちた瞳で、警視総監の男を睨み付ける。


 コルトラは財布を取り出すと、何枚かの札をガロームに握らせる。


「これで、豪華な朝食でも取りたまえ。来てくれた、御礼だ」

 そう言って、コルトラは黒い笑みを浮かべていた。


「さて。わたしには、愛する奥ゆかしい女房や娘がいる。家族サービスを怠ってはならない。どんな任務よりもだ。そろそろ、私は帰るとするよ。ガローム君、首尾よくやってくれたまえ」

 そう言って、コルトラは部下の特殊任務に就く警察官達に支持を出すと、パトカーへと戻っていく。


 ガロームは怒りに打ち震えていた。


「絶対に、絶対に、この辺り一帯、全部、丸呑みにしてやるよ。コルトラよおぉ。ブエノスもだぜ……っ! テメェらも巻き込んでやる。この俺を、この俺を侮辱し続けやがって」

 ガロームは右ストレートで地面を殴る。

 すると、再び大風が吹き荒れていく。



 コルトラはパトカーの後部座席に乗りながら、葉巻を吸っていた。

 まるで、その面構えは、警察というよりも、マフィアのボスのような印象を周りに与えていた。実際、彼を巨大マフィア組織『アルレッキーノ』の実質的な影のボスであると称している者達も多い。アルレッキーノの最高権力者は、表側はメリュジーヌ国の警視総監を務めるこの男なのではないか? と。ただ、メリュジーヌは広い国だ。各州によって、警察の在り方が多少、異なっている。コルトラの担当する地区の外は、彼の権力が及んでいない。コルトラは、いずれ、この国全体に領土を広げる画策もしていた。


 そして、この国の警察は各州によって独立している。

 それぞれの警察組織のトップは、警視長官という役職だが、そのすぐ下に警視総監であるコルトラは、長官よりも権力を握っていると言われている。


 そして、コルトラは他の州の警察組織にさえ支配の手を伸ばしている。

 警察組織でさえも、彼は“私物化”しているという事になる。


 コルトラは上物のウイスキーを口にする時に思うのだ。

 この国の法は、自分が握っており、全ての法こそが自分を中心に回っているのではないのかと? 勿論、彼は政治家達とのコネクションもある…………。



「そういえば、ウォーター・ハウスさあ。ラトゥーラを探しに行ってから、遅いよなあ」

 グリーン・ドレスはたっぷり、睡眠時間を取った、といった顔で起き上がる。この安宿に辿り着いたのは昨日の22時ちょっとくらいだったから、その後、彼女は映画を見て、午前0時過ぎくらいには寝ている筈だ。


 時計を見ると、朝の8時だ。

 もう、朝食を食べる時間になっている。


「眠れたか?」

 ドレスは笑顔でシンディの頭を撫でる。

「はい…………、私は途中で、起きたりして、四、五時間くらいでしたが……」

「睡眠はちゃんと取っておけよ。体力を温存しなければ負けるぜ。睡眠時間、疲労回復を行っておかなければ負けるぜ」


 そう言いながら、ドレスは屈伸運動を始める。

 ぼきぼき、と、関節が鳴っていた。


 窓の外を見ると、雪が降り続けていた。

 昨日のような大雪ではないが、それでも寒い……。


 二人はホテル・バイキングに向かう事にした。


 二人で四千円って処だった。そこそこの値段だな、と、ドレスは言う。

 二人は朝食を皿に盛り込んでいく。


「あの。ドレスさん?」

「なんだ?」

 グリーン・ドレスはトーストにバターを塗りながら訊ねた。彼女はバイキングで美味しそうなものは一通り、口にしてやると言っていた。そして、スクランブル・エッグをベーコンと一緒にトーストに乗っけて食べていた。


「ウォーター・ハウスさんの事は心配じゃないんですか?」

 シンディはとても不安なのだろう、弟のラトゥーラの事が……。


「悪いが…………、シンディ。あなたの弟の事は…………、分からねぇえ。敵に拉致されたってのなら、最悪、おっ死んでいるかもしれねぇ。あなたがスゲェ心配なのは、分かる。でも、私は暴君が死ぬなんて事は一切、考えてねぇよ。……それから、シンディ。こういうのも何だけどな……」

 ドレスはオレンジにかぶり付く。


「シンディ。あなたの事自身を心配しろよ。あなた達は、私達と出会った港町で覚悟する必要があったんだぜ。私達が戦っている、敵ってのは、そこら辺のチンピラなんかじゃねぇえ。もっと、デカイ化け物なんだろうぜ。有史以来、存在してきた邪悪な悪魔とも呼べるものなのかもしれねぇんだ。……あなたは、とにかく、体力を回復するんだ。心の気力もだぜ」

 ドレスはトッピングしたパンを口にしていた。


 シンディは食事を口にしていく。

 彼女は食事に毒を盛られる危険性を考えていたが、これまではウォーター・ハウスが毒などの類を即座に治療する事が出来た為に、心配する必要は無かった。けれども、今は警戒する必要がある。けれども、グリーン・ドレスは爽快な程に敵からの襲撃を気にしていないみたいだった。シンディの方は、能力を発動して、周辺の者達を探っていた。……こちらに悪意や殺意を向けている者はいない……。


「会話しようぜ。シンディ。無言で食べていたって、つまんねーだろ? なあ。馬鹿話でもしよう。シンディ、私は貴方に興味があるし、貴方の人生に興味があるんだ。話を聞いてやるよ。な?」

 そう言って、グリーン・ドレスは満面の笑みを浮かべた。


 シンディは会話に迷って、彼女好みの下ネタを話す事に決めた。


「そういえば、ドレスさん。私、一日で三十名の男性と性関係を持った事ありますよ」

 シンディはそんな事、言った。

 グリーン・ドレスはカフェオレを飲みながら、少し吹き出す。


「マジで? 信じられねぇえ。やっぱ、売春婦って、ホントにスゲェんだな」

「ホント、その時は酷くて、……下半身から血が出て止まらなかったんですよ。指で中に入れられた時に爪で引っ掻かれて……」

「そりゃ、ホント、悲惨だよなあ」

 彼女はそう言いながら、カフェオレを飲み干した。


「シンディさあ。性行為以外で人生で楽しい事ってあると思う? 私にはあるけどさあ。売春婦って、風俗嬢とかってさあ、何が楽しくて生きているの?」

「うーん、お金ですかねえ…………」

「そうだよなあ。……私、実は中流家庭の出身でさあ。身体売ったりした事ねぇーんだ。好きな男としかヤラねぇー」

「それは羨ましい……、私なんて、……恥ずかしいですが“後ろ”まで開発する事になったんですよ!?」

 そう言って、シンディは赤面しながら言った。

 そして、とても屈辱的な顔に歪んでいた。

 自分は、清楚的な少女の見た目をしているが、とてつもなく汚れている。

 何百人もの男と肉体関係を結んでいるのだ。そういう生き方しか選べなかったし、後は、ドラッグのバイヤーにでもなっていたかもしれない。何故、自分はこの世界に生まれてきたのだろうか、と悩み、絶望し続けたのは数知れない。


「そうかよ。なんか、私、ビッチ呼ばわりされる事あるけどさあぁ。結構、貞節な方なんだぜ」

「私がビッチみたいじゃないですか……。否定はしませんけど…………」

 シンディは不機嫌そうな顔になる。


「とにかく、怖い客っているんです。それに、妊娠とHIVに感染するのが一番、怖い……。他は大した事は無いんじゃないかってくらいに……、この二つだけは本当に怖いんです……。特に性病、HIVで亡くなった同業者は多いですし……。マフィア達は、HIVの陽性になった売春婦は容赦なく捨てるんです。文字通り、そこら辺にゴミのように捨てるんです。だから、ホームレスになって野垂れ死ぬ売春婦は多い……」

 シンディは口元を押さえる。


「……妊娠が怖かったです。……私は幸い、まだ堕胎はしていません。避妊には気を配っていますから……」

 彼女は両手の拳を強く握り締める。


「ドラッグが蔓延していました……。ヘロインです。中毒性が高い……。それで警察に捕まったり、発狂したりした友人を何名も見てきました……」

 彼女は陰鬱な顔になる。

 もしかすると、シンディ自身、薬物を多少、吸引したり、注射器で腕に打ったりした事があるのかもしれない。グリーン・ドレスはこれ以上、彼女の過去に触れようとする事を止める。


「シンディ。あなたの心はドストエフスキーの『罪と罰』の娼婦、ソーニャのように清らかなのかもしれねぇな。私には分からねぇ、感性だ。あなたは心が優しい……、それ故の能力なんだろうぜ」

 彼女はそう言うと、追加で食事をするべく、バイキングのコーナーへと向かった。そして、しばらくすると、沢山のパンとハムにソーセージ、チーズ。ケーキなどを皿の上に入れて持ってくる。


「シンディ。私もウォーター・ハウスも、あなた達を助けようと思ったのは…………、こんな腐った世界だけど、私達なりの“正義”があるからなんだぜ。人を殺す事は絶対悪なのかもしれねぇ。それに私達は無差別殺人犯だ……。けれども……、暴君は、言っていた。……いつか、自分達よりも、正しい人間が自分達の意志を継ぐ者が現れる事を願っているってな!」

 そう言って、グリーン・ドレスはオレンジ・ジュースを飲み干した。

 それにしても、彼女は豪快なまでによく食べる。


「シンディ。ちゃんと食えよ? 本当に。後で吐いてもいいからさ。私達の旅はまだまだ長い。あなたも、ラトゥーラも成長しねぇといけねぇんだ。…………、そして、私達もだ!」


「…………、はいっ!」

 そう言うと、シンディはバターを塗ったパンに被り付く。



 ホテルの部屋に戻る際に、何か違和感を覚える。


 グリーン・ドレスは、エレベーター付近でシンディを待っている際に、背後を振り返る。


 明らかに、異質な気配が佇んでいた。


 この場所は、ホテルのロビーだ。

 玄関の辺りに、異様な人物が佇んでいた。


「『赤い天使』グリーン・ドレス。ボジャノーイでは世話になったわね。……もっとも、貴方はこの私の顔を見ていない筈だけど。うふふふふっ」


 フードを被った女が、そこに佇んでいた。女は、何か薬物のようなものをパイプから吸引していた。

 シンディはトイレの中にいる。

 グリーン・ドレスは、女を睨み付ける。この女をシンディの下へと行かせてはならない……。


「よう。クソビッチ。何しに来たんだあ? テメェ。ウォーター・ハウスとラトゥーラの所在は分かるのかよ?」

「さあて? どうかしら? 私は分からない。でも、先を超される前に、貴方を始末させて貰うわ」

 そう言うと、女は両手を広げた。


「表に出な。暴君がなるべく民間人を巻き込みたくないって言ってやがった。テメェは、外で始末してやるよ。今、この安宿には人が多いからなあぁ?」

「あらそう? 大量虐殺犯らしくないわねぇ。でもいいわ」

 彼女は人差し指を立てる。


「私の名は魔女ラジス。能力は『ヴィクトリア・ストレイン』。表に出て、勝負を決めましょう?」

「そうか。テメェ。ボジャノーイで、あの変な医者の相棒をしていた奴だな? 遠くから、私を植物の種で襲撃してきた」

「そうね。ロジアと一緒に来ているわ。でも、私は貴方を始末する。それが最優先事項。さて、貴方の望み通り、表に出るわ。待っているわよ?」

 そう言うと、女は玄関を開けて、外に出ていく。


「挑発に乗ってやるぜ。テメェらを返り討ちにしてやるよっ!」

 そう言うと、グリーン・ドレスは外へと飛び出す。

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