第十六夜 ラトゥーラの『ムーン・マニアック』 2


「この俺を始末する? 殺すって事かよおぉ? ひひっ、ならよぉ、やってみろよ。ひひっ、テメェがもう少し成長したら、テメェの懸賞金は上がっただろうが。今、此処で五千万をゲットさせて貰うぜ?」

 そう言うと、ヴァシーレは再び、二人に分身する。男のヴァシーレと、女のヴァシーレが現れる。

 二人の両手には、計四つの円月輪(チャクラム)が握られていた。二人は、刃物の付いた投げ輪を、ラトゥーラへと投擲する。ラトゥーラは、炎の剣によって、それらを焼き溶かしていく。

 

 炎の形状が変化する。

 まるで、鞭のように、刀身がうねっていく。男の方のヴァシーレは、すんでの処で、それを避けるが、避け切れずに、左手と首筋に火傷の痕を負う。


 ラトゥーラは、今度は炎を小型槍に変えて、まるで、レイピアでも突くように、ヴァシーレの一体へと攻撃を繰り出していく。


「テメェ、炎を色々な武器の形状に自在に変えられるんだなっ!」

 ヴァシーレは、彼の攻撃を手にしたナイフなどによってさばいていく。


 ラトゥーラは、喉と足首に、何かが突き刺さるのを感じた。

 ヴァシーレが、小さな針を飛ばしたのだった。足の方には、深々と喰い込んでいる。ラトゥーラは地面に膝を付いた。彼は痛みで強く歯を噛み締める。


「まだ、使いこなせていないみたいだぜ。しかしよおぉ、せっかく、名付け親になったのに、子供殺すってのは、悲しいもんだぜ」

 そう言うと、ヴァシーレは再び、一つになる。今度は男の肉体だった。


「そろそろ、始末させて貰うぜ。首落として、連合(ファミリー)に持ち帰る」

 そう言うと、ヴァシーレの片手にはハンド・アックスが握られていた。この手斧で、首くらいなら両断出来るのだろう。


「じゃあな。さよなら、だな。男娼志望のクソガキ」

 手斧が勢いよく、断頭台のようにラトゥーラの首へと落とされる。

 ラトゥーラは、手にしていた炎の槍を、ジャベリンのようにヴァシーレへと投げ付ける。ヴァシーレは、それを難なくかわす。


「もう、お終いだって言っているだろうがよおおおぉぉおぉ!」

 彼はほくそ笑んでいた。


「お終いなのは、お前の方だよ。変態。自分自身と性行為している変態が名付け親ってのは、悲しい事だけどさ」

 ラトゥーラは口から勢いよく血を吐きながら告げる。


 投げた炎の槍が、ブーメランのようになって戻ってくる。

 そして、それはヴァシーレの喉を彼の背後から焼き切っていく。

 ヴァシーレは喉から勢いよく、出血する。


「あれ? おい?」

 ヴァシーレは地面に崩れ落ちる。


「この時を待っていたんだよ。変態。お前が慢心して、分身を止める瞬間をさ。これで、お前を倒せる…………っ!」

 ヴァシーレは、どさりっ、と、地面に崩れ落ちた。

 彼の喉から、大量の血がドクドクと床に広がっていく。傷は深く、完全に致命傷だった。


 ラトゥーラは、自分の喉に刺さった針を引き抜く。

 そして、彼もまた口から血を吐き出す。


「殺すしか無かった…………、これで、僕も人殺しに…………、多分、姉さんよりも早い…………。ああ、クソ…………」

 ラトゥーラは涙を流していた。


 先程まで、会話していた人物が血塗れで床に転がっている。彼はもう助からないだろう。ラトゥーラは深呼吸を行う。そして、壁に背を持たれさせて、ゆっくりと座る。

 …………、涙が溢れて止まらない。

 人を殺すという事が……こんなに怖い事だなんて知らなかった……。


 彼はひたすらに、泣きじゃくる。

 彼の近くを飛んでいた、翼を持った頭蓋骨はさらさらと虚空へと消えていく。


「僕は、……人を殺した…………」

 えぐっ、えぐっ、と、ラトゥーラは泣き続ける。

 ヴァシーレは完全に息をしていなかった。

 月の光がまだ十五の少年を照らし出していく。


「残念だけど。そうでも無いようだぜ」

 ラトゥーラの頸椎は、いきおいよく蹴り飛ばされる。

 そして、そのまま、転がっているヴァシーレの死体に激突する。ラトゥーラはそのまま、気を失う…………。


 女の肉体を持つヴァシーレが、転がっているラトゥーラを眺めていた。

 そして、今や死体となった男の方の肉体を消滅させていく。


「油断しているの、テメェの方だろ? 良かったなあ、童貞捨てなくて。殺人童貞をよおぉ。ったく、俺達、殺し屋の世界では、人をブッ殺すのは、ショッピング行くみてぇに、日常の一部だって強く言われなかったのかよ? 暴君にっ!」


 そう言って、ヴァシーレは大きく溜め息を吐いた。

 …………、ヴァシーレは、分身を一度、消して、一つに戻ったと見せかけて。ラトゥーラが膝の痛みで床を見ている隙を狙って、再び、分身を作って、ワインセラーの棚の裏に隠れていたのだった。


「さてと。このまま、お前の首落として、五千万をファミリーから貰うってのは簡単な事なんだけどよぉ」

 

 ワインセラーの扉の向こうから、ようやく足音が近付いてくる。

 この部屋の扉が開かれる。


「随分と派手に、ラトゥーラをいたぶっていたみたいだな……」

 ウォーター・ハウスだった。

 彼は倒れているラトゥーラの様子を見て、瞬時に、ある程度のダメージを確認したみたいだった。


「教育してやったんだよ、教育。こいつ、雑魚の甘ったれだから。……でもまあ『ムーン・マニアック』、見せてくれなけりゃあ。マジで五千万の方、選んでいたと思うぜ」

 そう言いながら、ヴァシーレの肉体は、男の姿へと変化していった。


「それにしても、遅いぜ。ウォーター・ハウス。他の連中は?」

 ヴァシーレは両腕を広げた。


「宿で待機して貰っている。罠で四人全滅って事を避けたかったからな」

 ビシッ、と。クリップで止めた何枚かの資料のようなものが、ウォーター・ハウスの顔に投げ付けられる。


「おい。なんだ? これは? 貴様」

 ウォーター・ハウスは怪訝そうな顔になる。


「この国の警視総監コルトラと、MD中にTV局を持っているブエノスの資料。そいつらも、お前らを狙ってやがるぜ。特に、コルトラの方は、猟奇殺人鬼ガローム・ボイスの釈放に手回しした奴だ。汚職警官どころか、汚職警視総監だぜ! 俺はテメェらが、そのクソジジイを始末する事を願っているんだぜ?」


 そして、ヴァシーレは、つかつかと窓に向かい、窓枠に両手を押し付ける。


「見ろ。月が輝いている。月が出現したのは、ラトゥーラの能力は関係無いな。春なのに、この大雪を生んだ奴の能力みたいだぜ。それに、外では嵐が吹き始めている。遠くでは、稲光が発生してやがるぜ。どうやら、こいつは“気象操作”を行う事が出来る能力者みたいだ」

 そう言いながら、ヴァシーレは髪をかき上げる。


「ヴァシーレ。貴様、一体、何がしたい? 何を考えている?」

 暴君は訊ねる。


「テメェらの首を貰って、賞金を手に入れる事を考えていたが…………」

 彼はウォーター・ハウスの方を見て、三日月型に口元を歪めた。


「俺はMD中の賭博ビジネスを乗っ取る事に決めたんだぜ! MDのカジノの利権は全部、ブン取ってやる! 暴君よおぉ。テメェらと、この俺と組んだムルドには感謝しているんだぜっ! 俺に腹を括らせてくれたからなあっ! 俺はMD中の賭博ビジネスを乗っ取ってやる。このクソみたいな社会の勝者に昇り詰めてやるよっ!」


 そう言うと、ヴァシーレは裏口の方に周り、ドアを開けると、停めていたバイクに乗って氷結された道路を駆け抜けていった。


「なんだ? あいつ?」

 ウォーター・ハウスは、ひとまず、地面に転がっているラトゥーラの傷を治療する事に決めた。……貰った資料も……、帰ったら、熟読する必要はあるだろう。ヴァシーレは、明らかに嘘を言っていないだろうから……。



「奇妙ですよ。魔女」

 ロジアは電話で、魔女に連絡する。

 彼はホテルの最上階に泊まっており、ベランダから、街一面を見回していた。


<あら? 私の『ヴィクトリア・ストレイン』は、この街中に張り巡らせているわ。発芽させれば、奴らは喰い殺される事になる。準備は整っているわよ?>


 すはあぁー、と、電話の向こうで、魔女が薬物(ドラッグ)入りの煙草を吸引している音が聞こえた。


 雪のせいで、眼鏡が曇る。ロジアはそれを不快に思った。

 もうすぐ、夜が開ける。


「何かよく分からないんですが……。とても不自然なんです。この街は……。違和感を覚えています。大雪警報が無い。住民達の間で苦情が入っていると聞きます。天気予報の情報の操作が行われているような気がするんですよ…………」

<勘違いなんじゃないかしら? 私達があの四名を始末して、金をゲットする事に変わりは無いわ>


 ロジアは口元に手を置いて考える。

 あの下品なドゥルム・ジョーを駒にして、暴君達の様子を見た自分達のように。自分達の方も、まるで別の誰かによって、知らないうちに駒にされているんじゃないのか……?

 どうしても、その疑惑を拭い去れない。この街に入ってからだ。


 いや、そもそも。


 マフィア達は、自分達、フリーの殺し屋をどれだけ信用しているのだろうか?

 自分や魔女は、半分マフィアの構成員に近いが、正式には、どの組織(カルテル)にも所属していない。……なので、フリーと言える。つまり、いつでも切り捨てられる可能性がある、という事だ。


「魔女。最悪ですよ、最悪。最悪の場合、ボク達が始末するべきターゲットは、暴君達ではなく。別の存在になるかもしれません。ボク達の命を守る為にっ!」

<何を言っているのかまるで分からないわね、ロジア>


 ロジアは眼鏡を取って、一度、通話を切る。

 空を見るのを止めて、時計を見た。もうすぐ、夜が開ける時刻だ。

 何にしろ“自分達を監視している見えない何か”の正体を知る必要がある。それは依頼を出しているマイヤーレか? マイヤーレの依頼で乗っかって賞金を出している連合(ファミリー)か? ……連合だとすれば、一体、何者が……?


 …………、暴君を追い詰めようとしているつもりが……。ボク達の方が、別の何者かによって追い詰められようとしているのか? 何の為に……?


 恨みなら幾らでも買っている。

 麻薬の流通に熱心な魔女の方は自分以上だろう。


 港町と同じように、このメリュジーヌは河がとても美しい。その美しくエメラルド・グリーンに広がる河は、今や凍り付いている。この季節でこの異常気象を起こしているのが、何らかの能力者の能力だとするならば…………。

 …………、タッグを組んで、更にやっかいな無差別攻撃を仕込まれている可能性がある。おそらく、暗殺者のチームを組んでいる自分達の命なんてのも、どうだって良いのだろう。


 突然の事だった。


 猛吹雪がいきなり止み始める。

 そして、徐々に空が晴れていく。


 月だ。

 月明かりが、雪原に顔を見せる。


「気象を……好きなように、操っているのか? こいつは?」

 ロジアは確信する。

 やはり、何らかの能力者が、気象を操作している。……そして、おそらくは、自身の能力がどういったものか、実験している。しばらく外を眺めていると、今度は、雪は降らず、大嵐になり始めていた。

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