第十六夜 ラトゥーラの『ムーン・マニアック』 1


 暗い部屋の中だった。

 どうやら、此処は、ワインセラーみたいだ。

 赤ワインが陳列されて、並んでいる。樽も転がっている。

 何処かの家の地下室なのだろうか……?

 もしかすると、あの安宿の地下かもしれない……。だとすると、ウォーター・ハウス達にすぐ見付けられる。ザゴルムのようにトラップに嵌めようとするならば別だが、どうもそんな感じには思えない。敵はそこまで馬鹿じゃない……。


 ラトゥーラは、自分の身体が拘束されている事に気付く。

 椅子にロープで縛られて、猿轡を噛まされている。

 服は脱がされていない。安宿にあった、灰色のシルクのパジャマを着ている。


「ようやく、眼が覚めたか」

 眼の前には、グレーに近いモノトーンの服を身に付け、アシンメトリーのロングスカートから生脚を出した、一人の美少年が腕を組んで、佇んでいる。


「MD中の警察の事情を調べていくとな。警察官からマフィアに転職する奴も多いし、マフィアから警察官に転職する奴も多い。それから、天下り。年取った官僚とかドンドン、カジノの経営者なんかに転職しているらしいぜ。当然、カジノにはマフィアが絡んでいる。ええ、ラトゥーラ、その辺りの事情も知ってから、マフィア連中に立て突いているんだろうな? ひひっ、暴君は当然、知っているんだろうがなあ?」

 ヴァシーレは、ロープで拘束し、猿轡を噛ませたラトゥーラを軽蔑するように見下ろしていた。


「俺はフリーの殺し屋でしかねぇが。その辺りの利権争いには詳しい……。ってか、殺し屋やるんなら、知っておかなくちゃならねぇからなぁ。……、ラトゥーラよおぉ。今、警察共も、金が欲しいらしいぃんだぜ? テメェらの賞金がなあっ! この俺は奴らに出しぬかれたくねぇ。ラトゥーラ、テメェ一人を始末するだけで、俺のポケットには、五千万入るってわけなんだぜっ! 今、いつでも始末出来る」


 ヴァシーレは壁に寄り掛かりながら、高笑いを浮かべていた。

 そして、ヴァシーは白ワインをラッパ飲みで、口にしていた。そして、彼は瓶を床に投げ捨てる。


 ラトゥーラの猿轡が外れる。……元々、緩く縛っていたのだろう。


「お前、僕をどうしたい……っ!」

 ラトゥーラは、ヴァシーレの顔を睨み付ける。

 今は、ヴァシーレは男の肉体みたいだった。変幻自在に性別を変えられる能力者。こいつは、性別を好きに変えて、他人を魅惑する事を行っているのだろうか……?

 …………、まるで、自分みたいに気味が悪い……。


「ちょっと、考えているんだぜ。……ラトゥーラ、テメェを今、始末して、五千万手に入れるか、どうかってよおぉ」

「でも、ヴァシーレ……、それなら、眠っている間に、この僕を殺せたよね? ウォーター・ハウスさん達をおびき出す為か!?」

「…………、話をなあ。ちょっとばかり、聞いて欲しくてな…………。それまで、テメェを生かしてやろうてな…………」

 ヴァシーレは、赤ワインの瓶を棚から抜き取ると、指先だけでコルクを引き抜く。


「連合(ファミリー)は、警察とも繋がっている。連合傘下の組織(カルテル)には、警察組織も入っているって知っているか? ラトゥーラ。テメェらに、賞金を掛けている連中はなあ。警察組織も入っているんだぜ。ホント、笑い話だ。警察はマフィアと繋がっている」

 彼は少しだけ、酔っているみたいだった。

 …………、良いのだろうか。隙だらけになる。アルコールなんか入って、彼は戦えるのだろうか? それとも、ラトゥーラ一人を始末出来れば、それで良いという事なのだろうか?


「警察はなあ。ヘロインやコカインを売りさばいたり、常用しているガキ共を捕まえて、取り締まる。点数になるし、奴らのイメージ・アップに繋がるからな。……だが、ドラッグを流通させている組織とは、ズブズブの仲良しなんだぜ? ラトゥーラよおぉ、どう思う? お前? ひひひひひっ、テメェさあ。この世界のくだらねー構造どう思う?」

 ヴァシーレは腹を抱えながら、嘲り嗤う。


「俺はMD中の賭博利権を手に入れたい」

 両性具有の能力者は、ふっ、と、人を喰ったような表情を止めて、まるで強い情念のような口調で告げた。


「ラトゥーラ。匂いで分かるぜ……、テメェは、一番、暴君達のグループの中で、カタギに近い感性の持ち主だ。……俺はなあ、ラトゥーラ、テメェが何で、暴君とつるんでいるのかっていう事情は知らねぇが、とにかく、始末しろって言われている。……でも、今、テメェを殺しても、五千万だぜ? ……クソが吐き出した五千万……。どうせ、クソから奪うんならよおぉ。トップに立ちてぇんだよなあぁ。数十億? 数百億? 数千億かもしれねぇ。賭博利権を奪うってのはよおぉ」

 ヴァシーレは、赤ワインの瓶を床に投げ捨てる。ころころ、と、空の瓶が床を転がっていく。


 パシィ、パシィ、と、ヴァシーレは、何処からともなく、刃物を取り出す。

 そして、彼は一斉にラトゥーラに向けて、ナイフを投げた。

 ラトゥーラの頬や首筋、肩や足首から血が流れる。


 どうやら、ヴァシーレはナイフ投げの達人でもあるみたいだった。


「ひひひひっ、ラトゥーラ。お前を殺す事は、今、いつでも出来るってわけだぜ。五千万はいつでも手に入るっ!」

「僕を殺したら、ウォーター・ハウスさんが許さない…………っ! お前は殺されるっ!」

「はん。テメェは、やっぱ暴君の腰巾着ってか? ええっ?」

 全身に、武器を隠し持つ怪人は、なおも嘲る。


 ラトゥーラは、今、言った事を口にして、強く歯噛みした。

 ……、自分は、一体、何の為に旅をしているのだろう?

 暴君と赤い天使に姉のシンディを助ける事を望んだ時から、マフィア達を……そして、MDという領域そのものを敵に回す事になったのだ。自分の安心出来る場所なんて、もうこの世界中の何処にも無いのかもしれない……。


「僕は……、強くならなければならない……。もう、お姉ちゃんを助けようと思った時から、後戻りは出来ないんだ……っ!」

 ラトゥーラは呻くように言う。


 ヴァシーレは彼を見下ろしながら、今度はグラスに赤ワインを注いでいく。


「ほぉおぉ? ひひひっ。ラトゥーラ、俺はなあ。テメェの境遇に少しだけ、興味があるんだぜぇ? テメェ、水夫だろ? 港町の。だから、セーラー服着ている。でも、スカート穿いてさあ。女のように髪伸ばして、化粧もする。男娼目指してるんだろ?」

「だったら、何だ!」

「俺も女顔で、元々、普通の男だった。不愉快な事に、俺は同性から性的目線で見られていたんだぜ。貧困街でなあぁ、何度も、サディストのゲイやバイに強姦されそうになった……。生まれ育った地区は、児童性愛者(ペドフィリア)も多かったしな……。俺の『エンジェル・クライ』は、もういっそ、自分自身としか性行為したくねぇ、って強い望みから手に入れた能力(ギフト)なんだぜぇ」


 そう言うと、ヴァシーレは、二人に分かれる。分身だ。

 それぞれ、男のヴァシーレと、女のヴァシーレだ。


「ラトゥーラ。俺はテメェの能力に興味があるんだぜ? なあ、ラトゥーラ。見せてみろよぉ、お前の能力をなあっ!」

 そう言って、女の方のヴァシーレが、ラトゥーラのシルクのパジャマの上から、厚底ブーツで踏み付ける。胸の上の辺りだった。ごりっ、と、鎖骨が折れる音が鳴った。ラトゥーラは声に鳴らない叫び声を上げようとするが、男の方のヴァシーレが、彼の口を塞ぐ。ブーツの先から、ナイフが飛び出す。ナイフは鉤爪上になっており、ラトゥーラの喉を裂き始めた。


「ひひひひっ、ラトゥーラ。テメェをいたぶるのも面白いかもしれねぇーなあぁ?」

 ラトゥーラの首に鎖の付いた分銅(ふんどう)が巻き付けられた。ラトゥーラの首が締め上げられていく。……ウォーター・ハウスから聞かされていた、そう言えば、ヴァシーレは暗器使いであると。全身に、大量の隠し武器を仕込んでいる……。


 ラトゥーラの脇腹に、容赦の無い膝蹴りが喰い込んでいく。ラトゥーラは血を吐き出す。更に、駄目押しのように、彼の顎と頬をブーツで蹴り飛ばされる。口の中が大量に出血していく。


「ひひひひっ。暴君がいなけりゃあよぉ。男娼としての生命も終わるな? 顔をボコボコにして、刃物で切り刻んで、男にも女にも身体売れねぇえようにする事だって出来るんだぜっ!」

 ヴァシーレは楽しそうだった。


 ラトゥーラは椅子ごと、地面に転がる。頭が勢いよく、地面を打った。

 ラトゥーラの鼻から、どくどくと血が溢れ出している。


「さてと。拷問する趣味、そんなに無ぇからよおぉ。そろそろ、始末させて貰うぜ」

 ヴァシーレは分身を消して、一つに戻る。今度は女の身体だった。

 彼女のブーツから、何本ものナイフが飛び出す。


「その首、切り落として。ウォーター・ハウス達の挑発に使ってやるぜっ! そして、取り敢えず、五千万、戴くっ!」

 ヴァシーレはブーツを断頭台のように振り降ろす。


 …………、何かによって。

 ヴァシーレの全身が、吹き飛ばされようとしていた。

 ヴァシーレは、少しだけ息を飲む。

 辺りが、熱を帯び始めている。


 ラトゥーラの背後から、蝙蝠の翼のようなものが生えた、頭蓋骨が出現したからだ。


「おい。なんだあ? そりゃ?」

 

 ラトゥーラは血泡を吐きながらも、何とかそれを動かそうとしていた。


 ラトゥーラの縛られた腕の辺りが燃え始める。二つの炎が蛇のように巻き付いていって、ラトゥーラを縛っているロープを焼き切っていく。


 翼の生えた骸骨は、光り輝いていた。


「何か分からねぇけど…………っ!」

 ヴァシーレは、窓から漏れる光を見る。

 猛吹雪が…………、止んでいる……?


 月の光が、このワインセラーの中へと入り込んでくる。

 そして、明らかに、この翼を持った骸骨は、月の光に反応している。月の光を吸っているように見える。


「おい。ラトゥーラ。なんだ? そりゃ?」

 ヴァシーレは首を傾げる。

 外の大雪が突然、止んだ事も奇妙だが……。

 

 ラトゥーラは、立ち上がる。

 彼は血塗れの口元を拭った。


「僕にも分からない……。ただ、偶然なのか、何なのか……分からないけど……、このワインセラーの中には、月の光が入り込んできた……。すると、僕の全身にエネルギーが湧き上がってきたんだ…………」


 ラトゥーラの右手に掲げる、炎の剣は二つの刃がねじれて渦を巻いていた。そして、月の光のエネルギーを吸い続けて、徐々に炎は蒼や紫紺に輝いていく。


「そういえばよぉ。テメェの能力(ギフト)の名前って、なんって言ったんだっけ?」

 ヴァシーレは素朴な疑問を訊ねる。


「僕は決めていない……。僕は、これが何なのか分からなかったから…………」

「なあよぉ。ラトゥーラ。お前の能力の概要分かったぜ。月の光を浴びて、そのエネルギーを吸収するみたいだぜ? 夜で、月が出ている程、スゲェ強くなるみてぇだな……」

「グリーン・ドレスさんは、太陽を浴びれば、能力がパワーアップするって言っていた。ちょうど、能力の性質が、逆なんだ……」

 ラトゥーラは、今や、大型の処刑刀のように、いや、それよりも長くなった二メートルを有に超える炎の大剣を手にしながら、自身の力を理解していく。


「…………。『ムーン・マニアック』って名前はどうだ? この俺が名付け親になってやるよ……」

「そうですか。じゃあ、僕の力の名前は、それにします。でも、ヴァシーレ」

 ラトゥーラは、炎の大剣を振り翳す。


「名付け親であるお前は、この僕に始末されるんだっ! 今、此処でっ!」

 ラトゥーラの瞳は、殺意の覚悟に満ち溢れていた。


 殺人を、……犯さなくてならない。今、此処で……っ!

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