第十二夜 モノトーン


「……ザゴルム、……逝ったか…………」

 その報告を聞いて、ヴァシーレは小さく呟く。ヴァシーレは彼とは長年の知り合いだった。……嫌いな人種ではあったが……。


 そう言えば、この部屋にもポプリが飾られている。

 何故、奴はポプリなんていうものを、能力に使っていたのか……。合理的な手段なのか、奴に花を愛でる性質があったのか、今となっては何も分からない……。

 ヴァシーはVIPルームの壁掛けとして飾られているラベンダーのポプリの一つを鷲掴みし、握り潰す。仄かな香りが、掴んだ拳の中から染み出していった。


「俺達は勝利しようぜ。なあぁ? ムルドよおぉ」

 そう言うと、ヴァシーは少しだけ険しい表情になった。


「奴らは飛行機を使わずに車とか列車とかを使って、マイヤーレの本拠地である『ファハン』に向かっているらしいが。俺は先回りして、奴らの様子を窺ってくるぜ。観光も兼ねてなあ」


 そう言うと、ヴァシーレはVIPルームを出ていく。


「ふう……」

 ムルドは溜め息を吐く。


「今から大型液晶TVで『メイ・イン・ブラック』が始まるんだがなあ。一緒に観たかったんだが。俺の大好きな映画なんだがなあ。…………馬鹿映画で素晴らしいのによぉ…………」

 彼はそう言いながら、またワインを開けた。

 今日は完全に酔い始めている。……こんなに酒が欲しかった筈では無かったのだが……。



「私の『ヴィクトリア・ストレイン』は必ず敵を始末するわ」

 闇夜の中、ビルの屋上で灰色のフードをはためかせながら、魔女ラジスは種を空に撒き散らしていた。


 彼女の背中では、巨大風車が揺れていた。

 風車の下には大量の麻の実がなっている。此処はマリファナを栽培する為の畑なのだ。オロボンという国においては合法だ。ラジスはこの国を気に行っていた。よくビジネスにも出かける。

 彼女は懐からパイプを取り出して、紫紺の煙を吸っていた。


「それにしても、マフィア達の連合であるファミリーは、この私をどれだけ評価してくれているのかしら? あの連中を始末すれば、これで私の名はより広く知れ渡るわよねえ?」


 連中がオロボン国を出る処を襲撃する算段でいた。

 特に、先程のザゴルム老との戦いで疲弊し切っているに違いない。


 彼女はスマートフォンを取り出す。


「ロジア、始末するわよ。あたしの方はプランは整っているわ」


「…………えっ、緊急の仕事って、ちょっと、何? …………仕方無いわね。何故、貴方は完全に此方側に付かないのかしら? 何故、表の顔を持つ? どっちが本当? 分からないわ、私にはまるで理解出来ない…………」


 ロジアからの返信は……急病人の子供を救いたいから、数時間だけ待ってくれ、との事だった。……理解出来ない。心臓の緊急手術なのだと言う。


「ふん。ならいいわ、ロジア。この私、魔女ラジスがヴィクトリア・ストレインで始末するわ。奴らは逃がさない。追跡する、この辺り一帯全て、私のテリトリーに変えてやるわ」

 彼女は既に大量の車に“種”を付着させていた。

 車は360度全方角へと向かっていく。

 そして発芽した“花”は“種”を生み、次々と彼女の能力が実っていくだろう。


 ラジスは既に手段を選ばない算段を整えていた。

 この辺り一帯が彼女の能力の餌食になるのだ。

 彼女は他人の命を何とも思っていない。虫を捻り潰すようなものだ。彼らが自分の能力でどんな悲惨な結末を迎えたとして、自分が流通させたドラッグによってどれだけ破滅していったとしても、彼女には何も関係が無い。


「無差別殺人鬼は貴方達だけじゃないって事よ。ふふっ、グリーン・ドレス。貴方は私が始末する。ファミリーから貰える、沢山のお金の為に!」

 そう言いながら、彼女はエニグマの音楽をスマートフォンで流す。イヤフォンを耳に当てて聴き入っていた。奴らを倒す算段は、時間が経過すれば経過するだけ高くなっていくだろう。魔女は勝利を確信していた……。


 ……だが。


「やはり、この私では不安だわ。既に、何名も返り討ちにあっている。私一人では不安。相手は四人。あのガキ二人が戦力になるかは知らないけど、暴君と赤い天使二人の両方を同時に相手にするのは、この私でも不安だわ。一度、ロジアの元へ向かわないと……」

 そう言って、彼女はビルから飛び降りた。



「君は今日で何歳になるのかな?」

 ロジアは急いで着替えた白衣を直しながら、自分が見ている子供に訊ねた。


「はい。今日で11歳の誕生日を迎えます。みんなから、沢山の誕生日プレゼントを貰いました。……クリスマスまで生きられるように、靴下も…………」

「そう。心臓の方は大丈夫? 肺は?」

「大丈夫です」

「そうか。それは良かった」

 

 大丈夫、という少年の顔は、明らかに蒼ざめていて、息も絶え絶えだった。

 彼の動悸は激しい。


 ロジアは主に小児科を担当していた。彼は物腰柔らかい雰囲気を出している。彼の裏の顔を知らない他の医師や看護士達は、ロジアの事を“不定期で訪れる有能な医者”くらいにしか思っていない。


 ロジアは彼の手首を握り締める。

 子供はかぼそく、何かを呟いていた。


「生きたいんです、先生…………。僕は、部活でアメフトの選手に先日、選ばれました。……生きたい。生きて、みんなの期待に応えたいんです……」

 彼はそう叫ぶ。

 …………、周りの大人達は、彼の病気を知っている。アメフトの選手なんて勤まるのだろうか……? でも、大人達は彼が生きる事を望んでいる。彼の両親も……、彼の周りの人間達も…………。


 11歳の少年は呼吸が荒くなる。

 そして、その場で崩れ落ちた。

 ロジアは少年を抱き締めた。

 …………、必ず、助けたい……。


「やはり、今日中に手術を行う。移植用の道具は持ってきている。オペのチームを結成しろ。この子は絶対に助ける!」

 ロジアは怒鳴り散らすように、その場にいた医者や看護士に向かって叫んだ。



「助けたいんだ、この子を…………っ!」

 彼は必死で肺移植の治療を行っていた。

 移植すべき臓器は新鮮だ。すぐに使い物にならなくなる。


 彼は子供の胸部を切開して、肺移植を行っていく。

 彼はこの子の名前を知っている……、臓器移植に提唱した子供は名前を知らない……。


 緊急オペが終わり、彼はマスクを外す。


 手術は大成功だった。

 彼は手術室の外のベンチで休んでいた。


 まるで、夢幻(まぼろし)のように。

 ゆらり、と、灰色のマントに覆われた魔女が現れる。


「何を考えているのか、まるで理解出来ないわ、ロジア。相変わらずだけど」

 魔女は言う。


「ボクは自分の患者を見捨てられない。大切な命なんだ…………、親とも話をしている……。必死で、子供の命が助かる事を願っているんだ……!」

「ふーん。それがたとえ、違法のビジネスによって手に入れた臓器だったとしても? 途上国の親達は生きる為に、自らの子供の臓器を提供するわねえ」

 そう言いながら、魔女は葉巻に火を点ける。


「此処で煙草を吸うのは止めてくれないか? ラジス」

 医者は、現れた、麻薬ルートを取り扱う闇世界の女に告げる。

 きっと、彼女の流通させた麻薬(ドラッグ)によって、人生をグチャグチャに壊された子供達も数多いのだろう……。十歳以下で薬物依存で死ぬ者達だって、この世界には多いのだ。


「ボクはね。本当に人を助けたいんだよ。子供が好きなんだ。……でもね。人の命が平等で無いって知って、ボクは黒いビジネスに足を突っ込む事になった。なんで、ボクは赦されているのだろう? 神様がいるのだとすれば……!」

 ロジアは眼鏡を外して、泣いていた。

 そして、唇を強く噛み締める。


「理解できないわ、ロジア。この私にはね。あんたが勝手に一人で行動しちゃったから、せっかくの賞金首を仕留めるチャンスを棒に振ってしまったじゃない?」

 彼女は煙草を吸い続けていた。


「魔女…………、ボクは神様を信じている。…………、ユダヤ人を殺す為の絶滅収容所において、その所長は、家では良き父親だったと言う……。自身の子供達を愛していた。ボクはどっちだ……? ボクは辛い…………、子供を救いたいと思う為の親達は熱心だ。ボクを聖人だと思っている……。でも、ボクは貧困国の者達を踏み躙り、売春を斡旋する政治家の肩も持っている。畜生…………」

 そう言いながら、彼は顔を覆う。


「理解出来ないわ。この私には…………」

 魔女は、ぷかぷかと、煙草を吸い続ける。


「この世界の者達はみな『カルネアデスの板』に乗っている。……みな、幸福という船には乗れない、救われる者と、溺れる者の両者が存在する。なんなんだ、この世界は一体、……そして、ボクは神の代理人のように、命の選別を執行している…………」

 暗い病院の廊下に、二人の影は交差していた。

 ロジアは、魔女を理解出来ないし、魔女の方も、ロジアを理解出来なかった。…………。

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