第十一夜 ザゴルムの『ライフ・イズ・ピーチィ』 1


『オロボン』は長閑な田舎町といった印象があった。

 福祉が充実しており、貧困層は少ない、町の所々には風車小屋が並んでいる。そして、風車の近くには一面の紫紺をしたラベンダー畑が並んでいる。

 MDの北西に位置する国である。

 街路には沢山の色取り取りの花が咲いており、チューリップが目立っていた。

 

 この国は自由な国と呼ばれている。それは法的な意味でもだ。一部のドラッグが合法化されており、コーヒーショップなどでも手に入れる事が出来た。また売春も法的に自由な国だった。

 国民の幸福度は高いが、裏では麻薬組織などが暗躍して、犯罪の為のビジネスに使いやすい国というのが定着していた。



「此処が暴君達の泊まっているホテルか。ワシ一人で充分だと思うが…………、どうやって始末してやろうかのう」

 ザゴルムはホテルの前で立ち止まる。

 醜悪な顔の老人の顔が、酷く歪む。


「ジレスティアの奴もやられてしまったらしいからのう。これはかなり警戒せねばなあぁ」

 彼は、ホテルの中へと入り込もうとしていた。

 彼はズックの中から、ある透明なものを幾つか取り出していく。

 それは、乾燥させた花……ポプリだった。


「くくくくっ、けけけっ、かかかかっ、興奮してきたのう。ワシの『ライフ・イズ・ピーチィ』、存分に味わうが良いわ」

 そう言うと、彼の全身から特殊な臭いが吐き出されていく。

 その臭いを、ポプリに浸透させていく。



「入浴剤も揃っているし。此処のホテル、雰囲気がいいなあ」

 彼は洗面台を見渡して悦に入る。

 そして、彼は戸棚の方を開けていく。

 お香を焚く為のアロマポットが置かれていた。オイルもだ。


「あ。イランイランの精油がある。これ落ち着くんだよなあ」

 そう言いながら、ラトゥーラはバスルームの中にお香を焚いていく。


 ラトゥーラは鏡に自身の女性的な顔と裸体を映し出す。

 そのうち、ホルモン注射を打って、完全脱毛もしようか。……性転換手術に関しては真剣に考えている。ただ、問題は自分の恋愛対象に関して考えなければならない。


 ……僕、ゲイじゃないんだけどなあ……。

 彼は顔を赤らめる。

 自分の恋愛対象は、本当は女性なのだと思う。そして、その自覚は物心付いた頃からある。短い期間だったが、学校に通っていた頃、好きになる相手は女性だった。……性転換した後に、男を愛せる自信は無い。自分も身体を売って、幸福になんてなれるのだろうか……?


 彼はツインテールにしている髪留めを取って、湯船に浸かった。

 イランイランの香りが染み渡る。

 ぼんやり、っと、頭の中がゆだっていく。

 そして、まるで幼い子供のように湯船の中に沈んでは息を止めてみたり、大きめの風呂を少し泳いでみたりしていた。


 ころころ、と。

 何かガラス玉状のようなものが、バスルームの中に転がってくる。



 ウォーター・ハウスとグリーン・ドレスの二人は、真っ白なダブル・ベッドでイチャ付いていた。

 そして、ドレスは体育座りのようなポーズを取って少し気恥ずかしそうな顔になる。


「ドリアンってさあ。スゲェ、臭ぇんだけど。人間の排泄物の臭いだとか、生ゴミの臭いだとかって言われてるのよね。私、食べた時、食感、マンゴーとパパイヤの中間くらいの食感だったけどさ。腐ったチーズの臭いがして、アレ、味がしばらく舌の中でこびり付くんだよ。けどさあ、アレの中毒者っていて、ドリアン喰う為に仕事の収入を継ぎ込みまくっている奴らいるらしいぜ。人生を掛けているだとか」

「…………硫黄と同じ成分を含んでいるらしいな……」


 ラトゥーラとシンディが隣の部屋にいるので睦言をするのをはばかっていた為に、二人は雑談に興じていた。何より、性行為中に敵から襲撃されたら雰囲気がブチ壊しだ。そういうわけで、先程までTVを付けていたのだが、どの番組も中身の無いアニメや地方の時事ネタばかり流していて詰まらないので消したばかりだった。


 グリーン・ドレスはTシャツにホット・パンツ姿だった。彼女は腰の辺りをポリポリと掻く。


「ドレス。…………、臭い」

 ウォーター・ハウスは、部屋の中に置かれていた植物図鑑を手にしながら鼻を鳴らす。


「煩ぇな。胃腸の調子、悪ぃいんだよ。気体だろぉ。固形物を漏らしたわけじゃねぇから我慢しろよ」

 そう言いながら、彼女は大欠伸をする。


 恋人という関係は、どうにも互いの駄目な部分も見せ合ってしまう。


「ああ、そういえば。異性の屁とかって売れるのかなあ? そういう変態性欲持っている奴らっているのかなあ。この前読んだネットのエロ漫画でさあ。糞尿系? そういうクソとか尿とか、なすり付けあったり喰ったりして、興奮している奴らって、なんであんなの好きなのかなあ?」

「知らんな。だが、アレだろう? 人間に限らず、動物の排泄物というのは魔除けなどにも使われていたらしいな。極めて儀式的なものなのかもしれないな。また、古代エジプトにおいて所謂、フンコロガシであるスカラベは太陽と結び付けられ、生命の象徴ともされていたな。そういう性的指向の連中は排泄物を神聖なものとしているんだろう?」

 彼は植物図鑑を手にしながら、キンポウゲ科に関しての写真をしげしげと眺めていた。……有名な毒草であるトリカブトもキンポウゲ科だ。


「しかし、どうにも眠れないな。ホット・ココアがあったな。音楽が聴きたい。CDケースあったか?」

 ウォーター・ハウスはそう言いながら、図鑑のページをめくる。


「あるよ。私、スリップ・ノットが好きなんだけど、どうする? サイコ・ソーシャルが聴きたい」

「俺はメタリカかソナタ・アークティカだな。ワンかフルムーンがいい。この前、CDを買ったフォーンというバンドもいいな。ケースに入っていたか? いつか、フォーンのライブに行きたいな。生の演奏を観たい」

「ヘヴィメタでも、幻想的なの好きよね? 取り敢えず、私は激しいのが好きだ。歌詞も攻撃的な奴」

「そうだな……、順番に聴こうか。それが一番、いいな」

「しかし、なんでホテルでやっているTVってつまらないのかしらね。本当に下らないってか」

「元々、TVなんて観ないだろ。元々、TVなんてくだらない番組の方が多い。旅先だと観たくなるってだけだ。あんなものは、国民に対するプロパガンダばかりだからな」

「そういうものかしらねぇ、っと」

 そう言いながら、彼女はTVの下に付けられていたオーディオにCDを挿入する。


「グリーン・ドレス…………」

 彼は図鑑を閉じた。

 そして、指先で合図をする。軽いモールス信号だった。

 ドレスは頷く。敵の体温を察知する為の目玉のホログラムを小さく出現させる。


 自然体でいなければならない。音楽でも流して…………。


 …………、敵から襲撃されている、という合図だ。

 既にラトゥーラかシンディが狙われている可能性が高い。

 グリーン・ドレスは人差し指を伸ばす。銃口の形に変える。

 敵は自分が始末する、という意志表明だった。



「連中は今、『オロボン』の都市部にいるな」

 ムルドは呟く。

 そう言いながら、彼は金を数えていた。

 VIPルームの中だった。

 豪奢な飾り物が供えられており、小さなワインセラーまである。

 今やムルドはかっちりとしたスーツ姿だった。いつものような、ロック・ミュージシャンのようなファッションでは無い。だが、顔面に付けられたピアスは外していない。


「お前の能力で肉体の一部を奪った相手の大体の位置は分かるのか?」

「そうだな。正確な位置は分からないが、大体の位置は分かる。……勿論、暴君はとっくにそれに気付いて俺を泳がせているのかもしれんが。襲撃してくるヒットマン達もな、きっと、泳がせている。処で」


 彼は部屋の中央に置かれた大きな鳥籠を眺めていた。

 中には、暴君ウォーター・ハウスの腹部の口が鳥籠の中で浮かんでいた。


「あの男、一人向かったが大丈夫なのか?」

「さあてな。ひひっ、しかし、奴も殺し屋稼業が長いらしいぃぜ。この俺よりもな。標的は確実に始末する奴だ」

 ヴァシーレは笑った。


「この俺もマフィアのボスとして、賞金を出しているが。かえって、競争させるのは悪手だったのかもしれんな。チーム・ワークによる連携がまるで取れずにいる。……といっても、俺の一存ではどうにもならないんだが…………」

 彼は小さく溜め息を漏らした。


「俺の組織(ヘルツォーク)は、そこまで大きな組織じゃない。マイヤーレの方がデカいくらいだ。方法は連合(ファミリー)が決めている。俺は連合の支持に従うしかない。ちなみに、マイヤーレは優秀な人材こそいないが、MD中に支部がある。各地で伝説のある最強の殺人鬼を始末したって実績が出来れば、箔が付くんだろう。躍起になっている」


「マイヤーレのボスと会えねぇかな?」

「さあな。マフィアのボス同士の集まりでも、滅多に顔を見せない。いつも代役を立てる」

 ムルドはその事に関して、少し不満を募らせているみたいだった。


「処でよぉ、ムルド。お前、マフィアの一組織のボスなんだろぉ? ひひひっ、結構な身分じゃねぇか。財力とか相当なもんなんだろぉ?」

 彼は卑しい笑いを浮かべた。


「ヴァシーレ……、なんなら、お前、俺の組織の幹部にならないか?」

 ムルドはそんな事を言う。


「マフィア組織のボスって言っても、連合全体からしてみれば、この俺は下っ端みたいなものだ。極めて気に入らない。俺の会社をもっと拡大させたい。資金がいる。ウチの組織は賭博と銃器密輸、銃器製造を中心に稼いでいるが、中々、実りが悪いな」

 そう言いながら、彼は葉巻に火を点けた。


「へぇ。ひひっ、賭博かあ。そう言えば、俺の父親、賭博の胴元だったんだ」

 ヴァシーレはそう言いながら、シャンパンの入ったグラスを口にする。


 ムルドはソファーにゆったりとくつろぎながら、ブランデーを口にする。

 そして、ヴァシーレの顔と全身を眺めていた。

 今、ヴァシーレは女の姿をしていた……、今は彼ではなく、彼女といった処だろうか。艶めかしく、美しい。このVIPルームには正装で入らなければならない。スーツが気苦しいという理由で、ヴァシーレは女に変身してドレスを着る方を選んだのが元々の理由だ。真っ赤で艶めかしいドレスだった。露出した太股が美しく輝いている。


 性格にかなりの難があるが、イイ女だと言える。


 ムルドは権力を手にする度に、欲しいものは手に入れてきた。

 ムルドはほろ酔いになりながら、二杯目のブランデーを口にした。

 彼は美しい女性が好きだ。

 そして、妖艶で、多少、性格に難のある魔性の女といったものがタイプだった。


「俺の組織(カルテル)をデカくする。連合(ファミリー)の連中に馬鹿にされないように。なあ、ヴァシーレ、俺はお前が気に入った。手伝いをしてくれないか?」

 ムルドは真剣な眼差しで告げるのだった。



 部屋の外に出る。


 何か知らないが、奇妙な違和感がある。

 隣の部屋にはラトゥーラとシンディの二人がいた筈だ。


 違和感の正体か…………、臭いか?


 彼女はサーチアイを腹から出現させて、辺りに巡らせていく。


「出てこいよ、クソ野郎。串刺し刑って処刑法あるだろ? テメェのケツの孔に炎をブッ刺して、口から出してやるってんだ。生まれてきた事を後悔させてやるよ」

 そう言うと、彼女の周辺が熱を帯び始める。

 このホテル内の部屋はエアコンが効いていた。能力を発動させるには、充分だった。


 ころころ、と、何かが転がってくる。


 ……ビー玉? ……しかし少し大きい?


 ドレスはガラス玉のようなものを手に取る。

 ビー玉と思ったのは、中に花の入ったポプリだった。所々に孔が開いている、そこから甘い匂いを発しているのだ。


「これが能力の媒体か? そういえば、ある種の動物ってのは、マーキングの為に臭いを出すんだっけ? それをやっているのか? しかし、この臭い、なんだ? 甘い?」


 彼女は何か違和感を覚えた。

 そういえば、ホテルのドアのノブの位置がおかしい。……高い。


「……私が縮んでいるのか? いや…………」

 彼女はドアノブを開ける。


 ウォーター・ハウスがベッドの上で本を読んでいた。


「どうした?」

「いや、…………あなた、何か…………」


 ウォーター・ハウスは上着を脱ぐ。

 明らかにブカブカだった。


「…………、妙だな。…………、俺は若返っているのか? この敵は……?」

「ああ。…………、若返らせる、ってか。子供へと、幼児へと変える能力者ね、どう思う?」

「グリーン・ドレス。鏡が欲しい。俺の身長は……、今、どれくらいだ? そもそも、俺は今、何歳くらいに見える?」


 ドレスは絶句する。


「十歳を下回っているぞ! おいおい、待て。私も!? でも、私の方がまだ身長が高い……」

「ドレス。お前の方は十三、四くらいに見えるぞ。……個人差あるな。いや、…………、ドレス。お前、さっき変態性癖の話をしていたな。俺の直観なんだが…………」

 ウォーター・ハウスは汚らわしそうに言った。


「この敵は児童性愛者だ。間違いない。そういう性的指向から目覚めた能力……、こいつはおぞましい事に……、少女よりも少年の方が好きらしいな。クソ……、俺の身体がまだ縮んでいる……」


 グリーン・ドレスは本気でゲンナリした顔になった。


「手助けしてやりたいが……、この身体じゃ。……、腹が奪われた、今の俺の能力では始末出来ないかもしれない。部屋の中に、虫や植物があればいいんだが…………。観葉植物でも、毒草に変えるか?」

「やっぱり、私一人でやるよ。炭に変えてやる」

 そう言うと、彼女は走って外に出た。


「やれやれ、と」

 ウォーター・ハウスは溜め息を付く。

「猪突猛進では駄目だ。絶対に能力の全貌を理解してから、倒さなければならない。あの二人の命が掛かっているからな」

 そう言いながら、ウォーター・ハウスは小さな身体で立ち上がる。

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