第7話 家族という倒錯

 この冬、種田たねだしぶきは、毎朝のように、陰鬱な寝起きに襲われていた。朝起きると、必ずどこかの関節がズキズキと痛む。そしてあたまを鋭くとがった針で刺されたような頭痛が、目覚めてから数時間しないと収まらない。根拠のない頭痛が、あまりにも鬱陶しくて、鬱陶しさがエスカレートするあまり、あたまの痛む部分を必死に素手でぬぐうどころか、痛む部分をゴンゴンとこぶしで叩き続けることもある。

 ある日、母に、自分のあたまを自分で殴っているところを見られた。完全に閉じたら空気が薄く感じるので少しだけ開けていた鍵のついていない部屋の扉、その扉のすき間から、母の姿が見える。自分のあたまに対して振り上げていた拳を下ろし、さっきまで凝視していた鏡から目をそらして、椅子に座ってうつむく。

「どうしたの?」

 心配する母の声が聞こえてくる。は中途半端にカッターシャツを着ている途中でもあった。カッターシャツの襟周りが首を絞められるようでイヤになり、ボタンをとめる手を休めるのと同時に、いつもの頭痛が、しぶきを突き刺しにやって来た。たまらず痛い部分をゲンコツで連打していると、母の足音のようなものが聞こえ、それでも『気のせいだ』と思い込んでいたら、気のせいではなかった。

 母の顔が眼に入ってくると同時に、カッターシャツをちゃんと着ていなかったので、左肩とブラジャーのストラップが丸見えになっていることに気づき、今度は軽いめまいのようなものが襲ってきた。たとえば、養成所に入る前、中学校三年のころ、母にじぶんの下着姿を見られたとしても、不快感はなかったはずだ。なのに、十七歳にもなって、じぶんのブラジャーの一部分だけであっても、母にを見られるのが、たまらなく不快になってしまった。


 

 

 養成所が、わたしの性格を変えてしまったのだろうか。

 家族と距離をとるために、養成所に行ったわけではなかった。

 だけど、養成所の修了が近づくにつれ、血のつながった人間――家族――の存在が、鬱陶しくなっていってしまったのだ。

 わたしは、養成所に依存していたの? 

 教官を親だと錯覚し、研修生を姉妹きょうだいだと錯覚してしまったの?





「……。」



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