チャプター 3-4

「はぁ、何してんだろ」


 豆電球が照らす薄暗い自室。スマホで時間を見ると時刻はとっくに0時を過ぎており、今すぐにでも眠らないと今日の学生生活をあくびを奏でながら無気力に過ごす事になってしまう時間帯になっていた。

 出来る事なら僕だってそうしたい。だが、先程の件を思い出すと中々寝付けないでいた。

 今日、夜中に台風が来る事は知っていた。だから、傘を持って、そこまで雨風が強くならないうちに帰るつもりではいた──結果を言うと、予定は未定で、あれやこれやしているうちに帰るのが遅くなってしまった。

 それでも大丈夫だろうと高を括っていたのがいけなかったのか、帰る時に予想以上の暴風と大雨に襲われた。なので、持っていた傘は簡単に壊れ、ずぶ濡れで帰宅するしかなかった。

 そして、玄関で都ちゃんと顔を合わせた。


『あ、あの……おかえり、なさい』

『……うん……ただいま』

『タオル要りますよね。 取ってきます』


 目を合わせようとしない僕に、いつも通り接しようとしてくれる都ちゃん。喉の奥に魚の骨が刺さったみたいに、胸がチクチクと痛んだ。

 タオルを手渡してから心配そうにこちらを見つめる都ちゃんに、ただの決まり事の『ありがとう』だけを言って、浴室へ向かった。

 そんな冷たい対応をしてしまったのを、ずっと後悔している。

 本当は僕だって……。けど、公園での事を思い出すと……。


 ──コン、コン、コン。


 扉を叩く音がした。母さんはこの時間に起きていないどころか、まずノックなんかしない。すると、扉を叩いているのは一人しかいない。


「都ちゃん」

「…………」


 薄暗いオレンジ色の光を放つ豆電球が扉の先にいた都ちゃんを照らす。扉を開けてからしばらく経っても、彼女は無言のまま俯いている。それは、頭の中で言葉を探しているように見えた。

 そうだとしたら、こんな夜遅くに何の用があるのかと訝しんでいると、ようやく言葉が見つかったのか都ちゃんが口を開いた。それと同時に窓から光が入る。


「あ、あの」

「どうしたの?」

「その……ひゃっ」


 そして、時間差で雷が鳴ると都ちゃんは悲鳴をあげ、急いで耳をふさぎ、その場でうずくまった。

 それを見て大体の事は察した。


「…………」

「…………」


 静寂の中、都ちゃんと背中合わせでベッドに入っていた。僕らは今ギクシャクした関係なのにも関わらず。

 あの後、雷に怯える都ちゃんを母さんの部屋まで連れて行こうとしたら、シャツの裾を掴まれた。そして、無言の抵抗。

 それで、落ち着くまで僕の部屋に居てもらう事にした。けど、ずっと部屋で立たせている訳にもいかないので、一緒にベッドに入る事に。

 でも、それなら都ちゃんだけがベッドに入り、僕は床で寝そべればいい。一緒に入る必要なんて皆無だ。……僕だってそうするつもりだった。けど、僕が床に寝そべると都ちゃんも同じように床に寝そべった。無言で。

 だから、やむを得なく今の状況に至る。


 ──ガッシャーンッ。


 けたたましく雷が鳴る度に、小さな体がピクッと震えるのが背中越しに伝わる。微かに聞こえる鼻をすするような音。もしかすると怖くて泣いているのかもしれない。

 歯痒さからか手に力がこもる。


「お兄さん……起きていますか?」


 それは、ややくぐもった声だった。それに対して『起きているよ』と自然に返していた。


「私、雷……苦手なんです。 小さい頃から雷みたいに、大きな音を聞くと怖いものをイメージしちゃって……」


 大きな音から怖いものをイメージ。もしかすると怒鳴り声が苦手なのも、それが原因なのかもしれない。


「それで、雷の鳴る夜は……怖くて、お手洗いに行けなくて……おもらし、してました。 結構な歳で……」


 正直、どうして今そんな事をカミングアウトするのか分からなかった。けど、


「私の秘密です」


 その一言で、意図が分かった。どうして夜遅くに尋ねてきたのか。


「……都ちゃん……今は大丈夫?」

「ゔ……だ、大丈夫ですっ」

「そっか。 なら、一安心だ」


 僕のからかうような安堵に対して、ボソっとぼやく都ちゃん。


「う、私が、言いたかったのは……そういう事じゃなくて」


 きっと、口を尖らせているんだろうな。

 大丈夫、ちゃんと分かってる。ちょっと意地悪をしただけだ。……僕もちゃんと言うから。


「中学生の時にね、青二が河原で如何わしい本を拾ったんだ。 でも、中学生がそんな物を持つのは良くないと思って、こっそり盗んで燃やしたんだ」

「……え、あの……?」

「それが僕の秘密」

「あっ……ずるいです……」


 都ちゃんも察したのだろう。軽く布団を引っ張った。

 きっと、顔を覆うように被ったのだろう。恥ずかしくて。


「どうする? 続ける?」

「……続けます」

「じゃあ、次は僕から。 実は暗いのが苦手なんだ。 暗いと色が分からなくるだろ? それが、怖いんだ。 だから、寝る時は豆電球をつけて──」


 これはあの時の交換条件だ。秘密を話してくれたら秘密を話してもいい。

 あの時は逆の立場だったけど、僕からはいつまで経っても秘密を話せない。だから、都ちゃんの方からしてくれたんだろう。今の関係を解消する為に。……僕が忘れていたり、乗ってくれなかったら、どうするつもりだったんだろ。

 いや、信じてくれたのかな。こんな僕を。


 それから何回か二人の他愛ない秘密を暴露しあい、気付けば互いに体を起こし向かいあっていた。

 そして──。


「私……お兄さんに……あの日のこと……」

「待って。 謝らないといけないのは僕の方だよ」

「そんな事ないです……私が、悪い子だから。 また、同じ事をして……」


 都ちゃんの声のトーンが下がる。そして、教会で懺悔する罪人かのように話し始めた。僕は黙ってそれを聞いていた。


「こっちに残る時も……。今みたいにお母さんに迷惑をかけたんです。 海外に行くのは嫌だって。 私、分かってたのに、それがお母さんを困らせるって。 でも、日本を出るのが……怖くて、つい言っちゃったんです……。 ただ、大切な思い出を……何もかも失くしちゃうってイメージしただけだったのに……ちゃんとした理由なんてないのに……。 あの時も、おんなじ、なんです……勝手に、怖いってイメージして、それで、それで」


 僕はずっと都ちゃんの事を勘違いしていた。彼女は礼儀正しくて、純粋で素直な良い子だって。確かに、その事については間違いはない。だが、それは飴細工のように繊細で、ジェンガのようなアンバランスさの上で成り立っている危ういものだった。

 純粋過ぎる彼女は誰かの迷惑にならないように配慮する。それが彼女にとって正しい事だから。極端な例えになるけど、他者が傷つくなら自分が我慢して傷つく。そう考えてしまうような子なのだ。そんな彼女があの時、僕を頼れる訳がない。


「ごめんなさい。 うまく話せなくて……私が言いたいのは」

「やっぱり、悪いの僕だよ」

「違います! 悪いのは」

「ううん、聞いて。 勝手に拗ねた僕が悪いんだ」


 僕は、都ちゃんの言葉を遮り、本当の事を全部話した。

 あの時、僕や母さんに心配をかけた事は都ちゃんが無事だった時点でどうでも良かった。叱る必要はあるかもしれないけど、怒るような事じゃない。なら、どうしてあんな態度を取ってしまったのか。

 それは、僕を頼ってくれなかったからだ。失くして、すぐに頼るのは無理だっとしても、あの場で言ってほしかった。『一緒に探してください』って……。けど、言ってくれなかった。

 だから、拗ねてあんな冷たい態度を取った。大義名分の元に。

 後から、罪悪感で胸がいっぱいになった。それで、都ちゃんに合わせる顔がなくて避けた。そのせいで、余計に傷つけているのを知りながらも避け続けた。自分から向かい合おうともしなかった。

 それが、ヘタレならまだいいのに、ただの卑怯者だったからで……最悪だ。


「……一ついいですか?」

「何かな?」

「どうして私に頼って欲しかったんですか?」

「……笑わない?」

「笑いません。 絶対に」


 それは、いつもなら絶対に言えない秘密だ。けど、今は違う。彼女のおかげで秘密を言える。


「僕にとって大切な……妹のような存在だから」


 どうしてそこまでの気持ちを抱くのかは僕にも分からない。けど、心の底からそう思っているのだけは間違いない。例え、分からなくても。

 それを聞いた都ちゃんはただじっとこちらを見つめていた。いつもよりも真っ直ぐな瞳で。


「…………。 私、思い出を大切にしたいんです」


 そして、話してくれた。彼女の気持ちを。


「だから、お兄さんが記念日にしようって言ってストラップをくれた時、すごく嬉しかったです。 だから、これさえあれば……大丈夫って」


 都ちゃんが胸の前で両手を重ね合わせ強く握る。その仕草で、都ちゃんが思い出をとても大事にしているのが伝わってきた。


「でも、失くしちゃって。 お兄さんとの繋がりが失くなった気がして……忘れちゃうんじゃないかって、不安になって……それで周りが見えなくなって……」


 都ちゃんの潤んだ瞳から涙が少し溢れる。


「本当は怖いんです。 思い出を失くすのも……忘れ、られる、のも……」


 目頭がじんわりと熱くなる。良い意味と悪い意味が混じり合って。

 悪いのは僕だった。忘れてしまった僕が、都ちゃんを……泣かせていた。今さら悔いてもどうにもならないのは分かっている。

 だけど、今からだって──。

 溢れる涙を人差し指で拭ってあげ、都ちゃんの両手を覆い被さるように握る。


「4月15日は僕達の記念日……特別な日だよ。これからずっと」

「……お兄、さん……」

「約束する。 この気持ちだけは絶対に忘れない」

「……あ、ぁぁ、ふあっ、あぅ……うぇっ、ぐ……」


 嬉しそうな表情をした後に泣きじゃくる都ちゃんを胸で受け止める。


「う、えっ……ぐ、ぅ……」

「う、ぁ……ごめんね、都ちゃん……」


 とはいえ、僕だって余裕がないので涙が止まらない。だから、ただ二人で泣いていただけだ。でも、これで──。


 泣き止んだ後、都ちゃんにお願いをされた。


「お手洗いまで、一緒に行ってもらっていいですか?」

「うん、いいよ。 その代わり暗いところでは手を握っててよ」

「えへっ、任せてください」


 その頃には、外は静かになっており、とっくに台風は通り過ぎていた。


 ♪


 -都の日記-


 4月30日 まだ朝ですけど、お兄さんと仲直りができたので特別です。

 昨日の夜、お兄さんの部屋へ行って一緒に寝て……と。その辺りの詳しいお話はまた帰ってからで。

 えへへ、お兄さんの胸。すごく安心しました……えへっ。

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