チャプター 3-5

 朝の教室HR前。机でぼーっとしていると前方からやってくる敵影(ぞんざいな扱いだけど、あながち間違いじゃない)を確認した。


「よっ! 今日は機嫌良さそうだな。 何かいいことでもあったか?」


 そのセリフをそのまま返したくなる程ニコニコ顔の青二。だが、それを、わざわざ口に出すのは野暮な気がしたので、言わないでおいた。

 ところで、さっき紫にも同じ事を言われた。例のごとくよく分からない言い回しだったけど、そこは自己解釈だ。僕としては顔に出しているつもりはないが、思っているより出てしまっているのかもしれない。


「別に」

「お、スニッ◯ーズ食うか?」


 さっと鞄からスニッ◯ーズを取り出す青二。今日はちゃんと用意してるんだな。まぁ、いらないけど。


「お腹が空いたらだろ? だから、今はいい」

「そうか。 そりゃ残念」

「……この間、ありがとな」


 青二にもちゃんとお礼を言っておいた方がいいと思った。一応、親友……だしな。


「俺、お前のそういうとこ好きだぞ」

「は……何言ってんの、お前」


 ちょっとお礼を言っただけなのに……背筋が凍ったぞ。いや、ほんとマジで。


「おいおい、こういうのは感動的にするもんだろ」

「僕とお前には温度差があるみたいだ。 仕方ない」

「くぅ〜〜。 つれぇなぁ」


 辛いのは佐渡さんに熱い視線を向けられる僕の方だよ。全く。


「まぁ、お前の調子が戻ったなら良いんだけどよ。 ぶっちゃけ羨ましいぜ」

「何だよ、それ」

「俺はお前とは逆、BADってことだ」

「変に勿体ぶらずに言えよ」

「はぁ……幸運の女神を落としちまったんだ」

「幸運の女神? 何だそれ?」

「この間、話したろ。 てか、お前が教えてくれたラッキーアイテムだぞ」


 そういえば、そんな話をしてたような……。棒アイス当たったとか、賭けで雀部達に勝ちまくりとか、鉛筆転がしも百発百中で無敵、今は誰にも負ける気がしないとか……何を言ってるのか意味が分からなかったし、どうでもよかったから聞き流してたけど、あれっておすしマンのストラップを手に入れたって事だったんだな。


「お前も落とすなんて残念だな」

「お前も?」

「あ、あの倉井くん」


 青二を呼ぶか細い声。声の主に視線をやると黒縁眼鏡におさげの如何にも真面目そうな──いや、This is the 委員長と呼ぶに相応しい容姿の女生徒がいた。聞くまでもなく、いつも青二が委員長と呼んでいる子だ。


「これ……この間、帰る時に落としてたよ。 すぐ渡そうと思ったんだけど……倉井くん、あっという間に行っちゃって」

「おぉ、それは幸運の女神! 拾ってくれてありがとな、委員長!」

「……」


 僕は言葉を失った。何故なら、委員長から青二へと手渡された幸運の女神──もといストラップに見覚えがあったからだ。


「なぁ、青二」

「ん、どした?」

「それ、何処で手に入れたんだ?」

「道端で運命的な出会いをしたぜ!」

「何処の?」

「俺達が昔よく通ってた小学校に続く通りだな」

「…………。 いつだ?」

「幸運の女神に出会ったって、お前に電話した日だ」

「都ちゃんもさ、落としたんだ。 同じストラップを」

「そりゃ奇遇だな」

「しかも、お前が電話してきた日に」


 教室は騒がしいはずなのに、僕と青二の間にだけ沈黙が訪れた。それは、まるで嵐の前の静けさのようだった。季節的には、まだ暑くもないのに青二の額からたらりと汗が落ちる。それは一つや二つではなく滝のように流れ落ちていた。

 僕の声のトーンが下がる。


「なぁ、青二」

「その何だ」

「…………」

「何というか、あれだな。 うん、あれだ。 あれ。 分かるだろ?」

「あぁ、分かるよ」

「な、ならさ」


 グッと手に力がこもり、腕が震える。僕はもう抑えれそうにない。




「いやぁ、ほんと青二はいいやつだなぁ」


 放課後。僕は上機嫌で家路を辿っていた。


「まさか青二が拾ってたとは」


 ──あの後、僕は勢いよく青二に。


『わ、わりっ!』

『ほっんとありがとなっ!!」


 握手した。


『まさか、お前が拾ってくれてるなんてラッキーだったよ! これで都ちゃんも喜ぶ!』

『お、おう。 助けになれてなによりだ』


 都ちゃんに忘れないと約束したとはいえ、出来る事ならストラップを見つけてあげたいと思っていた。(余談だけど……多少の行動はしていた)でも、日にちは大分過ぎているし、交番にも届いていなかった。最悪、誰かが拾って自分の物にしている可能性もあった。だから、望みは薄いと半ば諦めていた。

 そこへ来た運の良すぎる展開!ご都合万歳!嬉しさのあまり教室で変な声をあげるとこだった。


「ただいま」


 家に帰宅し、真っ先に向かうのは都ちゃんの部屋。まさに、翔ぶが如く! 翔ぶが如くっ! 翔ぶが如くっ!! ……うん、ちょっと気持ちが高ぶり過ぎてるな。

 まぁ、いくら気持ちが高ぶっても、疾風にはならないし、舞い踊りもしない。あと、ノックも忘れない。

 扉でコン、コン、コンと景気の良さそうな音を奏でると明るい声で『今、開けます』と返事が返ってきた。


「あ、お兄さんおかえりなさい。 ……ちょうど良かったです。 お兄さんに見せたいものがあります」


 扉から上半身をひょこっと出した都ちゃんに手を引かれ、部屋の中へと誘われる。

 そのまま、机の前まで連れて行かれ……驚愕した。


「都ちゃん、これ……!?」


 都ちゃんが僕に見せたかったもの。それは一枚の絵だった。


「はい。 お兄さんの描いていたあの夕景です」


 色鉛筆で描かれた色のある僕の絵──夢で何度も見た夕景。そして、色を塗れない僕が一番色を塗りたかった絵だ。


「私ではお兄さん程上手には描けませんが」


 ずっと、疑問だった。あの日、どうして都ちゃんは、僕のお気に入りの公園に行ったのか。


「一生懸命描きました」


 あそこから見える夕景は、よく似ている。だから、都ちゃんは……。


「どうして、これを?」

「お兄さんが教えてくれました。 絵なら伝わるって、喜んでもらえるって。 本当は……ううん、今はお兄さんに笑顔になってほしくて描きました!」


 笑顔でそう告げる都ちゃんを前に言葉を失ってしまう。

 確かに、それを言った覚えはある。けど、誰に、いつ言ったのか……肝心なところは何も思い出せず、あの夕景だけが僕の頭に残っていた。ずっと、ずっと……。

 ズキンと頭が痛む。


「……っ」


 都ちゃんの絵を通して僕の中に何かが流れ込む。何だろう、この気持ちは……欠けていたピースをようやく見つけたかのような高揚感、暗闇でロウソクに火を灯したかのような安心感、そして──君が眩しく見える。

 そう感じた瞬間、記憶の靄が少しずつ晴れていき、思い出が照らされていく。


 ──夕日の中で、手を伸ばして。


 "戻ろう"


 あぁ、そうか。そうだったんだ。あのキラキラしていたのは──きっと、僕は。


「……」

「お兄さん?」

「ありがとう」


 手の中で握りしめていたストラップをそっとズボンのポケットにしまう。そして、膝を折り都ちゃんと目線を合わせる。


「ねぇ、都ちゃん。 一日時間をくれないかな?」

「え、あの、どういうことですか?」

「明日の夕方。 あの公園で君に伝えたい事があるんだ」

「分かりました。 楽しみにしてますね」


 突然の申し出に戸惑うような表情を見せた都ちゃんだったが、目的を告げると微笑みながら了承してくれた。

 その後すぐに自室へ戻り、鞄も上着も乱暴に投げ捨て、荒々しくネクタイを緩め、机へと向かった。

 そして、引き出しから画用紙の束と筆記具を取り出す。無論、絵を描く為に、だ。

 絵を描き始める前に、高まった気持ちを落ち着かせる為、大きく息を吸って吐く。


「よし!」


 いつぶりだろうか。こんなにも絵を描きたいと思うのは。こんなにも時間が惜しいと思うのは。

 部屋中に、鉛筆の擦れる音が心地よく鳴り響いた。

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