チャプター 3-2

 あれから三日が経ち、土曜日になった。


「なぁ、どういうことなんだよ」

「僕も驚いたさ。 まさか、おすしマンがこんなにサクサク見れる良作だなんて思わなかった」

「シンプルな一話完結、テンポもよくストーリー運びに無駄がない。キャラも個性的で、掛け合いも面白い。序盤はそれで視聴者を世界観に引き込む」

「で、後半は序盤に用意していた伏線を回収しつつキャラの思惑が交錯していく。 ベタだけど敵と知らずに仲良くなる展開には感情移入していったよ」

「そして、涙の別れ……それまでの二人をあんなに幸せそうに描写してからやるんだもんな。 いい歳して泣きそうになったぜ」

「分かる。 それに戦いも味方サイドが毎回勝つって訳じゃないし、ノルマを達成した敵も引くし、賢いよな」

「あぁ。 敵と言えば、幹部のナポリが『願いを叶えるに他者を不幸にするのは分かっている。 だが、それでも私は願いを叶えたい。 お前の正義とやらは同じ立場ならそう思わないのか? 正義の為、いや皆の為に己を殺すのか?』ってセリフがグッときたぜ」

「あれな、考えさせられるよな。 でも、それに対してまぐろんが『俺は願いを叶えて、みんなも──お前も幸せにする方法を探す。 絵空事だって言われても諦めない! 絶対にそうする!』って王道な返しをするけど、野望を阻まれたナポリが自害して、全てを救う事は出来ないと痛感させられる。 もうどうにかなっちゃいそうだったよな。 それでも、まぐろんは仲間達と真っ直ぐ前を向いていく……やばいな」

「ほんとやべぇよ、全人類見てくれ……」

「だな……」


 おすしマンのDVDの再生が終了したままのテレビを前に青二と感想合戦をする。そして、流れ続ける再生画面を前に感傷に浸る。人間、名作に出会えた時はこうなると思う。


「良かったよな」

「あぁ、良かったよ」

「ほんとに良かったよな」

「あぁ、ほんとに良かったよ」


 頭の中に先程まで見ていたシーンやキャラのやり取りを思い浮かべ、その素晴らしさの前に語彙力を失い、ただ良かったと繰り返す。温泉に浸かって『いい湯だな』と呟き、ほっこりするのと似ている。

 つまり、幸せでいっぱいなのだ。


「ところでよ」

「何だ、まだ言い足りないのか?」

「いや、それよりも、もっと重要な話だ」

「重要? おすしマンの次の期を見るよりか?」

「あぁ、そうだよ」

「何だよ、それ?」

「はぁ、お前の事だよ」

「は?」

「お前に聞きたい事がある」

「常日頃から僕の事なら何でも知ってるって豪語してたじゃないか。 今さら何を聞きたいんだよ」

「そうだけどよ、俺が聞きたいのそういうことじゃない」


 いや、今のはボケだからツッコんでほしかったんだけど……まぁ、今はそういう空気でもないか。どうせ、な……。

 乗り気じゃないが、敢えて青二の話に乗ってやる事にする。


「じゃあ、何が聞きたいんだよ?」

「最近、お前変だぞ。朝はデンジャラスな雰囲気で不機嫌そうにしてるし、放課後は部活に行かず俺ん家でおすしマンの鑑賞会だ。今日だって朝から見に来てる。 誰がどう見たって異常事態だ。何があった?」

「またそれか」


 青二の聞きたかった事が思っていた通りで、大きな溜め息が出る。ここ最近、青二や紫からこんな風に心配をされている。何度も、何度も。

 別に不機嫌になんかしていないし、部活は絵が一段落ついたから、当分休んでもいいと思った。だから、約束通り青二とおすしマンの鑑賞会をしている。今日も朝から来ているのは、放課後に集まって見るだけでは時間が足りないからだ。ただ、早く次の回が見たい……それだけだ。

 わざわざ、それを言うのは面倒だから言わないけど。


「別に……。 何もない」

「俺はお前が『別に……』って言う度に腹が減ってんのかと心配になる。 スニッ◯ーズ食うか?」

「いらない。 てか、今持ってないだろ」

「まぁ、そうなんだけどよ」


 全く、誰がエリ◯様みたいになってるんだよ。僕は至って普通。平常運転だ。


「なぁ、真一。 囲碁も、将棋も、一人じゃ出来ないんだぞ」

「はぁ? 何、当たり前の事を言ってるんだよ。 とうとう頭のネジがぶっ飛んだか?」

「相手がいないから、なんて字面通りの意味じゃない」

「…………」


 何なんだよ、その顔は。何で、そんなに真剣な顔をしてるんだ。お前、そんなキャラじゃないだろ。何で、こんな時に限って……いや、こんな時だからか。


「青二。 頼み事をしていいか?」

「おう、いいぜ」

「……おすしマンの二期を再生してくれ」

「くぅ、お前ってやつは……。 今日はもう二期だけだからな」


 こんな時、渋々でも再生してくれる辺り青二は良いやつだと思う。本当に。




 鑑賞会を終え、青二の家を後にした。時刻はまだ19時過ぎ。最低でも21時を過ぎてから帰りたいので、まだ時間を潰す必要がある。なので、パッと思い付いた時間を潰せるであろう場所──本屋へ行く事にした。


 本屋に着いても、特に欲しい物が思い浮かばず、ただブラついていた。気がつくとコミックのコーナーへ来ていた。


「これ今日発売だったんだ……忘れてたな」


 好きな作家のマンガの発売日を忘れるなんて滑稽だと思いつつも、わざわざ本屋に来たので買っておこうとマンガへと手を伸ばした。すると、隣に居た人と同時に手に取ってしまった。


「あ、すみませんっ!」

「いえ、こっちこそ、すみませ……あれ、貴方は」

「白間さんの保護者代理で来ていた……黒川くん」


 偶然にも、その人は都ちゃんの担任の秋房先生だった。まさか、こんなところで会うとは思わなかった。


「あの時はどうもです。 秋房先生」

「秋房先生……えへへ」


 不思議な巡り合わせもあるものだと驚いていると、秋房先生は恍惚の笑みを浮かべて、上の空になっていた。一体、何がそんなに嬉しいんだろう?


「あの?」

「ハッ!? す、すみません……同僚以外に秋房先生と呼ばれるのが、つい嬉しくて」


 同僚以外? という事は、児童から秋房先生って呼ばれていないのかな? 先生なのに? いや、穏やかで親しみやすい雰囲気があるから渾名で呼ばれてるとか? 単に、学校の外で先生と呼ばれるのが嬉しいって意味なのかもしれない。

 そう、あれだ。まだブレイク前の芸人が町を歩いていると『あ、この間お◯しろ荘で見た』って言われると嬉しい的なやつだ。……絶対に違うな。


「あ、でも、黒川くんは名前で呼んでくれて大丈夫ですよ。 その、何というか、ですね……」


 秋房先生が何を言いづらそうにしているのかは大体察せる。僕は小学校と直接の関係がなく、厳密に言えば部外者と変わらない。なので、わざわざ先生呼びをするのもおかしな訳で。

 言われた通り名前で呼ぶのが自然だ。


「分かりました、紅羽さん」

「く、くれ……は……」


 名前で呼ぶと紅羽さんは突然フリーズしてしまった。


「あの、どうかしましたか?」

「ハッ!? す、すみません……てっきり名字で呼ばれると思っていたので驚いてしまいました」


 うっかりしていた。常日頃から下の名前で呼ぶ事が多いので、つい紅羽さんと呼んでしまったが、普通は下の名前で呼ぶのって気を許し合う仲になってからだよな。失念していた。


「すみませんっ。 名字で呼んだ方がいいですよねっ」

「い、いえ! 紅羽で大丈夫ですっ!! わ、私も、真一くんって呼びますね……」


 いきなり馴れ馴れしく接してしまったのを慌てて詫びると、紅羽さんの方がこちらには合わせてくれた。流石は、大人。アフターケアが上手い。……違うか。

 若干、口ごもっていたのは気にしないでおこう。きっと、大人の事情ってやつだ。


「ところで、真一くんもそのマンガ好きなんですか?」


 僕が買おうとしていたのは、あの恋愛マンガ(『貴方の妹にしてください』)だ。マンガの内容が良いのはもちろんだが、僕がこのマンガが好きなのは作者によるところが大きい。


「えぇ、まぁ。 作者が好きで、作品が出る度に買ってます」

「あの! 作者のどんなところが好きなんですかっ?」

「え、その人柄というか」

「ふあっ、分かります! 分かりますよ!」


 瞳を輝かせ興奮冷めやらぬな紅羽さん。前にも、見た事あるな……これ。


「作者さんの人柄好きになりますよね! あとがきや作者コメントを見てると先生がどんな人かよく見えますよね! あと、好んで使うセリフでも! 昨今では作画力や発想力等の技術面ばかりに目が行きがちですが、やっぱりマンガは人が描くものです! だから──」


 日頃は大人しいのに、好きなものの事になると周りが見えなくなる程熱くなって、饒舌になる。


「真一くん、聞いてますかっ?」

「はい。 ちゃんと……聞いてます」


 ジトーッとした目つきに、膨らませた頰。体格も見た目も全然違うのに、小さな影と重なる。


 今の紅羽さんは同じなんだ……都ちゃんと。


「真一くん?」

「あれ……すみません、なんか……急に……」


 無意識のうちに、右目から涙が溢れた。


「目にゴミでも入ったのかな……はははぁ」

「今、お時間ありますか?」

「……あります……」

「なら、少しお話しましょう。これの事で」


 マンガを片手に、ニッコリ微笑む紅羽さんの提案に二つ返事で合意して、近くの喫茶店へと入った。そして、マンガの話に花を咲かせた。紅羽さんとは感性が近いのか、話すのがとても楽しくあっという間に時間が過ぎていった。


「ごめんなさい、こんな遅くまで付き合わせてしまって……。つい熱くなってしまいました」

「いえ、僕も楽しんでましたから」


 帰り道。紅羽さんも同じ方角だったので、途中まで一緒に帰る事に。

 改めて、さっきの紅羽さんを振り返る。


「正直、あんなに熱くなるのは意外だなって思いましたよ」

「えへへ。 Go・リラ先生の作品には特別な思い入れがありますから」

「……本当に好きなんですね」

「はい」


 恥ずかしそうに頰をかく紅羽さん。好きなだけじゃなくて、紅羽さんにとって大切なものだから、あんなにも熱くなるんだ。周りが見えなくなる程……。

 また小さな影が頭を過る。

 分かっている。都ちゃんにとってもあれは大切なものなんだ。周りが見えなくなる程に……。

 しばらく歩くと、紅羽さんと別れる交差点へと着いていた。


「真一くん。 今日はありがとうございました」

「そんな」


 慌てて『お礼を言うのは僕の方です』と言おうとしたら手で制止された。


「えへへ。 ちゃんと言っておきたかったんです」

「……紅羽さん……」


 その一言に胸が打たれた。


「それじゃあ、私はこれで。 またマンガの事でお話しましょう」

「はい。 是非」


 別れの挨拶を交わし、一人で家路を辿る。一体、紅羽さんは何処まで知っていたんだろうか……それとも、何も知らないのか。そんな確かめようのない事ばかり考えているとすぐに家に着いた。


「……」


 確かめようがない。そう思っていたけど、玄関にある泥だらけの小さな靴が答えを教えてくれているような気がした。


 ✳︎


 今、リビングには僕と母さんだけがいる。掛け時計に目をやり時間を確認すると22時過ぎだった。夜遅くとはいえ二人だけのリビングには妙な違和感があり、カチ、カチッと時を刻む時計の音がやけにうるさく感じた。

 何故か、今日のリビングテーブルはいつもより広く感じる。前までは母さんと二人が当たり前だったのに。

 帰りが遅くなった僕の為に夕飯を温めなおしてくれた母さんに『何も聞かないの?』と尋ねた。すると、対面に座っている母さんは『んー? 何を聞くの?』と返し、小首を傾げた。

 その様子から、呆れに似た感情を抱いてしまう。


「朝からどこに行ってたとかさ」

「何で? 何か悪いことでもしてきたの?」

「そういう訳じゃないけど……。 朝から何も言わずに出かけた息子が連絡もなしに遅くに帰ったら気になるものじゃないの……普通は」

「んー、私はシンちゃんを信じてるから大丈夫かなー」

「……」


 両手を組み、そこに顎を乗せ、ニコニコ顔をする母さん。信頼されてるのは悪い気分じゃないけど、心の中では『そうじゃないだろ!』と思い……軽く悶々とする。

 とりあえず、気を紛らわすように温めなおしてもらったシチューを口へと運ぶ。すごく熱かった。


「それとも何か聞いてほしい事でもあるの?」

「別に」

「そっか」


 しばらくの間、沈黙が続き、食器とスプーンがぶつかる音だけが響いていた。心の準備をする為に。

 そして、意を決して母さんに尋ねた。本当に聞きたかった事を。


「……ねぇ、母さん。 今日の都ちゃん、どうだった?」

「朝から出かけていたわ」

「そうなんだ」

「どうしてもやらないといけない事があるって言ってね」

「ふーん」

「それでね、お昼は戻らないって言うから、お弁当を作ってあげたの」

「へぇ」

「そしたらねぇ。 すごく泥だらけで帰って来たの。 何があったのか聞いても教えてくれなくて、ちょっと心配しちゃったわ」


 きっと、今日も一日中探していたのだろう。あのストラップを。


「ところで、どうしてそれを聞いてきたの?」

「……玄関に泥だらけの靴があったから」

「……。 そっか」


 驚いたような顔をして、少し間を置いた母さんだったが、すぐに微笑んでいつもの母さんに戻っていた。

 母さんがそんな反応をした理由は分かっている。いや、分からない方がおかしい。それぐらい露骨に都ちゃんを避けていたから。


「そうそう。 今日のシチューはね、いつものと違って隠し味に白味噌を入れてるの」

「……」

「どう? 美味しい?」


 ある事が頭を過る──今さらだけど。


「……何で、黙ってたの……」

「隠し味なんだから、先に言っちゃダメじゃない」

「違うよ。 都ちゃんが家に来るのを何で黙ってたの?」


 あの時は気にする程の事でもないとスルーしたが、母さんはシチューの隠し味だって自分から言っちゃうような人で隠し事はしない。というか、口をすぐ滑らせるから向いていない。その母さんが都ちゃんが来るのを僕に話さない訳がない。それに、あんなにも楽しみにしていて話し忘れていたのも考えられない。だから、意図的に黙っていたとしか思えない。


「んー、サプライズの方が喜ぶかなって」

「相変わらず嘘が下手だよ」

「あらあら、それじゃあ本当はね」

「母さん」

「はーい」


 母さんは嘘をつく時に右斜め上を見る癖がある。だから、母さんの嘘を見抜くのは簡単だ。


「シンちゃんがあの子の話をしなくなったから、言わない方がいいかなって」


 僕が……しなくなった!?


「旅行から帰って間もない頃はね、ずっとあの子の事を話してたのよ。 楽しかったとか、あの子の為に絵を描きたいとか、また会いたいとか」

「……っ」

「それでね。 毎日、『次いつ会える?』って聞かれていたわ。 一日に五回も聞いてきた時もあって、すごく好きなんだなぁって」


 僕にとってそれは全く身に覚えのない話だった。普通、そこまで思い入れのある話なら、聞けば断片的にでもその時の記憶が戻るだろう。でも、今の僕にはそれがなかった……何一つ。


「なのに、それがある日ピタっと止まって……シンちゃん?」

「何でも、ない。 話、ありがと。 もういいよ」

「……うん、分かった」


 それから、一言も話さずに黙々と食べた。少しだけしょっぱくなったシチューを。

 食事を終え、遅く帰った時くらいは自分で洗い物をしようと思い、台所に立った。食器を洗っていると、


「ねぇ、シンちゃん。 明日も朝から出かけるの?」


 と、聞かれた。それに『出かける』と返事をし、洗い物へと意識を戻す。


「明日は夜に台風が来るらしいわ」

「……なら、19時ぐらいには帰るよ。 だから、お風呂用意しといて。 多分、必要になるから」

「ふふ、はーい」


 台所から母さんの表情は見えないけど、その声色からすごく嬉しそうなのは分かった。

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