チャプター 2-5
今朝、都ちゃんの様子があからさまにおかしく、学校に着いてからも、その事で首を捻っていた。
「んー」
「朝から何唸ってんだ?」
「それがさ」
とりあえず、青二に相談してみた。やむを得なく、ほんとやむを得なく。
「何だそりゃ。 惚気かよ」
「は? どこが惚気なんだよ」
「いいか? 朝起こしに来てくれて、洗面所でタオルを渡してくれる。 食卓では醤油を取りにいってくれて、果ては靴を暖めてもらっただとぉー? しかも、あんな可愛い子にっ! 最早、新妻さんだ。愛されてるんだよ」
腰に手を当て踏ん反り返る青二の力説を聞き、開いた口が塞がらない。
「お前……」
「おん、何だ?」
「頭、留守なのか?」
「ったく、お前ってやつは……。 それは、ちゃんと頭にノックして言え」
気にするのはそこなんだな。
「起こす、タオル、醤油はいいとして靴はどう考えてもおかしいだろ。 それに、それがどう愛されるに繋がるんだよ」
「長年の読書による知識から導き出された真理さ」
頼むから日本語で返してくれ。いや、そもそも最初の選択肢から間違えているか。
「はぁ、お前に相談した僕の頭が留守だったよ」
「おう。って、それ俺をバカにしてないか?」
「さぁな」
全く、都ちゃんが僕に対して変に気を遣い始めたから相談したのに、愛されてるって……どんな思考をしてるんだよ。青春もののラノベに影響され過ぎだ。そんな簡単に愛だの、恋だのになる訳ないだろ、ったく。
でも、一理ぐらいはあるのかもしれない。意味合いは違うけど。勿論、青二の言うようなのは抜きだ。
♪
「んー」
「なぁ、都。 朝から難しい顔して何かあったの?」
「みんな。実は──」
朝から机で首を捻る私を、心配してくれた友達(邦美、数恵、英子の三人)に今朝の事を相談してみました。お兄さんを喜ばせたい件も含めて。
「都。 ほんとお兄さんのこと」
「しっ! 邦美、それは言っちゃダメ! 都はピュアなんだから!」
「でもさぁー」
「数恵の言う通り。 自分で気付くまで言わない方がいい」
「英子まで」
何かを言おうとする邦美を数恵と英子の二人がかりで止めた。二人は何やら私の事を気遣ってくれてたみたいだけど……どういう事か全く分からない。
私がピュア? 気付く? 何の事だろ?
「ったく。 とりあえず、都。 それじゃダメだっ!!」
「え……どこがダメだったの?」
「いいか? 朝起こしてもらって喜ぶ男なんていない。 タオルも、醤油も気が利く程度にしか思われない。 百歩ゆずって、ここまではまだいい。 問題は、その後、靴をあっためるって──そんなの喜ばれた方が困るわっ!!」
腰に手を当て容赦なくダメ出しをする邦美を前に、開いた口が塞がらない。
「そ、そんな……前に読んだ本では靴を暖めるのは喜ばれてたのに……」
「信長はもういない。 忘れろ」
「そもそも冬じゃないから喜ばれない」
「いや、そういう問題じゃないよ。 英子」
「へー? 違うの?」
「普通に引くだけだから」
「──っ!?」
数恵の言葉を聞き、頭の中に稲妻が走る。引く……引くって……気味悪がられたって事だよね?
……確かに、今思い返すと玄関でのお兄さんの顔……引きつってた。
「どうしよう……お兄さんに変な子って思われたのかな……」
『まぁ、うん』
三人の声が一斉にハモり、自分のしでかしたミスに頭を抱えてしまう。
「うぅ、どうしよう、どうしよう、どうしよう……ただ喜んでほしかっただけなのに」
「落ち着きな、都。 あたし達がいるだろ?」
「……邦美ぃ……」
「一緒に、ミスを帳消しにする良い方法を考えてあげるからさ」
「ありがとう」
「ふふん、いいってことよ!」
やっぱり、持つべきものは友達。ピンチには助けてくれる。みんなと友達になれて本当に良かった。
と、都は思っているが三人はただ面白そうだから手を貸すだけで、結果的にはからかわれているようなものだ。
が、都はそれに気づく事はない。それ程、人との関わりに慣れておらず、人を信じるから。
「それじゃあ、邦美は何をしたら喜んでくれると思う?」
「それは……」
「邦美?」
「か、数恵っ。 何か言いたそうだね!」
「はぁ、あんたねぇ……。 じゃあ、クッキーを作ってあげるとかは?」
「クッキー……ですか」
そういえば、お母さんに聞いた事があります。
手作りクッキー。それは、古来よりクラスメイト間で仲良くなる為に用いられた対友人用親睦スイーツだと。特に、女子から男子へ送るクッキーは特別な意味合いを持ち、その効果は非常に高くなると。さらに、貰った男子は皆口を揃えて大いに喜んだとも。
広い言い方(?)をすればお兄さんも男子です。つまり、手作りクッキーを渡せば喜んでくれるに違いありません。
よし、大丈夫。問題ないです。
「クッキー作ってみようと思います!」
「えぇー、クッキーって。 今時、低学年だって喜ばないでしょ」
「じゃあ、あんたが代案を出しなさいよ」
「クッキーがいーとおもいます」
「なら、決まりね」
「ふっふっふっ、みんなまだまだ青い。 そんなモブに毛の生えたような考えではダメ」
話がまとまりかけたその時、真打ち登場と言わんばかりに英子が声を上げた。
ところで、あの額に人差し指を当て、空を見上げるように仰け反ったポーズは何なんだろ?
「いいみんな? 私たち小学生じゃ一人でクッキーを作る事にはならない。きっと、母が手伝ってくれる。 それは手作りクッキーとは言わない。それは、ただの母のお手伝いクッキーっ!!」
「どストレートなネーミングセンスね。 第一クッキーくらい一人で作らせてくれるでしょ」
「確かに……英子の言う通りです……」
「都っ!?」
抜かっていました。手作りクッキーとは一人で作るもの。まだ幼くて一人で作れない私は、紗枝さんに頼る事になってしまう。そうなれば、『よく頑張ったね』と褒められる事はあっても、真の意味で喜ばせた事にはならない。
「……また振り出しです……」
「振り出しじゃない。 私に名案がある」
落ち込む私の肩に手を置き、優しい顔で名案という希望を与えてくれる英子。その眼差しはアメリカのヒーローのように力強く、牧師さんのように私の不安をかき消してくれた。
私は明るい声で名案が何か聞きました。そして、英子が出した名案は、
「それは、一緒にお風呂に入ること」
想像を絶するものでした。
一緒に、オフロ……? オフロ……オフロって何だろ……。英語かな、フランス語かな、イタリア語かな? それとも響き的にドイツ語かな……。そういえば、オフロスキーって単語を聞いたことがあります。語感がいいですよね。
……間違っても日本語じゃ、ない……よね?
「あ、あのね、英子……その」
「お風呂で背中を流せば、バッチリ」
決め顔で親指を立てる英子に対して私は目を伏せることに……やっぱり、日本語でした。
「むむ、無理だよっ! お母さんとだって五歳までだったのに! この歳で誰かと一緒にお風呂なんて……恥ずかしいよ」
恥ずかしがり萎れていくように声の小さくなる都を見た三人は『気にするのそっちなんだ』と思っていた。『男女』ではなく『誰かと一緒に』を恥ずかしがる辺りがピュア過ぎるとも思っていた。
そして、英子はこれだけピュアなんだから提案すれば『絶対にやる』と思っていた。なので、翌日ものすごく怒られるのは必然だった。
「都、聞いて。 とあるバンドアニメを見て、私の兄は言いました。我が家にも一緒にお風呂に入ってくれる妹がいれば最高だな、と」
「そんな事言われても……」
お兄さんと一緒にお風呂。そんな事、イメージするだけでも顔が熱くなるのに、本当にやったら……頭が爆発しちゃう。
「でも、英子の兄貴ってオタクじゃん。 その話、頼りになるの?」
そうです。まだお兄さんに、それが通用するとは限りません。もし、英子のお兄さんが特殊なだけならしなくていい。
頑張って、邦美!英子に打ち勝って!
「これは男のピュアな欲求だからみんな共通って言ってた。 だから、大丈夫。 問題ない」
「なるほどなぁ」
「………」
邦美は、何の反論もなく、あっさり負けてしまいました……少しぐらい頑張ってほしかったな……。
「はよー。 朝から、何騒いでんの?」
「──っ!!」
英子に言い包められた邦美に全ての希望を断たれたと諦めかけた時、一番頼りになる人が来ました。
「里香、おはよう! 今日は遅刻じゃないんだね!」
「都、あんたね。 あたしだって毎日遅刻するわけじゃないからね。抜け道だってあるし……」
「ん?」
「何でもないよ。 で、どしたの?」
さっき小声で何か言っていたような気がするけど、今はそんな事より英子を止めてもらわないと。
「あのね──」
里香に事の経緯を簡単に説明しました。里香は見た目が派手(未だに慣れない)だけど、この中では一番の常識人です。だから、困った私の事を助けて、
「あっははは! 何それウケる。 やっちゃいなよ」
くれませんでした。
「里香ぁ……」
「大丈夫だって。 都、可愛いから」
「そういう問題じゃないです……」
「それに朝の失敗を帳消しにするには、それぐらいインパクトのあることしないと無理だよ?」
「……それは……」
「だから、ね?」
「………」
そんな無理のある理論を整然と説かれたって私は言い包められません。お兄さんと一緒にお風呂なんて絶対に、絶対に無理ですっ!!
「お風呂沸いたみたいだよ。 都ちゃん、先に入る?」
「………」
「都ちゃん?」
夕食を終え、リビングでお兄さんと一緒にテレビを見て過ごすこと一時間。ついに、この時が来てしまいました。
いつもならお兄さんも私も自室で過ごすところを今日は『一緒にテレビを見ませんか?』と自分から誘い、機会を作りましたが……ほ、本当に、一緒にお風呂に……。
「どうしたの? もしかして、まだテレビ見てたい?」
「ひゃっ!?」
黙り込む私を心配したお兄さんに顔を覗き込まれ、つい取り乱してしまう。うぅ、まだ言う前なのに……。
「ご、ごめんっ! 驚かせるつもりはなかったんだけど、その……何かしちゃったかな?」
「いえ、そういう訳じゃなくて……うぅ」
私がウジウジしたせいで、お兄さんが困った顔を……私はただ……お兄さんに。
胸の前でぎゅっと両手を握る。お兄さんをこれ以上困らせない為にも覚悟……決めないと! アイキャン、えーと……オーフェン! オーフェン! あれ? ちがうかな……えと、あっ! ゴー! アイキャンゴーです!
「あ、あの……わ、わわ、わ、私と……。 い、一緒に、お、おふ、おふ……」
「おふ?」
「お風呂に入ってくださいっ!!」
「………」
言ってしまいました……。お兄さんは……黙り込んでる。やっぱり、一緒にお風呂なんて……ダメですよね。
と、諦めたその時、
「うふふー、シンちゃーん。 聞こえたわよー♪」
「か、母さんっ!?」
さっきまでダイニングテーブルでノートパソコンを使っていた紗枝さんがいつの間にかお兄さんの真後ろにいました。
「キ・モ・チ。 これで分かる?」
「何言ってるの! 相手は」
「んー?」
「……はい、分かります……」
二人が何の話をしたかは分かりませんが、その後はトントン拍子で事は進み、お兄さんとお風呂へ。流石に、着替えまで一緒にする訳にはいかないので、先にお兄さんに着替えてもらい、後から私が着替えました。こんなにも服を脱ぐのが恥ずかしいと思ったのは生まれて初めてです……顔がぽうっとして熱い。
そして、しばらく心の準備をしてからお風呂場のガラスドアを開ける。
──ガチャリ。
「し、失礼します」
「う、うん。 どうぞ」
蛇口からピチョン、ピチョンと雫が溢れ落ちる。それに呼応するように鼓動が高鳴る。
先に入ってもらっていたお兄さんはこちらに背を向け、バスチェアに座って待ってくれていました。
「それじゃあ……お願い」
「は、はい」
お兄さんの手からボディソープとボディタオルを受け取り、泡立てる。
入る前、お兄さんに『お背中を流させてください』とお願いをしておいた。もちろん、英子の言葉を──これで、喜んでくれると信じて。
恐る恐る大きな背に手を押し当て、上下に擦る。
「どう、ですか? 気持ち……いいですか?」
「え……と、うん。すごくいいよ。 はははぁ……」
「よ、良かっ、ひゃです……」
緊張のあまり声が裏返ってしまう。ここまでは、まだ何とか……でも、この後に。
──今日の休み時間。
『い、今なんて…!?』
『だから、タイルで滑ったフリして後ろから抱きつくんだってば』
『まだやるなんて言ってないなのに……。 うぅ、そんなの出来る訳ないよ……』
『やったら喜ぶと思うけどなー』
と、里香に言われましたが、本当にそれで喜んでくれるのかな。今も喜んでくれているというよりは……。
「……変ですか……?」
「えっ」
「いきなりこんな事をお願いして……変な子って、思いましたか……?」
声が震える。もし今朝と同じで引かれていると思ったら、今にも泣きたくなった。 ただ喜んでほしいだけなのに……。
そんな私を見兼ねたお兄さんが優しい声で提案をしてくれました。
「ちょっと冷えたから湯船につかろっか」
「……はい……」
二人で入るには少々窮屈な湯船ですが、先に入ったお兄さんが足を開いてスペースを確保してくれていたので、そこへ座り込みました。無論、向かい合わせは恥ずかしいので背を向けて。
私が黙り込んでいるとお兄さんの方から話題を出してくれました。さっきの紗枝さんとのやり取りの事、『裸の付き合い』の事を。
「ほんと無茶苦茶だよね」
「ふふ、ですね」
「他にもね」
それからお兄さんと他愛ない話を続けました。それはとても楽しくて、泣きそうだった心がどんどんほぐれていきました。
──そして、今朝の話へ。
「今日さ。 朝から都ちゃんの様子がいつもと違って変だったから、ずっと心配してたんだ」
さっきよりも優しい声で話すお兄さん。今朝の事、やっぱり、変だって思われてたんだ……。なんだか急に胸が締め付けられているみたいに痛く、なってきました……。
「それを青二に相談したら愛されてるって言われた」
「あ、愛っ!?!? 私が、お兄さんを……うぅ」
「話が飛躍し過ぎだよね。 でも、一理あるって思ったんだ」
い、一理ある!? それって……お兄さんは、私に愛されてると。そ、そそ、そんな事が……!?
「なんていうか。 兄妹愛みたいなものはあるかなって」
「兄妹、愛ですか……?」
「うん。 きっと都ちゃんは僕の事を想ってしてくれたんでしょ?」
「はい……いつも優しくしてくださるお兄さんに喜んでほしくて」
「それって兄と妹みたいだよね。 あの時の言葉が本当になったみたいだよ」
兄と……妹……あの時の言葉。
「それで、都ちゃんが本当の妹みたいで嬉しいなって思ったりして」
「……っ」
その一言に、きゅっと唇を噛みしめる。
お兄さんはあの時の事を覚えていない。それでも、今のお兄さんもあの時と変わらない優しいお兄さん。だから、思い出せなくてもいい。ずっとそう思っていた。
いや、そう思い込もうとしてきた。
「へ、変な話だよね! 第一ひとりっ子なのに兄と妹みたいって」
「変じゃないです」
──けど。
「お兄さんは、私にとって『お兄さん』ですから」
あったはずのものがないとどうしようもなく寂しい。胸にぽっかりと穴が開いたみたいで……嫌な気持ちになる。
♪
-都の日記-
4月24日 お兄さんとお風呂で、裸の付き合いをして分かりました。私が本当に望んでいたことを。
今のお兄さんも優しいお兄さんです。でも、あの時のお兄さんに会いたい……私を思い出してほしい。私がそう思うのはおこがましい事ですけど、それでも……。
まだ、どうすれば思い出してくれるかは分かりません。でも、お兄さんなら思い出してくれると信じています。
だって、あの夕景の絵を描いていましたから……ふあっ、そうです!夕景です!
これなら、きっと……。
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