チャプター 1-6

「まぁ、そう気を落とさないでよ」

「すみません。 またお兄さんにご迷惑を……」

「そんな事ないよ。 ちょっと焦っただけだから」


 さっきの事を今思い返しても冷や汗が出る。あれは、大変心臓に悪い出来事だった。


『ここまで来て……。 しかも、あんなミスで間に合わないなんて……』

『うぅっ……ひっく……私のせいでお兄さんを……変態だなんて……えっ、ぐ……』

『え、そっち? 泣いてるのってそっちなの!?』

『ふぇ? そっぢ?』

『都ちゃん。 とりあえず、先にお手洗いに行こうか』

『……ぅ、あ……ひゃ、い゛っ……』


 都ちゃんが泣き出した時は、僕のミスのせいで余計な刺激を与えてアウトになってしまったのかと思って本気で悔いたけど、そうじゃなくて良かった。あんなところでアウトになったら一生物のトラウマになっていたかもしれない。都ちゃんが辛い思いをしなくて本当に良かった。


「でも、私のせいで……」

「いや、あれは僕の自業自得だよ」


 では、何故また都ちゃんが今朝のように責任を感じているのかというと、その後にちょっとした問題が起きたからだ。

 都ちゃんを無事お手洗いへと連れていき、安心した直後だ。


『そこの君、ちょっといいかな?』


 後ろを振り向くとそこにはゴリラのようにたくましい体つきの男性がいた。服装からコンビニの店員だと伺え、名札には店長と書かれていた。

 鋭い剣幕でこちらを睨み、組まれた太くたくましい腕は熊を片手で倒せるんじゃないかとさえ思った。要するに、すごく怖かった。明らかにただのコンビニの店長のスペックじゃない。まるで冷酷な殺し屋だ。

 僕は言葉足らずの勘違いから、この厳つい人に変質者だと思われている。だから、冷静に対応しようとした。だって、僕には後ろめたい事なんて何ひとつないから。


『だ、大丈夫ですよ。 どうかしましたか?』

『うちの従業員が店内に変態が出たと騒いでていてね。 様子を見に来たんだ』

『それは大変ですね。 早く捕まえないと』

『ああ。 で、その変態の特徴が男子高校生らしいんだ。 君みたいな』

『……』


 コンビニの店長がゴキゴキと手を鳴らし、威圧してきた。

 ここで、プラン変更。軽い冗談で場を和ませ、少しでも親密になってから誤解を解こうとした。


『そ、それより、すっごい筋肉ですね!』

『……』

『もしかして何か格闘技やってます?』

『……』

『日本らしく空手? 柔道? さては、今熱いプロレスだ』

『……はぁ』


 その溜め息は唸る猛獣みたいで、ものすごい威圧感があった。つい『やられる!?』と思い、身構えてしまう程に。

 それが、さらに僕を焦らせた。


『いやいや、外国のもいいですよね。 功夫とか。 意外なムエタイだったり? まさかのバーリトゥードっ!?』

『ふん、格闘技は見る専門なんだ』

『嘘、そんな勿体ない。 丸太みたいな太い腕してるのに』

『あぁ、そうかもしれない。 だが、この腕の使い道はいくらでもある。例えば、こんな風にな』


 丸太のような太い腕でがしっと僕の腕を掴まれ、捻られた。無論、その腕の筋肉が飾りな訳はなく、掴まれた腕はめちゃくちゃ痛かった。正直、折れてしまうかと思った。


『いだっ! あ、あのー』

『そのお喋りな口を閉じて私についてくるか、この腕で無理矢理閉じられて連れて行かれるか。 どっちがいい?』

『……黙ってついて行きます……』

『素直でよろしい』


 初めから冗談なんて言うべきじゃなかった。でも、あんなに厳つい人に敵意を向けられたら、訓練でもしていない限り冗談を言ってメンタルを保つしかない。少なくとも僕はそうだった。

 そして、そのまま店の奥へ連れて行かれ、断罪の時間だ。僕の話は聞く耳を持ってもらえないので、都ちゃんの弁明を聞き届けてくれるまで、時間を稼ぐ事しか出来なかった。粘り過ぎて危うく警察を呼ばれそうになったけど、ギリギリのところで都ちゃんが来てくれて何とかなった。思いのほか時間がかかったのは、都ちゃんの方も店員が話を聞いてくれなくて困っていたとか。


「私がちゃんと正門でお手洗いに行きたいと言っていれば、こんな事にはなってなかったです……」

「いや、それはしょうがないんじゃないかな」


 今にも消え入りそうに謝る都ちゃんを慰める。僕だってあの状況なら言えない。


「……迷惑をおかけしてごめんなさい……」


 また深々と頭を下げて謝る都ちゃん。多少のハプニングと誤算があったとはいえ結果的には丸く収まっているので、謝る必要なんてない。寧ろ、都ちゃんに謝ってほしくない。となると、少し窘める必要があるみたいだ。


「ていっ」

「ひゃうっ!?」


 都ちゃんの額に軽くデコピンをした。そんなに強くしていないのに額をさすりながら上目遣いでこちらを見てくる。その様子は小動物のようで何とも愛くるしかった。


「そんな畏まらなくていいよ。 都ちゃんが何をしたって迷惑だなんて絶対に思わないから」

「あぅ……」

「それに謝られるよりは、ね?」

「っ! ……んぅ」


 都ちゃんを安心させるように、ニコっと笑顔を見せる。すると、僕が何を言いたいのか察してくれようで、しばらく間をおき、少し俯き恥ずかそうにお礼を言ってくれた。


「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございました……お兄さん」

「うん、どういたしまして」


 だんだん小さくなる声で、彼女の心情が伺えた。




「ただいま」

「ただいまです」


 帰るまでに多少のアクシデントはあったものの無事夕飯の時間までに、家に着けた。都ちゃんをおぶって走ったせいか、帰るなり玄関にへたりこみそうになったけど、何とか堪えてリビングまで来た。


「二人ともお帰りなさい。 思っていたよりも長い寄り道をして来たのね。 ふふ、ちょうど良かったわ」

「寄り道って。 それより、どうしたのこれ?」


 リビングテーブルにはホームパーティーでも開くのかと思う程、たくさんの料理が用意されていた。そして、料理は和洋中なんでもござれの大盤振る舞い。まさか、本当にホームパーティーを開く気なんじゃ……前に海外ドラマを見ている時に『こういうの一度やってみたいわね』とか言ってたし、あり得る。


「勿論、都ちゃんの為よ」

「私の為に?」

「そう、都ちゃんの歓迎会をするの♪」

「え、歓迎会……!?」

「本当はね、昨日するつもりだったの。 けど、三浦さんに今日の方が良いお肉が入るよって言われてね。 一日ずらしたの。 他にもね──」


 母さんの話を聞くと、どうやら朝から都ちゃんの歓迎会の準備を頑張っていたみたいだ。成る程、それで朝は僕にお願いをしたのか。さっきの失礼な推測は撤回だ。


「私の為にそこまで」

「ふふっ、当たり前よ。 だって、都ちゃんはー。 今、私の娘同然なのよ」


 遠慮深そうにソワソワする都ちゃんを優しく抱き寄せる母さん。母さんも母さんなりに都ちゃんとの距離を縮めようとしているみたいだ。


「だから、ママって呼んでくれていいのよ。 いえ、寧ろママって呼んで欲しいわ。 シンちゃんが呼んでくれない分も」


 それはちょっとやり過ぎな気がする。あと、さらっと僕への不満を言わないでよ。


「それは……ややこしくなるので、ちょっと」

「えぇ、ざんねーん」


 泣き縋るように都ちゃんの頰に、自分の頰をすり寄せる母さん。それに対して都ちゃんはかなり困惑し、あたふたしている。

 まぁ、そうなるよね。……我が母ながら、本気で残念そうな反応をされると何とも言えない気持ちになる。とりあえず、都ちゃんの為に場を収拾するか。


「母さん、その辺にしとこうよ。 料理冷めるよ」

「それもそうね」


 あっさり都ちゃんを解放する母さん。もっと抵抗するかと思っていた。まぁ、何だかんだ空気は読む人だから、こういう時はしつこくない。

 母さんに手渡されたグラスを都ちゃんにも渡す。そして、各々のグラスに飲み物を注ぎ、母さんが音頭を取る。


「それじゃあ、我が家へようこそ〜。 都ちゃん」

「歓迎するよ」

「ぁ、う……あ、あの、ありがとうございますっ!」


 恥ずかしそうにしながらも大きな声でお礼を言ってくれる都ちゃん。それは、我が家に来て、一番力強くて一番大きな声だった。

 そして、パァッと花が咲いたかのような満面の笑みだった。そんな都ちゃんを見ていると、それに応えるように自分の口角が上がっていくのが分かる。


「やっぱり、前にも」

「どうしました、お兄さん?」

「……ううん。 何でもないよ」


 だけど、都ちゃんの笑顔を見ていると胸が騒つく。また、デジャヴだろうか。

 いや、きっとこれからの彼女との生活が楽しみなんだろう。母さんっぽく言うと妹が出来たみたいで。


 ──と、落胆的になれれば幸せだったろうに。


 やっぱり、都ちゃんの事を思い出せないのが引っかかる。何かあった気はするのに、何も思い出せない。まるで、僕自身が思い出したくないみたいだ……。


 ♪


 -都の日記-


 4月16日 今日は、お兄さんにたくさんご迷惑をおかけしてしまいました。朝早くに起こしてしまったり、緊張したせいで気を遣わせてしまったり……お手洗いの件は今思い返しても恥ずかしいです。

 うぅ、お兄さんに手のかかる子って思われてたら嫌だなぁ……。

 学校の方は、転校初日でお友達がたくさん出来ました。同じおすしマン好きの里香とは、とても仲良くなれそうです。ただ、里香は見た目が派手というか、見慣れないというか。きっと、ギャルというもので、おしゃれさんです。

 夜に、私の歓迎会をしてもらいました。紗枝さんの手……お母さんと同じぐらい暖かかったです。

 あと、気のせいかもしれませんが、笑うお兄さんが昔と同じに見えて……少しだけ、泣いちゃいました。

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