チャプター 1-5

 放課後。今日は母さんから、


『部活に行かずに真っ直ぐ帰ってね♡』


 と、メールが届いていた。なので、家まで直帰コースだ。(息子にメールを送るのに♡なんか付けないでくれと何度も言っているが、また今日も意味を成さなかった)

 基本的に部活に行かない日は青二と一緒に帰るのだが、今日はおすしマンのストラップを手に入れると言い、チャイムが鳴ると同時に何処かへ行ってしまった。

 ラッキーアイテムだなんてテキトーな事を言ったけど、そこまで必死になっている青二は面白いので、しばらく放っておこうと思う。


「ん?」


 昇降口を出て、正門へ向かっていると、正門付近で数人の生徒が群がって何やら騒いでいた。

 とはいえ、そんなものには興味がないので、無視してさっさと通り過ぎようとしたが、見覚えのある小さな影が目に入り、歩を止める。

 一瞬で頭の中が『なんで?』、『どうして?』と、疑問でいっぱいになった。何故なら、その騒ぎの中心にいる小さな影は都ちゃんだったからだ。


「──っ!」


 騒ぎの中心で困惑していた都ちゃんだったが、こちらの存在に気づくと急いで僕の後ろへと逃げこんだ。


「えーと……どうしてここに?」

「ひぅ」


 理由は分からないが、何かにひどく怯えた様子で、今はまともに話せないようだ。


「その子、君の知り合い?」

「はい。 そうです」

「なら、良かった。 その子、ずっと正門でソワソワしてたから迷子かなって心配してたんだよ」


 うちの高校は学年毎にリボン(ネクタイ)の色が違う。今年度は、赤が一年、青が二年、緑が三年になっている。この丁寧に状況説明をしてくれた女生徒は青のリボンをしているので一つ上の二年生だ。どうやら都ちゃんを心配して話しかけてくれていたみたいだ。

 彼女の物腰は柔らかく、都ちゃんが彼女に対して怯えているとは考えられなかった。

 なら、何に怯えているんだろうか?


「その子、怯えさせちゃってごめんね。 私があいつらより早く来てたらこんな事にはならなかったんだけど」

「おい、浅倉! それだと俺らが悪者みたいじゃねぇか!」

「そうだ、俺は遠くから匂いを嗅いだだけだ。 柑橘系の爽やかな匂いがした」

「臼井、お前は黙ってろ」

「でもよ、杵島。 ほんとに良い匂いだったぞ。 ありゃ相当良いシャンプーを使ってる」

「分かったから、今は黙ってろ」


 優しい先輩から事情を聞いていると勇ましい声を上げる男子生徒と何やら危ない発言をする男子生徒が突っかかってきた。

 どうやらこの優しい先輩は浅倉さんで、浅倉先輩が指差した二人組(ネクタイからして同じ二年)の強面で背が低い方が杵島先輩、なんだかぼーっとした雰囲気で背の高い方が臼井先輩らしい。

 さっきの話からして都ちゃんが怯えたのは、この二人のせいみたいだ。杵島先輩は言動が荒っぽいし、臼井先輩は当たり前のように危ない発言をしていたので間違いないだろう。


「みたいじゃなくて、そう言ってんのよ! あんた達みたいな不審者に話しかけられて怖がらない女はいないわ!」

「んだとぉ! 俺たちは優しく声をかけて紳士的に対応してたぞ! お前も何か言ってやれ!」

「でも、さっき黙ってろって」

「今はいいんだ」

「なら、俺は発展途上の女には手を出さねぇ。 紳士だからな。 あと、お前みたいな貧乳もな」

「なっ!?」

「臼井、今はそういう事を言ってほしいんじゃない。 だが、俺もお前の言い分には賛成だ。 ただ、こいつの胸に魅力がないだけで、貧乳には貧乳の良さがあるからな。 それは覚えとけ」

「くっ。 あんたら、ほんとサイテーっ!!」


 強く拳を握りしめた浅倉先輩の怒号が蒸気機関車の汽笛ように鳴り響く。石炭も充分に放り込まれているので、その怒りの炎の凄まじさは想像を絶する。

 どうやらこの三人は、ある程度顔見知りみたいだ。少なくともセクハラギリギリ(正確には、アウトだけど)の発言を許せるくらいには面識がある。

 見るからに腐れ縁っぽいなぁ、と呑気に眺めているとお三方の言い合いは益々ヒートアップしていき、最早都ちゃんの話は関係なくなっていた。


「第一あんたはいつもいつもっ!」

「うるせぇ! 胸がちぃせぇやつは器もちぃせぇってかぁ!」

「なぁ、杵島。 そろそろ女子陸部のストレッチの時間だ。 間に合わなくなるぞ」


 もう大分話もそれちゃったし、早くこの場を去りたいのが本音だ。都ちゃんだってずっと怯えてるし。

 そういえば、何でこんなにも怯えているんだろうか。最初は危ない先輩に絡まれたからだと思っていた。でも、今は先輩達からの注意は全く向いていない。まだ近くにいるとはいえ僕が壁になっているから、そこまで怯えなくていいんじゃ……?

 それに、都ちゃんが怯えてシャツを力強く握るのは決まって、


「ほんとキモいっ!! 変態っ!!」

「俺は自分らしくピュアに生きてるだけだっ!!」

「……ひゃうんっ」


 二人が怒鳴る時だ。もしかして、怖かったのは不審な先輩達じゃなくて怒鳴り声の方なのかな。

 もしそうだとしたら早くこの場を去らないと都ちゃんが可哀想だ。


「都ちゃん。 いこ」

「……ふえ……っ!?」

「あのー、僕達は先に帰りますね。 それじゃっ!」


 慌てて都ちゃんの手を引き、早足で正門を後にした。言い合ってる二人はこちらに全く気付いてなかったが、臼井先輩の方はこっちに気付いて手を振っていた。少しにやけているのがかなり怖かった。




「大丈夫?」

「はい……もう大丈夫です」


 か細い声で返事をする都ちゃん。渦中を脱したとはいえ、その様子はひどくしょんぼりしていて、まるで叱られた後のようだった。


「都ちゃんって怒鳴り声が苦手だったりする?」

「……すごく苦手です……」


 思った通り怒鳴り声が苦手みたいだ。だから、昨日も僕が怒鳴った時に泣いていたのか。


「そっか。 じゃあ、今度から怒鳴り声には気をつけるね」


 これからは、どんな理由があっても苦手な怒鳴り声で怖がらせないように気をつけないと。

 拳を握り、堅く決意する。


「……。 ありがとう、ございます」


 曇った表情から一変、明るい笑顔を見せてくれる都ちゃん。返事に少し間があったから心配したけど、もう気持ちの方は落ち着いたみたいだ。


「そういえば、どうして正門に居たの?」

「紗枝さんに……今日はお兄さんと一緒に帰るように言われてて、それで待っていたんです」


 成る程、だから、今日は直帰するように言われてたのか。なら、それを先に言っておいて欲しいんだけど、忘れてたんだろうな……母さんだし。


「なら、高校の場所は母さんから聞いたの?」

「そう、ですね。今朝、紗枝さんが地図を……渡してくれていたので」


 そう言って、ポケットから母さんに渡された地図を出す都ちゃん。それを見て目を疑った。そこに書かれていたのは凄く大まかな道程と雑な案内で、どこからどう見ても地図と呼べる代物ではなかった。

 右、上、左、真っ直ぐ二つ目の信号を右、斜め上って……格ゲーのコマンドじゃないんだから、もう少し分かりやすく書いてあげなよ。これなら幼稚園児に書かせた方がまだマシかもしれない。


「よくこれで分かったね」

「大体の道筋はイメージ出来ましたから……。 あとは、道中で道を間違えてないか……尋ねるだけでバッチリ、でした」

「イメージ? 出来た?」

「う、それは、その……何と、いいますか」

「はは、すごいね」

「え……。 た、大したことじゃない……です」


 謙遜からか顔を伏せる都ちゃん。別に謙遜するような事じゃないのに。

 あんな雑な地図(と呼べない代物)で道が分かるなんて頭にスーパーコンピューターでも入っていない限り無理だ。都ちゃんの理解力がすごいのは火を見るよりも明らか。もしかすると十年に一人の天才だったりして……本日、二度目の親(兄)バカだ。


「と、ところで、お兄さん」

「どうしたの?」

「この……辺りで、お手洗いを……お借りできる場所は……ありますか?」

「んー、しばらくはないかな」

「そう、ですか」


 僕の返答を聞くと急転苦悶の表情を浮かべる都ちゃん。さっきから妙にソワソワしていて、歩幅も小さいような気はしていたけど……もしかして、もしかするのだろうか。


「その、結構ピンチだったりする?」

「ぅ……ん、ん……」


 都ちゃんは、頰を赤らめて小さく頷いた。目が少し潤んでいる。その様子から大体の心情は察せる。

 この際、『どうしてもっと早く言ってくれなかったの!』なんて野暮な事は言わないとして。

 困ったな。家までまだ距離があるし、この辺にはお手洗いを借りれるような民家はない。

 なら、いっそ外で──なんてデリカシーのない事を女の子に提案出来る訳がない。万が一誰かに見られたら、傷付くのは都ちゃんだ。それに、何かの間違いでその現場を撮影されたら傷付くどころの話じゃない。最悪外に出られなくなってもおかしくない。だから、外でさせるのは却下だ。絶対にあり得ない。

 かと言って、このまま悩んでいてもタイムリミットが近づくだけだ。


「あとどれぐらい我慢できる?」

「十分ぐらい……なら、何とか」


 まだ十分も猶予があるのは朗報だ。でも、同時に悲報でもある。残念ながら歩いて十分圏内にお手洗いを借りれるような場所はない。万事休す、諦めるしかない。だが、それは歩いてならの話だ。


「よし。 じゃあ、乗って」


 都ちゃんに背を向け、膝をつく。


「あ、あのお兄さん……その」

「ほら、早く。 走ったらコンビニには間に合うよ」

「で、でも……おんぶして貰うなんて」


 事は一刻を争い走るしかない。けど、都ちゃんが自分の足で走るのは不可能だろう。ならば、それを解決する方法はこれしかない。

 小学生にもなっておんぶして貰うのが恥ずかしいのは分かるけど、今はそんな事を言ってられる場合じゃない。


「グズグズしてる暇はないよ。 それともお姫様だっこの方がいい?」

「へっ!? お、おんぶで、お願い……します」


 強引な提案で申し訳ないけど、都ちゃんもこれなら観念してくれたようで素直に背に乗ってくれた。


「それじゃあ、行くよ」

「ぅ、はい……。 お兄さん……ありがとうございますっ!」


 都ちゃんのお礼を皮切りに走り出す。

 ここからは時間との勝負で、ひたすら走るしかない。だが、ただがむしゃらに走るだけではいけない。都ちゃんのデリケートゾーンを刺激しないように優しく、だ。

 昔、運動会でスプーンに卵を乗せて走る競技をした事がある。まさに、それと同じだ。精神を研ぎ澄まし、卵落とさないように注意を払って、安全に前へと進む。でも、ゴールへ一番に着く為には速く走らないといけない。

 つまり、最も安全かつ効率の良い走り方をしなければならない。


 なーに、あの時、一等賞を取った僕にとっては造作もない事だ!


 ──と、息巻いてみたものの……。


 あまりにもプレッシャーに弱く、気を遣い過ぎて思ったより走れていなかった。それどころか、まだ走り出した場所が見える。……全く、進んでいない。


「──くっ」


 しょうがないじゃないか! あの時は卵を落としても『残念でした、また頑張ってね』ぐらいの軽いプレッシャーしかなかった。でも、今は違う。たった一回のミスが破滅のウォーターフォウルで、都ちゃんは泣きながら身を濯ぐ事になる。あの時とは重みがまるで違うどころの話じゃない。地球滅亡が迫っている中で戦わなくてはいけない戦士と同等のプレッシャーだ。ただの一般人には重過ぎる……。


「……ふ、ぅっ」


 次第に都ちゃんの肩を握る手に力がこめられていく。それは、徐々にタイムリミットが迫っているのを示し、焦燥感に駆られる。

 このままじゃまずい。もしかすると、今の速度では間に合わないかもしれない。なら、覚悟を決めて、もう少し速度を上げないと……。


「ひっ、ぁ、んん……」

「わっ!? ご、ごめんっ!!」

「い、ぇ……だ、大丈夫……ぇす……」


 焦る気持ちから力強く地面を蹴ってしまい、都ちゃんに衝撃を与えてしまった。口では大丈夫と言っているが、その口調は明らかに大丈夫じゃない。


「本当にごめんね。 次はもっと優しくするから」

「は、はいぃ……お願いします……」


 自分を戒め、細心の注意を払い走り出す。が、しかし、すぐに新たな試練が僕を襲う。


「はぁ、はっ……んっ……はぁ……」

「………」

「ひぅっ、うぅ……はぁ……はぁ……」

「──くっ」


 都ちゃんの甘い吐息が境界線を越え、脳にダイレクトアタックしてくる事だ。最初は特に気にしてなかったが、なんというか徐々に法に触れる危うさを感じてきた。だんだん声も艶かしくなるし、体もずっと走っているせいで熱くなり、都ちゃんの体温と混ざり合うような感覚に襲われて一つに……やばいな、これ。


「──っ」


 首を小刻みに横に振り、邪念を払う。

 今まで女の子との物理的距離を縮め接触した事がなかったので甘く見ていた。女の子に触れると、こんなにも、こんなにも……魅力を感じるなんて知らなかった……っ!

 今までラブコメの主人公が女の子に触れる度に、そんなオーバーなリアクションでドギマギする訳ないと思っていたけど、訂正する。女の子に触れた男の胸は爆発しそうなぐらいドキドキする。例え、それが歳下の小さな女の子であろうと──いや、歳下の小さい女の子だからかもしれない。父性が刺激されているからとでも言うのか、無垢な魅力が1番キく。


「すぅ、はぁ」


 大きく息を吸って、吐く。

 クールになれ、僕。都ちゃんは僕を信じて背に乗ってくれたのだ。それを裏切るような事を考えてはいけない。始まりが善意の行動でも、やましい気持ちを抱けば、最早そこに善意はない。ただのスケベに他ならない。だから、己を律しろ。いくら今の彼女に心を焚きつけられるような魅力があろうとも──と頭では分かっている、分かっているけど。

 必死に我慢する女の子って可愛いとか、催眠的な声に脳が溶けてしまいそうと考えざるを得ない。それ程、可愛い。愛おしさを感じていると言っても過言ではないかもしれない。

 それに、さっきから首筋に触れる都ちゃんの髪がサラサラで……ああ、いい。すごく、いい。手で触ったわけじゃないのに、この幸福感……思った通り都ちゃんの髪は僕好みで最高だ。今すぐにでも手で触りたい。


 ほんと心は素直だな。


 ……いや、まずいっ!

 このままでは、もう戻れない領域に踏み込む事になる。それは、今後の僕達の関係においてあっちゃいけない!Need not feel!その罪深い領域はNo,thank youだ!

 何かを別の事を考えて気を紛らわさないと……そうだ、こういう時は心を落ち着かせ無になる。中高生の男子なら誰もが知る明鏡止水だ。

 余計な事に心を乱されず、一点の曇りもない鏡、波立たない静かな水をイメージ。


 ──ヒュッ、ピチョン。


 我が心、明鏡止水。見えた、水面に落ちる水の一しず……待って。今は、水についてイメージするのは縁起悪くない? ピチョン、ピチョンって……最悪だ。

 明鏡止水はダメ、絶対ダメ! もっと、別の……無……無……無我の境地なら、大丈夫か。自我から解放され、悩みや悪心なども生じるはずがない悟り。

 ……でも、これって確か死んでしまったような精神状態の事って仏教に詳しい先生が言ってたな。……それ、なんか嫌だな。

 何か、こう……花を慈しむような清らかな精神状態になれる考えは……あ、ちょうど柑橘系の爽やかな匂いが。


 歩を止め、目を瞑り深呼吸をする。


「……すぅ、はぁ……。 ごめん、都ちゃん」

「え?」

「僕、ダメかもしれない」

「……お兄、さん……?」


 このプランはダメだ……僕に心を無にする事は出来ない。所詮、僕もただの雄。ラノベ主人公みたいに清廉潔白で鈍感な聖人君子にはなれない。世界の真理とも呼べる女子小学生の純粋な魅力の前では、男子中学生のような前向きな心を刺激され、パラライズするしかない。一体、どうすれば……。


「あの……無理、なら……も、う降ろして、大丈夫……です、よ」

「都ちゃん」

「そもそも、ちゃんと、お手洗いに、行かなかった……私が……悪かったんです。 だから……お兄さんに、迷惑、かけてまでは……」

「でも、それじゃあ」

「わ、私なら……おそ、とだって、へ、平気……ですから」


 声が震えている。きっと、それは限界が近いからだけじゃない。こんな状況にも関わらずこの子は憂いている。僕に迷惑をかけていると。

 歯を食いしばり、気合いを入れる。

 思い出せ。僕は今何の為に走ってきたのか。

 無事、都ちゃんをお手洗いに間に合わせる──その為に走り出した。

 なのに、僕ときたら……都ちゃんの甘い吐息、艶かしい声、首筋に触れるサラサラの髪、髪から漂う柑橘系のシャンプーの良い匂い、ほんのり暖かい体温、柔らかい脚、シャツを強く握る手から伝わる手汗、我慢しているが故に背中に密着してくる感触とその膨らみかけの罪深いものに屈してしまった。諦める必要なんかないのに諦めようとしてしまった。

 無になれない? そんなの当たり前だ。きちんと段階を踏み、己を限界まで鍛え抜いた者のみ立つ事を許される領域。それが明鏡止水の心や無我の境地だ。僕ごときが気持ちひとつで簡単に到達できる訳がない。もっと、修練を積んで、ライバル達と競い合い……いや、それは全然関係ない。

 ともかく無理なものは無理なんだ。だから、まずそれを認める。


「泣き言、言ってごめんね」

「お兄……さん」

「あともう少しの我慢だからね。 頑張ろう(お互いに)」

「はぅ、ひゃい……」


 誘惑に負けそうになる未熟な僕も、それに抗う僕も、どちらも僕。未熟なのは僕にそういう一面があっただけの事、無理に抑える必要なんかない。排除しなくていい。それも、また大切な僕の一面だ。

 相反する双方を認めてこそ本当の僕。そうする事で、真の力が生まれる。そう──こんなにも可愛い都ちゃんに辛い思いをさせる訳にはいかないっ!

 新たな決意を胸に走り出す。すると、騒つく心は自然と凪いでいた。




 気持ちを切り替え、走る事数分。ようやくゴールが目前に迫ってきた。


「はぁ、はぁ……コンビニ、着いたよ。自分で歩ける?」

「ん……んぅ……」


 頑張って首を縦に振る都ちゃん。だけど、限界はすぐそこであまり余裕は無いらしい。

 脇腹がズキズキと痛む。僕も走り疲れて厳しい状態だ。だが、ここまで来て決壊させては男が廃る。なので、お手洗いのすぐ目の前まで連れていってあげる事にした。


「らっしゃーませぇー」


 自動ドアをくぐり店内へ入ると店員のやる気のない声が鳴り響いた。

 そういえば、コンビニのお手洗いを借りるなら店員に一声かけないとだよな。よし、時間をかけないように、手短に、シンプルに、要点だけを伝える。

 今、思うともっと言葉に気をつけるべきだった。走り疲れて、思考がまとまっていなかったなんて言い訳にならない。


「はぁ、はぁ……。あの、もう我慢出来ないんです……。 この子お、手洗い……貸してくださいっ!」

「(が、我慢できない!? この子をトイレで……っ!?)」

「いい、ですか?」

「て、てんちょーっ! 変態っ! 子どもをトイレに連れ込もうとする変態がぁーっ!!」

「えっ、あの ちょっと」

「お兄さん……あ、あぁ……ぁぁ……」

「え、都ちゃん!? 都ちゃぁぁぁぁんっ!!」


 悲痛な声とともにたらりと滴がこぼれ落ちる。僕は最後の最後にヘマをやらかしてしまった。

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