チャプター 1-3

 窓から陽が差し込み、朝を告げる。顔に当たる陽の眩しさから逃れる為に布団を被る。

 まだスマホは静かに待機している。つまり、まだ眠っていてもいい時間だ。少々、意識があろうとも重たい瞼を上げる必要はない。今すべきなのは二度寝だ。この起きているのか、寝ているのか、分からないふわふわした感覚の中での二度寝は最高に心地良い。それは、水にたゆたい優しく包まれているようなイメージ。その至福を堪能する贅沢さ。本当に、学生という生き物は最高だ。


「きて、ださい……起き……ください」


 その至福のひとときを脅かす声が聞こえてくる。誰かは分からないけど、この至福を奪われる訳にはいかない。なので、ささやかな抵抗をする。


「もう、少しだけ……寝かせて……」


 すると、僕を起こそうとする声が止んだ。どうやら寛大な御心で二度寝を許してくださったようだ。誰かは存じませんが、感謝いたします。

 さぁ、許しは得た。後は、心ゆくまでたゆたうだけ。許され……るその時まで……。


「起きて、お兄ちゃん」

「かはぁっ!?」


 いきなり水中に引きずり込まれ酸素が失くなったのかのように息を詰まらせ、飛び起きた。あまりにもダイナミックな起き方をしたせいか、一瞬で頭が覚醒した。

 一体、何が起きたのか……理解が追いつかない。なので、早急に状況を整理しなければらない。

 ・僕は二度寝をしようとしていた。

 ・そこに誰かがやって来て、僕を起こそうとした。だから、ささやかな抵抗をした。

 ・すると、その誰かが二度寝を許してくれたと思いきや、とんでもなく罪深い呼び方をして僕を飛び上がらせた。

 そう、聞き間違いでなければ、僕の事を『お兄ちゃん』と呼んで……。注意深く辺りを確認する。今この場にいるのは自分と、


「おはようございます、お兄さん」


 都ちゃんだけだった。


「お、おはよう都ちゃん……朝、早いんだね」

「はい、早起きは三文の徳ですから」

「あー、早起きは良い事だよね。 うん、良い事だ……」


 都ちゃんの真っ直ぐな瞳の前に、視線をそらすしかなく渇いた笑みがこぼれてしまう。


「ところで、どうしてここにいるのかな?」

「紗枝さんに、お兄さんを起こしてきてと頼まれたんです」


 大体察しはついていたけど、やっぱり母さんの差し金か。都ちゃんが起こしに来たら、絶対に起きると思って頼んだな。くっ、汚い手を。

 まぁ、一先ずそれは置いといて。さっきの『お兄ちゃん』は都ちゃんが自分の意思で言ったのか。もしくは、母さんが言わせたのか。はたまた寝ぼけていたから聞こえた幻聴なのか……確認したい。だけど、昨日の件がある。またやむおえない事情からかもしれないし、何かの間違いで都ちゃんを傷つけて泣かせてしまうかもしれない。

 ここは、聞かなかった事にしてスマートに済ますのが大人の──ジェントルマンの対応だ。


「あのさ、都ちゃん」


 でも、僕はまだ大人じゃないし、ジェントルマンでもない。このまま有耶無耶にすれば気になって今夜は眠れない。そうなったら困る。だから、仕方ない。仕方のない事なんだ。


「ちょっと、いいかな?」

「はい、なんですか?」


 覚悟を決めろ……ウジウジするな。『さっき、お兄ちゃんって呼ばなかった?』って聞くぐらいじゃないか。ギャルゲーでいうところの選択肢をひとつ選ぶだけだ。カーソルを合わせて、◯ボタンを押す。簡単な事じゃないか。

 だから、出来る。出来ない訳がない!


「そ、その、さっ……き」

「ん?」

「き、今日のその服可愛いね!」


 今夜は暖かい牛のジュースにお世話になろうと思う。


「そうですか? いつもと変わらないので、自分ではよく分からないんですが、褒めてもらえて嬉しいです」


 ヘタレだったせいで都ちゃんの服を褒める結果に終わってしまったが、それはただのお世辞ではなく本当に可愛い。

 白のブラウスに、花の蕾みたいな形をした黒のスカート。印象的には、シンプルなゴシック調……でいいのかな?生憎、女の子の服について調べる趣味はないので、その辺はよく分からない。

 けど、何というか小学生が着るには少し大人びている服装だと思う。自分の小学生時代を振り返る限りでは、女の子の服装はTシャツに、無地(シンプルなデザイン?)のスカートが基本だった。分かりやすく言うとちび◯る子ちゃんみたいな。あれは……オーバーオールって言うんだっけ? いや、それは双◯じいちゃんか? ……何で女の子の服で双◯じいちゃんが出てくるんだよ。おかしいだろ。

 ともかく、こんなお洒落な服を着ている同級生はいなかった。僕の印象が古過ぎるせいか、若干背伸びしているように見えてしまう。

 でも、似合ってないなんて事はない。寧ろ、都ちゃんの綺麗な黒髪とお淑やかな雰囲気と相まって、何処かのお嬢様かと思ってしまう程だ。間違いなく似合っている。もう一度言うけど、似合っている。すごく可愛い。無宗教だけど神に誓ってもいい。

 昨日も似たような格好はしていたけど、あれはお出かけ用のおめかしした服だと思っていた。でも、さっきの発言で普段からこういう格好をしている事が分かった。

 最近の子はお洒落だって聞いた事があったけど、予想以上だ。まさか、リアルでラブとベリーな対決をしてるんじゃ……な訳ないか。


「あのう、お兄さん。早く準備しないと遅刻してしまいますよ」

「そうだね。 今すぐ……ん?」


 それは、妙に引っかかる言い方で、まるで僕が遅刻しそうな言い方だった。

 とはいえ、そんな細かい事は気にしなくていいか。


「どうかしましたか?」

「ううん、何でもない。 すぐ準備するよ」


 僕は都ちゃんに促されるまま学校へ向かう準備をしたが、未だにスマホのアラームは鳴っていなかった。




「すみません。朝からご迷惑をおかけしてしまって……」

「いやいや、全然そんな事ないっ! 寧ろ、一緒に行けて嬉しいよっ!」

「でも、本当ならもっとゆっくり出来たのに」

「それは……誤差っ! 誤差みたいなものだから! いつもと変わらないよ、ははぁ」

「ごめんなさい」

「あー……」


 平身低頭して謝る都ちゃん。その様子は酷く落ち込んでおり、何度も励まそうとしたが、良い結果は得られないでいた。まだ夏でもないのに、汗が止まらない。

 今は二人で一緒に学校に向かっている最中だ。ただし、向かっているのは都ちゃんが通う予定の小学校だ。


 事の発端は母さんのお願い──。


『あのね、シンちゃん。 お母さん、朝からちょーっと出掛けないといけなくなったの。 だから、代わりに都ちゃんを小学校に連れてって♪』


 僕がわざわざ早く起こされたのはこの為だった。アラームが鳴る前に起こしにきていたので、薄々何かあるんじゃないかとは思っていたが、随分と急な話だった。

 急に用事が出来たから仕方ないと言えば、それでお終いなんだけど、問題は都ちゃんがそれを知らなかった事だ。都ちゃんは僕が遅刻してしまうから起こしてきて欲しいとお願いされたと思っていた。でも、実際は自分を小学校へ連れて行く為に起こした訳で、本来なら僕は起きていない時間だった。

 だから、都ちゃんは朝から僕に迷惑をかけてしまったと責任を感じ、さっきからこの調子なのだ。


「本当にすみません」


 またしても謝まらせてしまう。僕としては、母さんが連れて行けない時点で他の選択肢はない訳で都ちゃんが謝る事なんて何一つない。

 それに、このまま何度も謝られるのは、僕のジェントルマンなメンタルによろしくない。なので、何か他の話題を出して、このループをどうにかしたい。

 無い頭を捻って必死に話題を考えていると都ちゃんのランドセルからぶら下げられたゆらゆらと揺れる物体が目に入った。


「それ、もう付けてくれてるんだね」


 勿論、付けていたのは昨日あげたトロまるのストラップだった。


「その、常に持ち歩いていたくて」

「気に入ってもらえて良かったよ」

「はい。 あと、大切なものですから失くしたらと思うと不安で……」

「ははは。 成る程ね」


 どうやら気に入っただけじゃなくて心配性なのもあるみたいだ。


「もし失くしてしまったら、どんな状況でも、どんな事をしても、必ず見つけます」


 必ず見つけるって。そこまで気に入ってくれているのは少し驚いた。まぁ、好きなものに対する情熱は分からなくもないけど、ちょっと大袈裟な気がする。それに、その考えは少し危なっかしくて心配になる。

 まぁ、都ちゃん程の良い子なら無茶な事はしないだろうし大丈夫だとは思うけど。


「そこまで必死になって探すって。相当好きなんだね。イメージとのギャップがすごいよ」

「……おすしマン、好きですから」

「昨日の夜もすっごく熱くなって話してたもんね。 まぐろんとトロまるの絆はすごくてモモゾノ三兄弟にも負けないだっけ?」

「あ、あれは、その、違くて……うー、忘れてくださいっ!」

「えぇー、あの時の都ちゃんすごく可愛かったのに」

「そ……そんな、事……ない、です」

「はは、また話しに来てくれていいよ」

「か、え、その……あの、考えておきます!」


 今の反応、昔のSF映画の不測の事態に取り乱したロボットみたいで可愛いかった。きっと、こういう子が妹なら目に入れても痛くないんだろうなぁ。

 なんかこれ親バカみたいだ。いや、妹ならって考えてるから兄バカか……冷静にどっちでもいいか。


 それからは会話が弾み、さっきまでのどんよりした空気は嘘のように消えた。

 再度おすしマンの話題を出すとちょっとむくれてたけど、気にしないでおく。きっと、繊細な子ども心だ。そっちは迂闊に触れてはいけない。

 それにしても、ナイスだ! トロまる!

 二日連続でお前に助けられるとは思わなかった。君の事をちゃんと知って、まだ少ししか経っていないけど、すごく近くに感じるよ。まさに僕にとって幸運の青い鳥だ。愛して……はいないけど、親友ぐらい大切に思ってるよ。多分。




 そして、話しながら歩く事、約二十分。楽しい時間はあっという間に過ぎ、小学校に到着した。

 三年前まで、ここに通っていたので、職員室の場所は分かる。なので、都ちゃんを職員室まで送り届けようとしたが、母さんが学校への連絡を怠っていたせいで校門の警備員の方と少々話す事になった。幸い母さんに電話が繋がって何とかなったから良かったものの連絡ぐらいちゃんとしておいてほしい。(いつもはほぼ繋がらないので運が良かった)

 そのせいで少々タイムロスをしてしまったが、その後は何事もなく無事職員室前に到着した。これで、ミッションコンプリート。僕の役目はお終い──と思ったけど、そうでもなかった。

 さっきまで楽しく話していた姿はいずこへと聞きたくなる程都ちゃんの表情はカチカチになっており、いつの間にか僕のシャツの裾をギュッと掴んでいた。言うまでもなく緊張している。しかも、ドがつくレベルで。

 そうだよね。ただでさえ職員室に入るのは緊張するのに、転校初日だと余計に緊張するよね。その気持ち分かるよ、と共感している場合じゃない。さっきのタイムロスのせいで時間が押している。なので、ここで時間を食っていると僕が遅刻してしまう。

 心の準備をする時間をあげれないのは申し訳ないけど、早急に済まさないといけない。本当にごめん。

 せめてもの気持ちで職員室の扉は僕が開けた。


「失礼します。 五年一組の秋房先生はいらっしゃいますか?」


 さっき電話で聞いた都ちゃんの担任になる先生の名前を呼ぶ。すると『は、はいっ』と裏返った声と共に茶髪のロングヘアーで黒縁の眼鏡をかけた女性がこちらへと向かってきた。

 こちらへ来る途中、何もない場所で転び、えへへと笑って誤魔化していた。ついこの人で大丈夫なのか、と少し心配になった。


「は、はじめまして! わわ、私が、担任の秋房紅羽ですっ!」

「保護者代理で来ました。 黒川真一です」


 この方も都ちゃんと負けず劣らず緊張なさっているようだった。

 見たところ僕とそんなに歳が離れていないように見える。二十代前半なのは間違いない。けど、前に何処かで高学年の担任は教員生活に慣れ始めた人を選ぶと聞いたし、こう見えて実は結構勤務している方だったりするのだろうか。


「今年からっ、教員になりましたが、全力で頑張らせていただひみゃふっ」


 噛んだ──じゃなくて見た目通り新任の先生だった。

 僕が気にするような事じゃないけど、本当に大丈夫なんだろうか。もうすでに学級が……いやいや、流石にそれは失礼すぎる。幼い頃から習ってきただろ。人を見た目だけで判断しちゃいけないって。

 それに、教壇に立ってチョークを手に持つとギラッとした目つきになって性格も変わり、敏腕イケイケ教師になるのかもしれない。……亀有のお巡りさんの見過ぎかな。

 ともかく、失礼な事を考えてしまったのは悪い事だ。失礼極まりない自分を戒め、心の中で謝罪する。


「あの私の顔に何か付いてますか?」

「わっ!?」


 その最中、つい秋房先生の顔を見つめていたせいで、顔を覗き込まれグッと距離が近くなる。急な出来事に驚き、慌てて後退りをする。

 そのまま狼狽えていると後方から聞き覚えのある嫌な声がした。


「なーに秋房先生に見惚れてんだ、黒川」

「げっ、小田山……先生」


 この体格が良く如何にも汗臭い熱血漢という言葉が似合う短髪の男は小田山隆二。僕が四年生だった頃の担任だ。

 すごく馴れ馴れしく接してくるが、仲が良かった訳じゃない。寧ろ、嫌いな方だ。ただ小田山は、僕にとって忘れ難いアレを知っている。だから、やたらと僕に関わろうとする。それは学年が変わってからも変わらず、ひたすら僕に声をかけてきた。それで、今でも僕の事を覚えていたのだろう。

 まさか、まだこの学校に居たなんて……最悪だ。


「まぁ、仕方ないか。秋房先生みたいな人は、お前のタイプだもんな」

「へっ、えぇーっ!?!?」

「──っ!」

「なっ、いきなり来て変な事を言うなっ!」


 小田山の特徴の一つ、思った事をそのまま口にする。それはあまりにも遠慮がなく場の空気を微妙にする最悪な特徴だ。その上、本人は無自覚。なんて迷惑なんだろうか。

 お前がそんな事を言うから秋房先生が顔を真っ赤にして、困惑しているじゃないか。さっきから無言のままの都ちゃんだって驚いて手を力強く握っている。

 確かに、秋房先生みたいな少しタレ目で優しい雰囲気のあるお姉さんは好みだ。髪も綿菓子みたいにふわっとしていて、許されるならその感触を直接触って知りたい。きっとあまりのふわふわ感に僕は悶絶し、感動の涙が止まらず、今生の未練はなくなるだろう。

 なんてバカな事を考えている場合じゃない。このハチャメチャな空気どうするんだよ……。


 ──キーンコーン、カーンコーン。


 この緊急事態をどうしようかと悩んでいると予鈴が鳴った。


「まずいっ、学校に遅れる」

「学校に遅れるって、ここが学校だから間に合ってるぞ?」

「僕が小学生ならな」

「おい、待てよ。 小学生とは限らない。 教員でもだぞ」

「はは、一本取られた気分になったよ」


 自然と渇いた笑いが出る。

 やっぱり、小田山のわざとらしいボケと揚げ足取りは腹がたつ。きっと、馴れ馴れしくなくても嫌いになっていた。言い切れる。

 この熱血バカに言いたい文句は山程あるが、今はそれどころじゃないので目を瞑る。


「秋房先生、都ちゃんをよろしくお願いします。 それじゃあ、都ちゃん学校頑張ってね」


 小田山には言葉ではなく睨みをプレゼントし、職員室を出る。


「ったく、黒川のやつ。 わざわざアイコンタクトなんかしやがって……おう、俺に任せろ! がっはっはー」


 後方からすごく気味の悪い言葉と高らかな笑い声が聞こえたけど、精神衛生上よろしくないので聞かなかった事にする。ほんと嫌いだな……あいつ。

 校門を出たところでスマホを取り出し、時間を確認する。


「ん……青二からメールか。 とりあえず、返してと……まずいっ、時間、時間」


 まだ半過ぎ。ここから高校までは歩いて二十分程で着く。だから、走ればHR中には着けるだろう。それは、遅刻とあまり変わらないけど、歩いていくよりはマシだ。それに、慈悲はもらえる。

 もう一刻の猶予もないので勢いよく地面を蹴り、ノンストップで高校まで駆け抜けていくつもりだったのに……。


「そんなところで何してるの?」

「別に。 何も」


 走り出して数分。道端でランドセルを背負ったまま立ち尽くしているサイドテールの少女を見かけた。見たところ都ちゃんと同じぐらいの歳だ。

 特に何か困っている様子には見えなかったけど、この時間にこんなところにいるのは明らかにおかしい。普通なら、もう学校にいる時間だ。

 それで、放っておけなくて声をかけたんだけど、少女からはあっさりした返事が返ってきた。


「えーと、学校に行かなくていいの?」

「お兄さんには関係ない」


 お兄さんか。やっぱり、普通の呼び方だ……じゃなくて。

 再度、あっさりした返事にちょっぴり切なくなる。でも、この子の言う通りだ。

 僕はこの子と知り合いでも何でもない。正直、この子が学校に行こうが、行かまいが、どうだっていい。行くように説得しても何の得にもならないし、この子にも何か事情があるのかもしれない。

 それに、僕だって他人に構っているような時間はない。だから、何事も無かったのように立ち去るのが正解だ。

 少女を横目に駆け出す。だが、しかし。


「放っておけないよなぁ」


 見なかった事にして立ち去ろとしたが、踵を返し、再度少女の元へ戻る。

 世知辛い世の中で下手したら通報されるかもしれないし、お節介なのは分かっているけど、無視していくなんて冷たい事は出来ない。

 とはいえ、何の策もなく話しかけては同じ結果になるのは目に見えている。なので、近くの自販機で缶ジュースを買ってから少女に話しかけた。


「はい。 これ」

「知らない人からジュースなんて貰わない」

「まぁ、そう言わずに。 今、目の前で買ったんだし変なものは入ってないよ」

「………」

「ほら。 いいから、いいから」


 少女は僕が引かないので、渋々缶ジュースを受け取った。


「で、ずっとここにいるの?」


 自分の分も買っていたので、それを喉に流し込みながら、少女に問う。


「なんなの。大声で叫んで欲しいの?」

「それをされたら困るけど、そうなったら君は学校に行く事になるね」

「……ウザっ」


 心の底からそう思ったのだろう。まるで、親の仇を見るような鋭い目つきで睨まれた。それは、子どもとは思えない凄味のある目で、同い年ならビビって卒業まで話せなくなるところだった。

 僕は動揺を誤魔化すように、ジュースを喉に流し込む。少女もそれに合わせるようにジュースを飲んだ。

 しばらくの間、ずっと睨まれていたが、急に睨むのをやめ、観念したように話してくれた。


「あたしさ、よく遅刻するから警備のおっさんに目を付けられてるの。 んで、遅刻する度に鬱陶しいお説教をされる。 それが嫌だから、ここで時間を潰してたわけ」


 説教されるのが嫌でこんな所で時間を潰しているだなんて何とも子どもらしい理由だ。可愛い。


「なのに、今はお節介な人に絡まれて鬱陶しい思いをしてる。 素直に学校に行けばよかったよね」


 前言撤回。やっぱり、可愛いくない。


「それは、ごめんね。 でも、僕がお節介を出来たのは君が遅刻してくれたおかげだからね」

「……ッ!」


 少女に対して自分に出来る精一杯の笑顔を見せる。それに睨みを返してくる少女。少女との間に見えない火花がバチバチ鳴っているのが分かる。まさに、スパーキング! 今にも、ハチャメチャが押し寄せて来そうだ。


「ほっんとウザい!」

「いやぁ、それほどでも」

「それがウザいの!」


 僕の煽りに対して、怒りを露わにする少女。こちらとしても、このまま言い合いになっても一向に構わないっ! ……と言いたいところだけど、僕は少女の問題を解決する方法を知っている。なので、これ以上の無駄な争いはやめようと思う。……冷静に、大人げないし。


「ところで、もし警備員に会わずに学校に入れるとしたら、行く?」

「は?」


 ──数分後。


「良かった。 まだある」


 僕は少女を連れ、小学校の裏手にある小さな畑へと来ていた。ここは、学校が作った小さな畑で、元々は授業で使う予定だったらしい。けど、指導要領が変わったとかで使わなくなった。それで、使い道もないまま、ずっと放置されている。


「ここの柵を越えて行くわけじゃないよね?」

「まさか。 ここじゃ監視カメラに見つかる。 カメラの位置を把握して侵入するのはスパイの基本だよ」

「…………」

「冗談。 もっと楽に入れる場所があるよ」


 ちょっとした冗談なのに、可哀想なものを見る冷たい目を向けられた。少しぐらい付き合ってくれたってバチは当たらないというのに。全く、これがジェネレーションギャップってやつか。最近の子はロマンがないな……いや、女の子だからか。

 それは、さておき。この畑には小さな林が隣接している。目的の場所はその中だ。

 畑周辺を見張る監視カメラの死角を通り、林の中へ入る。


「ここだよ」


 目的の場所。それは隣接した林と畑の伸びきった草で柵が隠れている場所だ。そこの柵は一見普通の柵に見えるけど、一部だけ外れて穴が開く。いや、開くように作り替えてある。


「これ、お兄さんがやったの?」

「僕じゃないよ。 やった張本人は知ってるけど」


 これをやったのは小学校時代からの僕の悪友だ。偶々、壊れている柵を見つけて、『ここに秘密の抜け穴を作っておいたら、いつか使えるかもしれない!』というしょうもない理由で改造したのだ。

 やった張本人は『お城の抜け道みたいでかっこいいだろ!』と、ご満悦だった。因みに、在学中は一度も使う事なく秘密のまま終わった。

 まさか、こんな形で役立つ日が来るとは思わなかった。世の中、どんなに無駄だと思えるものでも、いつかは誰かの役に立つのかもしれない。……そんな訳ないか。

 ともかく、これで少女は無事学校に行き、僕も気兼ねなく行ける。


「それじゃあ、後は適当な言い訳をして頑張って」

「うん、ありがとう。 お兄さん」


 予想外の素直なお礼にぽかんとなる。もっと憎たらしく、皮肉を言ってから去ると思っていた。どうやら、根は素直で良い子なのかもしれない。

 僕はそれに対して親指を立て、幸運を願い、立ち去ろうと振り向き歩き出すと、


「なんて言うかっ! ヴァーカ!ヴァークァ! あたしは炭酸の方が好きなんだよ! 覚えとけっ! べぇーっ!」


 と、言われた。

 後ろを見ていないのに、憎たらしい顔が容易に想像できた。

 本当に可愛いくない。どうして僕はこんなにも可愛いげのない子の為に遅刻する道を選んだのか。不思議で仕方ない……まぁ、後悔はしてないけど。

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