チャプター 1-2


 あの後、都ちゃんに町の案内(商店街と駅前付近)を無事に終え、帰宅。

 そして、いつもより賑やかな夕食をし、今は自室へと戻ったところだ。


「楽しい……か」


 公園での一件。どうして都ちゃんはいきなりあんな事を聞いてきたのか、皆目見当もつかなかった。

 確かに、今の僕には"楽しい"と思える事はない。だからといって病んでるみたいに何もかもをつまらないと感じている訳じゃないし、それを態度に出したりもしていない。至って普通のはずなのに。


「昔、会った時に何か言っていたのかな」


 すっぽり抜け落ちたように覚えていない都ちゃんと初めて会った時の自分。そのせいか本当は都ちゃんと会っていたのは自分じゃないのかもしれない。まるで、もう一人の僕がいたみたいだと思ってしまう。


 いや、そんな思春期の拗らせた妄想みたいな事を考えるのはやめよう。この科学とインターネットが発達した現代で、中二病は流行らない。それこそ意識してなりきらないと無理だ。


 何か別の事を考えよう。気晴らしにスマホを開くと好きなマンガ家の新作が発表さていた。そのタイトルは──。


『貴方の妹にしてください』


 何の悪戯か、気持ちを切り替えようとしたのに、都ちゃんの発言が頭を過る結果に。

 はぁ、とため息が出る。これも、問題と言えば問題だ。

 今朝は緊張から言ってしまったと納得したけど、公園での様子を考えると昔の僕が関係しているかもしれない。何となくそう思ってしまう……流石に、考え過ぎかな。

 でも、あの時の悲しげな顔が頭から離れない。


「あーもう、なんかモヤモヤしてきたな。 こうなったら」


 やり場のないこの気持ちをどうにかする為に、いつものアレをやろうと思う。

 まず、今夜の主役となるものを探す。出来ればスタイルの良いものがいい。よし、この間手に入れたこれにしよう。

 次に、真っ白な紙を準備し、手の届く範囲へと置く。これからすることにおいて紙は必要不可欠だ。無いと始まらない。いや、始められない。

 あと、手も汚れるから個人的にはウエットティッシュもあればベストかな。

 それから、道具の選別をする。ここは、慎重にじっくりと考え、目的に合わせて選ぶものなんだけど、どうせ少しの時間しかしないから使い慣れたものを選ぶ。中には何時間もやるから、ギンギンに尖らせる為の専用のものを用意する人もいるとか。僕は、そこまでのこだわりはないから市販のもので済ませている。

 というか、その辺はネットや雑誌で調べたりしたけど、僕は素人の延長線みたいなものだし、あまり気にしないようにしている。


 道具を選び終え、これで準備完了。さっそく、始めよう。

 最初は優しく撫でるように、さっと。ここで、いきなり力を入れると後々後悔する羽目になる。あくまでさーっと、さーっと、デリケートに。子猫だって優しく触れられる方が良いって前にテレビで言っていたし、これも同じだろう。……違うか。

 満足のいくエンディングの為に20分間の無心で手を動かす。

 そろそろ、終着点が見えてきた。手も大分あったまってきたし、少し力強く。でも、傷つけないように配慮してと。

 あと、道具のチェックも入念に。丸みを帯びてきたら尖らせる。こうすると上手くいく……当たり前の事か。

 また入念に手を動かす。もう充分に形は整ってきた。しかし、ここで油断してはいけない。

 折角、ここまで丁寧に仕上げてきたのに、早く仕上げようと焦って台無しにしては失敗するどころか今夜の主役にも失礼だ。ここからは、より丁寧に、更に時間をかける。

 十数分後。いよいよ、クライマックスだ。いくら慣れているとはいえ、この瞬間は未だに緊張する。毎度ながら、こんな時ぐらいしか使わない机ってどうかと思う。


「ふぅ。 やりきった」


 無事、いつものアレを終了。今回も良い気分転換になった。さて、後は紙と今夜の主役を片付けるだけだ。


「あのう?」

「わぁ゛ーっ!?!?」


 不意に背後から声をかけられ驚く。いつもならこんなに驚く事はない。けど、今回は声をかけてきた人物が人物なだけに……今にも心臓が爆発しそうだ。

 恐る恐る背後に顔を向けると、案の定そこにいたのは都ちゃんだった。しかも、パジャマ姿の。

 ごくりと唾を飲み込む。髪からほんのり爽やかな柑橘系の香りがして、顔が少し火照っている。きっと、お風呂上がりなんだろう。

 しかし、今はそれよりも都ちゃんの髪に惹かれた。その……すごく綺麗だった。

 今朝も思ったけど、都ちゃんの髪には天使の輪がくっきりと見えている。これは、髪を美しく見せるキューティクルが綺麗に整っている証拠だ。キューティクルは熱や刺激に弱く、きちんとヘアケアしていないと保てない。だから、維持するのはすごく大変な事なのだ。

 だが、それを乗り越えたからこそ髪は美しく、綺麗に輝く。直接、触った事はないから確証はないけど。見るからにサラサラなその髪の触り心地はシルクのようになめらかで、手に絡め指の隙間をするりとすり抜ける感触は胸を幸せでいっぱいにしてくれるに違いない。あぁ、先端だけでも良いから触りたいなぁ……。


 頭の中が欲望で支配されていく。


「ご、ごめんなさいっ。 驚かせるつもりなかったんです。 ちゃんとノックはしたんですけど、気付いてないみたいだったので……」

「え、あ、そうだったんだ。 ごめんね、気付かなくて……。 で、どうしたのかな?」


 魅力的な天使の至宝を前に、つい屈してしまいそうになったが、都ちゃんの声で正気に戻る。

 み、未遂っ!?いや、まだ触れてすらない!妄想だけで、まだなーんにもしていないっ!!

 ……いや、ほんと気をつけないとな。こんな邪な気持ちで触れたら、非紳士的行為で一発退場だ。今後の2人の関係の為にもフェアプレーポイントは大事にしないと。


「お風呂が空いたので、紗枝さんにお兄さんを呼んできてと頼まれたんです」

「そうなんだ。 うん、ありがとう。 すぐ行くよ」

「ところで、何をしていたんですか?」


 思わず体がビクッとなる。

 まずい……都ちゃんのいる位置からだとまだ見えていないはずだから大丈夫だと思っていたけど、ノックしても気付かない程、何かに集中していたら、そりゃ気になるよね。

 困ったな。今、机の状況を都ちゃんには見られる訳にはいかない。

 どうする。宿題に集中してたとかで適当に誤魔化すか。いや、変に嘘をつくと予期せぬ事態で首を絞める事になるかもしれない。それなら、何かインパクトのある事で、注意を逸らし有耶無耶にした方がいいか。


 机にあるインパクトの……っ!!

 よし、灯台下暗し。逆転の発想。見られたくないのなら、逆に見せるっ!だ。


「あのね、都ちゃん。 驚かないでね」

「え、それどういうことですか?」

「こういう事だよっ!」


 拳を握りしめ、覚悟を決める。上手くいくかわからないけど、これに賭けるしかない。一か八かだ!

 そのまま勢いよく、都ちゃんに今夜の主役を見せる。


「な、ななな!? ふあっ、これ、これぇ!!」

「あははぁ。 やっぱり、好きだったんだね」

「はいっ! すっごく好きです!! おすしマン!!」


 今夜の主役ことおすしマンのストラップを前に大興奮する都ちゃん。その年相応な反応を見ていると、笑みが溢れる。

 おすしマンとは夕方にやっている子ども向けのアニメだ。確か、キャッチフレーズは『みんなを繋ぐ握り一丁!』だったかな。

 ストーリーは主人公のまぐろんが町のみんなを助けるヒーローもので、色んなキャラの主義主張が交錯するらしく、子ども向けとは思えない深いやり取りがあるとか。

 因みに、見た目はそれなりに可愛いが子どもへのウケはそんなに良くない。でも、根強いファンのおかげで、今も放映されている。


「これシークレットのトロまるですよね! 初めて見ました!」


 瞳を輝かせ興奮冷めやらぬな都ちゃん。これなら上手い具合に注意を引けそうだ。


「詳しいんだね。 もしかして、このキャラが1番好きだったりする?」

「はい! おすしマンには素晴らしいキャラクターがたくさんいるんですが、その中でもトロまるがダントツで好きで」


 都ちゃんが熱く語り出すタイミングを見計らって、背後に手を回し、机の上の本当に隠したいものをさっと引き出しの中へとしまう。


「トロまるが初めて登場する回はDVDで何度も見てます。 トロまるはまぐろんの生き別れた弟で」


 こちらの動きに全く気付かず饒舌に話している都ちゃんを見て、ほっと安堵のため息をつく。無事、作戦は成功した。一時はどうなる事かと思ったけど、喉元過ぎればなんとやら。バレなくて良かった……まぁ、別にバレても、ちょっと恥ずかしいだけなんだけど。


「お兄さん、聞いてますかっ?」

「う、うん! もちろん聞いてるよ!」

「本当ですか? あやしいです」


 頬を膨らませ、ジトーッとした目つきで見てくる都ちゃん。好きなものの事になるとこんな顔をするんだ。可愛い。

 あまりの可愛さに、つい笑ってしまう。


「あっ、今なんで笑ったんですか!」

「ごめん、ごめん、ついね。 そんなに好きなら、これあげるよ」

「えっ、いいんですか!? こんな高価なものを貰っても……」


 ストラップを貰うだけなのに、鳩が豆鉄砲を食らったかのように驚く都ちゃん。が、しかし、それも束の間で、一気に申し訳なさそうにしゅんとする。僕からするとそれはすごく不思議な反応に見えた。

 だって、これは商店街の会長が好みで入荷したものの、全然売れず、在庫を抱えて困ってるからと無理矢理買わされた代物だったからだ。とても高価な代物とは思えない。

 まぁ、それは余計な情報なので黙っておく。


「全然いいよ。 ほら、トロまるも好きな人が持ってくれてる方が喜ぶだろうし」

「でも、何か良い事をした訳でもなく、誕生日でもないのに、人から物を貰うなんて……でき、ません」


 白間家では意外と厳しい教育をなさっている事に少し驚いた。でも、だからこそ、ここまで律儀で優しい子に育ったのだろう。


 都ちゃんは俯きながらストラップを返してきた。


 そんなに名残惜しそうにストラップを返されると、尚の事プレゼントしたくなる。受け取ってもらえるような何か良い理由があればいいんだけど──そうだ。


「じゃあ、都ちゃんが家に来た記念にあげるよ」

「私が来た……記念ですか?」

「そ、今日を記念日にしようよ。 僕と都ちゃんだけの特別な日」


 唐突な記念日宣言に、都ちゃんがぽかんとしている。その反応で言葉足らずな自分のミスに気付いた。


 結果は、まだイエローカード。ギリギリ耐えている……はず。よくよく考えると『僕と都ちゃんだけの』は完全に蛇足だ。

 ふと目に入った恋愛マンガのセリフを参考にしたんだけど、どうやら僕にはまだ早かったらしい。華麗に大人の階段をズッコケ落ちてしまった。


「そ、そのね! えーと……これから都ちゃんと一緒に暮らせるのは僕も嬉しいからね」


 でも、都ちゃんがうちに来てくれたのが嬉しいのは本当の事だ。それに、言いたい事は何となく伝わっているだろうし、問題ない……はず。


「ふあっ……ありがとうございます。 大切にしますね」


 ストラップを受け取り、目を細めて嬉しそうにお礼を言う都ちゃん。その笑顔は何処か懐かしい気がした。デジャヴってやつかな。

 とりあえず、レッドカードじゃなくて一安心だ。


「それじゃあ、そろそろお風呂に入ってくるよ」

「あ、あのお兄さん!」

「ん、どうしたの?」

「その……また後で、ですね。 その……おすしマンのお話をしに来てもいいですか?」

「話し相手が僕でいいなら」

「ふあっ! ありがとうございます!」


 ぺこりと一礼し、自分の部屋へと戻る都ちゃん。後ろ姿からも分かる上機嫌っぷりは、見ていて微笑ましい光景だった。

 そっか、そんなにも好きなもので話せるのが嬉しいんだ。

 まさか、写生が日課なのを隠す為に見せたトロまるのストラップがこんな形で役立つなんて。お米が好きって言ってたからおすしマンも好きじゃないかな、と何となく思っただけなんだけど。ここまで上手くいくのは予想外だった。

 それに、トロまるのストラップを写生の対象にしていたのもラッキーだった。咄嗟に思い付けたのもそれのおかげだし。噛み合いが良いというか何というか。運命すら感じてしまう。

 それにしても、おすしマン……か。そんなに良い作品なのかな。また今度見てみようかな。


 ♪


 都はとあるアプリを使い、日記をつける事を日課としている。

 そのアプリは音声入力で書き込む事が出来る。なので、字体は台本のセリフのように書かれる。それは、まるで感情を込めているかのように。

 さらに録音もでき、その日の心情をそのまま残せる。それは都にとってとても大事なことだった。


 -都の日記-


 4月15日 今日、お兄さんと再会できました。ずっと会いたいと思っていたので、すごく嬉しかったです!えへへ。

 ただ、お兄さんが私の事を忘れていたのは残念です……。当たり前ですが昔会った時とは少し変わっていました。良い意味でも、悪い意味……でも。

 それでも、お兄さんは優しいお兄さんのままです。あの時と何も変わっていません。

 だけど、あの事を思い出してくれないと……。

 また後で、お話をするのでそこで思い出して……なんて物語みたいに上手くいくわけないですよね。

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