チャプター 1-1
件の少女をリビングへと招き入れ、ダイニングテーブルへと座る。勿論、僕の対面は母さんで、被害者であろう少女は隣だ。
そして、容疑者(母さん)を問いただす為の家族会議の開廷だ。本当は朝っぱらから人を疑うような事はしたくないけど、今は緊急事態だ。やむなし。
「さてと……説明してもらおーか、母さん」
「説明? 何の?」
「この子の事だよ」
首を傾げ不思議そうな顔で返事をする母さん。これは、惚けているのか、はたまた本気で分かっていないのか。いや、今はそんな事はどっちだっていい。こっちはいきなりあんなにも心臓に悪い事を言われたのだ。事情を聞かなければ納得がいかない。
「そういえば、シンちゃんには言ってなかったわね。その子、今日からうちで預かることになっているのよ♪」
聞かなくても分かる程るんるん気分な母さんを前に唖然とし額を抑えてしまう。
「いや、それもなんだけど、そうじゃなくて。 あと、シンちゃんはやめてくれって言ってるだろ」
シンちゃんと呼ばれると某ロボットアニメの主人公が頭をよぎってしまう。別に、その主人公が嫌いって訳じゃないし、残酷な天使の歌は僕も好きな方だ。でも、何となく抵抗がある。きっと、心の問題だ。
それに、今年から高校生になるのに、未だに母親からのちゃん呼びは厳しいものを感じる。周りの視線とか、不審がる目とか、鋭い眼光とか。
「えぇー、シンちゃんはシンちゃんなのにー」
「あぁ、もう! そっちはまた今度話すから! 今は、この子の話が先だよ!」
「先と言われても、ねぇ……んー、あっ!」
ようやく話を理解してくれたのか。母さんは、わざとらしく両手を打ち合わせて鳴らした。
「その子は、私の親友の愛娘の白間都ちゃんよ」
そんな事はなかった。
「だーかーらぁ!」
「小さい頃に一度会ってるんだけど、覚えてない?」
「あれ? そう言われてみれば……そんな事が、あったような」
確か、八歳の時に母さんの親友のところへ旅行に行って……それで、その親友の家で娘の……を……探して、公園に……そこで……。
ダメだ。靄がかかったみたいに、よく思い出せない。
「もしかして、忘れちゃったの? シンちゃんひどーい」
「しょうがないだろ。 もう何年も前の事なんだから……って、ちっがーう! 今は、そんな事より、どうして! 僕の! 妹にしてください! なんて言わせたのか聞いてるんだよっ!!」
ついテーブルから身を乗り出して、大声で怒鳴ってしまう。こんな朝早くから大声を出すのは近所迷惑もいいところだが、今はそんな些細な事には構ってられない。
「え、何の話?」
きょとんとして目を丸くする母さん。そんな、まさか本当に知らない……!? こんなおかしな事を言わせたのは、てっきり母さんだと思っていた。じゃあ、一体誰が……。
母さんの反応に困惑していると隣からTシャツの裾を掴まれた。
「ご、ごめん、なさい……っえぐ」
そして、瞳を潤ませた都ちゃんが、今にも消えてしまいそうなか細い声で謝ってきた。状況が理解出来ず、壊れたレコードのように『え、あ、えぇ?』と同じ反応を繰り返し、あたふたしていると、母さんが茶化すように糾弾してきた。
「あー、いーけないんだ、いけないんだー。 シンちゃんが泣ーかしたー。 いきなり怒って、泣ーかしちゃったー」
「う、うるさいなっ! 別に、怒ってないし、泣かせるつもりなんかなかったし……」
気まずさからか、そっぽを向いてしまう。
だって、泣かすつもりも怒ったつもりもなかったのは事実だし、その、何というか……不可抗力みたいなもので。いや、今はそんな事よりも、どうしていきなり泣き出したのか聞く方が先だ。怒鳴ったのが関係ないといいんだけど……。
「その都ちゃん、どうして泣いてるのかな?」
「えっぐ。 私が……づい、へ、んな……こと、言っぢゃった……から。 お兄さんが、う、ゔぅ……大きな、声で……。 お、こらせて……あ゛、う……」
やっぱり、関係していた……最悪だ。
一旦状況を整理する為に、さっきの玄関での出来事を思い出す。
あのガチガチに固まっていた様子からすると、いざ知らない家に来ると緊張してしまい、その結果、あんな語弊がある挨拶をしてしまった。うん、そうに違いない。
僕だって緊張したら頭で思っている事と口に出している事が違うのを経験した事がある。それと同じ。つまり、ただの悲しい事故だった。
なのに、声を荒げて……こんな小さな子を泣かせてしまった。あぁ、ほんとに最悪だ。
「急に、怒鳴ってごめんね。 別に、怒ったとかじゃなくてね。 母さんが都ちゃんに無理矢理言わせてたんじゃないかって疑ってただけなんだよ」
「えぇー、いきなり疑うなんてひどーい」
「母さん。 日頃の行いだよ」
日頃から母さんは無茶苦茶な事をしている。今はそれどころじゃないから、その話は割愛する。
「だから、都ちゃん。 もう泣かないで」
「……うっぐ……はい……」
泣きじゃくる都ちゃんの涙をティッシュで拭ってあげるとすぐに泣き止んでくれた。とりあえず、一安心だ。
さて、都ちゃんの事で、母さんに聞きたい事はまだまだあるけど、
──ぐぅ〜ぎゅるるっ。
と、お腹の虫が我慢できないと雄叫びを上げた。奇遇なことに隣からも聞こえた。
「あらあら、二人とも。 そうよね、朝ごはんにしましょうか」
これにて家族会議は閉廷した。
「はふぅ、ごちそうさまです。とてもおいしかったです」
お茶わんいっぱいのご飯を二杯に、目玉焼きとウィンナーとサラダ、昨日の残りの肉じゃが、味噌汁をペロリと平らげた都ちゃんが満足気に呟く。
「ふふっ、お粗末様でした」
都ちゃんのとても良い食べっぷりを見た母さんはご機嫌になっていた。料理人は料理を美味しそうに食べてもらうと嬉しくなるとは聞いた事があるけど、ここまで嬉しがるものなんだろうか。今にもミュージカル映画の登場人物のように歌い出しそうだった。
さて、充分に腹ごしらえは済んだので話を再開しようと思う。
「で、母さん。 どうして都ちゃんを預かることになったの?」
「それはね──」
「私に説明させてください」
理由を話そうとする母さんを制止し、都ちゃんが立ち上がる。
「改めまして、白間都です。 今日からこのお家でお世話になります。 ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「……あ。 黒川真一です。 こちらこそ、よろしくお願いします」
自己紹介後、ぺこりとお辞儀をされた。あまりにも丁寧な対応だったので、ついこちらも同じように返してしまう。
……ふつつか者なんて言う子、リアルで初めて会った。そういう礼儀正しい子って本当にいるんだ。未知との遭遇を果たせたみたいで、ちょっと感動した。
「まず、さっきは変な事を……言ってごめんなさい。 し、しん……あ、その……あ、の」
またも丁寧に深々と頭を下げ、謝罪をされた。
ここまで律儀だと申し訳ない気持ちになる。さっきのは悲しい事故だったし……ん?
視線をチラチラ泳がせ、困惑したような様子の都ちゃん。それは、まるで何かを尋ねたいけど、聞くに聞けず遠慮しているみたいだった。
一体、どうしたんだろう? 僕の顔を見て……あ、そういうことか。
「名前なら好きに呼んでくれていいよ。 こっちはもう都ちゃんって呼んでるし」
そういえば、さっきも僕か確認するだけなのに緊張──もとい名前を呼べなかった。
これは、僕にも覚えがある。幼い頃、年上の人や異性の名前を呼ぶのに、恥ずかしいというか、申し訳ないというか……遠慮のような妙な抵抗感があった。だから、『真一』と呼べないんだろう。
たかが名前の呼び方で何を言っているんだと思うかもしれないが、こちら側からするとされど名前の呼び方、恥ずかしくて無理なものは無理なのだ。きっと、この気持ちはシャイ経験者もしくは現ホルダーにしか分からない。
とはいえ、都ちゃんには名前を好きに呼んでもらいたい。だから、僕からは呼び方を指定しない。……無いとは思うけど、シンちゃんだけはやめてほしいな。
「は、はい。 それじゃあ、とりあえず……お兄さん……で」
「かはっ!?!?」
上目遣いをしながら僕の呼び方を決めた都ちゃん。図らずもその一言は、僕の思考を一瞬でフリーズさせた。そして、追い打ちをかけるように、ボディブローと同等。いや、それ以上の衝撃が頭の中に走る。
確かに、好きに呼んでくれていいって言った。言った、けども。
「あのダメでしょうか?」
「あ、いや、いい! 全然いいよ! ……ちょっとびっくりしただけだから」
その呼び方は、犯罪的すぎるっ……! だって、都ちゃんとは血が繋がっていないどころか義理の関係もない。なのに、お兄さんって……。それじゃあ、まるでさっきのお願いが本当になったみたいじゃないか。
待て、落ち着こう……。ここは、冷静に、クールに、ロジカルシンキング(合っているのか?)に考えるんだ。昔、偉いレスラーは言った。どんな想定外の事態でも落ち着いて対処すれば『へのつっぱりはいらんですよ』と。言葉の意味はよく分からないが、すごい自信だ! ……本当にそんな事、言ってたかな。
ともかく、相手は子ども。お兄さん呼びに深い意味はない。仮にあったとしても近所の仲の良い男性をお兄さん呼びするのと変わらない。それにキャッチのメイドさんだって平気でお兄さんって呼ぶ。つまり、お兄さん呼びは世間一般では普通なのだ。そう、普通。
だから、何も悪い事なんてないし、やましい気持ちなんて抱かない。よし、大丈夫。僕は正常だ。
「あのどうしたんですか?」
「うぇ、なっ何でもないよ! ほんと何でもないから! あ、玄関での事はほっんとうに気にしなくていいからね、都ちゃんは何も悪くないから!」
もし悪い人がいるとしたら一人だけだ。
都ちゃんから母さんへと視線を移す。当の本人は何故視線を向けられたのか分かっていない様子だった。
そもそも、母さんが予め都ちゃんの事を教えてくれていれば、こんな事態には──いや、そんなもしもの話をしてもどうにもならないか。
「ところで、都ちゃんはどうしてうちに?」
「母の仕事の都合で外国で暮らさないといけなくなったんです。 でも、どうしても日本を離れたくなくて……。 それを母に言ったら、親友の紗枝さんに相談して大丈夫なら日本に居てもいいと」
「成る程、それで母さんが了承したと」
「だって、親友の可愛い愛娘のお願いなんだもの断る理由がないわ」
母さんらしいとしかいいようがない。本当にお人好しなんだから。
「それに、急に娘が出来たみたいで嬉しいじゃない」
即座に前言を撤回する。全く、母さんはどうしてこんなにも考えが軽いんだ。信じられない。
とはいえ、今さら抗議して仕方ない。というか、母さんが良いなら僕が反対する理由なんて何一つないから良いんだけどさ。少しぐらいは人様の子を預かる事について深く考えてほしいというか、何というか。年頃の女の子が家族でも親戚でもない男と同じ屋根の下で暮らす訳だから気にすべき事があるだろうに。断じてそういう事はしないけど、それでもさ……あるじゃないか、そういうのを気にするのって。それに、僕だって無垢な子どもって歳じゃないんだから素直に同居人が増えた! わぁーい、ハッピー! とはならないだろ……。
ちらっと母さんの方を見てみたが、その事について何も考えていなさそうなので、僕だけが気にするのはバカらしくなった。とりあえず、今後その事についてはあまり気にしない事にする……。
「そういえば、何で日本を離れたくなかったの?」
「それは……」
悲しげな表情で都ちゃんが俯く。
しまった……。つい気になって考えなしに聞いちゃったけど、この歳で親元を離れてまで日本で暮らしたかったのだ。それは、繊細かつ複雑な理由があって気軽に聞いてはいけないに違いない。自分の無神経さを呪う。
「あ、その、ごめんね。 嫌だったら無理に話さなくていいから」
もう手遅れかもしれないけど、少しでも無神経な自分の失態を帳消しにする為に、申し訳なさ程度の気を遣う。
けど、都ちゃんも覚悟を決めたのか。拳を握りしめ、勢いよく顔を上げ、日本を離れたくなかった理由を話してくれた。
「その……お米が好きだからですっ!!」
「……オコ、メ……?」
「はい、お米です!」
太陽も嫉妬するくらい眩しい笑顔でそう宣言する都ちゃん。図らずも、うちに来て初めての満点大笑顔だった。その眩しい笑顔は、まさに炊きたての白ご飯。瞳がすごくキラキラしていて、ほかほかした雰囲気は見ているこちらも暖かい気持ちにさせてくれる。まさに、微笑みの白米……じゃなくて。
お米。英名はrice。稲の果実である籾から外皮を取り除いた粒状の穀物。日本食といえばお米が必須と皆口を揃えて言うであろう。正に日本食界の大御所。トップスタァだ。そのお米が好きだから日本を離れたくない。
つまり、答えは一つしかない。
「もしかして、毎日お米を食べたいから日本を離れたくなかったの?」
「えへへ。 私、三度のご飯よりもお米が好きなんです!」
その表現は明らかにおかしい日本語なんだけど、お米がすごく好きなのは伝わってくるから流すとして。お米を毎日食べる為に親と離れて暮らす……か。
まぁ、食は何よりも大事にすべきって昔の偉い人も言っていた気がするし大切なんだろう。肩の力は一気に抜けたけど。
「そういえば、都ちゃん。 残りの荷物はいつ届くのかしら?」
「今日のお昼頃に届くそうです」
「なら、今日は荷解きと空き部屋の掃除をしないといけないから大変そうだね。 手伝うよ」
「荷物と言っても段ボール数個なので大丈夫ですよ」
「あ、そうなんだ。 意外と少ないんだね」
「ふっふっふ、それは私が家具・お洋服・その他諸々はうちで用意するから大丈夫と伝えておいたからよ! あと、空き部屋のお掃除も済んでいるわ!」
ドヤ顔で人差し指を向けてくる母さん。本当にノリノリだったんだね。
「じゃあ、特にすることはないみたいだし部屋に戻るよ」
「何を言ってるの? わざわざ都ちゃんが来る時間にアラームをセットして起こしたんだから」
あれ母さんの仕業だったのか。成る程、道理で身に覚えがないはずだ。全く、何でそんな事をしたのやら……ん、母さんがアラームをセットだって!?
「待って。 スマホには、ロックがかかってたはずなんだけど、どうやって開いたの……?」
「ふふふ、都ちゃんに町を案内してあげなさい♪」
「……はい」
世の中には知ってはいけないものが三つある。まず、母さんの秘密。次に、エクソシストの画像。最後は、恋愛マンガの続編だ。特に、最後のは絶対にだ!
理由は、結ばれたヒロイン以外の女の子(主に推し)が甘酸っぱい初恋から一転、恋に敗れ、絶望的な人生を送っている後日談を知ることになるからだ。それを見るのは余りにも辛い。
マンガの神様……貴方は彼女に何処まで無慈悲なのですか。彼女は読者に生きる希望を与え、報われないストーリーを駆け抜けたのですよ……自分らしく。だから、救いがあっても良いではないですか。なのに、何故追い討ちをかけて苦しめるような真似をするのですか……。もし彼女が救われるのなら、僕は神殺しだって厭わない。
まぁ、初恋すらしたことがない人間が言うことじゃないけどさ。あと、マンガの神様は絶対に関与していない。
少し話が脱線してしまったが、母さんの秘密は身近な人ゆえに詮索しようとしてしまう。だが、それはやめておいた方がいい。イット、それを知ったら終わりなのだから……くわばら、くわばら。
スマホの件は、我が身の安全の為に聞かなかったことにするとして、都ちゃんに町を案内するのは賛成だ。新しい環境に早く慣れてもらう為に、これから住む町を知っておいた方が良いのは確かだ。母さんにしては良い事を言う。
……まぁ、褒めると調子に乗るだろうから胸に秘めておく。昨今の日本では失われつつある言わぬが花ってやつだ。大事にしていきたいと思う。
「じゃあ、行こっか」
「はい、よろしくお願いします」
早速、都ちゃんに町を案内するべくリビングを後にした。
……後で、スマホのパスコードは絶対に変えておく。もう恋愛マンガの推しキャラの生年月日は使わない。
✳︎
さて、町を案内すると言ってもこんな小さな田舎町で案内するような場所はあっただろうか?駅前の商店街は来る時に見ているだろうし、ちょっと離れた場所にある飲食店なんか知らなくても問題はない。そうなるとこの子が知っておくといいのはコンビニくらいか。この辺で、緊急事態に頼れるところといえばあそこしかないと言われているぐらいだし。いや、そもそも緊急事態になることなんかないし、別に今じゃなくてもいいか。それに、コンビニなんか案内されても嬉しくないだろう、田舎者じゃあるまいし。
となると知ってて都合がいいのは小学校か。でも、学校は嫌でも明日行く事になるし、もし他の子に見られたら『前日から学校を見に行くってどんだけ楽しみなんだよ!』って引かれるかもしれない。この年頃は、そういうの気にするって前に聞いたことがあるし……うーん、困ったな。
考えあぐねいていると都ちゃんの方から、
「あの、良ければお兄さんのお気に入りの……場所へ連れていってもらえませんか?」
と、提案された。
特に断る理由もないどころか、このままでは家の前から一歩も動けず途方に暮れるところだったので、ありがたい申し出だった。なので、二言返事で了承し、目的地へ向けて歩き出した。
「そういえば、都ちゃん。 歳はいくつ?」
「今、10歳で。 今年、11歳になります」
という事は小学五年生なのか。見た目から、てっきり中学年くらいだと思っていたが、さっきの丁寧な振る舞いと言葉遣いを考えると高学年でも不思議じゃないか。寧ろ、高学年じゃない方が変か。
我ながら情けないが、小学生の事を全く理解出来ていない。これから、この子は思春期の多感な時期に突入するというのに、この体たらくでは不安でしかない。ひとつ屋根の下で寝食を共にする者として、少しでも小学生を理解できるように精進せねば。
「お兄さんは今年から高校一年生ですよね?」
「そうだけど、よく分かったね」
「お兄さんのこと。 よく覚えてましたから」
「ゔっ」
多分、都ちゃんにとっては何気ない一言なんだろうけど痛いところを突かれてしまった。分かってはいたけど、都ちゃんは僕のことをしっかり覚えている。なのに、僕ときたら名前どころか会っていた事すら覚えていなかった。
どうして覚えていないんだろう……幼稚園の頃の事も小学校の入学式のことも鮮明に思い出せるのに、都ちゃんの事は思い出せない。なんだかすごく大切な事だった気がするのに。
そんな事を考えていると、ふとイメージ映像のようなものが頭を過った。
──あれ……それって、あの公園の。夕陽。キラキラしてて、最高の……。
「お兄さんっ!」
「へ、うわっ、わぁっ!?」
都ちゃんが大声で呼びかけてくれたおかげで現実に戻る。
危なかった……。考え事をしながら歩いていたせいで、危うく十字路を飛び出して車に轢かれるところだった。
「あ、ありがとう都ちゃん。 助かったよ」
「いえ、急にぼーっとしてどうしたんですか?」
「ちょっと考え事をね、あははぁ……。 そうそう、ここって事故の多い場所だから気をつけてね。 ついさっき轢かれかけた僕が言える事じゃないんだけど」
「そんなことは……。 あ、逆にお兄さんのおかげでよく分かりました」
「ははぁ……。 それは、よかったよ」
都ちゃんの気遣いに苦笑してしまう。これは無邪気な優しさなのだから、気を悪くせず真摯に受け止めようと思う。
「ともかく、もう考え事をしながら歩くのはやめるよ。 それじゃ、気をとりなおして行こうか」
「はい」
さっき何かを思い出しそうになったけど、今はそんな事を考えている場合じゃない。今は、都ちゃんに町を案内している最中。つまり、エスコートしている身だ。なら、目の前の彼女の事だけを考えるべきだ。そう、今は目の前の彼女から目を背けてはいけないんだ。
住宅街を歩くこと十数分。ようやく目的の場所へと到着した。
「ここが、お兄さんのお気に入りの場所」
来たのは住宅街の端にある小さな公園だ。この辺りは台地になっており、この公園はその端にある。つまり、崖のすぐ側だ。なので、ここはボール遊び禁止。最初は遊具もあったけど、こんな場所で遊ぶのは危ないと撤去され、残っているのはベンチと古びた照明灯が立っているだけの寂しい場所だ。それに、ここは誰にも手入れされてないので花壇はおろかそこら中で雑草が活き活きしている。
もちろん、こんなところへは滅多に人は来ず、最早何の為にあるのかも分からない。けど、
「どう、ここからの眺めは?」
「すごいです。 町全体が見えます」
町を見渡せるこの眺めだけは良い。
「ここ小さい時から来ているんですよね?」
「うん。 気分転換をしたい時とかに来てるよ」
昔の自分はそんな事までも話していたのか。親にも話していないこの公園の事を話していただなんて。余程、仲が良かったんだな。
「確かに……素敵な……ですね。 お兄さん」
「ん、都ちゃん?」
「……」
小さな声で何かを呟き、何処か悲しげな表情で町を眺める都ちゃん。その様子は、何かを憂い涙を流しているように見えた。
「あのお兄さん。 少しお聞きしたいことがあるんですがいいですか?」
「うん、いいよ。 何かな?」
「お兄さんは、今"楽しい"ですか?」
それは、突拍子もない突然な問いだったせいか。はたまた、あまりにもタイムリーな問いだったせいか。心にもない言葉をつかって別の自分を繕うように"楽しい"と答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます