君の影に。(読み切り)

メロ

ファースト・シーズン

1話 『女の子は未知で出来ている』

プロローグ

 放課後。埃っぽく、ジメジメした雰囲気に覆われた美術室に数人の生徒がいた。無論、彼らは補習の為に集まっているのではなく、美術部員として部活動をする為にいる。

 ある者は熱心に模写をし、ある者は次の作品のテーマを考え、ある者は作品の完成を目指し作業を行っていた。それくらい美術部員としては当たり前の事だが、中にはそうじゃない不真面目な生徒もいる。僕を含めて。

 その中でも取り分け目立っているのは、入り口から入ってすぐの机で楽しそうに雑談をしている下級生の仲良し三人娘だ。奥から数えて二番目の机で、ぼーっとしている僕にも聞こえる程の声量で、余程、楽しい話題なのだろう。彼女達にとっては。

 僕にとっては机二つ分も離れているにも関わらず、耳に入ってくる耳触りな騒音だ。


『ねぇ、聞いた? 黒川先輩の話』

『聞いた、聞いた。 ほっんと懲りないよねぇ』

『あれだけ描けるのに勿体ない。 私ならちゃんとするのに』

『反抗もここまで来ると痛いよね』

『でもさ、そのおかげでウチらはハゲ山に会わなくていい訳だし。 ありがたいっちゃありがたいよねぇ』

『それは一理ある』


「……ふん」


 むしゃくしゃしたのか、無意識に鼻で笑ってしまう。

 また仲良し三人娘が僕の事で雑談をしている。毎度毎度、本当によく飽きないと思う。そんなに見下せる存在がいるのは楽しいんだろうか。ほんと良い趣味してるよ。

 ギラギラした目で彼女達の動向を見ていると、とある女生徒に話しかけられた。


「あ、あのね……黒川くん。 影山先生が生徒指導室に来てって言ってたよ」

「分かった。 すぐ行くよ」


 副部長の芹沢さんだ。彼女は申し訳なさそうに影山の呼び出しを伝えてくれた。その様子は、まるで死刑判決を言い渡してしまった裁判官だった。別に、彼女は頼まれた事をしただけで悪い訳ではない。だから、そんな顔しなくていいのに。

 それに、僕としては彼女達の耳障りな雑談を聞かなくて済むようになったのは嬉しい。まぁ、彼女達の下らない雑談を盗み聞きしていた方がまだ幸せだったと思えるんだろうな……今日も。

 美術室を後にする際、仲良し三人娘の方をチラッと見ておいた。すると、ばつが悪そうに目をそらされた。それぐらいで及び腰になるなら、別の趣味を探した方が健康的だと思う。


 生徒指導室を目指し、廊下を歩いていると、黒くたおやかなポニーテールを馬の尻尾のように揺らす女生徒に鉢合わせた。

 美術室で見かけないと思っていたら、彼女もまた呼ばれていたみたいだ。僕のせいで。


「またか?」

「うん。 部長からも言ってくれって」

「そっか、悪いな」

「別にいい」


 淡白な会話の後、しばらくの沈黙が続いた。


「そろそろ行くよ。 でないと余計に怒鳴られる」

「うん」

「あ、そういえば、また賞を取ったって聞いたよ。 相変わらず、すごいな」

「……ううん。 そんな事ない、私は描きたい絵を描いただけ」

「それで取れるんだからすごいよ、僕とは違う。 流石は我が部の期待の星、見事だよ」

「…………」

「じゃあな」

「待って」


 呼び止められた時、皮肉まじりの賞賛が気に食わなかったのかと思った。


「私は、真一の絵が一番キラキラしてると思う」


 返事をせずに、その場を後にした。

 最悪だ。自分の器の小ささに嫌気が指す。僕も健康になる為に、八つ当たりはやめよう……周りの人間には恵まれているのだから。



「どうして呼ばれたか分かるか? おぉい?」


 礼節を尽くし生徒指導室に入ると開幕早々喧嘩腰で食ってかかれた。教員とは思えないその勇ましい態度に拍手を送りたいとさえ思う。

 彼には、是非転職を勧めたい。教育現場でくすぶるには惜しい人材だ。今すぐにでも、別の道に進む事を検討して頂きたい。ニュースになる前に。


「すみません、分からないです」

「これじゃぁっ!」


 怒声とともに机に一枚の絵が叩きつけられた。それは、影山に強制参加させられたコンテストに提出した僕の絵だった。


「何度も、何度も。 こんなんで出して、おぉい、どういうつもりじゃ?」

「…………」

「わしは何の為にお前らの顧問やっとると思っとんじゃ、えぇ?」


 何の為? 僕らから余分に集めた交通費で酒を飲む為だろ。偶々、顧問の席が空いたから座ったクセに。絵だってロクに知ろうともしてないじゃないか。

 と、口にするのは火に油を注ぐどころか火災現場でガソリンを撒き散らして発狂するぐらい愚かな行為なのでしない。だが、そのせいで奥歯が砕けないか心配になってくる。


「のう、何度目じゃ? えぇ? 怠いのう」


 なら、やらなければいいだろ。権威を示すだけの暇つぶしなんか。


「熱心なわしが馬鹿らしいわ、あほんだらぁっ!」


 来年には、もういない僕の為に熱心に指導をしてくれていたとは感激だ。その熱意の十分分の一でも美術室の掃除に向ければ、少しは好かれるだろうに。


「聞いとんのかっ! おぉいっ!」


 また机を力強く叩く影山。だが、そんな事で怯えるようなやつならここには居ない。そろそろ、分かってほしいな。

 影山に気づかれないように小さなため息をつく。

 何でこんな目にあってまで美術部にこだわっているんだろうか。絵を描くぐらい部活じゃなくたって出来るのに。

 そんな自問自答が頭を過る。だが、その答えはもう分かっており、改めて考えるような事じゃない。今の僕にとって美術部に所属して絵を描く事以上に絵を描いている事を実感できる場所がないからだ。

 何とも悲しい性だ。SNSで呟けば見知らぬ誰が同情して慰めてくれるな。まぁ、こんな事を誰かに言えば『絵を描く事から一旦離れてみればどうですか?』みたいな当たり障りのない慰めしか来ないのが目に見えているからしないけど。


 そんなの僕だって分かっている。絵を描き続ける事に固執しなければ救われるって。でも──。


「何回同じ事やらせるんじゃぁっ! わしかて暇やないんやぞっ!」


 それから影山の怒声が鳴り止む事はなく、下校時間まで説教は続いた。


 鬱陶しいなぁ……もう"絵を描く"のをやめるか。いや、どうせまた"夢"に止められる。また、あのキラキラした"影"に。



 ♪


 それは夕食の時の事でした。


「来月、仕事の都合で引っ越す事になる」

「そうなんだ」

「急な事で悪いと思ってる」


 急な転校が決まる。お母さんの仕事についてよく知らないけど、特殊な仕事で忙しく大変な事だけは知っていた。だから、驚く事はなかった。これだって、いつものしょうがいこと。

 でも、お母さんからするとそうではないようで、頰をかきながら申し訳なさそうにしている。そんなお母さんを安心させる為に笑顔を向ける。それが良い子として正しい行動だから。


「ううん、仕事なら仕方ないよ。 それに私は大丈夫だから」


 別に、この街を離れたくない程好きな訳でも、別れを惜しむ友達がいる訳でもない。忘れたくない思い出がいくつかあるだけ。だから、街を離れるくらいなら我慢出来る。

 だって、私は良い子だから。


「それで引越し先は──海外になる」

「……え……?」


 その一言は私にとって衝撃的な言葉で動揺してしまった。


「まぁ、大体二、三年くらいでこっちに戻れるとは思うけど」

「それは嫌だよ……っ!」


 つい口に出してしまった。良い子なら出す筈のない言葉を。


「都」

「……ん、んぅ」


 お母さんの眉尻が下がる。それを見て、すぐさま俯き口元を抑える。

 本当はそんな事を口に出すつもりはなかった。いや、出したくなかった。出してしまうとそうなる事は容易にイメージ出来た。なのに、出してしまった。

 その理由は不明瞭なもので、日本を出ると大切な"思い出"と"約束"を失くしてしまう。そうイメージしてしまい、怖くなってしまったからだった。

 でも、私の家族はお母さんしかいない。そんなワガママを言ってはお母さんを困らせるだけで、何にもならない。

 だから、解決策は一つしかない。今からでも良い子になって諦める。いつも通りに。


「あ、あの……お母さん」

「んー、分かった」

「え、それって、どういうこと……?」

「紗枝に相談してみる」

「紗枝さんって確か」

「私の大親友、都の大好きな"あの人"のお母さんよ」

「ふえっ、だ、大好きな!? そ、それは、ちょっと、違うもん……んー」


 お湯が沸騰したかのように自分の顔が熱くなっていく。何故なら、私にとって"あの人"は自分を形作ってくれた大切な存在だから。


「(我が娘ながら可愛い反応。 ほんと、小さい頃の私によく似てる)」

「それより、相談って……まさか?」

「そのまさかよ。 紗枝の事だから、大丈夫だとは思うけど、ダメな時は諦めてね」

「……うん」


 この時、お母さんは私のワガママを──離れて暮らす事を許してくれました。一時的とはいえ唯一の肉親との別れは辛いと思いました。

 でも、それと同じくらい"あの人"と再会出来るのを嬉しいとも思いました。だって、私達は家族の繋がりと同じくらい大切な約束をしていました。大切な、大切な、約束を。


 そして、月日は流れ、4月15日。


『ご乗車ありがとうございます。 次は終点──』


 バスのアナウンスが長い旅の終わりを告げる。

 い、いよいよ、この日が……うぅ、緊張する。でも、やっと会えるんですね。私の"お兄さん"に。


 ✳︎


 物心ついた頃から絵を描くのが大好きだった。動物、昆虫、電車や車、好きなヒーロー等、子どもらしく無邪気に好きなのものを描いていた。

 ある日、保育園の行事で動物園に行き、二頭のツキノワグマを見た。その二頭はオスとメスで、双子の兄妹のように仲良くじゃれあっていた。小さい頃の僕は、男の子と女の子は別々に遊ぶものだと思っていた。だから、すごく不思議な光景に見えた。

 その時、それ以外に何を想って、ツキノワグマ達を見ていたかまでは、はっきりと覚えていない。けど、恐らくとても満たされた気持ちになっていたのだろう。保育園に戻り『動物園の思い出を描こう』と先生に言われて、迷わずあのツキノワグマ達を描いた。

 別に、頑張る理由なんてないのに一生懸命に描いた。普段は使わない絵の具を使って着色だってした。出来上がった作品は、何とも言えない子どもの落書きだった。だが、当時の僕からするとよく出来たと手ごたえを感じる自慢の作品だった。その絵を満足そうに眺めていると先生に『上手だね』と褒めてもらえた。

 それが嬉しくて益々絵を描くのが好きになり、どんどん描いていった。

 その熱意はとどまる事を知らず、母親の誕生日に絵を描いてプレゼントした。すると、母親は大喜び。また自分の絵を褒めてもらえたのが嬉しくてたまらなかった。

 それで、もっと絵を描くことが好きになり、たくさんの絵を描いていった。そして、絵を描いていく内に、世の中にはキラキラした素敵なものがたくさんある事に気付いていった。

 そして、出会ったんだ。公園で。夕陽に照らされた最高の『 』に。

 と、何かに感銘を受けたせいなんだろうか。こんなに、虚しくて満たされない気持ちになり、苦しくても、絵を描くことから離れられないのは……。いや、離さないのは……。




 ──ピピッ!ピピッ!


 と、スマホのアラームが鳴る。まだ目が覚めきっていないぼんやりとした頭でスマホを探しアラームを停止させる。


「まだ……8時じゃん」


 しばらくぼーっとしてから、ようやく思考がクリアになっていく。どうやら先程まで自分が見ていたダイジェスト映画は夢だったらしい。

 幼い頃の絵を描くのが好きだった自分。夢で幼い頃の自分を見てしまう事は昔からよくある事で大したことじゃない。ただ、公園の出来事まで見るのは決まった時──絵を描くのをやめたくなった時だけだ。

 ……またか。


「はぁ……あの頃は、楽しかったな」


 ついため息を漏らして、枯れた発言をしてしまう。

 そんな事をするのはダメだと分かっていても抑える事が出来ない。それをすると過去を羨み、現在を呪う負の連鎖が始まってしまうのは分かっている。でも、そうなるのは仕方のない事だ。ようやく悩みの種がなくなったと思ったのに、新しい悩みの種が出来たのだから。それをしょうがないと諦めるか、ツイてないと割り切るか……どっちも似たような意味じゃないか。相当参ってるな、最悪だ。

 とはいえ、家に居る時までネガティブになるのは嫌だ。ここは、無理にでも気持ちを切り替えるか。ポジティブに! イッツ前向きマジック! ……口に出してなくて良かった。

 ところで、どうしてこんなにも朝早くにアラームが鳴ったのだろうか。今日は日曜だ。別に、朝早くに起きて出かける予定もないし、なんならアラームを設定した覚えもない。


 ──ぐぅ。


 腹の虫が盛大に鳴いた。

 ここで、考えこんでいたってどうしようもないし、下へ降りるか。

 ベッドから重たい体を起こし、自室を後する。まだ眠気が残っているせいか、酔っぱらいのようにフラフラとした足取りで階段を降り、洗面所へと向かう。そして、洗面所で朝のブラッシングを終え、清々しい気持ちでリビングの扉を開けた時、


 ──ピーンポーンッ!


 と、インターホンが鳴った。

 リビングから玄関までは目と鼻の先だ。なので、母さんに『僕が出る』と言い、玄関へ向かった。


「はい。どちら様で──っ!?」


 玄関の扉を開けると予想外の来訪者がいて、驚きのあまり言葉を失う。

 そこに立っていたのは、齡十歳程の少女。背は自分の胸元ぐらい。少し丸みを帯びた輪郭、あどけなさのある顔に、とろんとした瞳。髪型は毛先が肩にかかりそうなぐらいの長さのボブヘアーで、横の髪をヘアピンでとめ左耳を出し、前髪は目にかからないよう眉の少し下で合わせて整えている。そして、朝陽に照らされた黒髪は白く輝いていた。

 何だろう、この胸の高揚感は……。この子の髪がきちんと手入れされていて綺麗だからだろうか。それとも、この子の髪が僕の好みにベストマッチするせいだろうか。

 ……どっちも髪じゃないか。相当舞い上がってるな、最高だ。

 いや、今はそんな事を考えている場合じゃない! 何でこんな小さな子が我が家を訪ねて来たんだ!? 例え、コミュ力の権化の母さんだって、ここまで小さなお友達は作らないはずだ。

 なら、どうして小さな子どもが我が家のインターホンを鳴らしてきたのか?可能性があるとすれば──この辺りに住む友達の家と間違えたと考えるのが自然だ。

 ここは住宅地で家がたくさんある。もし初めて行くのであれば隣の家と間違えても不思議じゃない。つまり、ただ家を間違えただけ。そうに違いない。

 毎週土曜にやっている麻酔銃をガンガン使う推理少年のアニメを見ている僕からすると簡単な謎だったな。


「あ、あの、ここ黒川さんのお家ですよね?」

「……はい、そうです」


 僕の推理は、公開領域を確認しトップ解決出来ると信じて勢いよくドローしたTCGプレイヤーの希望が簡単に打ち砕かれるように儚く散る。この少女はまごうことなき我が家の来訪者だった。


「し、しし……ん……黒川さんの、息子さんですよねっ?」

「えっ、えーと……そうだけど」


 浅草名物堅焼き煎餅のようにカチカチの表情でたどたどしく尋ねてくる少女。

 声が小さくてはっきりとは聞き取れなかったけど、黒川さんの息子さんって僕の事だよね?うちはひとりっ子だし、あの両親に限って隠し子がいるとは思えない。というか、あり得ない。

 だから、そうだと答えたけど、どうして僕を知ってるんだろ? もしかしなくても前にどこかで会ってる……のかな。もし、そうだとしても、どうして僕か確認したんだろ? 僕じゃないといけない理由があったり?

 と、ゆっくり思考したいところだが、その思考は一瞬で粉々に吹き飛ばされる事になる。

 何故なら──。


「あ、その……私を貴方の妹にしてくださいっ!」

「え……」


 僕の中で数秒の間、時が止まる。そして、再び動き始めると堰き止められていた水が勢いよく溢れ出すように驚きの声を上げてしまった。


「えぇっ!?」


 全くもって理由──いや、真意が分からない。一体、何の狙いがあって……。いや、そんな事を考えている余裕はない。今、この瞬間、頰を紅潮させた少女がモジモジしながら驚きの告白をしてきた。それを聞いて、開いた口が塞がらない程、動揺しているのだから。


 嘘……だろ!? エイプリルフールはもう二週間も前に終わっている。もう嘘の免罪符はない。なら、これは嘘じゃないって?そんなのあり得ない。前世でどんな徳を積んだら年端もいかない少女に『妹にしてくださいっ!』って言われるんだ!? 異世界に転生した劉備だってそんな事言われないぞ!


「………」

「あ、あのぅ?」

「はっ!」


 しばらくの放心の後、自分の頰をつねる。しっかり痛みを感じる。つまり、これは夢でも、妄想でもない。一瞬、ドッキリを疑ったけど、こんな心臓に悪いドッキリを仕掛ける非常識な知人はいない。仮にいたとしても外部の人間ではない。

 しかし、今はそんな事より、これがまごう事なき現実という事の方が重要だ。そして、そんな可愛いらしい仕草で、そんな事を言われたら僕は……。


「取り敢えず、中で話そうか!」


 家族会議を開くしかないじゃないか……っ!

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