04 嫌な思い出
そう、そこには人間界にいるはずの母の姿があった。彼女は大きな洗濯ものかごを抱えて、にこにこしている。少女たちは母を見ると、御影の手を放して彼女の元へ向かった。
「ミカママ~、今日のミカちゃんってば変なのよ~」
「私たちのこと、お嬢さんって呼んだの。タニンギョウギだよね~」
「あらあら、御影もずいぶんと大人びた言葉を使うようになったわね」
少女達と仲良く話す母は、驚愕した顔の御影を不思議そうに見ていた。
「御影、どうしたの?」
「なんで…………」
彼女は御影を連れて、人間界に逃げてきたのだ。それなのに村に戻ってきたなんてありえなかった。
「御影、具合でも悪いの?」
そっと顔を近づける母に、御影はぎょっとした。
「だ、大丈夫よ…………」
よく見ると、普段の母よりも若く見える気がする。着ている服装もどこか古めかしい。目の前にいる母に不信感を抱いていると、少女たちは母のスカートを引っ張った。
「ミカママ。ミカちゃん、村はずれにいたんだよ」
「そうだよ。この間に誘拐されかけたばかりなのに、学習しないよね~」
(誘拐…………?)
人生で誘拐されかけたことなんて一度しかない。それもこの村で。
(まさか……っ!)
御影は少女たちの顔を改めてみた。
「貴方達…………メアとソワレ?」
彼女たちの名前を呼ぶと、二人は不思議な顔をして見上げる。
「どうしたの、ミカちゃん?」
「私たちの事、忘れたの?」
(ああ、そうだ……)
ぼんやりと思い出してきた。
村で御影と年が近い少女達、メアとソワレ。村での記憶の大半は、彼女たちとの思い出で埋め尽くされていた。もう十年以上前で、だいぶ記憶も薄れていたせいで彼女たちの顔も思い出せなかった。
(じゃあ…………ここは…………過去?)
考え込んだ御影を見て、メアとソワレがクスクスと笑った。
「きっと、この間のことがよほどショックだったんだね?」
「ママ達が言ってたよ、ショックで記憶が飛ぶこともあるって。私たちのこと忘れちゃったなら思い出してもらわないと……」
「え?」
きょとんとする御影をよそに、二人はにこにこしながら母親の顔を見た。
「ミカちゃんのお家で遊んでいい?」
「いいわよ。おばさん、この後、出かけてくるからよろしくね」
「はーい」
元気よく返事をして、二人は御影の手を引っ張っていく。
そして、懐かしい自分の部屋に入った。可愛らしい小物と手作りの人形やぬいぐるみが飾られた部屋。まるでそれは少女の部屋だった。
彼女たちは、御影をカーペットに座らせて言った。
「ミカちゃん。ミカちゃんは村の外には出ちゃいけないんだよ?」
「だって、大事な大事な男の子だもん。他所の村の人に連れて行かれちゃう」
そう言って、くすくすと笑う。
その笑い方に、御影はぞっとした。
(……思い出した)
彼女たちとの思い出は、もちろん楽しいこともいっぱいあった。ままごとや人形遊びも楽しかった。
しかし、それは御影が女だと思っていたことで成り立っていた友情だった。
彼女たちの友情が破綻したのは、御影が他所の村の魔女族に誘拐されかけた時だった。
「ミカちゃんは、大きくなったら私たちと結婚するんだよ?」
「待望の男の子だもん。ミカちゃんは魔女族の子をいっぱい作らなくちゃ」
魔女族の男は生まれても体が弱く、すぐ死んでしまうことが多い。そのため、御影は貴重な存在だった。
最初は、他愛もない口約束だと思った。
そのうちメアとソワレが自分を取り合って、喧嘩をしだしたのだ。自分と御影が結婚するのだと、実に子どもらしい喧嘩だ。
しかし、それは徐々にエスカレートしていった。
まるで洗脳するかのように、毎日毎日御影に言い聞かせたのだ。
『一人じゃなくて、二人と結婚したらいい。男の子だから、いっぱい魔女の子どもを作るんだよ。いっぱい作れば、男の子も生まれるよね?』
はじめこそは、よく分からなかった。
しかし、友達だった頃とは全く違う二人に、御影は怖くなってしまった。
「どうしたの……? メアもソワレも何言ってるの?」
御影はかつて二人に言った言葉を口にする。
彼女たちはにっこり笑って言った。
「「ミカちゃんは、私たちとずっと一緒。だって、ミカちゃんは私たちの男の子だもん」」
「────っ!」
今ここで、過去の再現が行われている。
真っ黒な顔をした二人が、御影を見下ろした。
「ねぇ、ミカちゃん。ミカちゃんは私たちと一緒にいてくれるよね?」
「ずっとずっと、一緒にいようね」
二人の顔がまるで溶けるように黒くなっていく。それと同時に、御影の足元が沈んでいくのが分かった。
(これは……!)
御影もよく知っている闇魔法だった。徐々に体が闇に沈んでいき、気づけば足首まで埋まってしまっていた。
ふと、精霊琥珀の言葉を思い出した。
『あの子、喰われるわよ?』
(そうか……これが虚喰いか!)
どうにか抜け出そうと御影はもがくが、足元はしっかりと埋まってしまっていた。
「ミカちゃん」
御影は不意に名前を呼ばれて、顔を上げる。
メアとソワレがこちらに近づいてくる。彼女たちの顔はもう御影が知る顔ではなかった。
御影はきゅっと唇を結んだ。
「メア、ソワレ…………」
「なぁに、ミカちゃん?」
御影は息を大きく吸い込んだ。
「アタシ…………実は男の子が好きなの」
「「………………………………は?」」
真っ黒な顔をしているが、彼女たちがぽかんとした顔をしているのは、容易に想像がついた。
その隙をついた御影は二人の足元に魔法陣を展開する。
「ライトニングッ!」
御影の声と共に、足元の魔法陣が激しい光を放ち、メアとソワレの姿が掻き消えた。
(…………やっぱり)
メアとソワレは御影の記憶から作った幻影だった。相手は闇の精霊石。魔力を補給するなら闇に紛れるのがいい。もし、闇の精霊が人を喰らうなら、まずは人の闇を喰らうのだろう。
(はははは…………このアタシをナメんじゃないわよ…………っ!)
御影は闇魔法を一番得意としていたのだ。闇属性にはいくらか耐性があった。闇属性の見せる幻影なんて、へでもない。
それにこんな女とも男とも区別しがたい性格をしているのだ。かつてのことを思い返せば、村での出来事なんて些細なことだ。今でも「幼少期のアタシはモッテモテの美少女だった」と豪語できる。
「いや~、偽物とはいえ……やっぱりびっくりするわよね」
懐かしい顔、そして過去の記憶が呼び起こされるとは思わなかった。
この口調も可愛いものが好きなのも、全てこの村で染みついたものだ。今の御影を作った場所でもある。
しかし、男を捨てたわけでもないし、男を恋愛対象としているわけでもない。好きだから、それが自分だと感じられるものだった。
しかし、それは他人が拒絶する要因でもある。
(陽ちゃんを探さなくちゃ……)
指輪から出る赤い糸を辿り、御影は玄関まで足を運んだ。
玄関を開けると、小さな教室が目の前にあった。
高校の机と比べると、とても小さい。目の前にある黒板も低い位置にあって、今の御影では背伸びをしなくても上まで届いてしまう。
「お、ここも見覚えがあるわね…………」
外からは蝉の鳴き声がうるさく聞こえ、日差しも強く、陽炎が揺らいでいた。しかし、冷房もないのに、暑さは微塵にも感じない。
おそらく、季節は夏だろう。
(夏の思い出といえば…………)
「やーい、オカマっ!」
「!」
唐突にそう言われて振り返ると、絵に描いたような悪ガキがいた。
半袖、短パン、丸坊主の少年はにやりと笑った。
「男がスカートとかバカじゃねぇの! ランドセルも赤とか。スカートも赤も女が使うんだよ。お前、本当に男なのかよ!」
御影はその頭の悪い挑発に、額に手を置いた。
(あぁ…………思い出した。これだわ…………)
幼き頃の御影の嫌な思い出、その二。
村から出た御影は当時、人間界の同級生たちと村の子どもとのギャップにやられていた。
御影が好きなものを全否定され、いじめられ、独りぼっちだった毎日。明らかに自分が異分子であることを実感した時だった。
目の前の少年はあっかんべーをして、間抜け面がさらに間抜けになる。
「オカマ! 男好き! 玉無し!」
なんとも頭の悪い単語の羅列に、御影はにっこり笑った。
そして相手が逃げる隙も与えずに相手の肩を掴んだ。その瞬間に、相手は暴れだした。
「ばっ! やめろよ、オカマ菌が移るだろ!」
でたっ! オカマ菌!
菌が移るだ、なんだというのは、いじめの常套句だった。
大昔の自分はこれに痛く傷ついたが、大きくなった今の自分は痛くもかゆくもない。
「ええ、そうね」
御影は、にっこりと笑ったまま青筋を浮かべて言った。
「でも、…………それってアタシに告白した野郎の言うセリフかしら?」
ぎくっと少年が体を固くした。
そもそも、このいじめは彼が御影に告白したことが始まりだったのだ。転校初日、御影に一目惚れした彼は、御影の性別を知って失恋した逆恨み。毎日、御影をつけ回してはいじめ倒していた。
担任に相談すると「男の子なのにそんな格好をしているからよ」といじめはいけないと賛同しながらも、御影には批判的だった。
男なのに、男のくせにと降りかかってくるその言葉が、御影は大嫌いだった。
御影は今までの恨みを込めて、最上級の笑顔を浮かべた。
「うふふふふふ…………貴方がアタシに告白したという事は、すでにその菌に侵されきっているわ」
「なっ…………!」
「だって、男のアタシに告白したんだもの。貴方はもう菌に侵され、もう男としてやっていけないわ。そのうち、貴方も男の子にしか恋ができなくなるの…………ようこそ、我が闇へ。この闇は深いわ。そう、底なし沼のように…………」
さあ、早くこちらにおいでなさんな。
こちらが闇に呑まれる前にこちらの闇に引きずり込んでやると御影がにやりと笑う。彼は恐怖で目に涙を浮かべた。
「や、やだぁああああああああああああああああああああああああああっ!」
少年の拘束を解くと、彼は泣きながら教室を出て行った。
もはや自分でも何を言っているのか分からなかったが、幻影相手でも仕返しができたことは満足だった。
「あー、いい気味」
実にスカッとした気分だった。昔の自分はなんて幼く、弱かったのだろう。こんな悪口にずっと悩まされていただなんて。
嫌な思い出というより、懐かしい思い出に近い。すでに自分が自分であることに、吹っ切れていた御影にとって、嫌な出来事だけではなかった。
この思い出は、いい思い出の一部でもある。
本当だったら、ここで陽介がさっきの少年に一発食らわせてこう言うのだ。
「あーあ、オレの出番がねぇじゃん。またアイツをボコボコにしてやろうと思ったのに」
「…………………………」
その声を聞いて、御影は目を瞠った。
弾かれたようにその声が聞こえた方を向くと、教室の入り口に彼はいた。背は低く中学生にも見える体格。しかし、声はしっかりと声変わりが済んでおり、猫のように吊り上がった目で、御影を見ていた。
「スカート履いてる御影より、陰でコソコソいじめてるお前の方がよっぽど女々しいっつーの、この玉無し野郎ってな…………」
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