03 幻影
教室のドアを開けると、みんなの目が一斉にこちらに向いた。その視線は冷たく、ひそひそと口を開いた。
「アイツと関わるとロクなことがない」
「めんどくさい」
「ムカつくばかり言うし……」
「ケンカ早いし、怖いよね」
「悪口ばかり言ってるし……」
聞こえるように言うクラスメイトたちに、頭に血が上った。ランドセルを乱暴に降ろすと、その大きな音に周りが沈黙する。
「何か言いたいなら…………直接言えよ!」
怒りを精一杯抑えていたつもりだったが、抑え切れていなかった。皆が自分から視線を逸らしていく。それが余計にムカついてしょうがなかった。
「なんだよ…………さっきまで人の悪口を叩いてたくせに、本人には言えねぇのかよ…………」
吐き捨てるように言うと、降ろしたランドセルを再び背負った。
◇
「ここが…………
入り口に放り投げられた御影は、大の字で寝転がったまま先が見えない空間を眺めて呟いた。
「使い捨てって言ってたけど、物は言い様ねぇ…………」
昔、一度だけ母の実家がある虚へ行ったことがある。そこには草木も川も、陽の光もあった。しかし、この空間には何もない。あるのは深い闇だけだった。
実家のある虚が精霊のシェアハウス、もとい共同スペースであるなら、この虚は個室だろう。闇属性の精霊の虚だからこんなにも真っ暗なのかと納得する。これで火や水だったらと思うと空笑いしか出なかった。
(そんなことより…………)
事は一刻も争う。早く陽介を探さなければと起き上がった。
御影の指には、透明な石が嵌った指輪が装着されている。これは、あの日からずっとつけている大事なものだ。
「陽ちゃん…………」
そう呟くと、指輪の石から赤い糸が伸びた。その糸は真っすぐに奥まで続いていった。
この先に、陽介がいる。
御影は真っすぐにその先を見据えて歩き出した。
真っ暗な空間で赤い糸だけが頼りだが、それも見えない先の方まで伸びているのが分かる。
「本当、どこに行ったのよ…………陽ちゃん」
御影はそう呟くと、目の前に黒い影が横切った。
「──ッ⁉」
驚いて目を見開くと、その黒い影は赤い糸に沿って走っていく。御影はそのシルエットに見覚えがあった。
「…………陽ちゃん?」
そう、あのシルエットは確かに陽介だ。しかし、いくらか小さすぎる気もした。
(まさか、精霊石が作った幻影?)
ここは精霊石が作った虚だ。精霊石が幻影の一つや二つ作っても、ありえないことではない。
もし、精霊石が陽介の幻影を作り出して、御影を誘き寄せている可能性だってある。
(でも…………)
御影は、拳を強く握って、幻影の後を追いかけた。
あの幻影は赤い糸の方へ向かっている。それなら、あの幻影を追いかけても問題ないだろう。
何もない空間をひたすら追いかけると、奥に小さな光が見えた。御影は躊躇いもなく、その光に飛び込んだ。風が吹き抜けてき、急に辺りが明るくなった。
「…………っ!」
御影は口元を覆って絶句した。
一瞬、心臓が止まるかと思った。
温かさを感じさせない日差し、一貫した空気の流れ、緩やかな水の流れる音。それは世界にあるものなのに、どこか不自然でちぐはぐだった。目の前には童話の世界にあるようなレンガ造りの可愛らしい家が建ち並び、少女達の笑い声が聞こえてきた。
それに懐かしさを感じながらも、かつてのことを思い出して鳥肌が立った。
そこは、もう二度と戻らないだろうと心に決めた場所──母の実家だった。
「ウソ……なんで……?」
精霊琥珀は、あの石に魔女の里がある虚までたどり着く力はないだろうと言っていた。しかし、ここは確かに母の実家だった。
精霊と魔法の力に頼った偽りの世界。温かみのない日差しも一貫した空気の流れも全て、魔法で作ったものだ。
昔はこれが普通だと思っていた。しかし、人間界で暮らし続けた御影は、これがどれだけ不自然なものなのかがはっきりわかる。
大昔の苦い思い出が走馬灯のように流れ、御影はハッとする。
(…………って、感傷に浸ってる場合じゃないわっ!)
今すぐ逃げろと御影の本能がそう告げる。
御影が踵を返した時、すぐ背後に二人の少女がいた。
「うわっ⁉」
驚いて思わず声を上げたが、彼女たちは驚いてはいなかった。
魔女族の特徴である金髪。片方の少女は青、もう一人は緑の瞳をしていた。彼女たちは不思議そうに御影の顔を見上げている。
(…………やばい)
御影は一歩後ろに足を延ばした。
魔女族にとって、御影くらいの男は格好のカモだ。おまけに同族と知られれば囲われてしまう。
しかし、幸いなことに彼女たちはまだ幼い少女だ。おそらく、小学校に上がっているかいないかだろう。大ごとになる前に早々に退散せねば。
「あははっ…………こんにちはお嬢さん」
精一杯の笑顔を作って、彼女たちに背を向けた。
「そして、ごきげんよう…………うおっ⁉」
ぐいっと二人がかりで服を掴まれ、御影は足を止める。
(やばいやばいやばいっ!)
内心でだらだらと冷汗をかく御影は、平静を装う。
「な、何かしら…………お嬢さんたち?」
いつも通りの笑顔を浮かべたつもりが、顔が引きつっているのが自分でもわかる。
この言葉遣いで自分を女と間違えてくれないだろうかと淡い期待を抱いたが、体格そのものは男なので無理だろう。
どうやって逃げようと、考えながら少女たちの顔を見ると、彼女たちはポカンとした顔をしていた。
「お嬢さん?」
御影の言葉に、少女たちは首を傾げた。
「ミカちゃん、何言ってるの?」
「変なの~」
「え……?」
少女達はクスクスと笑いながら、御影の手を取った。
「ミカちゃん、村の外は危ないよ」
「そうだよ、おうちに戻ろう」
「え……えええっ⁉」
ずるずると引きずられるように、村の中まで連れて行かれる。
少女たちは一体誰と勘違いしているのか、どこか嬉し気に御影の手を引いていた。
「ちょ、ちょっと! アタシを村の中に連れて行ったら大変なことに…………」
「────あら?」
「……──ッ⁉」
聞き覚えのある声に、御影は慌てて顔を上げた。
「あ、ああ…………ああああっ…………」
咄嗟に言葉が出なかった。
金髪でエメラルドのような瞳を持つ女性が、こちらに微笑みかけていた。
そのあり得ない状況に、御影は目を大きく見開いた。
「…………ママっ!」
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