03 役目

 御影は静かに階段を上がっていく。自分の足音よりも雨音がうるさいくらいだ。

「あ、そうだ」

 御影は心晴のスマホに電話をかける。おそらく、相手はスマホの使い方を知らないかもしれない。静かに雨音だけが響く校舎内で、かすかに電子音のメロディが聞こえてきた。

 その音が聞こえる方へ行き、とある教室に行きついた。そこに、精霊琥珀はいた。

 小さな机の上に腰を下ろし俯いていたが、御影に気づいて顔を上げる。

「あら、もう来たの……?」

 冷め切った青い瞳と目が合う。スマホを握りしめた精霊琥珀は、そう不機嫌そうに言って、口元だけ笑って見せた。

 スマホをカバンにしまい、代わりにペットボトルを取り出したのが見えた。

「精霊琥珀…………」

「何かしら…………?」

「貴方は、何がしたいの? 貴方の目的は本当に精霊の解放だけなの?」

 御影がそう問い詰めると、彼女の目にかげが差した。

 そして、立ち上がると御影のそばまでやってくる。敵意がないことを分かっていた御影は逃げなかった。

「御影」

 静かに精霊琥珀は御影の名前を呼んだ。

「貴方は、終夜の血も引いているのでしょう? 終夜は、秘かに魔女族の血を継ぐ一族。それは知っているわね?」

「え…………?」

 御影は首を横に振る。

「いえ、初めて知ったわ……パパは単身赴任だし……ママもパパも実家には長く戻ってないはずだから」

 御影がそう答えると、彼女の青い瞳が伏し目になる。

「そう…………じゃあ、貴方はずっと箱入りだったってわけね。私と同じだわ」

 くすりと彼女は笑う。その笑った意味は嘲りか、それとも同情か。今の御影には分からなかった。

「精霊琥珀、なんで貴方はそんなことを……?」

「あら、私の過去を見たならわかると思ったけど……まだ分からないの?」

 精霊琥珀は「鈍いわね」と呆れたように肩をすくめる。

「心晴の祖母、狭間はざまタツの旧姓は終夜っていうのよ?」

 初めて知った事実に、御影は目を瞠った。

「ちょ、ちょっと待って! どういうこと⁉」

「タツはね、駆け落ちしたの。私の…………大っ嫌いな相手とね!」

 吐き捨てるように言うと、か細い手を強く握りしめた。

「本来、精霊の解放は魔女族との盟約から基づいた終夜家当主の役目。タツがいなくなっても私の目的は変わらないわ……精霊の解放は私の存在意義……でも…………」

 彼女は手の内にあった精霊石の粗悪品を見つめる。

「それすらもできなくなったら、私は一体何の為にいるのかしら?」

 彼女はそういうと、御影を見上げた。

「私が心晴をこの件に関わらせたのは、自分の存在意義を見失わない為…………でもね、どうやら私は現代では必要ないみたい」

 落ち込んだように彼女はいうと、青い瞳を御影に向ける。

「ねぇ、御影」

 彼女は妖しく笑う。

「このまま心晴をかどわかしてうろに行こうとも考えていたけど、貴方も一緒に虚に戻らない?」

 虚、それは魔女族の隠れ里だ。魔法界からも人間界からも隔絶かくぜつされた秘匿ひとくの地。

「私、貴方のことが大好きなの。ブロンドの髪も、白い肌も、ガラス細工みたいな瞳も、ビスクドールみたいに素敵。魔女族の魔法も、その魔眼だって私が使い方を教えてあげる。それに、心晴だって御影がいればきっと喜ぶわ」

 彼女の笑みは大人びていて、とても綺麗だ。一瞬、手を伸ばしかけたが、御影は心晴の声が聞こえたような気がして首を横に振った。

「アタシは貴方と一緒には行かないわ」

 その誘いに決して御影は揺らがなかった。それは、心晴や精霊琥珀のことが好きじゃないからではない。

『私、今がとても楽しいの』

 そう言った彼女を思い出したからだった。

「心晴ちゃんだって、アタシだけが一緒でもきっと喜ばないわ。みんなと一緒じゃなきゃ……せっかく学校が楽しくなってきたんだもの」 

 きっと彼女たちは自分と似ている。楽しくない学校生活。一人でいる不安。心晴も精霊琥珀もそれを知っている。だからこそ、御影一人ではいけないのだ。

「それにアタシも心晴ちゃんも貴方のお人形さんじゃないの。精霊琥珀、心晴ちゃんとその粗悪品を返して」

 御影の言葉を聞いて、目を見開いた後、彼女は悲しげに笑った。

「そう……残念」

 精霊石はそういうと、ペットボトルの蓋を開けた。水の刀身が現れ、御影に向けられる。

「!」

「でも、ごめんなさいね。もう時間がないの。この子が飢餓で誰かを食い潰す前に、虚に行かせてもらうわ」

 精霊琥珀の瞳が徐々に紫色へと変化していき、魔女の魔眼が解放される。

「大丈夫。峰打ちで済ませてあげる……」

 精霊琥珀は、水の刃を振り上げた。御影は咄嗟に魔法陣を展開し、精霊琥珀の視界を奪った。

「くっ!」

「いい加減にしなさいっ!」

 御影が精霊琥珀を床に押し倒した。持っていたペットボトルが床に転がる。

「アタシだって、男の子なんだからね! 力比べ女の子になんて負けないんだからっ!」

 そのまま精霊琥珀の手首を持って押さえ込む。しかし、押し倒された彼女は慌てる様子もなく、真っすぐこちらを見上げていた。それはどう見ても、力では勝てないと諦めた様子ではなかった。

 濡れた髪から滴り落ちた雫が、彼女の頬を濡らす。

「ねぇ、御影?」

「何よ…………」

 あまりにも余裕な表情に、御影は不気味に思いながらも警戒する。

 彼女はにやりと笑って言った。

「外、寒かったでしょう? ……」

「……っ!」

 御影はハッとしたが、もうすでに遅かった。

 精霊琥珀は御影の体に付いた水分をかき集め、首を絞めた。

「うっ!」

 精霊琥珀から手を放すと、彼女は御影の体を掴んだ。

「っ⁉」

「ごめんね」

 にっこりと笑った彼女は、後ろに倒れる勢いを使い、御影の腹を蹴り上げた。

「うわぁっ!」

 宙に放り出された御影の体は、大きな音を立てて床に倒れた。

「いててて…………げっ!」

 気づくと、にこにこした精霊琥珀が御影を見下ろしていた。

「雨の日は便利ね。水を得た魚のごとくって言葉は、まさに私の為にあると思わない?」

「精霊琥珀…………うっ!」

 わずかな水を使って、御影の首を押さえ込んだ。まるで床に張り付けられたように動けなくなった御影は、それを外そうと手に掛ける。しかし、外そうにもそれは指からすり抜けていく。

(そうか、水だから……!)

 御影の様子を見て、彼女の口から小さな笑い声がこぼれた。まるで妙齢の女性が静かに笑うような声だった。暗闇に浮かび上がった魔眼が怪しげに煌めいていた。

「さぁ、御影……王手よ」

 精霊琥珀が御影に手を伸ばした時だった。

「!」

 彼女はハッとして顔を上げ、御影の拘束を解いた。

「ウィンデアス・スフィア!」

 詠唱と同時に飛んできた風の塊を彼女は魔法で切り裂き、教室に突風が吹き荒れた。精霊琥珀はすぐに御影から距離をとる。

「御影っ!」

 陽介の声が聞こえ、御影は体を起こした。

「陽ちゃん!」

「大丈夫かっ!」

 御影に駆け寄り、無事だと分かると陽介は精霊琥珀を睨み付けた。

「ずいぶん、大暴れしてくれたじゃん?」

 走ってきた陽介は息が上がっており、それを見た精霊琥珀は嘲笑する。

「あら、ずいぶん遅い到着ですこと? ヒーローにでもなったつもり?」

「…………それで挑発してるつもりか? もう手持ちの水はないだろ?」

「…………そうね」

 瞳の色が次第に青く変化していく。彼女はため息をつくと、小さく首を振った。

「心晴も魔眼の維持はもう限界みたい…………」

 そう口では言うが、彼女の口端は持ち上がったままだった。

 それに薄ら寒いものを感じた二人は身構えていると、彼女は胸元の魔導遺物を握る。

「貴方たちは、これを魔導遺物と呼ぶのよね? これの本当の名前を教えてあげる」

 彼女は魔導遺物の蓋にゆっくり指を掛けた。

 そう言った彼女は、その棺の蓋を指で弾くように開けた。

 魔導遺物の中から冷気が溢れ出た。まるで突き刺すような冷たさに思わず御影は腕を擦った。

(なにこれ…………!)

 彼女の青い瞳がさらに鮮やかなものになっていく。棺から漏れ出た冷気が、精霊琥珀に集まっていくのが分かった。詠唱もフラッシュメモリーも無しに、水色の魔法陣が無数に展開される。あれだけ力を使っていたにも関わらず、彼女はまだ魔力を引き上げられる。

(これが…………精霊琥珀の力?)

 目を見開いた御影を見て、精霊琥珀はくすりと笑った。

「今度こそ王手よ、学友くん達…………」



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