10 VS髪切り魔



「見つけたわ……」

 声を低くして精霊琥珀は虚空こくうに語りかけた。

 ぽつんとある街灯が、帽子から滴り落ちる雫を光らせる。

 精霊石はカバンに入れたあったペットボトルの蓋を開けると、鋭い刃が現れた。

 街灯に照らされた刃が白く煌めき、その虚空に一閃させる。

「ひっ!」

 そこに誰もいないはずなのに、小さな悲鳴が聞こえた。

「隠れても無駄よ…………私の目から逃げられないわ…………」

 精霊琥珀の青い瞳が徐々に色濃いものになっていく。

 深い紫色に変わった瞳がそれを捉えた時だった。黒い霧のようなものが周囲に広まり始めたのに気が付いた。

 ブブッ……ブツン……

 頭上の街灯が音を立てて消える。

 シュッ

 眼前を何かが横切っていき、精霊琥珀は体を逸らした後、ペットボトルの底を突きあげるように殴りつけた。

「痛ッ!」

 声と共に金属音が響く。地面に転がったのは、雨に濡れた大振りの鋏だった。

 足下に転がってきたその鋏を踏みつけ、見えない相手を睨みつけた。

「雨が降ったのが貴方の運の尽きよ。さぁ、今すぐその子を返して!」

 叫ぶように精霊琥珀がいうと、「ふふっ」と笑い声が聞こえた。

 その笑い声が不快で精霊琥珀は眉間に皺を寄せる。

「何笑っているの?」

「すごい。あなたもこれを持ってるの?」

 それは少女の声だった。おそらく、心晴と同じくらいの。その声はどこか嬉しそうな声で、精霊琥珀はその声に応えなかった。

「その目、もしかして外人さん? 髪は染めたのかしら? 綺麗な色だけど、とっても残念」

「!」

 足元から黒い影が浮かび上がった。それは精霊琥珀の体よりも大きく膨れ上がる。

 慌ててその影から逃げようと距離をとるが、それは無数に現れ彼女の足を捕まえる。

「水色の髪はいらないの。そんな奇抜な髪。切り落としてしまいましょう?」

 金属を滑らせたような冷たい音が、雨音の隙間を縫って聞こえてきた。暗闇から浮かび上がった銀色の鋏の刃が精霊琥珀を捉えた。

 脅すように刃を光らせ、こちらに向かってくる凶刃に彼女は「フッ」と笑って見せた。

 その瞬間、彼女の周囲だけピタリと雨が止む。そして、雨粒の一部が黒い手を鋭く突き刺し、地面に叩き落とした。足元にまとわりついた手は切り刻まれて地面に散らばり、解けるように消えいく。

 それを見た相手が息を呑むのが分かり、精霊琥珀は怪しく笑う。

「ああ、可哀そう。可哀そうで涙が出てきちゃう……精霊石の恩恵をこんな風に使うなんて……いくら心が蝕まれていても、許しがたいわ……」

 精霊琥珀が一歩踏み出した時、ふと気配を感じて振り返った。

「心晴────っ!」

「心晴ちゃ──んっ!」

 その声を聞いて、精霊琥珀は舌打ちをした。



 ◇



「心晴──っ!」

「心晴ちゃ──んっ!」

 三人が森林公園で精霊琥珀の姿を見つけ、少しだけ安堵を漏らす。

 ぽつんと立っている精霊琥珀は、鋭い目つきでこちらを見た。その瞳の色に違和感を覚えたが、青い瞳は冷たくこちらを見ていた。

 精霊琥珀と人格を入れ替わった心晴を初めて見た深紅は、ぎょっとする。

「あれが……雨海さん?」

 三人が近づこうとした時、精霊琥珀がハッとする。

「こっちにこないで!」

 精霊琥珀の言葉に、二人が動きを止めた。

 光る何かが飛んできて、陽介の頬をかすめた。

「うわっ、危ねぇ」

 陽介はその飛んできた方向に目を凝らして見る。

 暗闇で陽炎のように無数の何かが揺らめいている。

 それは、鋏を持った黒い手。まるで暗闇から浮き出てきたような手は半透明で浮世の物とは思えない。

「闇魔法か!」

 それは御影が使っていた影を操る魔法に似ている。そして、その近くに髪切り魔がいることは分かっている。

 姿を見えない相手を必死に探していると、精霊琥珀がにやりと笑う。

「ちょうどいいわ。学生くんたちの力を見せてもらいましょう」

 とんっ

 彼女が軽く地面を蹴ると、降っていた雨がピタリと止んだ。いや、四人の周囲の空間だけ雨が避けていた。

「打ち合わせは聞いてたわ。お願いね」

 精霊琥珀はその影を水の刃で切り裂き、鋏を全て叩き落とした。そして、その影が霧状になって集まりだした。

「そこよ」

 精霊琥珀の声を合図に御影と陽介がフラッシュメモリーから魔法陣を形成する。白く輝く魔法陣は無数に現れた。

「ライトニング!」

 二人が声を揃えて呪文を叫ぶ。閃光が放たれ、霧状の影を照らした。

 霧状の影は姿をなくし、暗闇から犯人の姿が浮き彫りになった。

「あらら、残念だな~」

 その言葉とは裏腹に、聞こえた声は間の抜けたような明るい声だった。

「もっと遊びたかったのに」

 その人物は、四人がよく知る学校の制服を着たショートカットの少女だった。

「え…………?」

 その人物を見て、精霊琥珀以外の皆が驚いた。

 その少女は御影も陽介も知っている。二人が救急車と警察を呼んで助けた、佐々木という少女だ。

 そして、深紅が誰よりも驚いた。

「…………委員長?」

 深紅の声を聞いて、ようやく深紅の存在に気付いたのか。彼女はぱぁっと顔を明るくする。

「ああっ! お姉さま! いらしていたのね!」

「お姉さまぁ⁉」

 ぎょっとして御影と陽介が深紅を見ると、彼女は高速で首を横に振る。

 私は何も知らない。顔を真っ青にする深紅とは裏腹に、佐々木は恍惚こうこつな顔をする。

「ああっ! 愛しい愛しいお姉さま! 雨に濡れた御髪おぐしもなんて綺麗なの! 素晴らしいわ、さすがお姉さま! ぜひ、その御髪を触らせてください!」

「いくら委員長の頼みでも絶対に嫌っ!」

 深紅が拒絶すると、彼女はしょんぼりする。

 状況が読めない陽介たちは、相手に聞こえない程度に深紅に話す。

「ちょっと深紅嬢。なんなの、あの子?」

「前は大人しそうな奴だったよな? 普段はあんなんなの?」

 深紅はショックの方が大きいのか、二人の質問に首を横に振って答えた。

「あー、ホント素敵……私の理想とする黒髪の美少女……」

 佐々木はそう呟く。

「全く傷みがないウェーブのかかった髪、まるで天使の輪のように輝くキューティクル! まるでお人形みたいに素敵……ため息が出そう……」

 佐々木は陽介と御影を値踏みするように目をやると、御影の顔を見た瞬間、げんなりとした顔に変わる。

「ああ……貴方、この間の女装野郎ね? 貴方、なんでお姉さまの傍にいるわけ?」

 深紅に見せていた明るい表情は完全に消え失せ、その変わり様は拍手を送りたいほどだ。

 御影は言いたいことを飲み込んで、佐々木を見据える。

「ひどい言い様ね。貴方が髪切り魔なわけ? なんで茶髪の女の子を狙ったの?」

「なんで? そうね、あなた達には分からないわよね?」

 彼女はうふふっと笑った後、はっきりと言った



「私、黒髪の女の子が大好きなの!」



 にこやかに放たれた言葉だったが、それを聞いた御影は顔を引きつらせ、陽介はぎょっとし、深紅はあんぐりと口を開けていた。そんな三人の反応に無視して、佐々木は続ける。

「日本人と言えば、黒髪! 特に長い髪が揺れるのを見るのが好きだったの……それなのに……高校生になった途端、みんな髪を染めだして! 綺麗なのになんで染めちゃうわけ⁉ それも卒業した途端に‼ 信じられない! 校則でも禁止されてるでしょ!」

 謎のこだわりを地団太を踏みながら語り、御影は顔をひきつらせたままだった。

「それで、茶髪の女子を……?」

「そうよ! 髪を切られた恐怖で黒く染め直せばいい! そうしたら、好きな黒髪少女が増えるでしょ?」

 私ったら、なんて名案なの! 素晴らしい!

 そう自画自賛する彼女を黙ってみていた精霊琥珀が嘆息を漏らした。

「そんなことに……精霊石を?」

 彼女から冷気が漏れ出ているのが分かり、御影も陽介が彼女の怒りを鎮めようにも近づけなかった。

「そんなことって何? いらない茶髪はこのパワーストーンが食べてくれるもの。姿も消せるし便利な石だよな!」

 彼女は首から下げたペンダントを見せた。キューブ状の石は黒に近い色をしており、他にも何か混ざっているのか、濁ったように見えた。紛れもなく、あれは精霊石だった。

「まさか、犯人がこんな近くにいたなんてな……でも、学校では指輪が反応しなかったぞ?」

「そうね、私もあの子の声は聞こえなかったわ」

 陽介に同意する精霊琥珀を見て、佐々木は鼻で笑う。

「当たり前でしょう? 校則でアクセサリーが禁止なんだから。持ってくるわけないじゃん」

 そんなところで真面目になるなと全員が半目になる。

 しかし、彼女はそんな視線を気にすることなく上機嫌に言った。

「ちょっと黒魔術を齧っただけで本当に魔法が使えるなんて、まるで夢みたい。この石があれば、なんでもできるよな。おまじないや黒魔術なんて目じゃないわ! お姉さまもそう思うでしょう? ねぇ? そうだよね? そうって言えよ!」

「…………委員長?」

「なぁに、真霧さん? なんか言いたいことがありますの? はっきり言えよ!」

 徐々に口調が不安定になっていく佐々木に、深紅は目を逸らさなかった。

「貴方、本当に……委員長なの?」

「まあ、疑うなんて心外だなぁ! 本当、綺麗で可愛い出来損ないなんだから! きゃはははははっ!」

 狂ったように笑う彼女の周りに黒い靄が現れた。その黒い靄は徐々に佐々木を覆っていく。

「なに……あれ……?」

 その異質な物を見て気持ち悪そうに顔を歪める御影に、精霊琥珀が言った。

「精霊よ」

「精霊? ……あれがなの?」

 御影も初めてみるのか、冷汗を流していた。佐々木に纏わり付く靄は徐々に彼女を飲み込んでいく。精霊琥珀が放つ冷気とは違い、生温い空気が漂う。

「おい、精霊琥珀。あれどうすればいいんだよ?」

 陽介がそういうと、精霊琥珀は平然と言った。

「簡単よ。持ち主から精霊石を離せばいいわ」

 精霊石は持ち主が手放せば何も出来なくなる。まずは彼女から精霊石を離すのが先だった。

 陽介はフラッシュメモリーを握りしめ、御影に目を向けた。

「へぇ……じゃあ、やるぞ。御影!」

「ええ、陽ちゃん!」

 御影は紫色の魔法陣を形成する。魔法陣は陽介の足元に移動した。

「せーのっ!」

 掛け声とともに、足元の影が陽介を宙へ押し上げた。高く打ち上げられた陽介はフラッシュメモリーから光魔法を選び、白い魔法陣を形成した。

「闇属性の精霊なら、消し飛びやがれ!」

 白く輝く魔法陣の上にさらに緑色の魔法陣が上書きされる。これは初めて使う組み合わせの魔法だ。

 陽介はさらに魔力を魔方陣に注ぎ、呪文を叫んだ。

「ライトニングスフィア!」

 集まった風の塊が光を吸収していく。陽介はその光球を佐々木に目掛けて、落下する勢いに任せて蹴り落とした。

 まるで隕石のように落とされた鋭い一撃。佐々木はそれを止めようと影を集めるが、その光の強さに影が消え失せた。

「なっ!」

 光球は佐々木に直撃し、纏っていた靄が消し飛んだ。

「きゃぁあっ!」

 彼女の首に下がっていたペンダントのチェーンが切れた。宙に舞う精霊石を見て、深紅がハッとする。

「クロコ!」

 深紅の呼び声に反応したクロコが、飛んで行った精霊石をキャッチした。

 ゆっくり下へ落ちていく陽介はその魔法の威力に目を瞠った。

「おお、すげぇ……!」

 光属性に適正があるとは言え、陽介は光魔法をほとんど使ったことがない。よく使う風魔法との初めて組み合わせだったが、適性があってこれだけの威力を出せるなら今後も使いたい。

 華麗に着地した陽介は御影にハイタッチした。

「陽ちゃん、さすが!」

「まあな!」

「委員長!」

 深紅が倒れた佐々木の元に駆け寄る。彼女の様子を見て、深紅がホッとした表情をする。

「気絶してるだけみたい……」

 よかったと、安心する深紅の表情を見て、二人もドッと疲れが体に降りた。

「これで髪切り魔の件はおしまいだな」

「そうね、これでゆっくりできるわ……短かったけど、怒涛の日々だったわね」

 三人で終わったと安堵を漏らした。

「ぎゃんっ! ぎゃんっ!」

 犬のような鳴き声が聞こえ、三人が弾かれたようにその方を向いた。

「……うるさいわねぇ」

 そこにはクロコを踏みつける精霊琥珀の姿があった。青い瞳を冷たく光らせ、彼女は舌打ちをする。

「下級の使い魔のくせに……」

 鬱陶しそうに言い、精霊琥珀はクロコから精霊石を奪い取ると手の内にある精霊石を確認した。

「おい! お前、何してんだ!」

 陽介がそういうと、精霊琥珀は大げさにため息をついた。

「何って精霊石を回収してるのよ?」

 当然のように言った彼女は、奪い取った精霊石を眺めていた。

 心晴の変わりように深紅が目を瞠る。

「貴方は誰なの……? 二人が言っていた雨海さんの精霊石なの?」

 精霊琥珀は一瞬、頬をヒクつかせるも、にっこりと笑った。

「そうよ。改めて初めまして、真霧家のお嬢様。私は心晴の精霊石の精霊さん。まあ、この人格は心晴を元にしたものじゃないけど」

 驚く深紅の前に陽介と御影が出た。

「おい、その精霊石をどうするつもりだ!」

「あら、怖い。どうするもなにも、私の目的は最初に話しているはずよ?」

 精霊琥珀の目的。それは精霊石の解放。

 使い終わった精霊石は、現世に戻すのが習わしだと彼女は言っていた。

「でも、それは粗悪品なのよ? 魔法界で回収し分析しないと、これからも数は増えるわ!」

「そうだとしても、このままこの子を貴方たちには渡せないわ」

 精霊琥珀は愛おしげに手元の精霊石を見つめる。

「ああ、なんて可哀そうなの……貴方たちには聞こえないでしょうね。この子の苦しみも、悲しみも、飢えも…………」

 精霊石を手で優しく包むと、冷たい目を三人に向けた。

「貴方達にも精霊石を持つ資格はないわ」

 きらりと精霊琥珀の瞳が光った。青い瞳は色濃いものになっていき、紫色に変わった。

「その目は……!」

「これは私の役目なの。だから────邪魔しないでっ!」

 精霊琥珀の言葉に反応し、三人の指輪が熱くなる。

「あっ……!」

 指輪の付けられた石が輝きを発し、徐々に色が抜けて黒く変色していく。

 絶句する三人を見て、精霊琥珀は満足そうに頷いた。

「それじゃあ、バイバイ。学友くんたち」

 避けていた雨が再び三人に降り注ぎ、精霊琥珀は姿を消した。

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