05 かわいい



「ねぇ、鏡花」

 答えない私に話しかける声が聞こえる。それはいつだって優しく私の荒んだ心を穏やかにしてくれる。

「貴方はもう役目に縛られなくていいの。ゆっくりおやすみなさい」

 ダメよ、タツ。私は精霊琥珀だもの。私も貴方も、まだやることがあるわ。だって私たちはそのために人間界に来たのでしょう?

 ねぇ、タツ。なんで返事をしてくれないの?

 私のこと嫌いになっちゃったの?

 もう我儘わがままは言わないわ。お気に入りのビスクドールだってタツに触らせてあげるし、セイイチロウのお茶にイタズラだってしない。タツのこと大好きだから、大好きだから……お願い返事して。

 ねぇ、タツ。

 ねぇ、タツってば!



 ◇



 学校の近くにある公園に待ち合わせした陽介と御影は、ブランコに座って待つ人物を見て、顔を曇らせた。

 二人の顔を見たその人物は、口をへの字に曲げる。

「何よ、その顔? 可愛くなぁ~い」

「なんでお前がいるんだよ、精霊琥珀」

 待ち合わせ場所にいたのは心晴ではなく、人格を入れ替えた精霊琥珀だった。

 昨日と同じグレーのパーカーを頭から被り、水色の髪を隠すようにまとめてる。しかし、パーカーだけでは隠しきれず、余計に悪目立ちをしていた。水色の髪を指でいじりながら、精霊琥珀は言った。

「なんでって、あれだけ私のこと呼んでおいて返事しないのもあれだから、出てきてあげたんじゃない?」

「あの時に出て来いよ…………」

「お昼寝中の淑女を呼び付けるのは紳士のすることじゃないわよ? ま、出てきた理由はそれだけじゃないわ」

 精霊琥珀は自分の頭を指さして言った。

「帽子が欲しいの。どこかに帽子屋はないかしら?」

 すっかり根元から毛先まで水色に染まりきった髪を見せた後、髪をフードの中にしまい込んだ。

 精霊琥珀はどこかに飛んで行った帽子を探したらしいが、結局見つからなかったらしい。

「本当、もう夕暮れだっていうのに明るすぎるご時世だわ…………おちおち散歩もできないだなんて……」

 現代人と真逆な考えなのは、彼女が精霊琥珀だからだろう。

(目立つ頭してるからなぁ)

 容姿のせいで出歩きづらい気持ちも分からなくもなかった。御影もしょうがないわねと苦笑する。

「じゃあ、ショッピングモールに行く? 深紅嬢と合流してからになるけど…………わっ⁉」

 ずいっと精霊琥珀が御影に詰め寄り、睨むように御影を見上げていた。

「な……なに?」

 戸惑いながら御影がいうと、精霊琥珀は小さく首を振った。

「別に……ショッピングモールって何?」

「えーっと、大きなお店にいっぱいお店が入ってるのよ」

 御影の言葉にあまりピンとこなかったのか、彼女は少し考えた。

「…………デパート?」

 デパート。それを聞いて御影も頭を悩ませた。おそらく、彼女が知っている情報の中で、それが一番近しいものだったのだろう。

「そ、そんな感じかも……たぶん、それより大きいわ」

「ふーん」

 興味なさそうにそういうと、「その深紅って子は誰?」と欠伸を噛み殺しながら言った。

「もう一人の精霊石を持ってる女子だよ」

 心晴が精霊琥珀を学校に連れてきていたが、意外にも話は聞こえないのかもしれない。陽介が「昼休みに一緒にいただろう?」というと、彼女は首を横に振った。

「さぁ、寝てたからね。会話はそれなりに聞こえてたけど、知らないわ」

 それを聞いて、御影と陽介は顔を見合わせた。

「目を閉じてた?」

「ええ、寝てるんだから当たり前でしょう?」

 精霊琥珀は退屈そうに欠伸をして、目を擦った。

 まるで、生きている人間と同じ行動をしているような言葉に二人は戸惑っていると、精霊琥珀は足を組んで俯いた。

「退屈だわ。心晴と交代するから帽子買っておいてね」

「あ、おいっ!」

 陽介の制止も聞かずに、精霊琥珀の髪は黒髪に戻っていく。再び瞼が開いた時、きょとんとした目で陽介と御影を見上げていた。

「あれ……御影ちゃん? それと陽介くん?」

 心晴はフードを下ろすと、きょろきょろと周りを見渡した。

「あれ……待ち合わせ場所? もしかして、また?」

 戸惑う心晴を見て、陽介は呆れる。

「お前、どうやって精霊琥珀と入れ替わったんだよ?」

「え…………ご、ごめん。分からない……」

 やはり心晴の意志関係なく、精霊琥珀は人格を入れ替えられるようだった。心晴は家に帰ってからのことを思い出しているのか、唸るような声を出していた。

「たしか……鞄とかを置いたのは覚えてるんだけど……そのあとはさっぱり」

 能天気そうに笑ってはいるが、勝手に体が動いている状態に心晴も不安だろう。それを見て、陽介は御影に言った。

「なあ、精霊琥珀ってみんなそんなことができるのかよ?」

「アタシも精霊琥珀を見たのは初めてだからよく知らないけど。精霊石が人に影響を及ぼすことは確かよ。でも、精霊個人として人格を入れ替えるのは、やっぱり精霊琥珀だからじゃないかしら?」

「てか、精霊って個人の人格があるのか?」

 学校の授業で魔法の原理について触れることはあった。精霊は魔法の素である魔素を生み出す存在であり、目に見えないのだ。陽介はプランクトンやら微生物のような印象が強かった。

 これには御影も頭を悩ませた。彼は魔女族ではあるが、一族からもっとも縁遠い場所で暮らしてきたというものある。知識は特専学科の生徒よりも詳しい程度かもしれない。

「そうね、赤ちゃん並みの感情はあるかもしれないわ。精霊琥珀が苦しんでるっていうくらいだもの」

 精霊石が他の精霊石を探知できるのはそれが理由かも知れない。二人の指輪が髪切り魔の精霊石や精霊琥珀に反応したのも頷ける。

「もしかしたら、精霊琥珀に入っている精霊は特別な精霊なのかもしれないわね」

 二人の視線が心晴に向かう。心晴は二人がなんの話をしているのか、いまいちピンときていないようだった。

「とにかく、今夜は髪切り魔を捕まえるぞ」

 陽介の言葉に心晴が「頑張るぞっ!」と意気込み。御影も嬉しそうに頷いた。

「しっかし……真霧のやつ、遅いなぁ」

 約束の時間はもう過ぎている。あの生真面目お嬢様が遅刻するなんて考えられない。

「本当ねぇ……一応、電話の一本でも入れてみるわね?」

 御影はそう言ってスマホを取り出し、深紅の連絡先を引っ張り出した。

「ねぇ、陽介くん」

 御影が電話をしている横で、心晴が言った。

「二人は真霧さんと同じ学校だったの?」

「まさか……あっちは超名門のお嬢様で、こっちは辺境の地の学校だったよ」

 魔法界の旧家の一角、真霧家。彼女がいた学校も旧家出身者が通うにふさわしい名門校だ。その中でも特殊専門学科は、例え幼等部からいても試験を受けなくてはならず、倍率もかなりのものらしい。彼女はそれに勝ち抜いていたのだ。

「特殊専門学科ってそんなに人気なの?」

「お前にはピンとこないかもしれないけど、魔法界の研究職って憧れの職業なんだよ」

 魔法使いにとって研究職というのは、本来あるべき姿なのだ。魔法使いによっては神秘を、錬金術を、魔法を研究し、生活の豊かにしていく。それは、人間界の営みとそう変わらないかも知れない。しかし、研究職に付けられるほどの人材は限られている。

「なんせ魔女族の魔導遺物を研究できるんだから、オレら魔法使いにとってロマンの塊だよ」

「魔女族ってそんなにすごいんだ?」

「当たり前だろ! なんたって生ける伝説だぞ!」

 思わず食い気味に言ってしまった陽介は、ハッと我に返る。心晴自身は何の気なしに言ったつもりだったのだろう。一瞬きょとんとしたあと、心晴は微笑ましいものを見るように笑う。

「笑うなよ…………」

 ばつが悪そうに陽介が言うと、心晴は「ごめん」と嬉しそうに言った。

「なんか、陽介はくんはいつもツーンってしてるから、ちょっとびっくりして……」

「別に。前の学校と違って話題に困ってるだけだって……」

「え……?」

 それこそ意外だと言わんばかりの反応に、陽介は肩を落として言った。

「昔は魔法も何も関係なしに接してたのに、年を重ねると変わってくるもんなんだよ。ガキの頃って言ったらゲームだろ? 漫画だろ? 前の学校はそれが全て魔法の話題にすり替わるんだよ」

 二人の学校は表向き普通科でも、魔法界の普通科と人間界の普通科に分けられる。その分断は中等部への進学からだ。そこから今までの雰囲気がガラリと変わってしまう。もちろん、普通科の生徒と関わる機会はある。しかし、どうも馴染めないのだ。こちらに秘密があるとは言え、昔ほど気兼ねなく話せない。深紅のように人間嫌いでもないが、自分の中で少なからず葛藤があった。自分はここにいる人間とは違うと。

 それは小さな摩擦と言ってもいい。なんとなく、魔法使いと人間の一線がそう思わせていた。

「だから、御影のやつはすげぇと思うぞ」

 御影のコミュニケーション力は目を張るものだ。深紅に対する態度もそうだが、基本的に彼は男女分け隔てなく愛想がいい。心晴を連れて昼食を摂ろうと提案したのも御影だ。誰とも仲良くなれるというのは、八方美人だという者もいるだろう。しかし、陽介にはそれがとても眩しく、そして羨ましく思えた。

「ちょっと、それ大丈夫なの?」

 深紅と繋がったのか、御影が少し慌ただしく話していた。

「分かったわ。そっち用事もあるし、ショッピングモールに行くから時間を潰してて」

 通話を切った御影はため息をついて言った。

「相手の子がまだ遊ぶって聞かなくて、大変だったみたい。アタシが電話したおかげで帰られそうって」

「真霧を困らせるって、どんな相手だよ」

 あの性格では友達少ないだろうなと思っていたが、意外にも人の子ではあるらしい。人間嫌いが一体どんな心境の変化だろうか。

 御影も苦笑しており、「電話口の向こうはかなり騒がしかったわよ?」と言っていた。

「とにかく、ショッピングモールに行きましょう」

 ショッピングモールまでは電車とバスを乗り継いでいくしかない。到着まで一時間くらいかかったが、合流した深紅はどっと疲れた顔で待っていた。

「今回ばかりは終夜御影のおかげで助かりました……ありがとう…………」

 まだ制服姿の彼女を見て、陽介も「どうしたんだよ」と言葉を漏らしてしまった。

「口を挟む間もなく連れ回されて……この後はカラオケとか言い出した時にはどうしたものかと思いましたわ…………人間界の高校生ってこういうものなのですか……?」

 六時には切り上げようとしたのだが、次はこれ、あれ、それと引っ張り回されたようだ。おまけに口を開けば、まるでピッチングマシーンのように飛んでくる一方通行式な会話で口を挟む間もなかったらしい。

「悪い子ではないのよ…………悪い子では……」

 遠い目をしている深紅の言葉に、陽介も隣の御影を一瞥してから同情する。

「お前も、人の子だったんだな」

「私が木の股から生まれてきたとでも……?」

「まぁまぁ、まだ私たち食事もしてないし、フードコートとかで軽く食事しない? 深紅嬢も疲れてるでしょ? ね?」

 疲れのせいで、噛みつこうにも噛みつけない深紅を御影が労わるように食事に誘い、四人は食事を摂ることになった。

 箱入りの深紅がファーストフードで注文をしたことがないというのは想像ついていたが、実は心晴もだったらしい。二人ともどこかウキウキした気分で注文していた。その背中を眺めながら御影は可愛いと呟いていたが、陽介はまったく賛同できなかった。

「どこが可愛いんだよ……」

「え、なんか初々しいっていうか、ウサギちゃんみたいじゃない? 小動物系っていうか?」

 いまいち分からない感覚に、陽介は怪訝な顔をする。

「分かんねぇな……」

「なんで分かんないのよ、陽ちゃんの鈍感! 心晴ちゃんの一つ一つの言動が可愛いでしょ!」

 唇を尖らせて御影はそういうが、可愛いというものがよくわからない陽介にとって未知な感覚だ。

「お前のいう可愛いは常に飽和状態なんだよ……ゲシュタルト崩壊してんだよ、自覚しろ」

「何よー! 好きになったら誰だって語彙力が低下して可愛いしか言えなくなるんだからね!」

「何が好きになったらだ…………あ?」

 好き?

 陽介がぎょっとした目で御影を見ると、彼も「ん?」と固まる。そして自分が言った言葉に自覚したのか、御影の顔がみるみると赤くなっていく。

「み、御影…………?」

「ち、違うわよ! 友達としての好きよ! 陽ちゃんと同じっ!」

「お、おう……」

 慌てて否定した御影は真っ赤になった顔を手で押さえて「好き? 好きって何?」と自問自答を繰り返していた。

 しばらくはそっとした方が良さそうだ。


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