04 非日常の始まり

(なんで? え……なんで………………?)

 夕陽は内心で焦りながら画面に指をすべらせた。

 登校途中でぶつかられて、落としたスマホを拾ってもらえたのは良かった。拾ってもらったスマホの画面にはヒビや傷もなく、操作も難なくできる。しかし、アスファルトの地面に落としたのにも関わらず、スマホが

 すでにあった画面の傷も、少しずつ削れていたスマホカバーのイラストも綺麗になっている。

 一瞬、他のものとすり替えられたのかと思った。しかし、同じスマホやカバーを用意する手間や、心晴のスマホを盗むメリットがない。電話帳や通話アプリの連絡先だって、家族のものしかない。アプリのゲームだって課金しているわけでもないし、特別強いわけでもない。

 心晴はスマホの中身を調べた。

 スマホの画面は綺麗。フリック操作も良好。データの破損もない。アプリ内のアカウントも正常に動いている。ただ、スマホが綺麗すぎるだけ。

(元々こんなに綺麗だったっけ?)

 スマホを買って一年弱は経っているので、まったく傷がない状態であるわけがない。まるで魔法のような一瞬の出来事に戸惑うばかりだ。

 心晴は靴から上履きを履き替えて教室に向かう。

「なんだか、変な日だなぁ…………」

 ただでさえ、ブロンドの男の子にスマホを拾ってもらうこと自体、すでに現実からかけ離れている状況なのに、スマホが綺麗になっているなんて、まるで漫画や小説の世界だ。

(そういえば…………)

 スマホを拾ってくれた彼は一体、どこのクラスの人なのだろう。入学してしばらく経つが、彼を見たことがない。ということは、彼は違う学年なのかもしれない。しかし、あんな目立つ容姿をしていれば、クラスの子たちが騒ぎそうだ。

(留学生……にしては日本語が上手だったな)

 一応、この学校は留学生も受け入れていると聞いたことがある。しかし、彼の日本語は片言かたことではなく、ごく自然なものだった。

 一緒にいた男の子が彼のことを「みかげ」と呼んでいたような気がする。

(また会ってみたいな…………)

 心晴がスマホから顔を上げると、すぐそこに自分の教室があった。それを見て、胃の中で熱いものを感じた。

(大丈夫。大丈夫…………)

 そう自分に言い聞かせながら、教室に入った。騒がしすぎる教室では、クラスメイト達が楽しそうに会話をしているのが見える。中にはゲームをしたり、漫画を見たり、スマホをいじる生徒もいた。そんな中に心晴はそっと入り込んだ。誰も心晴を気に留めたりしない。別に会話が止まったり、視線を送ったりすることもない。

 自分の席に着いた心晴はカバンを机の脇に掛けた。それまでに誰も心晴に声をかけることはなかった。まるで、自分が教室の背景に溶け込んでいるかのようだった。

 別にいじめられているわけではない。ただ、クラスメイト達は自分に興味がないのだ。

 心晴は高校入学の直前に大きな怪我をしてしまい、入院していた。それはたった数週間だったが、その数週間でクラスのグループは出来上がってしまっていた。

 最初は退院したばかりの心晴を気にかけて話しかけてくれた子もいた。しかし、引っ込み思案な心晴は、その輪になじめず、自然に取り残されてしまっていた。

 楽し気な雰囲気に取り残された自分は、明らかに浮いていて異質な存在だ。


 しかし、これが雨海心晴の日常だった。


 毎日、この繰り返しが嫌で嫌で仕方なかった。

 だから、少しでもいつもと違うことが起きればいいのにと願ってしまう。

 心晴はイヤホンを掛け直し、音楽の音量を上げる。カバンから文庫を取り出して目を通した。少しでも寂しい気持ちを紛らわせて、空想の世界に入り込めるように。

 その内、ぱたぱたとクラスメイトたちが席についていく。時計を見ると、ホームルームの時間になっていて、担任も教壇きょうだんに立っていた。心晴もイヤホンを外して、文庫をしまう。

「起立、礼、着席」

 日直の号令で席についた後、担任は出席簿を開ける。そして、出席を取り、この後の授業が始まるだけだ。それが日常だった。

 しかし、今日は違う。着席をした時、空席の机がやけに目立った。欠席の生徒がいることは何ら珍しいことではないが、たまたま目についてしまったのだ。

「それじゃ、ホームルームを始めるぞ…………」

 そう言った後、担任は出席簿から目を離し、咳払いをする。

「と、その前に。今日からクラスメイトになる編入生を紹介する」

 ふいに言われた言葉に、教室にいる生徒たち全員がどよめいた。こんな中途半端な時期に編入生がくるなんて珍しい。そもそも、高校で編入生がくるなんて初めて聞いた。

 どんな人だろう。女子か、男子か。皆が期待をふくらませている中、心晴は期待より不安しかなかった。

「入ってきてくれ」

 担任の呼びかけにドアから二人の男の子が入ってきて、心晴はぎょっとする。

 一人は背丈が心晴とそれほど変わらないくらいの男の子。邪魔な前髪をピンで留め、猫のように吊り上がった目は愛嬌あいきょうがあって可愛らしい。しかし、その可愛らしい目は、どこか苛立ったような色を浮かべている。

東雲しののめ陽介ようすけです」

 その声はすでに声変わりをしていて、声を聞かなければ小学生にも間違えられてしまいそうだ。

 しかし、心晴が驚いた理由はそれだけではない。問題は、その隣にいるもう一人だった。

 陽介の隣にいたのは、目立つブロンドヘアをした男の子だった。長く綺麗な髪を可愛らしいシュシュで一つにまとめられており、シミのない色白の肌がよく映える。目尻が下がった瞳は、優しく微笑んでいるように見え、優しい印象を与える。さらに、彼は背が高く、隣にいる陽介が横に並ぶと、それがさらに際立きわだった。

(うそ……あの人!)

 校門前で心晴のスマホを拾ってくれた彼だった。

 目立つ容姿のせいで、クラスの視線を集めてしまっている彼は、にこにこしながら口を開いた。

「初めまして~! 終夜よもすがら御影みかげでーすっ! 一応、ハーフだけど、バリバリの日本生まれの日本育ち! よろしくね!」

 しん……と、ざわついていた教室が一気に静まり返る。

…………?)

 そう疑問に思ったのは心晴だけではなかった。周りのクラスメイト達もひそひそと話し始めた。

「アタシ?」

「今、アタシって言ったよね……?」

 そのひそひそ話の内容は心晴の耳にも届いていた。目立つ容貌ようぼうに女性口調の編入生が来たら誰もが気になるだろう。

 しかし、そんなひそひそ話に気分を害する様子もなく、にこにこしながら立っていた。

 担任は咳払いをすると、二人を見て説明する。

「えーっと、この二人はうちの学校と交流がある私立校の生徒だ。彼らの学校には生徒達が良い学校づくりをするため、他校との交流をしている。今回もその交流の一環として、一定期間この学校に通うことになる。みんな、仲良くするように」

 ざわつく生徒達を無視して、担任はそのまま出席簿に目を移す。

「それじゃ、二人は空いてる席に座りなさい。隣のやつは、教科書を見せてあげるように」

「はい」

「はーい!」

 そう言って、ブロンドヘアの少年、御影が座る席は、あろうことか心晴の隣だった。

(え? えええぇっ⁉)

 そしてもう一人の少年、陽介が座ったのは心晴の後ろ。

 普段から周りを見ていないのと、他の生徒の顔をあまり覚えていないことが裏目に出た。空いていた席は欠席ではなく、編入生の為に用意したものだった。

 御影は心晴の顔を見ると、一瞬だけ目を見開いた。

「よろしくね!」

 にっこり笑う御影に、心晴は緊張で引きつった笑みを浮かべた。

「よ、よろしくお願いします…………」

 心晴はできる限りの笑みを浮かべたつもりだったが、きっと気持ち悪い顔をしているだろう。何より、心晴の頭は激しく混乱していた。

 まさか、今朝に会った人が編入生で隣の席になるなんて思いもしなかった。

 初めましての人にはどうやって接したらいいのか。オネェみたいな話し方をしているが、実は女の子だろか? いや、声はどう考えても男のそれだ。男の子として接すればいいのか、女の子として接すればいいのか。

 色んなことを考えすぎて、迷走しつつあった。

 ただでさえ、相手は編入生という珍しい存在なのに、ハーフで、顔もよくて、おまけにオネェっぽいとはこれ如何に。

(いや、いくら何でも属性盛りすぎでしょう!)

 ゲームキャラも真っ青な特徴の多さに、実はここは現実ではないのではないかと疑ってしまう。

 そして、ハッと我に返った。

(そうよ、これは夢よ)

 二度目の現実逃避であった。むしろ、これが現実である事がおかしい。

(スマホがこんなに綺麗になるし、編入生が一度に二人も来て私の席を取り囲むなんて、現実ではありえない)

 少しでも日常とは違うことが起こればいいと願っていたせいで、とんでもない夢を見てしまっているようだ。一体、どうすれば夢から覚めるだろう。覚めて欲しいような、覚めて欲しくないような複雑な思いを抱えながら、御影の机をくっつける。すると、ぱちっと目が合った。御影はにっこり微笑んで、こそっと言った。

「今朝の子よね? これからよろしくね」

 まるで陽だまりのような温かい笑みに、心晴はやられた。

(ああ、神様…………これが夢ならもうちょっと見てみたいです…………)

 何か心の奥が浄化されていくのを感じながら、静かに頷いた。

 とんとん。

 後ろから肩を叩かれた。

「ねぇ、前の人」

「え…………?」

 後ろに座った陽介が、頬杖ほおづえを付いてこちらを見ていた。

「隣の人がいないから、一緒に見ていい?」

 彼の隣には席がない。そうなると、必然的に心晴が見せるしかない。

「ドウゾー」

 緊張で片言になりながら答え、三つの机を並べた。

 ハーフの御影と猫のような陽介に挟まれ、心晴はなんだか居たたまれない気持ちになる。両手に花と言われれば聞こえがいいが、色モノに囲まれている気がしてならない。

(どうしてこうなっちゃったの──────っ⁉)


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