03 日常

 嫌だ、嫌だ!


 こんなの嫌だ!

 自信がなくて臆病おくびょうな自分が嫌だ。

 自分の好きなことが好きと言えない自分が嫌だ。

 自分を知らない周りが、勝手に決めつけてくるのはもっと嫌だ。

 自分が自分でいることの何がいけないの?

 自分がしたいことをなぜ簡単に否定して奪うの?

 こんな窮屈きゅうくつで息苦しい場所にいなくちゃいけないの?

 真っ暗で誰も分かってくれない世界なんて…………大っ嫌い!



 ◇



 雨海あまみ心晴こはるにとって、日常というものが苦手だった。

「行ってきます…………」

 まるで消えるような小さな声でそう言い、玄関のドアを閉じた。

 雨上がりで憎いくらい真っ青な空。心晴はそんな空から顔を隠すようにうついて歩き出した。

 朝日あさひが柔らかく照らす真っ黒な髪は、肩に付く程度で少しくせがある。寝ぐせにも見える髪を嫌そうにでつけながら、学生カバンを肩に掛け直した。

 スマホに繋いだイヤホンを耳に付け、好きな音楽を流す。心とは裏腹に明るくポップな曲は、心晴の気持ちを少しも晴らすことはできなかった。

 憂鬱ゆううつな通学路を、小学生たちが楽しげに笑いながら心晴を追い抜いて行った。

 忙しそうに早足で歩くサラリーマンや信号待ちでイライラした顔で運転する女性。いつも通りに家を出て、ほとんど変わらない日常が始まる。

 非日常を求めているわけではなかったが、いつも通りの日常が嫌だった。 

 段々通学路に同じ制服を着た学生が増えてくる。

「おはよ!」

「昨日グループで話したことだけどさ……」

 目の前で少女達が楽しげに話しているのが見え、心晴は目を逸らした。

(やだなぁ…………)

 そう思いながらぼんやりと、スマホの画面を見つめる。急に足取りが重くなり、息苦しくなる。

(行きたくないなぁ………………)

 背中から重くのしかかるものに吐き気に似たものを覚えると、ドンと誰かに勢いよくぶつかられた。

「あっ!」

 手からスマホが滑り落ち、ぶつんという嫌な音と共にイヤホンが耳から抜けた。

「いったぁ……」

 痛む耳を抑えながら、ぶつかった相手よりも先に視線を下に向けた。

(最悪……)

 あの勢いでアスファルトに叩きつけられれば、スマホはただじゃすまないだろう。カバーも画面の保護シートもつけているが、画面が割れていたらどうしようと思いながらスマホを探す。しかし、スマホが見つからず狼狽うろたえていると、大きな影が心晴をおおった。

「え?」

 顔を上げた時、目の前に自分のスマホが差し出された。

「これ、貴方のスマホ?」

 突然声を掛けられて、思わずその相手に目が行ってしまった。

 朝日に照らされて輝くブロンドの髪。それは長く、可愛らしいシュシュでまとめられている。まるで陶磁器とうじきのように白い肌は一片のシミもなく、整った顔立ちは彫が深く大人びていた。黒い瞳は、目尻が下がっていて、優しい印象を与える。相手は少しかがんでいるが、きちんと立てば心晴が見上げてしまうほど背が高いだろう。

 まるで絵に書いた王子様のような少年が目の前に現れ、ぎょっと目をく。

(が、外人⁉)

 突如、目の前に現れたブロンドの美少年の存在に心晴は体を硬直こうちょくさせた。

 おまけに自分のスマホを持ってこちらに話かけている。

(あれ、これって夢かな?)

 いつも通りの日常が嫌だとなげいた心晴が、現実逃避げんじつとうひして生み出した妄想もうそうの世界。きっと現実の自分は、さっきぶつかった衝撃しょうげきでどこかに頭をぶつけて倒れているに違いない。きっとそうだ。

 そんなことを考えている心晴のことなんて知らずに、ブロンドの美少年は心晴の顔をのぞき込んだ。

「顔色も少し悪いけど、大丈夫?」

 ずいっと顔を近づけた美少年。よく見ると黒い瞳は光が当たると緑色を帯びて、とても綺麗だ。しかし、あまりにも至近距離に心晴はハッとして現実に戻った。

「あ……え………その…………」

 緊張きんちょう口篭くちごもる心晴は、小さく頷くだけ頷いた。すると、彼はふわっと微笑んだ。

「そう、良かった

(わ?)

 心晴は頭に疑問符を浮かべたが、それは前方から聞こえてくる声によってかき消された。

「おい、御影みかげ! 何やってんだよ、行くぞ!」

「あ、ごめーんっ! 今行くー!」

 御影と呼ばれた少年は心晴にスマホを渡すと、ぱちんとウィンクをする。

「ばいばいっ!」

 小さく手を振った手には、きらりと光る指輪が目立った。彼が走って行った先には、背が低く愛らしい少年が腕を組んで待っていた。

「何してんだよ?」

「ごめんごめん!」

 怒った口調の少年を宥めて、二人は校門を通って行った。

 心晴は呆然として、それをずっと目で追っていた。

(あんな人……この学校にいたんだ………)

 あんな目立つ容姿をしていれば、いくらずっと俯いて歩いている心晴でも覚えていると思ったが、こんな時期に編入生がいるはずもないだろう。

「かっこいい……人だったな…………あれ?」

 彼から受け取ったスマホの画面を見ると、地面に落ちたというのに傷が一つもなかった。





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