02 運命の赤い糸

「うわっ………………」

 東雲しののめ陽介ようすけは思わず声に出してしまった。

 陽介がいる場所は大学の大教室と呼ばれる場所だった。まるで小さなコンサートホールのような作りは階段状に長テーブルが並べられている。縦にも横にも広いこの教室に集まる生徒たちのほとんどは、陽介が見たことがない制服ばかりだ。もちろん、知り合いの生徒はいるが、圧倒的に他校の生徒の方が多いだろう。

 落ち着かない陽介は辺りを見回した。

(アイツ、来ねぇな…………)

 陽介は猫の毛並みのような柔らかい髪を撫でつけ、長い前髪を留め直そうとピンを外す。赤いピンはメッキが剥がれかけている部分もあり、改めてみると、だいぶ使い込んだと実感する。

 陽介は邪魔な前髪をまとめた。前髪の下から見える目は猫のように吊り上がっており、少し鋭いがどこか愛嬌がある。それは陽介の顔立ちが幼く、背が小学生並みに低いせいだろう。声変わりが済んでいるおかげで小学生に間違われることは少なくなったが、それでも年齢相応に見られたことはほとんどない。

「よしっ!」

 気合を入れるように陽介はピンで前髪を留めた。その時だった。

「陽ちゃーーーーーーーーーんっ!」

 大教室中に自分を呼ぶ大きな声が響く。そこにいた誰もが、一斉にその声の主へ目を向けた。それはもちろん、陽介もだった。

 その声の主は二階のドアの前でこちらに向かって大きく手を振っており、陽介は目を見開いた。

「…………げっ!」

 思わず蛙が踏みつぶされたような声が出た。

 しかし、その人物は陽介の気持ちも露知らず、嫌味なほど長い足を駆使して、階段を二段飛ばしで駆け下りてきた。

 階段を駆け下りているにも関わらず、その音は静かである。しかし、こちらに向かってくるその勢いは変わらない。

「みかげ……っ! あだぁっ‼」

 駆け下りた勢いのまま突撃され、大きな衝撃が陽介を襲った。このまま突き飛ばされて階段から転げ落ちるかと思いきや、その人物にがっしりと抱き着かれる。

「もう! 陽ちゃんったら、なんでアタシを置いて行っちゃうのよ!」

 ぷんぷんと可愛らしく頬を膨らませて怒って見せたその人物。陽介は突撃された痛みに耐えながらそいつを見上げる。

 目立つブロンドの髪は長く、シュシュで一つにまとめられており、肌は色白でシミが一つもない。黒い瞳は目尻が下がっていて、優しい印象を与える。背は陽介よりも遥かに高く、体格もしっかりとしていた。女性口調であるが、その声は声変わりが済んだ男のものだ。

 光の加減で緑色の輝きを放つ黒い瞳は、どこか嬉しそうにこちらを見ていた。陽介はうんざりした顔でその人物の名前を呼ぶ。

「み、御影みかげ……」

 終夜よもすがら御影みかげ。陽介の幼馴染で、れっきとした男だ。顔の彫が深く、髪や瞳の色が日本人特有のそれではないのは、彼がハーフだからだ。目立つ容姿と陽介が羨む高身長のせいで、さらに周囲の視線が二人に集まった。その視線が恥ずかしくなった陽介は、抱き着く彼を引き剥がす。

「御影っ! お前、いい加減離れろ!」

「いやんっ! 陽ちゃんのいけずっ!」

 そんな二人のやり取りを奇異な目で見る者いたが、彼らを知る同級生たちは微笑ましいものを見る目をしていた。

 普段からこういったやり取りをすることは少なくはない。高身長の御影と低身長の陽介の見た目や仲の良さから、凸凹でこぼこコンビや夫婦漫才めおとまんざいと呼ばれていた。

「お前、目立つんだから、今日くらいは大人しくしろよ!」

「何よ~! 元はと言えば陽ちゃんがアタシを置いていったのが悪いんでしょ!」

 御影は他校の生徒が大勢集まる大教室を見渡した。

「それに、今日は大事な日なのよ!」

 大教室にいる生徒たちは、和やかに会話を楽しむ者もいれば、緊張した面持ちで席についている者もいる。その中でも真面目なのか教科書を開いている生徒がいた。

 その生徒は教科書の文字をなぞると、その文章が輝き始めた。そして、宙に文字が浮かび上がり、手持ちのペットボトルの周りを旋回する。

 コポッ…………コポコポッ……

 ペットボトルの中身が球体になって宙に浮かんだ。その球体は小さな人の形に変わると、スマホから流れる音楽に合わせて踊り始めた。

 通常ではありえない現象が起こっているにも関わらず、周りの生徒たちは気にすることはない。御影もその様子を遠目から見ながら言った。

「ホント、魔法使いの学生……それも、特専学科とくせんがっかの生徒ばかり集めて何をするのかしら?」

「知らね。さっさと終わらねぇかな……」

 この大教室に集められた生徒は皆、普通の学生ではない。魔法学校に通う学生達だった。

 大昔、魔法使いは迫害を受け、表舞台から姿を消した。それ以来、魔法使いは人間から隠れて生活するようになり、魔法はフィクションとして扱われるようになった。

 陽介たちのような魔力を持つ子どもは、秘かに魔法学校に通い、魔法を学ぶ。学校には魔法使いの血筋の者もいれば、人間の一般家庭出身の者もいた。

 これから他校と合同演習の説明会が始まる。一体どんなものかも分からない。陽介は落ち着かない様子で視線を動かしていた。

「ねぇねぇ、陽ちゃん!」

 陽介の肩を叩きながら興奮気味に御影が呼んだ。

「見てみて、あの制服可愛い~!」

 御影が指を差したその制服は二人が着ているようなブレザーではない。ブレザーの代わりに真っ黒なケープを羽織ったゴシック調の制服だった。

「魔法界の制服も可愛くていいわねぇ……こう、人間界の制服とは趣が違うっていうか」

「あんまりジロジロ見るなよ」

 魔法学校のほとんどは魔法界と呼ばれる隠れ里にある。二人が通う学校は人間界にあるが、ここに集まるほとんどの生徒は魔法界の学校だろう。そもそも、人間界に魔法学校があることが稀だ。

「こんな時じゃないとゆっくり見られないわよ! 魔法界なんて滅多に行かないし! 特専学科でよかったわ~」

 そういって大喜びをする御影を横目に、陽介は手持ちにあった資料に目を通した。

 二人が所属する特殊専門学科——通称、特専学科は普通学科とは違い、とある専門分野について深く学ぶ。

 その専門分野は、主に旧世代の魔導遺物まどういぶつについてだった。

 ピンポンパンポーン

 大教室にチャイムが鳴り響き、さっと静かになる。

「これより、説明会を開始します。参加する生徒は速やかに着席してください」

 女性のアナウンスが流れると、生徒達がばたばたと席に着き始めた、御影も「あら、始まるのね」とわくわくした様子で呟き、二人は近くの席についた。

 階段状にテーブルが並ぶこの大教室は、一番下が教壇になっている。そこには椅子が並べられており、教室のドアから現れた教師たちが座っていった。

 顔見知りの教師もいれば顔も知らない他校の教師もいる。彼らを見ると、やはり人間界と魔法学校ではだいぶ印象が違った。御影たちの学校の教師はスーツ姿に対して、魔法界の教師は夜色のマントを羽織り、中には使い魔を携えているものもいた。人間界であんな服装の人がいれば、職務質問待ったなしだろう。

「魔法界の先生って変わったファッションセンスねぇ、古めかしいっていうか」

 頬杖をついた御影がそう言い、その声が聞こえたのか、こちらに目を向けた教師がいたのに気づき、陽介は御影に「しーっ」と人差し指を口に当てた。

 席についた教師のうち、一人が立ち上がった。白髪が目立つ頭に古めかしい丸眼鏡をかけた男だった。各々の教師がスーツやマントなどその場にふさわしいと思われる装いの中、その男は作業着に白衣を纏っていた。

 マイクを受け取った男はマイクに音が入ることを確認してから、にっこりと笑って生徒たちに手を振った。

「やぁ、生徒諸君! ごきげんよう!」

 飛びぬけて明るい声で男が言い、彼を知る生徒たちのクスクス笑う声がした。その笑い声にどこか照れたように頭を掻き、男は丸眼鏡を押し上げた。

「これより、合同の説明会を行う。今回、君たち特殊専門学科の生徒を集めたのは他でもない。特殊専門学科の生徒として学びを広げてもらうためである。君たちには、耳にタコができるくらい聞いている話だと思う。現代魔法は人間たちの科学技術を取り入れたことによって、飛躍的に進化を遂げた」

 今では生活に欠かせないインターネットや科学技術は人間界だけでなく、魔法界にも大きな影響を及ぼした。現代魔法は魔法の簡略化により、詠唱や魔法陣のショートカットができるようになった。消費魔力のコストが低くなり、さらに魔力の保存が利くようになった。

 そのおかげで旧世代よりも手軽で魔法使いの負担もかなり減った。

「そこで、問題になってきたのは、旧世代で使っていた魔導遺物の存在だ。その中でも、精霊石せいれいせきが人間界で発見されたことだ」

「精霊石?」

 陽介がそれを聞いて顔をしかめた。しかし、隣にいた御影は「あら、そうなのね」と興味なさそうに相槌あいづちを打っていた。

 精霊石とは旧世代に魔法の補助道具として、精霊を結晶の中に閉じ込めたものだ。陽介はこっそり御影に耳打ちをする。

「なぁ、御影。精霊石って確か魔女族が作った魔導遺物だろ?」

「そうね、今はあまり聞かないわね。精霊石よりコスパのいい魔法技術ってあるし」

 精霊を閉じ込めたその石は、精霊の属性によって力を引き出せた。しかし、その力は膨大なもので、魔法使いでも使用には注意を払う代物だ。今は精霊石の代替品を使うことの方が多い。

 生徒達の反応に満足そうに頷きながら、教師は続けた。

「精霊石は装飾品に加工されたものが多い。それに、精霊石は少なからず、持ち主に影響を及ぼす。今回、君たちには、ペアを組んで人間界の学校に通いながら、とある精霊石を探してほしい」

 周りが人間界に行くことに驚く声を上げるなか、陽介は怪訝な顔をした。

(学生が、人間界で?)

 陽介は周りを見回すと、魔法界の生徒達の顔に喜色にあふれていた。中には、まるで余命宣告を受けたかの如く頭を抱え出す者もいるが、それは数名だ。

 ちなみに、陽介の隣に座る能天気は「やったー! 修学旅行みたいー」と手放しで喜んでいて、陽介は呆れた。

「あのな、もしかしたら、知らない土地に行くんだぞ? それに、精霊石探しながら!」

「いいじゃない、新しい友達ができるかもしれないわよ? 精霊石探しだって、おまけみたいなものでしょ?」

 御影はどこの学校に行くのかしら? もし行くなら観光名所がある所がいいなとウキウキしながら呟いていた。

(能天気な奴め……!)

 あまりにも浮かれすぎている御影に、内心で悪態をつきながら視線を教壇に戻した。

「それでは、今回の校外演習で必要となる魔装具まそうぐを配る」

「魔装具?」

 二人がオウム返しで言い、顔を見合わせた。

 魔装具というのは特別な力を付与した装飾品などをいう。魔法界ではまじない程度の力を付与したアクセサリーが売られているらしいが、容易に学校側が生徒のために用意するようなものではない。

 教師たちがやってきて、生徒達に何かを配り始めた。それはすぐに陽介たちにも渡される。

「わ! なにこれ!」

 そう声を弾ませ、御影が受け取ったのは銀色の指輪だった。表面には透明な石が埋め込まれているだけで、特別な意匠はないシンプルな指輪だ。陽介もそれを受け取り、よく見ると、内側には呪文が刻まれている。そして、自分の指に当ててみるが、サイズはひどくぶかぶかだ。それは御影も同じだった。

「全員、魔装具はもらったかな? それを好きな指にはめて欲しい」

 言われた通りに陽介は指にはめると、指輪のサイズが変わった。ピッタリと陽介の指に収まると、透明だった装飾の石がさらに透明度が増していく。中でキラキラと輝くものが見えて、陽介はそれをまじまじと見つめた。

(なんだ、これ……?)

「あ、陽ちゃんの石、水晶みたい! アタシと似てるわね!」

 御影の声で我に返った陽介は、にこにこしている御影の指輪を見た。

 彼の指輪の石は柔らかな乳白色が混じっているが、陽介のようにキラキラと輝くものが見える。

 一気に騒がしくなった会場を鎮めるように、教壇に立つ教師が咳払いをする。

「この石は、精霊石の欠片だ。持ち主の魔力に反応し、もっとも適した魔法の属性別に色を変える。その説明は置いておいて、次はペア決めだ。この指輪は最も相性のいい相手を選定し、それを示してくれる。今後はそのペアになった相手と行動してもらう」

 それを聞いて、御影は目を輝かせた。

「やだ~! まるで運命の赤い糸じゃない! アタシにも白馬の王子様が迎えにきてくれるのね!」

「お前相手じゃ、白馬の王子様も裸足で逃げ出すわ」

 むっとした顔で睨んでくる御影を無視して、陽介は指輪を見つめる。

 この指輪が最も相性のいい相手を選定してくれる。つまり、今まで凸凹でこぼこコンビや夫婦漫才と散々言われてきたこの腐れ縁が、とうとうここで解消されるのだ。そう考えると、どこか感慨深かんがいぶかいものを感じる。

 御影と知り合ってからだいぶ長いが、これからはしばらく会えなくなるのだ。

「これで、お前との腐れ縁も解消か…………互いに新しいパートナーと頑張ろうぜ?」

 陽介がそう言って拳を前に出すと、御影もようやく理解したのか、寂しそうな笑みを浮かべた。

「そうね、新しい友達ができるのは嬉しいけど、陽ちゃんと離れるのは寂しいわ…………今回の演習が終わったら、また遊びましょうね」

「そうだな」

 新しいパートナーとなる相手はいったいどんな人だろう。この別れが嬉しいような寂しいような、なんとも言えない感情が陽介の中で渦巻いていた。それは御影も同じのようだった。

 こん、と二人が拳を合わせた。

「じゃあな親友」

「またなって言ってよね」

 今生の別れではないが、しばらく会えなくなる。次に会うまでに身長を伸ばしてやると冗談めかしに陽介が言い、御影は楽しみにしてるわと笑った。

「それではこれからペア決めを行う」

 教師の言葉で一層に気が引き締まり、周りも静かになる。

 指輪から赤い糸のようなものが現れて、会場中に広がっていく。

「この赤い糸の先に最も相性のいい相手と繋がっている。それではその相手を探してくれ」

 陽介は自分の指輪を見つめた。指輪から出る糸は、ぴんと張っており、思いのほか相手は近くにいるようだった。

「え?」

「ん?」

 その糸を目で追っていると、それは目の前にいる人物と繋がっていた。

 そう、御影の指輪に。

「………………」

 絶句する陽介に対して、色んな意味で驚きを隠せない御影は、言葉より先にさっと腕を広げた。

「さようなら、腐れ縁。そして、初めまして! 運命の友よ!」

「お前、ちょっと黙れ!」

 人が清々しく別れの言葉を口にしたというのに、思い出すと恥ずかしさが込み上げてくる。まさかここまで腐れ縁がついて回るとは思いもしなかった。

「さあ、マイベストフレンド陽ちゃん! 私の胸に飛び込んできて!」

「飛び込むかーーーーーーっ!」

「こら、そこ! 騒ぐんじゃありません!」

 注意された二人は他の生徒達がペアを見つけ終えるまで静かにしていた。

 隣で終始ニヤニヤしていた御影が鬱陶うっとうしいと思いながらも、陽介の中でどこかホッとしたような気持ちがあったのは言うまでもなかった。

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