第14話

それから二人で当初の予定通り月見の準備を始めた。

落ち着きは取り戻したものの、依然として興奮は覚めやらないままだ。

彼女には記念日をここで祝おう、季節外れの月見をしようとだけ伝えていた。

それが小さな祝賀会へと意味を変えた。いや、なんとか変えることが出来た。

テーブルになりそうな大きな岩場に座り、持ってきた革袋の中身を広げる。

漆塗りの容器に入れられた少しばかりの漬け物。小さめの酒瓶。そして…。

"あのさ、実はちょっとしたプレゼントがあるんだ。"

"プレゼント…?"

前もって準備してきたもの。それは。

"これなんだけどさ…。"

"まぁ…‼︎"

彼女の前にお揃いのおちょこを二つ置いた。

"これ、触ってもいいの?"

"もちろん。そのためのものだからね。"

"でも高そう…。"

"申し訳ないのだけれど、そうでもないんだ。僕の給料ではあまり高いのは手が出せなくてね…。"

"ううん、そういうのは問題じゃないわ。"

彼女は瞼を閉じた。先程同様、胸の上で手を組んで。まるで大切な宝物をしまい込むように。

"貴方が私のことを想って選んでくれたのでしょう? 慣れない店で一人、右往左往しながら…。

どれにしようか、これがいいか、あれがいいか…。その姿が目に浮かぶわ。"

物思いにふけっているようだ。その表情は穏やかに微笑んでいる。

"フフ。ありがとう。"

何を想像したのだろう。なんだか気恥ずかしくなり、頭をぽりぽりとかいた。

彼女はそっとおちょこを手に取ると、内側に描かれた絵をまじまじと眺めた。

"綺麗…。"

今日のために買っておいたお揃いのおちょこ。

僕と彼女が好きなものが一つずつ描かれている。僕は鷹を、彼女は桜。

どれにしようか悩んだ結果、結婚するのだから盃を交わしたい、だが仰々しく式をあげる金もない、ならばということでささやかではあるが、小さな盃であるおちょこを用いて祝い酒にしようとした次第だ。自分の意気地のなさのせいで本来の意味合いとは異なり本当にただの月見になりかけたが、無事に告白が成功して本当によかった。

"またお揃いのものがひとつ増えたわね。"

おちょこを見つめ微笑みながら彼女がそう呟いた。

その隙に開けておいた酒瓶を彼女の方へと向けた。

彼女はおちょこを大事そうに持ちながら、僕の方へと差し出した。

彼女のおちょこへと酒が注がれる。

"ありがとう。"

そう言うと、彼女は感慨深げに眺めた。

次いで自分のおちょこを手に取り酒を注ぐ。

中身が入れられたおちょこは、また違う趣を醸し出していた。酒がユラユラと揺らめいている。

"これからは一緒にお酒を飲む楽しみが増えたわね。"

"はは、そうだね。"

僕も彼女も酒を特別に美味しいと感じるわけでもないため嗜む程度しか飲めず、また普段から飲む習慣もない。だが、彼女がそう言うのだから、それも悪くないかもしれない。

"それじゃあ、二人の未来を祝って。"

"えぇ。これからもよろしくね。旦那さま。"

彼女がからかうようにそう口にした。軽く首を傾げ、僕の目を見つめて。照れ臭そうに。

からかっているのはわかっているのだが、視線を合わせることが出来ず、口を横一文字に結んで彼女のおちょこを見つめた。顔が熱い。そうしなければニヤケてしまいそうだ。

コツンと合わせて乾杯した。

衝撃が強すぎたらしく、おちょこから酒が溢れお互いに手が濡れた。

"おぉう⁉︎"

"もう、何やってるのよ。"

"ごめんごめん…。"

"…ふふ。"

"…あはは。"

二人とも、自然と笑みも溢れた。

そのままおちょこに顔を近づけて一気に飲み干した。無事に夫婦の契りを交わす事が出来た。

あれ、お酒ってこんなに美味しいものだったかな…?

先程まで見ていた景色の筈なのに、より一層、色鮮やかに輝いて見えていた。

まんまるなお月様が二人だけの時間を見守るように、ひっそりと辺りを照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る