第13話

"それにしても、今日はなかなか現れてはくれないのね。もう既に夜だったから居るものだとばっかり思っていたのだけれど…。"

辺りを見渡すが彼らの姿は見えない。

"そうだね…。"

彼らはもういなくなったしまったのだろうか…。

それは困る。

一体なんのためにここまで来たというのか。

だが、あれから五年の月日が流れている。その間にも僕たちのように恋仲を求める男女がこの場所を訪れ、安らぎを奪われた彼らはとうとう嫌気がさしてこの場所から姿を消し、どこか別の安住の地を求めて旅立って行ってしまったのだろうか。

ふと彼女の横顔を見た。

とても残念そうに水面を見つめている。

あぁ、あと一度だけでいいから姿を現してはくれないだろうか? 僕は彼女と…。

ん、あれは…。

一筋の光の揺らぎを見つけたような気がした。

光の痕跡があった、既に暗くなっているその場所をジッと見つめ目を凝らす。

やはり幻だったのだろうか…。

諦めかけていた、その時。

"あっ。ほら、見てごらん。"

"まぁ…‼︎"

満月の夜、月の光を浴びて水面が光る。

満天の星空の下、二人の影が遠くへ伸びる。

紅や梔子色の紅葉に包まれる中、川はせせらぎ虫の音は鳴り響く。

木の葉が風に乗って宙を舞い、それに誘われるように彼らは姿を現わした。

人の想いに応えるように。

人の願いを叶えるように。

点滅を繰り返しながらその光はひとつ、またひとつと徐々にその数を増やし、やがて地上を揺蕩たゆたう星になった。

"綺麗…。"

"ああ…。"

二人でその光景に見惚れた。

僕が彼女に見せたかったもの。

ホタル。

彼らは満を持して僕たちにその姿を見せてくれた。

暫くの間、その場に立ち尽くし、ただ揺蕩う光を見ていた。

"でも、ほんと不思議よね。紅葉も進んで、もう秋だって言うのにホタルだなんて。"

"確かに…。ホタルって夏の生き物だもんね。

うん…言われるまで気づかなかったよ。"

"えー。シオンくんってば意外とそういう楽観的なところがあるからなぁ。悪く言えば、…鈍感?"

彼女が口元に人差し指を当て考え込んでいたかと思えば、パッと離し首を傾げてこちらを見た。

"な…。悪うございましたね‼︎

どうせ鈍感ですよ、僕は。"

プイとそっぽを向き腕を組んだ。

"アハハ。うそうそ。いや、やっぱりホント。"

僕とは裏腹に、彼女はケタケタと笑っている。

"はぁ〜。面白い。フフ。

でもね、私は好きよ。シオン君のそういうとこ。"

ひとしきり笑い呼吸を整えたと思えば、唐突にこれだ。思えば昔からこうだった。普段はニコニコと笑う可愛らしい少女であるのに、ふとした瞬間にまるで別人であるかのような少し大人びた顔を覗かせ、僕を困惑させる。妹のような、姉のような、不思議な存在。僕も彼女のこういうところが好きだ。

だが、それはそれとしてやはり少しムッとする。

まあ確かに、僕は彼女の気持ちにずっと気付きませんでしたけれど…。それに、彼女の仕草がいちいち可愛らしく、つい許したくなってしまっている自分がいるのもまた事実だ。

彼女がチラリと僕の顔色を伺うように覗き込むと、ニコっと笑いながら手を合わせて謝ってきた。

"フフ。ごめんね。"

"いいよ、ったくもう…‼︎"

二人で笑いながらじゃれついた後、再びホタルへと視線を向けた。

ゆっくりと、のんびりと。

彼らは幻想的に漂っている。

満月の夜、月明かりの下でプロポーズすれば二人は結ばれ永遠に幸せに、か…。

漂うホタルを見つめながら、僕は右隣で静かに同じ景色を見つめる彼女に聞いた。

"…僕は、君とこれからもずっと一緒にいたい。そう想っていたらホタルが出てきてくれたんだ。

君は何を考えてた?"

"私も…シオンくんとずっと側にいたい。

これからもずっと、死ぬまで一緒にいたいって、そう想ってた。"

彼女は照れるように微笑みながらそう言うと、水面に視線を移し、照れ隠しをするように左手で右手の手首を掴み前側で手を組んだ。

再び沈黙が訪れる。川のせせらぎと虫の音が木霊する。

言うなら今だ。今しかない。

ずっと考えてきたことだ。今日、記念日のこの日に、この場所で、彼女に思いの丈を伝えると。

だが口にしようとすると何かが邪魔をして言葉が出てこない。

心臓の鼓動が徐々に早くなり、胸が脈打つのがハッキリとわかる。暑い。背中は汗ばみ、気づけば爪を食い込ませるように強く拳を握りしめていた。言わなければ。彼女へ僕の意思を。

深呼吸して呼吸を整える。目を閉じ、彼女の顔を思い浮かべる。自分の気持ちを確かめる。

さぁ、あとは彼女へ伝えるんだ、この気持ちを。

…だがやはり言葉は出てこない。

クソ、どうして言えないんだ‼︎

自分の度胸のなさが恨めしい。言おうとすればするほど、見えない鎖が身体を締め上げていくように感じる。呼吸が浅くなり、息が苦しい。

"サヤ…‼︎"

やっとの思いで彼女の名を口にした僕の言葉は、自分でも驚くくらい静かに、だがハッキリと彼女の名を呼んだ。

"…はい…。"

僕の雰囲気を察したのか、彼女は静かに返事をすると、ホタルから僕の方へと身体の向きを変え僕の目を見つめた。

僕も身体の向きを彼女の方へと向け、彼女という存在を正面から受け止めようとする。

だが、心の中はまだごちゃごちゃと散らかり放題であり、どんな表情で彼女を見つめているのか自分でも想像がつかない。

彼女の瞳を見つめては視線を落とし、また見つめては視線を落とす。

何度も言葉にするイメージを繰り返してきたというのに、いざ言葉にしようとすると尻込みしてしまい、気付けば唇を噛み締めていた。

言わなければ…。彼女に。あの言葉を…。

僕は瞼を閉じ、大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。

静かに、瞼を開き、覚悟を決めた。

そして…。

ついにその言葉を口にした。

"結婚しよう。"

突然、彼女は僕を見つめたままポロリと涙を流した。

一粒、また一粒。その数は次第に増えていき、彼女の頬をつたった。

彼女は自身が泣いていたことに気づいていなかったのか、頬に手をあて、手のひらを見た。

自身の涙を自覚する間にも、ポロポロと涙がこぼれ落ちていた。

"あれ、あれ…。涙が勝手に…。おかしいな…。"

手で必至に涙を拭う。ヒックヒックと肩を震わせて。

僕はどうしていいかわからず、堪らず彼女の肩に手を伸ばし触れようとした。

"待って…‼︎"

彼女が僕の手を制した。彼女は言葉を続けた。

"待って…。私が答えなきゃいけないの…。シオンくんの言葉に…。私の言葉で…。

だから、もう少しだけ待って…。"

彼女は涙を堪えようと手や袖を使って涙を拭っている。

その姿に僕も涙がこぼれそうになり、目を滲ませ彼女を見つめた。

彼女は落ち着きを取り戻しかけたところで、両手を胸の前で握りしめ、目を閉じたまま深呼吸を始めた。一回、二回…。目の周りを赤くして。

"シオンくん…。"

彼女が僕の名を呼び、僕を正面に捉えるように身体の向きをあらためた。

握りしめられた手はより一層力強く、震える身体を抑え込むように握りしめられている。

最後に一度深呼吸をすると、僕の目をまっすぐに見つめた。

"はい…‼︎"

彼女はハッキリとそう言った。満面の笑みで。頬に涙を流しながら。

僕は彼女を抱きしめた。彼女もまた、僕の背中に手を回し、抱きしめてくれた。

ホタルは更に輝きを増し、僕たち二人の周囲を包み込んだ。

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