第11話 五年前の初デート その7
木々が立ち並ぶ中、そこだけ一直線に何もない道に出た。
"わぁ…。"
彼女はトトっと少しばかり駆け出すと、胸元に手をあて、目を輝かせながら辺りを見回した。
紅葉の赤や黄色、木々の茶色、苔や葉の緑、空の青に雲の白。様々な色が景色を染め上げている。地面に落ちてしまった葉も、一枚で見ればなんとも素っ気ないが、こうして集まれば綺麗な絨毯のようになりとても風情がある。遥か上空では
"素敵ね…。"
よかった。彼女は元気を取り戻してくれたようだ。
あれだけ曇っていた空も、どうやら力を貸してくれたようで助かった。
彼女の後ろ姿は、まるで何かの物語のヒロインのように輝いて見えた。現実味のない、絵画の一枚のような光景に、僕も心が奪われた。
彼女の隣へと歩み寄り、二人並んで佇みその景色を楽しんだ。しばらくの間そうしたのち、景色を堪能しながら更に奥へゆっくりと歩みを進めた。
遠くで水の流れる音が聞こえ始めた。
"もうすぐ言っていた場所に着くのね‼︎"
"うん。もう少しだよ。"
先程の景色を見てからというもの、彼女の機嫌がとてもいい。
太陽には本当に感謝しなければ。いや風か?
どっちでもいいや。とにかく、あのまま曇り空であったなら、どんよりとした森の空気に充てられるように僕たちも口数少なく、そこまで面白くもないただ辛いだけのデートになっていたかもしれないのだ。本当に良かった。
川面へ近づく岩場が見えた。
そのまま岩場の前まで歩いて近づいた。
"ふぅー。とうちゃーく。お疲れさま。"
僕はこの雰囲気を壊さぬよう、少し明るめのトーンで話す事を意識して旅の終着地を告げた。
"ここ? わぁ。紅葉を楽しみながら渓流の情緒も味わえるなんて…。シオンくん物知りなのね。"
褒められ慣れていないせいか、彼女の言葉がなんだかこそばゆい。
だが、先程から紅葉には見慣れてしまったせいか、言葉とは裏腹に彼女の表情はどこか虚ろげで、その言葉ですら他人行儀な物言いに思えた。
よし、ならば本当に見せたかったことを今こそ伝えよう。僕は意を決するように心の土台を固め始めた。心臓がドクドクと脈打つのがわかる。その度に土台は硬さを増し、僕の不安定な心の揺らぎを着実に根付かせようとしている。もうそろそろ時間も頃合いになる。どのタイミングで伝えるべきか悩んでいたが、丁度いいのかもしれない。
"本当は夕陽のタイミングも一つの見所だったんだけど、さっきの景色も十分綺麗だったからね。
本当に見せたかったものは、また別にあるんだ。"
"また別…?"と、彼女が不思議そうに僕を見つめた。
"うん。もう少し暗くなってからじゃないと見れないんだ。"
"だから夜だったのね。"と、あらためて周囲を見渡している。
"うん。ここからだと少しわかりづらいかもしれないんだ。暗くなると足下が見辛くなるから、ちょっと場所を移動しようか。ほら、あそこなんてどうかな? こっちに来て。"
岩場の間を通り抜けるために慎重に足場を選択する。
彼女が僕の歩いた場所をなぞるように歩く。
"足下に気をつけて。"
"ちょっと…怖いわ…。"
"大丈夫。僕がついてるからね。"
彼女は手を胸の高さにキープしてバランスを取りながら、ゆっくりと石の上を下りてくる。
とうとう下りきり、手を伸ばせば川の水に手が届く距離まで近づいた。
"さぁ、あとは見てのお楽しみ。もう少し待っててね。"
"ふふ、一体何が始まるのかしら。楽しみね。"
次第に辺りは暗くなり、山は夜の姿へと形を変えていく。
白い月は黄色味を増し、川のせせらぎと共に虫の声が木霊し始めた。
色鮮やかな紅葉を迎えた葉たちも風に誘われるように空を舞っている。
満月に照らされ二つの影は仲良く身を寄せ合い、木々たちがそれを祝福するように揺れ動き音を鳴らす。
それらの変化に伴って、僕の心も刻一刻と揺れ動いていた。
どうしようか。
今なら手を握ったとしても何もおかしくないよな。さっきは出来なかったけど、今なら…。
だが、最後の一歩が踏み出せない。
勇気が持てない。
胸が高鳴り、心臓の鼓動が早くなる。
今まで何度となく握ってきた彼女の手。
転びそうになった時、転んでしまった時、小さい頃学校に向かう時、帰る時、近所の散歩をする時、泥んこ遊びをした時、ありがとうを伝えた時、仲直りした時。
どうやって彼女の手を握ったのか。
握った事実は覚えているのに、握り方を思い出せない。
彼女ともっと近づきたくて今日のデートを計画した。
今日ならそう出来ると思った。
ここならそう出来ると思った。
だが…。これ以上手が伸ばせない。
彼女の手はこんなにも近くにあるのに、あまりにも遠くに感じた。
"どうしたの?"
彼女が風に流れる自身の長い髪を左手で抑えながら、首を傾げてまっすぐな瞳で僕を見た。
その瞬間、なぜかあることを思い出した。
彼女が傘を僕に差し出し、僕がそれを払いのけたあの日。
いらないと拒絶したあとの僕を見つめていた彼女の瞳。
そうだ…。今度こそ僕は、彼女にちゃんとありがとうを伝えなきゃならない。
小さい時から助けてくれて、あのとき傘を貸してくれて、いま僕の隣にいてくれて、
ありがとうと。
目を閉じ、一度深呼吸をした。
"サヤ…。"
"ん、なぁに?"
彼女がこちらを向いた。
"あのさ、手を…。"
□
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