第9話
"それがこの場所だったわよね…。"
"ああ。"
"懐かしいわね…。"
彼女は座っている大きな岩に視線を落とすと、慈しむように撫で始めた。
僕は周囲を見渡した。紅葉を迎えた色とりどりの葉、冷たい風に吹かれ揺らめく木々、枝葉や草の揺れ動く音、虫の声。当時と何も変わらず僕たちを迎え入れてくれているような気がした。
風の波に乗り、真っ赤な紅葉が一枚ハラリと僕の目の前に落ちてきた。
手を伸ばしそれを掴もうとするが上手くいかず、そのまま足下へと落ちてしまった。
"あの時シオンくんが作ってきてくれたおにぎり、ぶきっちょったらなかったわね。"
"なっ、今それを言わなくたっていいだろ。"
"フフ。でも、一所懸命に作ってくれたんだろうなって。気持ちが込められてた。"
"そりゃもう。"
彼女が悪戯に微笑み、慈しむように瞼を閉じた。
あの時、寝不足のままどうにかこさえたおにぎりだったが、作って本当によかった。
"なんか恥ずかしいな。"
気持ちを素直に表現出来なくて首の後ろをぽりぽりと爪を立ててかいた。ふと視線に気づき顔を上げると、彼女がこちらを優しい眼差しで見つめていた。
"ありがとうね。"
"どういたしまして。"
僕は大袈裟に頷いて応えてみせた。
やはり彼女は僕よりずっと大人っぽい。勝てる日なんて来るんだろうか。
"さて。そろそろ向かいましょうか。あんまり遅くなっちゃうと、明日が大変だもんね。"
彼女は立ち上がると服についた土埃をパンパンと
それを見て、僕も隣に置いていた太刀を手に取り立ち上がると元あった腰の横へと納め直し、革袋を背負い直した。
"よし、じゃあ向かうか。"
"えぇ。"
そう言うと彼女は地蔵へと身体の向きをあらためて正した。
"それじゃあお地蔵様。お隣で休ませていただいて、ありがとうございました。
これから先もずっと、私たち二人を見守っていてくださいね。"
彼女はそう言いながら、休む前と同様に礼をして手を合わせている。
これから先も、か…。
僕も彼女の隣へ立つと、一緒に礼をして手を合わせた。
"ふふ…。"
横目でチラリと彼女を一瞥すると、彼女が瞼を閉じたまま微笑んでいた。僕が礼をしたことを感じ取ったようだ。なんだが少し照れくさい。再び瞼を閉じ、二人並んで手を合わせた。
"さ、お礼も済んだことだし、張り切って行きましょー‼︎ おー‼︎"
彼女は元気を取り戻したようで、ニコニコしながら両手を振って先へと進み出した。
"ちょ、待ってよ。早いんだからもう…。"
慌てて彼女の隣へ駆け寄ろうと二、三歩足を進めたとき
ガサガサ
と、後ろの方で音が聞こえた。
獣でもいるのかと驚いて立ち止まり振り返る。
だが周囲を警戒してみるものの、それ以降、なんの音も聞こえなければ姿も見えない。
"ん? どうしたの?"
彼女が僕の様子を気にして振り返った。
"…。うぅん。何でもないよ。"
あらためて彼女の横へと駆け寄ると、彼女が不思議そうに僕の顔を覗きこんだ。首を傾げたため、彼女の長く綺麗な髪がスルリと肩から落ちる。彼女の大きな瞳が僕を見つめている。微笑みかけるように口元に笑みを浮かべながら。
僕もまた彼女に微笑み返すと、彼女は納得がいかない様子で地蔵の方に目を向けた。
地蔵は先程同様、穏やかに微笑んでいる。
何度か僕と地蔵の合間で視線を往復させると、
"ま、いっか。"そう呟いて彼女は再び前を向いた。
僕たちは二人並んで歩き出した。
さっきの音の正体は結局よくわからなかった。
だけど…。
お地蔵様が僕たちの願いを聞き届けてくれたような、そんな気がした。
サヤと二人、いつまでも幸せでいられますように。
"もう少しで到着だね。"
"えぇ。ほんと、この辺はこんな坂道ばっかりなんだから…。"
彼女が珍しく愚痴を零しながら歩いている。
零したくなる理由もわかる。この辺りは山間に囲まれているせいか、どこもかしこも坂道ばかりなのだ。右を行っても坂、左を行っても坂である。比較的平坦な場所は田畑に優先的に活用されてきたため、尚更歩いて行ける場所には坂道が多い。
ましてやここは山の中なのだ。平坦な場所なんてある筈もない。
仲良く並んで歩いていたのも何処へやら、今やお互い歩きやすい方法で別々に歩を進めている。
"そういえば…。"
彼女が何か思いついたようで、一呼吸、間を置いて話始めた。
"さっきの話の続きだけれど…、あの時も苦労したわよね…。"
ただその一言を述べるだけでも、息も絶え絶えといった様子だ。先程の休憩から20分は経っているように思う。その間ずっと休むことなく足場の整えられていない坂道を登り続けてきた。僕も少しヘトヘト気味だ。また休憩が欲しくなってきた。
"そうだね…。まだ先なの?なんて言われたときは本当に焦ったよ。あぁ、なんで先に伝えておかなかったんだろう、失敗したー‼︎って、一人でへこんでた。"
"えぇ⁉︎ 私そんなこと言った⁉︎ ごめん…。"
"ううん、気にしないで。僕が気を利かせるべきだったのに…。むしろ僕の方こそごめんね。"
"そんな昔のことなんて気にしていないわ。こちらこそ、ごめんなさい。"
"アハハ。"
"フフ。"
なんだか可笑しくなって二人で笑った。
"あっ。この道。懐かしいね。"
"わぁ。ほんと。ここも変わらないのね。綺麗…。"
山の傾斜に突如現れるなだらかな一本道。
僕たちは立ち止まり、空を見上げた。
月の光に照らされ二人分の影が後ろに伸びる。
"あの時の感動は、今でも鮮明に覚えているわ…。"
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