第7話 五年前の初デートその4

歩きながらあらためて事情を説明する。

入念に下調べもしていたのだ、出来ることならこのまま一緒に向かいたい。もし断られようものならばずっと考え込んできた今日一日のデートプランは全て白紙に戻される事になる。

それはマズイ。

スムーズなエスコートどころか、チグハグだらけのだらしない男を演じざるを得なくなる。

せっかくのデートなんだ、それに…。

せめてカッコいいお兄ちゃんでいたいじゃないか。


彼女は夜というシチュエーションに困惑の意を示していた。当然だ。僕でも同じ事を聞くだろう。なぜ夜でなければならないのか。

その詳細だけは伏せながらも、どうにか彼女の許可を得た。よかった。しかし、今までの説明も含めて彼女も薄々感づいているかもしれない。あの噂は有名なものだ。なにせ僕が知っているくらいなのだから。彼女は見たことがあるのだろうか。見たとするのなら誰と…。いやいや、今は楽しいデートの真っ最中だ、余計なことを考えるのはよそう。


例の川辺は東の村外れにあるため、早速彼女と共に東側の門を目指した。

しばらく歩いていると、彼女が不安そうに呟いた。

"本当に大丈夫かな…?"

"大丈夫だよ。もし何かあったとしても、ほら。この刀があるからなんとかなるさ。"

村の敷地の外へ行く際には護身刀として腰の左脇にいつも持ち歩いている小刀を彼女へ見せる。

"でも…。"

"ほら、門が見えたよ‼︎ 行こう行こう‼︎"

のんびりしてたら彼女が考えをあらためかねない。慌てて駆け出し、門へと近づく。

門は遠くから見てもその存在感をまざまざと示し、この村を訪れる者を歓迎しつつ警戒していた。

門の左右には木や竹で組まれた塀が村を囲うように伸びており、塀を無理やりよじ登ろうものならば地面から塀の外側に向けて鋭く突き立てられた竹や丸太の槍が突き刺さるように細工がしてある。

これらの設備は対獣用のものだ。村の中に野生の獣が侵入してこないようにするために僕が生まれる前から村に存在するもので、定期的に修理点検が施され、その甲斐あって村には一度たりとも野生のイノシシやシカが入ってきたことはない。いわば安全に暮らすための命綱のようなものだ。

門の瓦屋根の左右には一対の、中央にはそれよりも大きな禍々しい鬼の顔の模様が施された瓦の彫像がそびえており、門から出入りする者を監視するかのごとく厳つい顔で睨めつけている。中央の鬼が僕を見下ろし視線が重なる。なんだか気まずくて僕はすぐに視線を逸らした。

鬼瓦の真下にそびえ立つ2メートル程の高さのある、木で出来た扉。大の男五人でないと動かすことが出来ないと言われている。しかしすでに中央から左右それぞれに割れるように開かれており、僕は急いで駆け抜けた。

昼間のうちは自由に出入りが出来る門も、夜になると閉められることになっている。夜には鬼や妖が出ると言い伝えられているため、門を閉める慣習があるのだ。そのため、帰りに中へ戻るには抜け道を通る必要があった。

だが大丈夫、その抜け道も調べ済みだ。


しかし、鬼も妖も、僕は今まで見たことがない。

それどころか、村の住人の誰もが一度足りとも見たことがない。かつて役人か誰かが体良く人々を監視するために作り上げた嘘なんじゃないだろうか。何か事件があったとき、真っ暗闇の中を走って現場に駆けつけるのに大勢の人々が歩いていたのでは邪魔だ。そのために、わざわざそんな嘘をついてまで人を屋内に止めようとした結果が鬼や妖だったのではないだろうか。


門の外へと出た。

疲れた。走り出したのはいいものの思いのほか遠かったようだ。振り返り、彼女の様子を伺う。

"待ってよー。

はぁはぁ。いきなり走り出すんだもん。"

"はは。ごめんごめん。"

彼女もすぐに追いついた。息も絶え絶えといった様子で彼女が膝に手をついて呼吸を整えている。

そんな彼女を気遣って、いつものように手を差し出した。しまった‼︎ そう思ったのも束の間、彼女はその手をなんの躊躇もなく掴むと、上半身を起こし息を整えた。

思いがけず彼女と手をつなぐ事になった。

心臓がドキドキと脈打つのがわかる。

ついいつもの癖で手を差し出してしまったが、あの日から手をつなぐ事ですら変に意識をしてしまう。今まで兄妹だった関係が、ある日を境に恋人になってしまったのだ、複雑な心境にもなるというものだ。

大丈夫かな…? 変に手汗とかかいてないかな…?

彼女と目が合う。彼女はキョトンとした様子で首を傾げ僕を見つめた。

"だ、大丈夫?"

焦りを誤魔化すように彼女を気遣ったフリをした。

"うん、ありがとう。"

彼女はニッコリと微笑むと手を離した。

離したくはなかったものの、お互いに右手同士で手を握っていたため離さざるを得なかった。

少し悔しさを滲ませながら、二人並んで街道を歩き出した。


季節はすっかり秋の装いとなっていた。

まだ白昼とはいえ、頬にあたる風は冷たく、木枯らしが身を切るようにすり抜けていく。

木々は葉を失い、赤トンボが飛び、ススキが風に揺れていた。

すれ違う人々は身をかがめながら足早に通り過ぎていく。


それにしたって、あいにくの曇り空がまたなんとも憎たらしい。せっかくの初デートなのだから少しくらい協力してくれてもいいじゃないか。


目的地の川辺はこの道をまっすぐに歩いていき、途中で一箇所だけ現れる分岐点を登っていけば辿り着ける。

今歩いているこの道が、ある程度整備の施された主線となっており、道幅も比較的広く平坦な田畑沿いの道となる。この辺りはどこもかしこも坂道ばかりの地形ではあるが、この道は隣の集落へ向かうための主要通路として使われるため、洪水や土砂崩れはもちろん、田畑の作業中の思いがけない破損の際にも早々に修理が施されるほか、定期的に見回りが行われ、その都度整備や舗装が施されており、比較的歩きやすい。今も多くの人が行き交っている。太刀を携える武芸者のような者、行商人、子供連れの親子など様々だ。

もう一方の分岐路は山を登るように延びており、謂わば登山路のような道となっている。こちらはほとんど手付かずで、きちんとした整備こそされてはいないものの、人が行き交うには十分の道幅があり、近くには寺院や墓石集落も存在する。そのまま登って行けばこちらも別の集落へと繋がってはいるが、足場の悪さゆえに多少遠回りしてでも別の道を歩く者が多いと聞く。何より敬遠される理由の一つとして、獣道は妖が出やすい、と。より速さを求める行商人や寺院への参拝客が主な利用者となっているが、坂道や山道といった理由だけでなく、そういったこともあり人通りもまばらだ。


妖か…。仮にそんなものが本当にいるのなら、なんで今まで見たことがないんだろう。

そんなものより、山賊やイノシシの方がよっぽど怖いけどな。

腰に携えられた護身刀を手で触り、いま一度その存在を確かめた。


"こうして一緒に並んで歩くなんて久しぶりね。

ねぇ、寂しくなかった?"

彼女が突然、思いがけない事を聞いてきた。

"なっ、馬鹿言わないでよ。"

返答に困り、しどろもどろに慌てふためいてしまう。それを見て彼女が"ふふっ"と短く笑った。

僕が慌てる理由は急に話しかけられたからとか、そんな事じゃない。彼女の言葉だ。

こういうことを平気な顔をして言ってくるところが、彼女が大人びて感じてしまうところだ。

同時に自分を子供っぽく思ってしまう。なんと返せばいいかわからず、ただ慌てふためき黙りこむ。

あぁ、大人になれば彼女が感心するような上手い返し方を言えるようになるんだろうか。

"私はやっぱり寂しかったけどな…。"

うつむきながら足を前にポーンと放り投げるようにして歩いている。

彼女の長い髪が背中から肩を通り抜け彼女の顔を隠すように垂れ下がり、表情を伺い知ることは出来ない。

その姿に、ふと胸に熱く込み上げるものを感じる。

僕だって…‼︎

言おうとしたが何かが邪魔をして言葉が喉元から外へは出てこない。

手を繋いでみようか、やめようか…。

勇気が持てずに僕の右手は宙ぶらりんのまま行き場を失っている。

時間だけが足音もなく通り過ぎていく。

何を悩む必要がある。僕と彼女は恋人同士なんだ。手を繋ぐくらい訳ないじゃないか。

手を繋ぐくらい…。手を…。

僕はとうとう彼女の手に触れることが出来なかった。

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