第3話 五年前の初デート その2

学校帰り、しきりに雨が降り遠くで雷の音が聞こえる中、僕は一人、傘もささずにトボトボと下を向いて歩いていた。

傘はあった。今も僕の手に握られている。

だが、どうにもさしたくなかった。


全身が雨に濡れる中、今更なんの意味もないというのに水たまりを避けるように歩いては、立ち止まり手に持つ傘で地面の土をつついたり横や縦に線を引いたりして遊ぶ。

再び歩き出し、今度は水たまりに勢いよく飛び込んでみる。両足を思い切り水面に叩きつける。足下の水は四方八方に飛び散り霧散したが、再び同じ場所に水たまりを作り直して僕の足を固めるように包み込んだ。

暫くその水たまりを見ていた。

雨が水面に打ちつけ、円状に波紋が広がる。たくさんの波紋が合わさって波打っている。

それに飽きて僕はまた歩き出した。

空が光った。

時間を空けてゴロゴロと雷の音が轟く。

次に光るときは、雷の様子を見てみたいな。

僕は空を見上げたままその場に立ち尽くした。

どれだけ時間が経ったのか。

雷は鳴ってはくれなかった。


そんな時、彼女は急に目の前に現れ、自らがさしていた傘を僕に差し出してきた。

"お兄ちゃん、使って。雨に濡れてると風邪引いちゃうよ。"と。

何処からともなく現れた彼女だったが、どうやら偶然そんな僕の後ろ姿を見つけ慌てて走ってきたようだった。肩で息をしている。


"大丈夫、傘ならほら。ちゃんと持ってる。"

"ならどうして使わないの?"

"それは…。"


返す言葉に詰まり、押し黙る。

僕はイジメにあっていた。傘には誰にも見せたくない、僕へのはずかしめの言葉が書かれていた。

当然、これを広げれば彼女にも見られてしまうし、彼女伝いに僕の両親にも伝わってしまうことだろう。僕はそれがどうしても嫌だった。惨めな心に残されたわずかなプライドまで捨て去るような気がしてならなかったのだ。最後の意地だった。


"よくわからないけど…はい。これ使って。"

"えっ、大丈夫だよ。"

"いいから‼︎"


彼女が傘を無理やり僕に握らせようとする。

断ろうとして僕は手に持っていた自身の傘を地面に落とした。

傘は泥にまみれて寂しげに転がった。

押し問答のようなやりとりを繰り返す。

彼女の優しさが嬉しかった反面、そんな自分が悔しかった。


"いらないって言ってるでしょ‼︎"


ついに僕は力任せに手を振り払って強く拒否の意思を示した。

その拍子に僕の手が彼女の手を叩くようにあたってしまった。

彼女の手に握られていた傘が地面に落ちた。

二人とも雨に濡れた。

僕は落とされた傘を見つめた。視界の端で彼女を捉える。彼女は僕の方を驚いて見ていたように思えるが、僕は彼女の顔を見ることが出来なかった。

その場の気まずさで視線を地面に落としたまま、二人で立ち尽くしていた。


"ごめん…。そんなつもりはなかったんだ…。"


後ろめたさを感じ、彼女に謝ろうと地面からゆっくりと彼女の顔に視線を戻す。

長いスカートは雨に濡れたことでその自重を増し、丸みを帯び始めた彼女の下半身のシルエットが露骨に現れ、真っ白な服が雨に濡れたことで彼女の肌にピッタリとくっついている。赤い肌着が透き通ってクッキリとその形を現し、普段、綺麗に整えられている彼女の長い髪からは雨の雫がポタリポタリと落ちていた。


その時、ふとした事に気づく。

いけないことだとは思いつつも、僕は彼女のその姿にえも言えぬ興奮を覚えていた。

見てはいけないものを見てしまったような背徳感、神秘的な彼女の美しさ。

それらの光景は性的な刺激となって僕を興奮させた。


彼女と視線が重なった。

彼女はまっすぐな瞳で僕を見ていた。

心配そうに。僕の心を見透かすように。

ハッとして我に返り、慌てて足下の傘を拾い上げた。

閉じられたままの自分のものと、

開かれた彼女のものを。

彼女の優しさを仇で返すような自らの卑しさに、

心底嫌気が指した。

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