第6話 だれもきょうみないだろうけれどまたもやおおずもうのことをかいちゃうばかなおいらの話

 やあ、おいらです。


 市原悦子さんがお亡くなりになったそうですね。去年の大河ドラマ『西郷どん』のナレーションを降板したあたりから、たぶん体力が衰えてしまったんでしょうね。八十二歳か。決して短命ではないですよね。天寿を全うしたと言っていいと思います。

 おいら、子供の頃『まんが日本昔ばなし』を割と観ていましたよ。相方の常田富士男さんはもうすでに物故されていますよね。天国でお二人、新作の語りをするのかしら。ああ、『家政婦は見た!』はあんまり、おいらの趣味にあわなかったなあ。

 とりあえず、合掌。


 これから、前回の最後に口にした、大相撲の話をします。でも、あんまり専門的なことを書くと、誰も読んでくれないし、Wikipediaのお力を借りなくてはならないので、おいらが覚えている範囲でね。昔ですけど、結構、大相撲の勉強をしたのよ。一銭にもならないのにね。だいたい、おいらは金を稼ぐ能力に欠けていて、なんか、ムダなこと、どうでもいいことをムキになってやってしまうのね。本質がさあ、バカだから仕方ないね。


 さて、いきなり読者様が逃げちゃいそうな、神話の世界から始めますよ。日本で一番最初に相撲をとったのは野見宿禰と当麻蹴速という、人間なのか、神なのか、魑魅魍魎なのかわからない二人が対戦したの。でも、その取り組み内容は相撲というより、プロレスでさあ、さらに酷いことに、野見宿禰が当麻蹴速をバシバシ蹴りつけて、ぶっ殺しちゃったのよ。なんで、これが相撲の原点と言われているかわかんないよね。


 まあ、あとはさあ、相撲の力士をかたどった土器が発掘されているんです。どこの博物館に展示されているかは知りません。相撲って他のスポーツ、武術と比べてルールが簡単じゃないですか? 投げて地面に叩きつける。寄り切り、押し出しで土俵の外に追いやる。とってもシンプル。でもねえ、結構長い間、土俵ってなかったみたい。力士の回りを観客が丸く輪っかを作っていたんだって。


 あの、織田信長がすごく相撲が好きで、しょっちゅう相撲の節会っていうのかな? よくわからないけど、大会を開いてたんだって。信長ってさあ、キチガイじゃないですか? いい相撲を取れば、褒美をもらえただろうけど、失態を演じちゃったら、斬り殺されるよね。結構、緊張したでしょうね。力士の皆さん。


 で、本格的に大相撲の原型が出来てきたのは江戸時代からですね。寺の境内に土俵を作って、興行をするの。でも、当時は月給制とかではないから、力士は各藩のお抱えだったのです。だいたいちゃんとした協会とかないしね。言ってみれば、殿様の道楽。サブちゃん、いや御大北島三郎先生や、大魔神、佐々木主浩が馬主をやってるのとおんなじ感覚ではないのかな? ちなみに横綱と言うのは名誉称号みたいなもので、番付の最高位はあくまで、大関。実は江戸時代の最強力士は雷電という人なんですか、なぜか彼は横綱の免許皆伝にならなかった。一番強いのに! 理由は彼が抱えられていた藩のせいだって。陰険だねえ。そうそう、歴代横綱一覧ってあるじゃないですか? あれのうち、最初の三代くらいまでは本当はいなかったんだって。実質的な初代横綱は谷風だと言われているのですが、彼は流行り風邪で現役中に死んでしまった。だからその流行り風邪は“谷風”っていうんだって。


 ちょっと飛んで、明治時代になると大日本相撲協会ができる。高砂親方という人が、仕切っていたんですが、最初はよかったんですけど、だんだん、なんかおかしなことを言い出して、みんなが迷惑した。その原因は脳腫瘍だったって、その死後にわかった。

 そのころのファンを熱狂させたのは、常陸山と二代目梅ヶ谷の二人の横綱。ライバルがいると、面白いよね。

 常陸山は引退後、出羽海部屋をすごく、大きな部屋にして、名門と呼ばれるまでにします。多数の横綱、大関らを育てました。彼のことを“角聖”すなわち、相撲の神様と呼びます。当時の大相撲は今と違って東西対抗だったのですが、その片面は出羽海勢で占められ、反対側に他の小部屋力士がひしめきあうという感じだったんだって。

 一方の雄、二代目梅ヶ谷は不運にも早くに亡くなってしまいました。所属していた雷部屋も消滅。いまに至るまで誰も復興しようとしません。なんだかなあ。


 まあ、長いこと出羽海部屋一強の時代が続いたんですが、二所ノ関部屋という小さいところから、玉錦という強い力士が登場し、風穴を開けます。彼はとにかく強くて、「玉錦ゃ負けない(たまにしか負けない)」という、おじさんも真っ青なジョークが流行しました。その後、力士が待遇改善を求めて、神風という人気力士を中心にして、大量脱退が起きたりします。それで、番付がスカスカになったため、十両にいた力士が幕内に昇格します。その中に、ずっと十両にくすぶっていた双葉山がいました、

 当初は双葉山、全く玉錦に歯が立たなかったのですが、ついに、王座交代の時がきます。双葉山が勝っちゃうんです。以後は一回も玉錦は双葉山に勝てなくなってしまう。玉錦はいまは禁止されている、二所ノ関親方との二枚鑑札で、巡業の興行主でもありました。その巡業の途中で、彼は腹痛に見舞われます。弟子に腹を揉ませたり、風呂に入ったりして、自力で治そうとして、医師の治療を拒否します。これが命取りでした。巡業先に向かう船の中でついには意識不明となり、病院に運ばれますが、死亡。死因は虫垂炎でした。現役中の死です。ちなみに四股名に玉がついた横綱は不幸に見舞われやすいようで、のちに玉の海も突然死しています。


 双葉山は六十九連勝をするわけですが、それを止めたのは出羽海部屋の隠し球、安芸ノ海でした。何が隠し球かというと、双葉山は見どころのある新鋭が出てくると、巡業の稽古で、徹底的に稽古して相手の特徴を知ったり、自分の怖さを見せつけていたのですが、安芸ノ海は「体調が悪い」と言って稽古を拒否したのです。部屋を挙げて隠したと言われています。


 双葉山は師匠、立浪親方の娘との婚姻話を拒否して、双葉山道場を作り独立。それがいまに続く、時津風部屋です。立浪部屋は越後出身で律儀者の羽黒山が立浪の娘と結婚して継承。ああ、最初に出てきた双羽黒は立浪部屋です。


 ああ、ちょっと面倒くさくなってきました。大相撲は歴史があるから、おいらの小ちゃい脳みそにも、まだエピソードがいっぱいあります。読者の皆さまには退屈でしょうが、もう一回くらいやってしまうま。


 最後に、梅原猛さんの訃報。『隠された十字架』でしたっけ? 大ブームになったのは? えーと、聖徳太子とか法隆寺の秘密だったかな? いわゆる、元祖トンデモ本ですよ。なんか、子供の頃に読もうとチャレンジしたんですけれど、小ちゃい脳には難しすぎた。大人になったら、興味が失せてしまい、読んでいません! 考古学とか興味あるけれど、たいていは難解な文章なんでさあ、辛抱ならぬ。昔のシドニー・シェルダンの超訳みたいに、わかりやすい本を出して欲しいなあ。あれ、アカデミー出版ってどうなった?


 ここだけの話ですよ。おいらに友井って人の代わりに“純烈”に入らないか? っていう話が来ているんですよ。マネージャーのかっぱは乗り気みたいなんですけど、おいらは沈没しかかった船に乗るのはちょっとね。


 では、また。

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