第7話 カンパネルラとの別れ

「ラポさん、後ろ」

 ジョバンニがそう言ってもラポは振り返ろうともしなかった。

 もう画像は消えていた。自分が見ようとした時には画像が消えているから振り返ろうとしなかったのか、それとも、この話題に関わりたくないのか、ラポが何を考えているのかジョバンニには分からない。初めて会った時からラポの考えていることは分らないままだが、今はそれが怖くなっていた。

「ラポさん。ジェシーさんがジェシーさんが、リーさんを殺した」

「ジョバンニ君。まあ、いいから食べなさい」

 ジョバンニは肉料理にフォークを刺すこともできない。手の震えが止まらない。

 ジョバンニを見ていたラポは今までにないきつい口調で言った。

「いいから、ちゃんと、ちゃんと食べなさい。ジョバンニ君の心は大きく揺れているようだが、落ち着いて、落ち着いて、そしてちゃんと、正しく料理を食べないといけない。宇宙一の海賊であり心優しい吾輩であるが、これだけはジョバンニ君に言うのである。ちゃんと食べなさい、正しく、正しく食べなさい」

 ジョバンニはナイフで少し肉を切り取り口に運んだ。恐怖に包まれていてもやはり美味しいものは美味しい。一口一口ゆっくりと食べていく。


 ジョバンニの頭の中は「注文の多い料理店」で一杯になっていた。

「人殺しがここで起こったんだ。そしてこのラポという人は海賊だ。なぜラポは僕をこの星に、この店に連れてきたのだろう」

「最後の料理。それは僕が最後の料理という意味かもしれない。あの話しと同じだ。だけど、この店、クチーナは僕に何かを伝えようとしている。きっと逃げろと言ってるんだ」

 逃げたくてもどうすればいいか分からない。目の前にはジョバンニの倍も大きなラポがいる。どこが出口なのかも分からない。今まで来た壁をもう一度戻っていけばいいのだろうか。今までは壁の中に扉があったが、それがなくなっていたとしたら。僕はこの部屋に閉じ込められてしまったのではないのだろうか。

 ジョバンニの頭の中は真っ白になっていくのだった。


 ジェシーが壁の中から飲み物を持って出てきた。

 ジェシーを見た途端にジョバンニの体は固まってしまった。

「ラポ様、ジョバンニ様。最後の料理いかがでしたか」

 ジェシーは何も変わっていなかった。大きな青い目からは優しさしか伝わってこない。

「何から、何まで最高であった。特に肉料理は素材も味付けも吾輩の旅の中で最高であった。この料理のためなら、どんな遠くからも、どんな昔からも、どんな未来からも?。うーんは時間はどうでもいいことであり、この料理のために吾輩はここに来た。そして吾輩は全てを満足した」

「ありがとうございます。リーもさぞかし喜んでいることと思います」

 ジェシーの「リー」という言葉にジョバンニは思わず反応した。

「リーさん、リーさんと話しがしたいのですけど。リーさんを呼んでいただけますか」

 ジェシーはキッとジョバンニを睨んだ。柔らかい笑顔のジェシーから想像もつかない厳しい顔だった。

「だめだ。僕は襲われる」


「リーは、父は」

 ジェシーはそこまで言うと黙り込んでしまった。ジョバンニの体の震えは止まらない。

「カムパネルラ、カムパネルラ、助けて、助けて」

 ジョバンニは心の中で何度も呟き続けた。

「ジョバンニ君。ジョバンニ君」

 ラポは慌てたような声で、ジョバンニ君と何度も繰り返した。

 真相に気づいた自分をラポが襲って来ると思った。

「このコーヒーもこの星でしか取れない豆で煎った実に味わい深いものである。そうそう、この豆もジョバンニ君が知っているあの果樹園で大切に育てられたものである。そう思うだけで、もう美味しくて感じることができるだろう。おお、ジョバンニ君はホットミルクのようだね。さあ、温かいうちに飲み給え。そのミルクも他の店、いや他のどんな星でも味うことができないものだ。何百年もかけて改良してきた牛の中でも最高に味もよく栄養も豊富で料理に合う牛の遺伝子を確実に次の世代に、そう完全に引き継がせ...」

 ラポはずっと話し続けていたが、ジョバンニの頭には何も入って来なかった。


「逃げきゃ、逃げなきゃ。でもどうやって。あの本の最後は、猟師たちの犬がご主人を助けるために飛び込んできて化け猫を追い払った。僕は、僕はどうなる。ひょっとしたらカンパネルラが壁から現れて僕を助けてくれる?」

 震えの止まらない手でジョバンニはホットミルクを口に運んだ。ホットミルクはジョバンニの体と心を落ち着かせてくれた。勇気も沸いてきた。

「駄目だ。そうやっていつもカンパネルラに頼ってばかりいるから僕は駄目なんだ。だからカンパネルラだって、そんな弱虫の僕がだんだんに面倒になって。僕も強くならないといけない。僕は僕でやっていかないといけないんだ」

 

「ぼ、僕はどうなるのですか。食べられてしまうのですか」

 一瞬キョトンとしてそれから大声でラポは笑った。横にいたジェシーも透き通るような声で笑った。

 ラポが立ち上がった。

「さて、ジョバンニ君もお腹が一杯になったろう。帰ろうか」

 ラポとジェシーが壁の中に消えていった。

 一緒について行ってもいいのか、この部屋をでたとたんに、化け猫が出てきて、ラポと一緒に襲ってくるかもしれない。大きな鉈を手に持ってジョバンニに迫ってくるジェシーが目に浮かんで来る。

 ジョバンニしかいない部屋が暗くなった。

 そして、壁全体に宇宙が映った。数えきれない星、銀河が壁一面に広がっていた。

 銀河の向こうから何かがこちらにやってきた。すごい勢いでやってくる。

「銀河鉄道だ!」

「そうか僕は、これに乗って行くんだ。カンパネルが助けに来てくれたんだ」

 銀河鉄道はどんどん近づいてきた。列車の走る音が部屋中にも響いてきた。

 銀河鉄道の先頭が部屋に飛び込んで来た。

「うわっ」

 ジョバンニが思わず後ずさりをしたが列車は壁から壁に、ジョバンニを取り巻くようにゆっくり、ゆっくりと流れていく。

 窓から列車の中が見えた。

 黒服の青年と女の子がこちらをむいて口を大きく開けている。

「ハレルヤ、ハレルヤ」

 部屋中に賛美歌が流れた。

 列車の中の青年と女の子が通り過ぎると賛美歌も消えていった。

 列車はゆっくりと走っていく。

 ジョバンニは壁に映る窓の向こうを必死に見続けた。

 次々過ぎていく窓の向こうを必死に見続けていた。


「カンパネルラ!!」

 窓の向こうにカンパネルがいた。

「カンパネルラ」

 ジョバンニの声が聞こえたのだろうが、カンパネルが窓に近づいて来た。 

 次の壁へ窓もカンパネルラも動いていく。ジョバンニは壁に張り付くように列車と一緒に動いていった。

「カンパネルラ、カンパネルラ、僕を助けにきてくれたんだね」

 窓の向こうのカンパネルが微笑んだ。

「カンパネルラ、僕たち一緒に行こうと約束したよね」

 カンパネルの声が聴こえてきた。

「うん、そうだ僕たちは約束した。だけど、もう無理なんだ」

 次の壁に窓もカンパネルラも流れていく。ジョバンニもゆっくり歩いて行った。

「どうして。どうしてなんだ。どこまでも、どこまで一緒と約束したじゃないか。あのサソリのように本当にみんなの幸いの為ならば100ぺん体を焼いても構わないって約束したじゃないか」

 次の壁に窓とカンパネルは流れていく。

「僕だって同じ気持ちさ。だけど一緒にはできないんだ。僕は母さんのいる天上に行かなくちゃいけない」

「じゃあ、僕も一緒にいく。この窓を開けて僕を中にいてくれないかい」

 カンパネルラが悲しそうに微笑んだ。

「ジョバンニ、それは駄目だ。一緒には行けないんだ。僕は本当の幸せを見つけに行く。ジョバンニも、それは一緒なんだ。だけど一緒にはいけないんだ」

 壁から列車の窓とカンパネルが通り過ぎた途端に銀河鉄道は猛烈なスピードで走り始めた。そして、銀河の果ての小さな光になり消えると部屋の明かりがついた。

 ジョバンニは涙で何も見えなかった。


「ジョバンニくーん、ジョバンニくーん」

 壁の向こうからラポの声が聞こえた。

「ジョバンニ様、どうなされましたか」

 ジェシーの心配そうな声だった。

「この先に何があるかは分からない。けど、僕だってカンパネルラと同じなんだ。本当の幸せを見つけに行くんだよ。勇気を出さないと。そうだよね、カンパネルラ」

 ジョバンニは壁の中へ、二人の声の聞こえる方へと歩き始めた。



 





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