第6話 最後の料理
「うわっ」
ジョバンニは叫んだ。
その声に驚いてラポも後ろを振り返ったが壁にはもう何も写っていなかった。
「ラポさん、ラポさん、女性が誰かを、きっとリーさんを、赤い帽子を被っていたから、誰かがリーさんを殺そうとしてたんです」
小刻みに体を震わせて立っているジョバンニをラポはじっと見ていた。言葉を探しているようだった。
「吾輩は食べるのに夢中で何も聞こえなかった。ジョバンニ君はその人殺しの現場を見たというのだね」
「いえ、人殺しの瞬間を見たのではなくて、その女性が大きな鉈をリーさんに振り下ろしているところが写ったんです。そこままで画面は消えてしまったんです。だから殺していないのかもしれない。だけどあんなに思いっきりを鉈を振り下ろしたんだから、リーさんは、リーさんは...」
ラポは立ち上がってジョバンニの横にいくと、ジョバンニの肩に手をかけた。
肩からラポの体温が伝わってくる。
「ジョバンニ君。クチーナは君を選んだ。人殺し?そう解釈すべきことかどうかは別として、きっと君にとって大切な事だと思って写したに違いない」
「僕にとって大切なこと?」
「そうである。しかし、クチーナが、どうしてジョバンニ君に最後の料理を見せようとしたのか。吾輩にも分からない」
「最後の料理?」
「いや、少々話しすぎた。ジョバンニ君が見たのはあくまで映像。映像は映像、本当も嘘もなんでもあり、今も、過去も、未来?なんでもある。一番やっかいなのは真実は見る人によって変わることもあるということである。見ることがそのまま真実であるのではなく、正しいわけでもなく。これが一番やっかいである。うーむ。とにかくクチーナは、君を主賓として歓迎し、君の心を満たすため、ひょっとすれば君の心だけでない何かを満たすために映し出したことは確かである。今?将来について?そう、将来についてだ。正しくあれ、正しくあれ。きっとクチーナは、その思いを君に伝えること、そして、それが正しくあることを。成る程、それがクチーナが、いやこの星が...」
「つまり?」
難しそうに考え込んでいたラポは、ジョバンニのこの一言で背筋をすっと伸ばして笑顔に戻った。
「つまり、そう、料理が冷めてしまう。さてジョバンニ君も落ち着いたようだ。宇宙一おいしい料理を堪能しようではないか」
ラポは席に戻るとコップの水を一気に飲み、最後の魚を「さて、この魚は、吾輩の胃をどうやって驚かしてくれるのかな。実に楽しみである」と言って食べ始めた。
ジョバンニの頭に小さい頃に読んだ「注文の多い料理店」が浮かんできた。山で迷子になった猟師二人がふと入った料理店。自分たちは饗されていると思っていたら、化け猫の食材として丁寧に扱われていただけだった「注文の多い料理店」を思い出したのであった。
そして、リーが言った「最後の料理」という今日のメニューが心にひっかかり始めた。さっきラポも「最後の料理を見せる」と言っていた。とても恐ろしい意味がその中に潜んでいる気がする。
「ラポさん。最後の料理ってどういう意味でしょうか」
「意味?今食べているのが最後の料理だよ」
ラポはジョバンニに顔を向けることなく言った。
ラポは何か隠している。リーも何かを隠している。
これ以上何をどう聞けばいいかジョバンニは分からなかった。同じことを聞いても同じ答えが返ってくるだけだろう。しかし、心に引っかかる「何か」を確かめないと「注文の多い料理店」の猟師のように、何も気づかないまま恐ろしい罠に徐々に縛られてしまうような気がして仕方がなかった。
「カムパネルラがいてくれたら。カンパネルラならもっとうまく話ができるのに。それに、カンパネルラがいたら、僕はもっと勇気を出せるのに」
ジョバンニはつぶやいた。
「ジョバンニ君、食べ終わったらこちらに来なさい。クチーナの料理、それも最後の料理を残すことは心優しき宇宙海賊の吾輩でも許すことはできない。残さず食べてからこちらに来なさい」
そう言ってラポは壁を通り抜けて行った。
ジョバンニは残りの魚を口の中に放り込んだ。鉈を振り下ろす恐ろしい映像は瞼に張り付いたままであったが、口のなかで溶けていく魚の味は口から体全体に染み渡るように心地よいものであった。
「あの映像の意味は分からないんだ。分からないことを怖がっていてもしょうがないんだ。カンパネルラならきっとそう言うに違いない」
ジョバンニも壁を通り抜けた。その部屋は白い光に包まれていた。天井にみっしりと張り付いた無数の電球から小さな光がでていた。ひとつひとつの光は弱いが、その弱い光が集まって温かい白い光で部屋を包んでいた。
ラポの向かいにジョバンニも座った。
「さて、ジョバンニ君。料理というのは歴史である。今、このクチーナで味合うことができる料理ひとつひとつが、その歴史なのである。今この瞬間に全てが詰まっている。いいことも、悪いこともこの瞬間に全てつまっている。それを正しく、そう正しく味合い、楽しもうではないか」
「はい」
ジョバンニは小さく返事をした。
「さて、退屈な話は終わりにして。退屈な話し?吾輩の話しが退屈?よく昔から、今も、ずっと?長きに渡り?吾輩はそう言われてきたような気がしている。退屈はいけない。それはいけない。ジョバンニ君とここに来たことは退屈なことではない。そのためにここに来たのではないのである。吾輩は昔にこの星に訪ね、今この星を訪ね...」
「ラポさん、つまり」
「つまり、そう退屈な筈はないのである」
ラポが天井を見上げて大きな声で言った。
「ジョバンニ君のお腹の用意もできたようである。次の料理を運んでくれたまえ」
リーがまた壁の中から現れるとジョバンニは思っていた。いや、それを願っていた。リーが現れれば、あの恐ろしい映像はジョバンニの単なる勘違いだからである。
しかし、壁の中から料理を運んできたのはリーではなかった。
金色の髪の女性が料理を持ってやってきて、ラポのテーブルの上に静かにおいた。
ジョバンニは「あっ」と思わず声を出しこぶしを握りしめた。あの画面に写っていた後ろ姿の女性と同じ色の髪、金色の髪だった。
料理を持ってにこやかにやってきた女性は若くて大きな青い目をしていた。
ラポはジョバンニと同じ黒い瞳だった。大きくて、夏の空の青い目をした人間にジョバンニは初めて会った。
「お人形さんが人間になったみたいだ」
リーは出てこなかった。しかし、こんな美しい人が人を殺す筈はない。そんなことがこの人にできる筈はない。さっき見たことは全て何かの間違いなんだ。ジョバンニはそう思えてきた。
ジョバンニの前にも女性は料理をおいた。にこやかな笑顔の中の大きな青い目がジョバンニをみつめている。
ジョバンニは何故か恥ずかしくなって目をそらした。
「おー。おー。ジェシー」
ラポは立ち上がってジェシーに抱きついた。
「大きくなったなあ。この前そなたに会った時はこれくらいだった」
ラポは嬉しそうに自分の腰を指している。
「お久しぶりです。ずっとお持ちしておりました。私もリーも。やっといらして下さいましたね」
「待たせた。待たせた。吾輩は分からないが、長く待たせてしまったようだ。心からお詫びを言おう」
「いえ、いえ。ラポ様を責めるつもりは御座いませんので。この方がリーが言っていた素敵なお連れ様、ジョバンニ様ですね。これまでの料理はいかがでしたか。お口に合いましたか」
ジョバンニは下を向いたまま頷くのがやっとだった。
「ラポ様、ジョバンニ様。本日の”最後の料理”も本ディッシュで最後になります。最高の素材を使った肉料理となります」
「ジェシーとリーの料理だね」
「はい」
ジェシーはとても小さな声で答えた。
そして、ジェシーは壁の中に消えていった。
「さあ、ジョバンニ君食べ給え食べ給え」
蓋をあけるとそこには大きな肉の塊があった。力をいれることもなく肉は切れていく。魚の時と同じように口の中でとけるように消えていく。あまりの美味しさにジョバンニは夢中になった。
また壁に画面が現れ映像が流れた。カムパネルラとジョバンニが写っている。
「僕もあの蠍のように、本当にみんなが幸せならば僕の体なんか百ぺん灼いてもかまわない」
カムパネルラの眼に涙が浮かんでいる。
「そう、僕だって。僕だって。本当に誰もが幸せになるのならなんだってする」
ジョバンニはつぶやいた。
「カンパネルラはどこに行ってしまったんだろう。僕と同じようにどこかの世界に行ってしまったんだろうか。だとしたらラポさんは知っているかもしれない」
そう思った途端に「ラポさん」とジョバンニは言っていた。
「僕の友達のカンパネルラですが」
「果樹園にいた者達にそっくりな友達のことであるね」
「はい、そうです。僕たちは一緒に銀河鉄道に乗っていたんです。けど、カンパネルラは、いつのまにか僕の前から消えてしまって」
ラポはジョバンニの話しを無視しているかのように肉をほうばっている。
「きっと僕と同じようにカンパネルラも不思議な世界に行ってしまったんじゃないでしょうか。ラポさんならきっとどこに行ったのか知っているのでは...」
その時、画像に新しい映像が映しだされた。それは「あの部屋」だった。
金髪の女性の後ろ姿が写っている。彼女の前のテーブルにリーがいた。いや、リーの首だけが転がっていた。
「ラポさん、リーさんが」
声にならない声をジョバンニは必死になって吐き出した。
映像の中の女性が振り向いた。
振り向いた女性はジェシーだった。
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