第5話 料理店クチーナ
果樹園と果樹園の間に料理店、ラポが宇宙一美味しいという料理店が立っていた。
初めて訪れた料理店なのに、ジョバンニはとても懐かしい気がした。
「そうだ、あの教会だ」
灰色の漆喰の壁の真ん中に茶色の大きな扉がある。白い屋根の中央には小さな塔が立っている。その小さいに塔の中に赤い鐘がぶら下がっている。
カンパネルラの家の玄関に掛かっていた絵に描かれていた教会だ。カンパネルラのお父さんがヨーロッパの大学から帰って来た時のお土産の絵だった。町から外に出たこともない自分にとっては、あまりに遠すぎて想像さえできない「外国」の世界だった。
「これが料理店?」
「やっと、今、今?、ずっと先になった?。いけない、いけない、空っぽになったお腹にまたいたずらな時間がやってきてしまう。ジョバンニ君、この可愛らしい建物こそ料理店”クチーナ”である」
茶色の大きな扉の上に書かれている看板をラポは指さした。
見たこともない文字で何かが書かれている。きっと「クチーナ」と書いてあるのだろう。
「さあさあジョバンニ君。ここが今の宇宙で、今?昔?とにかく宇宙一美味しい料理店クチーナである。この店もきっと我々を待っていてくれたに違いないのだ。なあ、クチーナ」
ラポがそう言うと、屋根の塔の鐘が透き通る音を鳴らし始めた。ラポのいう通り二人がここに来たことを祝うように早いテンポのリズミカルな音が鳴り続けた。
クチーナの看板の下の扉が開いた。
飛び跳ねるように中に入っていくラポの後からジョバンニも料理店クチーナの中に入っていった。料理店に入るとの真ん中に大きなソファーがあった。ラポはもうそこにドンと座りジョバンニを手招きしている。ジョバンニもラポの横に座った。
ラポの宇宙船の寝床もふかふかしていたが、このソファーも体が沈み込んでしまうほどふかふかしている。
ジョバンニの町の料理店と言えば汚い札に書きなぐるような文字で店のいたるところにお品書きがぶら下げられていたがここに何もない。これが料理店なんだろうかと思っていると壁の中から人が現れた。
大きな赤い帽子をかぶり、まるでウリのような長い顔に少しつり上がった細い目をした人が笑顔一杯で近づいてきた。
「これは、これは、ラポ様」
細い顔からはみ出るくらい長いヒゲが大きな声に響いて揺れていた。
「おー、リー、クリストファー・リー。ご機嫌だったか、ご機嫌だったか」
ラポがその男に抱きついて行った。
「ジョバンニ君、この方こそ、本料理店のシェフ、クリストファー・リー殿である」
ジョバンニは小さく挨拶をした。
「ほう。本日は愛らしいお友達とご同伴ですね。それにしてもお久しぶりで。前回いらしてから100年くらい経ちましたでしょうか」
「ほー。そんなになるのか。昨日も来たような気がしているが、全く時間というのは吾輩の思いを無視して進んだり戻ったりするから困る。実に面倒なものであるな」
「それはラポ様特有のお話で。とにかく、何よりも私の料理を理解してくださるラポ様がまさに本日いらして下さったとは。いやはや嬉しい限りです。早速ご用意させて頂きます」
リーは出てきた壁の中に入っていた。壁の向こうからリーの声がする。
「それから、本日の料理ですが”最後の料理”になります。それで宜しいでしょうか」
「最後の料理か」
ラポの顔が一瞬曇った気がした。そして叫ぶように壁の向こうのリーに言った。
「宜しい。正しくあれ。正しくあれ」
100年前?ラポの時間?、それに、まだ日は明るいのに「最後の料理」。そんな不思議だらけの中にジョバンニはいた。
ラポも壁の中に消えていった。ジョバンニには壁にしか見えなかったが、ラポのように歩いていくとそのまま通り過ぎていくことができた。
部屋には丸テーブルと2つの椅子が差し向かいに置いてあった。ラポはもう座っている。ジョバンニも反対側の椅子に座った。
「ラポさん、さっきリーさんが言っていた最後の料理ってなんなのですか」
ラポはまたちょっと渋い顔をしたが、すぐに明るいラポに戻って言う。
「それは、料理を食べればわかること。ジョバンニ君、おいしい料理を食べる時はあまり難しいことは考えずお腹も心も空っぽにしないといけない」
壁の中からリーが料理を運んできた。
「スープと前菜です。さてお腹の準備をして下さい」
「うん。うん。リーの料理はこの言葉から始まらなければいけない。我が口、我が喉、我が腹よ。久しぶりのご馳走を受け入れる準備をしたまえ」
ラポはスープと前菜をスプーンとフォークで代わる代わる口に運んでいた。ジョバンニもラポのまねをして順番に口に含んでいった。スープは体を温めた。見たこともない野菜は口のなかでとろけていった。食べるほどにどんどんお腹が空いていく。ジョバンニは必死になって食べた。最初のひとくちを食べた途端から、料理に夢中になった。いままで食べたこともない味で、どう表現していいかわからなかった。しかし、「おいしい、おいしい」と心の中で何度もつぶやきながら食べた。
すぐに食べ終わってしまった。あまりに集中して食べていたので、空になったお皿を見て、一瞬自分がどこで何をしているのか分からなくなった。
「そうだ、ラポさんと食事をしているんだった」
そんな当たり前のことをジョバンニは思い出してお皿から顔を上げた。
ラポがニコニコしながら自分を見ていた。
そのラポの背景の壁にボーと何かが映し出された。背中の壁に音もなく浮きできた映像にラポは気づいていないようだった。
「ラポさん」と声をかえようとしたが、ジョバンニはその映像に見入ってしまい言葉が止まった。
そこにはジョバンニの町が写っていた。
時計店の前で星座早見を見入っている自分が写っている。
画面の中のジョバンニが走り出した。
「そうだ、星座をずっと見ていたかったけどお母さんに牛乳を買わないといけなかったんだ。けど、もらえなかった。お母さんの牛乳を僕はもらえなかったんだ」
画面の中のジョバンニは黒い丘に立っていた。銀河ステーションという声が流れてきた。
「ここからだ。ここから僕の旅は始まったんだ」
「ジョバンニ君、どうしたのかね」
固まったようにラポの後ろを見つめているジョバンニにそう言って、ラポは振り返った。しかし、ラポが振り返ると同時に壁の画面が消えた。
体を縛っていた縄がほどけたようにジョバンニも話すことができた。
「ラポさんの後ろの壁に、僕の町が写ってました。そして僕もいた。僕は母さんの牛乳をとりにいって、けれどもらえなくて。その日はお祭りで。カンパネルラたちを追いかけて丘にいくと、そこで僕は...」
ちゃんと話そうとしても、飛び飛びにしか話せない。映像の中で起こっていたことも、その中にいる自分もずっとずっと昔のことだったような気がする。まるで昔のことをひとつひとつ思い出して話しているような苛立たしさをジョバンニは感じた。
何も写っていない壁からジョバンニに体を戻すとラポが嬉しそうに言った。
「見たのだね。ジョバンニ君は見たのだね。そうか、やはり、吾輩は正しかった。吾輩は正しい。正しくあれ。正しくあれ」
「ラポさんも見えたのですか。僕がそこに写っていたんです。銀河ステーションが写っていたんです」
「吾輩には何も見えなかった。うーん、残念ではあるが、それはどうでもいいことである」
ラポが立ち上がり「さあ、次の料理に進もうではないか」と壁の中に消えていった。ジョバンニも急いでついて行った。
次の部屋は薄青の照明の静かな部屋だった。席に座るとリーが料理を運んできた。
「いかがでしたか」
「最高。最高。吾輩のお腹が宇宙一おいしい料理を思い出して、はやく次をくれと口まであがってきたよ」
リーが微笑んだ。
「さっきの部屋の壁に、僕の町が写ってました。僕もいました。なんで僕のことが分かっているんですか。いや、いつどこで写して、どうして壁に出てきて...」
ラポが落ち着くようにとジョバンニの手を取った。
リーは相変わらずにこやかにジョバンニに話しかけた。
「そうですか。ジョバンニ様の町がお写りになったのですか。急なことでそれは驚かれたことでしょう。最初にお話しておけばよかったのですが、ジョバンニ様を驚かすことになって誠に済みませんでした。料理店というのは舌で味、鼻で香りを楽しんで頂きますが、このクチーナは、少々変わっておりまして、舌と鼻で楽しんで頂く他に心でも楽しんで頂くために映像を映し出すようにしております。皆様全員に楽しんで頂きたいのですが、これも少々変わっておりまして、来店頂いたお客様の中で一人だけのサービスとなっております」
「一人だけ、僕だけ?」
「はい。本日、クチーナが選んだ主賓はジョバンニ様です」
「そうなのだよ。ジョバンニ君。君は幸せ者だ。なかなか店に選んでもらえることはないのだぞ。つまりだな、吾輩はまたも選ばれなかったわけだ。残念。残念。とても残念である。昨日、いやリーだと100年前、まあどちらでもいいが、その時も私は選べれなかった。いやいや、それは問題ではない。一番問題なのは、これまで一度も、そうだ一度もクチーナは吾輩を選んだことがない。宇宙一の海賊であるラポ・エルカーノ・バルバリアを選ぶことのないクチーナは正しいのであろうか。そこだ、そこが問題である」
「まあまあ、ラポ様。今度いらした時はこの店もラポ様を選ぶかもしれませんし。それが今度当店に来る楽しみともなりましょう」
「うむ。うむ。なるほど。リーは、料理の腕もいいが、話もうまい」
リーの言うこともラポの言うことも理解することはできないが、ラポがリーの話しに納得したことだけはジョバンニも分かった。
「さてさてこのキレイに輝いている料理について教えてくれ」
「はい。この魚はレオニオス星唯一の泉でとれました魚を当店自慢のソースと一緒に新鮮な野菜に包み込んだものでございます」
「ほう、遺伝子で管理している泉と聞いたことがあるが、そこの泉であるか」
「はい、昔はそうでしたが遺伝子の種類を増やし後は泉と魚達に任せる。そして、最後に選ぶ。それがいいようでして今は管理ということはやっておりません」
「なるほど。自然が一番というわけか」
その葉から出てくる刺激的な香りがジョバンニの空腹感をまた何倍にも膨らませた。
ラポの真似をしてフォークとナイフで葉を開くとそこには明るい色の魚が3匹いた。ラポの魚はジョバンニの川にいるような地味な色をした魚3匹である。恐る恐る食べてみる。
甘かった。砂糖菓子の何倍も甘いけれど、口の中で直ぐに甘みが消えて苦味が出てこってりした柔らかい魚肉が口の中に溶けていた。
ラポがじっとみていた。
「ラポさん、食べますか」
「いや。ジョバンニ君のものはジョバンニ君が一番合うのだよ。それがここの料理だ」
と言いつつまだ物欲しそうにみている。
また、ラポの後ろの壁に映像が映し出された。
銀河鉄道の黒服の青年と姉弟がいる。賛美歌が流れている。
「悲しいけど、美しかった」
ジョバンニは銀河鉄道の乗客みんなが歌って賛美歌を静かに思い出していた。賛美歌が終わると新世界交響が部屋に流れた。ラポも手を止め目を閉じて静かに聞いていた。音楽は誰にでも聞こえるようだ。
「神さまはあの人達を幸せにしてくれたのだろうか」
部屋が静かになった。
振り返ったところで自分には何も見せてくれないクチーナと知っているラポは料理を夢中で食べ始めた。
画面が一瞬消えた。
そして、どこかの部屋の中が写った。女性の後ろ姿が写っている。女性の前には大きなテーブルがあり、その上に誰かが横たわっている。全体が薄暗くてよくわからないが、リーが被っていた赤い大きな帽子に似ていた。
後ろ姿の女性は大きな鉈をもっていた。
そして、その女性はその鉈を横たわっている男性めがけて振り下ろした。
「あっ」
ナイフとフォークがジョバンニの手から落ちていった。
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