第4話 果樹園

「ラポさん、ここは果樹園ですよね」

「果樹園?そう、ここも、あそこもみんな果樹園、果物がぶら下がっているからね。どれも美味しい。このまま食べても実に美味しいのであるが、極上の技術を持つ料理人が心を込めて調理すると、まるで果物が弾みだすように一層美味しくなるのである。う、う、吾輩のお腹が、急げ! 急いで店に行きなさい!と言っている」

 ラポがまた走り始めた。

 ラポはじっとしているのが苦手なのかいつも走っている。走っていないときは跳ねている。

「まただ。ラポさーん、待ってくださーい」 

 ジョバンニも慌ててあとを追って走って行った。

 暑くもなく寒くもなく、そして少し香りのよい風がジョバンニを包み込んだ。果物の匂いをそのまま乗せている風だった。走りながらジョバンニはこの星の空気を感じていた。

 街は端正で美しかったが、この果樹園も素敵だ。ジョバンニの村は少し息苦しかった。自分の落ち込んだ気持ちのせいだったのかもしれない。けれど、この道を走っていると自分の心の中の汚れや言葉にできないわだかまりが、香りの良い優しい風に乗って流れていくような気がするのだった。

 

「何か、何か、変な気がする」

 街でも感じた異様な気配に襲われて、ジョバンニの足が止まった。


 ゆっくりとジョバンニは果樹園を見渡した。沢山の実に包まれた木々がずっと先まで連なっている。

 木に生っているのはリンゴだった。

 ジョバンニの村でもリンゴ畑があった。冬になり寒くて毎日が凍える頃にリンゴが実り始め、春になれば、いろいろな種類のリンゴを村の誰ものが味わうのだった。

 大きくてがっしりとしたリンゴもあれば、まだこれから大きくなるから辛抱して待っていて下さいという小さなリンゴ、何かの理由で成長するのを諦めてしまったリンゴ、そんな大きさも色合いも異なるリンゴがぶら下がっているのがジョバンニの村のリンゴ畑だった。

 けれど、この果樹園のリンゴはどれもが全く同じ大きさ、形でどのリンゴの肌もつやつや光っている。

「どうやってこんなに寸分違わない健康なリンゴを育てることができるのだろう。ここの人たちは、とても丁寧に育てているんだ。どんな人たちなんだろう」

 ジョバンニは果樹園を見渡した。しかし、誰もいない。

 そう思ったが、目を凝らすと10メートルくらい先に人がいた。

 真っ白な服に真っ白な帽子を被った人が真っ白なカゴを下げて木から実をもいでいた。果樹園の木と木の間にただよう蜃気楼のように見えて最初は人だと分からなかったのだった。

 ジョバンニはその白く揺れる影に惹かれるように近づいていった。

 白い塊のように見えたが、子供と中背の大人と、背の高い大人の三人組だった。

 実った果樹の下の方は子供が、中くらいは中背の人が、高いところは背の高い人が、沢山なっている実からテキパキとカゴにいれている。全部摘むのでなくて、たくさんのリンゴの中から選んでいる。どれも同じリンゴにしかジョバンニは見えないが、彼らには摘んでいい実とそうでない実が分かるのであろう。まるで機械のように瞬時に判断して摘んでいる。

 ジョバンニが近づいて行っても、誰もジョバンニに気づかない。気がついていても相手にしないようだった。


「こんにちは」

 ジョバンニが大きな声で挨拶をすると一人が振り返って帽子をとった。


「カンパネルラ」

 そこに立っていたのはカンパネルラだった。

 銀河鉄道に一緒に乗っていたカンパネルラ。いつの間にかカンパネルラは銀河鉄道からいなくなっていた。カンパネルラを探さなくちゃと思ったところまでで、ジョバンニの記憶は止まっていた。目が覚めたらラポのベットの中にいた。カンパネルラがいなくなったときの寂しく苦しかった心がジョバンニに蘇ってきた。


「カンパネルラ、でしょ」

 しかし、彼は黙ってジョバンニを見つめるだけだった。

 横にいた人も振り返った。

「カンパネルラ」

 ジョバンニは驚いて叫んだ。

 年をとっている。けれど、やはりカンパネルラだった。10年後、20年後のまだ今は会ったことがないけれど、それでもこの人はカンパネルラだ。

 一番小さな人も振り返った。

「カンパネルラ」

 小さい頃、学校に入る前のカンパネルラだった。

 ジョバンニは思わず手を伸ばして子供の肩をつかもうとすると、その子は驚いてあとずさりした。

 

 カンパネルラがここにいるわけはない。それも、銀河鉄道に一緒に乗っていたカンパネルラがいて、子供の頃のカンパネルラがいて、将来会えるかもしれないカンパネルラがいる筈はない。

 ジョバンニを不思議そうに見ていた三人は、もう興味がなくなったと言わんばかりにジョバンニに背を向けリンゴの木を囲んで話し始めた。

「もう少し栄養が必要じゃな」

 年老いたカンパネルラに「そうですね」と若いカンパネルラが答えた。

 小さなカンペネルラが木の前にしゃがみこんだ。

「今日は何本も面倒をみた。お前はもう疲れているじゃろ。私ら二人でやるから」

 そう言われた小さなカンパネルラが静かに立ち上がると、二人のカンパネルラが木の前にしゃがみこんだ。

 木の枝が静かに伸びてきた。そして、その枝は二人の体に近づいたとたん、彼らの背中を刺して入っていった。

「痛い!」

 自分の体ではないが、思わずジョバンニは叫んでしまった。

 二人は小さく震えている。枝が離れていった。

 そして何事もなかったかのように二人は立ち上がり、小さなカンパネルラと一緒に隣の木に向かっていった。

 

「ジョバンニくーん。ジョバンニくーん」

 ラポの声がした。ジョバンニが道から消えたので心配して戻ってきたのだった。

「ラポさん、彼らは誰なんですか。みんなカンパネルラにしか思えない。だけど、ここにカンパネルラがいるわけがない」

「吾輩はそのカンパネルラという人、君の大切な友人のようだが、その人を知らない。しかし、もしジョバンニ君がこの人達をそう呼びたくなるほど似ているとしたら、それは偶然。そう偶然に違いないのであろう」

「偶然って。一人だけ似ているなら偶然かもしれないけど、三人とも、年が違ってもみんなカンパネルラなんて、そんなことあるわけがない」

「ジョバンニ君。全ては偶然なのである。しかし、偶然の裏には必然がきっとある。それが、正しい偶然なのである。そうか、そうか、向こうにいる三人は三人ともジョバンニ君の友人のカンパネルラだったのであるか。そうか、そうか。偶然の裏には必然がある」

 ラポが難しそうに考え込んでいる。

「ラポさん、木の枝が彼らの体を刺しました。けれど彼らはじっとしていた。じっとしてたままでした。木が人を刺すなんて」

「木を育てている。それが彼らの仕事だ。彼らは自分の体から木に栄養を与えているのである」

「けど、木は、土と太陽と水から栄養をとっているでしょ。人の体から栄養をとるなんて。彼らは痛くないんですか」

「ジョバンニ君。だから、それが彼らの仕事だから」

「そんな自分が刺される仕事があるなんて」

「ジョバンニ君、吾輩は言ったはずだ。その星にはその星のやりかたがある。君にとってどんな不愉快なことがあろうと、それについては何も言ってもいけない、どんな疑問も持ってもいけないとね。なぜなら、君が生きていた星と同じ様に、この星にも長い歴史がある。この星とここに住む人について君は何も言えないのだ。自分では正しいと思っていたことが、他人には正しくはないこともある。正しくあることがすべてなのであるが、その正しさが、どこかで、そうどこかで変わってしまっても...」

 ラポが何を言おうとしているのかジョバンニは分からない。

「ラポさん、つまり」

「つまり、ジョバンニ君は、この星に愛されているようだ。ジョバンニ君をこの星は待っていた」

「この星が僕を待っていた?」

「そう。いや、そうかもしれないが、そうでないかもしれない。その理由を話し始めると長くなる。ロングストーリー。ロングストーリはとてもお腹が減る。とにかく宇宙一おいしい店はすぐそこにある。それが今の吾輩とジョバンニ君にとってもっとも明確なことだ」

 ラポはジョバンニの手をとり、ひきずるように道まで連れて行った。

「ジョバンニ君は吾輩の期待通り、いやそれ以上の興味でこの星を見てくれている。星もそれを待っていたのかもしれないが、やはり本来の目的ではない。吾輩も君も、この星に来たのは料理、宇宙一おいしい料理を食べるためである。本来の道にもどろう。正しい道はそこにしかないのである。それに吾輩はお腹がすいた!」

 ラポはジョバンニの手をとってまた走り始めた。



  






 




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