乙姫

第2話 乙姫の指令

 浦島は角兵衛の甲羅に乗って地上に戻ってきた。

 かれこれ1年近く竜宮城で遊んでいたので、両親もさぞかし心配しているに違いない。

 浦島は一年ぶりの人間世界の空気を思いっきり吸い込んだ。龍宮城もいいが、やはりこの澄んだ空気は懐かしくて気持ちがいい。浜辺も村の向こうにみえる森も何も変わっていない。そう思った浦島だったが、よく見ると村の家並みが全く違っていた。浜辺沿いに浦島の家も含めていくつかの掘っ立て小屋しかなかったのに、立派な家がずらっと並んでいる。どれが自分の家なのかも全く分からない。山の麓には、遠目でもわかる程の大きなお屋敷がある。


 浦島は近くにいた漁師に話を聞くと、ずっと昔に海神様にさらわれた若者がおり、一人息子がいなくなったその家は、それで途絶えてしまったと言う。浦島は呆然としていた。

 角兵衛が、のそのそと寄ってきて浦島だけに聞こえる声で話した。

「浦島さん。だからね、竜宮城での時間は、ここの何十倍も何百倍もゆっくりなんですよ。浦島さんが1年竜宮城にいた時間はここだと100年くらい立っているわけで。これでわかってくれました?」

 話しながら角兵衛は、乙姫から耳打ちされた指令を思い出すのであった。

「角兵衛、地上に行ってからお前がやることはふたつあります。この玉手箱には年をとる煙が入っています。年をとったら浦島様も竜宮城に帰りたくなるでしょう。しかしそうなると私が悪者になるから、絶対に玉手箱をあけないように言います。それにも関わらず、お前が浦島様をそそのかしてこの玉手箱を開けさせてしまったあ。と、するのです」

 やれやれと思いつつ、最初の仕事に取り掛かった。

「それでですね、浦島さん。乙姫様にもらった玉手箱なんですけど」

 と浦島に話しかけた時には、すでに浦島は玉手箱を開けて煙をあび白髪の老人となっていた。角兵衛は思わず言うのであった。

「あのね浦島さん、この玉手箱ですけどね、絶対に絶対に開けるなと乙姫様に言われてたはずですよね」

 歯も抜けて話しづらいのか、ぼそぼそと浦島は答えた。

「そうじゃったかなあ。そう言われたような、言われてなかったような」     

 浦島のいい加減さにあきれつつも、さっさと仕事を片付けようと角兵衛は話を続ける。

「浦島さん。まあ、こうなった以上、あなたすぐに死んでしまいます。竜宮城に戻れば、また若さを取り戻します。さあ帰りましょう帰りましょう」

 浦島は目をしょぼしょぼさせながら言う。

「ほう、年をとると、こんなにも世間様がみえなくなるもんかね。不思議なもんだねえ。体も重いというか、固まった感じじゃ。ほうほう」

「関心している場合じゃないでしょ。ねっ。竜宮にもどりましょう。そして若返って楽しく遊び暮らしましょう」

「いやじゃ。いやじゃ。だって、竜宮城は飽きたし、乙姫は綺麗だけど怒ると怖いんだもの」

「そこがねえ玉に疵と言うか。いやいや、そうじゃなくて、明日にも死ぬかもしれないのですよ。もう一度言いますね。し、ぬ。いくらボンクラ頭でもそのくらいはわかりますよね」

 角兵衛は浦島の袖をくわえて海に引きずりこもうとしたが、老人とは思えない力で振り払われてしまった。何を言っても浦島は話を聞こうともしない。手ぶらで帰ったときの乙姫のヒステリーを想像して角兵衛はぞっとした。

「ところで角兵衛。なんか街道が騒がしいなあ」

 確かに街道に人だかりがしている。

「ちょっと見て来てくれんかのお。年を取ると動くのが億劫になる」

 竜宮に帰る話は少し時間をおいた方が良さそうである。角兵衛は「はいはい」と言うと、空中で一回転して青年に変身した。

「うわー。角兵衛は人間になれるんかい」

 浦島はすごいすごいと手を叩いて大喜びである。

「それにしてもお前、人間になっても顔が亀の甲羅みたいに角張ってゴツゴツしてるなあ。こりゃあ傑作傑作」

 はしゃぐ浦島を無視して角兵衛は街道に様子を見に行った。

 村人達は街道沿いに立てられた一枚の立て板を囲んでいた。その立て板には、

「今巷で噂になっている金銀財宝について知ることがあれば代官所へ来て話してみよ。良き話であれば金一封をとらす 代官」

 と書いてあった。

 村人たちは口々に

「あいからず高飛車な野郎だぜ。馬鹿言ってんじゃねえよ。なんで金銀財宝のありかを教えて金一封をもらう奴がいるんだよ」

「そりゃあ、そうだ」と角兵衛も思う。

「ここの代官ってのはどういう方なんですか」

「旅の人かい。そりゃ親代々ここの代官なんだが、前の代官は、そりゃあ良い方だったが、今の代官は強欲で偉ぶった嫌な奴よ」

 角兵衛は、乙姫が言っていたもうひとつの指令がこれであることが分かった。最近乙姫の財宝を地上の人間が狙っているようである。これを阻止して、首謀者を血祭りにあげてこいというものであった。生来性格がおとなしい海の生き物である角兵衛である。とてもそのような残酷なことはできない。

 しかし、考えみるとこれは一石二鳥かもしれない。この騒動に浦島を巻き混み、そこそこ大変な思いをさせれば竜宮城に戻るかもしれない。

 浦島の元に戻って金銀財宝のありかを代官が探していることを伝えた。

「そりゃあ、お金は欲しいけどさ、そんな話し聞いたこともないしなあ」

 と浦島が言う。

「浦島さん、実はですねタイやヒラメが歌っていた歌の中に金銀財宝のありかが隠されているんですよ。覚えてますよね」

「さて、さて、なんて歌ってたかなあ。いつも酔っ払ってたから、なーんも覚えていない」

「毎晩毎晩聞いてましたよね。脳みそがないんか。いやいや、こうですよ浦島さん」

 角兵衛は歌い始めた。

「麗しの、乙姫様のお生まれは、天にもとどく姫ケ丘。天女も降りる姫ケ丘。祠の中から天女の土産が湧いてくる。ザクザクザクザク湧いてくる。乙姫バンザイ、乙姫バンザイ」

「あらよいよい。ってな。そんな歌あったなあ。じゃあ、お前そのお宝取ってきて。俺、老人で動けん」

 むっとしながら角兵衛は言う。

「いや、そうじゃなくて。私でも一人で行くのは大変な場所ですから。まず、その代官とやらのところに行きましょう。ほら、あの山の麓にある大きなお屋敷に代官が住んでいるそうです」

「あいやあ、この年で、あんな遠くまで…」

「えーい。浦島さん、私におぶさってください。私もやることやって早く竜宮城に戻りたいですから」

 角兵衛は浦島をおぶって走り始めた。

「角兵衛、早い早い。亀の歩みはのそりでも、馬も目をむく走りかな。あらよー、あらよー」

 はしゃぐ浦島を無視して角兵衛は代官屋敷に向かっていった。


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