亀の角兵衛
nobuotto
第1話 竜宮城
「角兵衛。角兵衛」と乙姫のヒステリックな声が乙姫殿から聞こえてきた。
竜宮宴会場の後片付けの指揮を取っていた亀の角兵衛は、ふーっと大きなため息をついてゆっくりゆっくり乙姫御殿へ向かって這って行った。
いかにも面倒くさそうに、のそりのそりと乙姫御殿へ向かっている角兵衛をみて、女官のヒラメらタイたちが陰口を叩いている。
「今日も乙姫様は荒れてますわね」
「乙姫お気に入りの角兵衛も、ああこき使われたら本当かわいそうねえ」
「しょうがないわよ。乙姫様を竜宮城に連れてきたのは角兵衛のお父上なんだから。角兵衛は子亀の時から乙姫様のペットですからね〜」
「ペットだなんて、まあ、失礼な」
女官たちはホーホホーと楽しそうに笑った。
「角兵衛、角兵衛」と乙姫の声は一層大きく険しくなった。
角兵衛は「やれやれ」とつぶやいて空中で一回転すると人間の若者に変身した。
人間になると足の数は減るが、動きはスピーディーになる。待たせた分だけ乙姫の癇癪は大きくなる。角兵衛は急いで乙姫殿へ向かった。
御殿の中は乙姫が壊した壺や花瓶で足の踏み場もない状況であった。
「遅かったか」
広い御殿の隅々まで落ちている欠片の掃除を思うとため息しかでない角兵衛だった。
乙姫の細めで切ながの美しい目は眉を突き抜けるほど吊りあがっていた。
「なにグズグズしてるの」
乙姫が歌えば、海の砂までも喜んで転がり始めるといわれるその美声も、今は角兵衛の鼓膜を破る落雷の響きでしかなかった。
「浦島様はやはり帰るそうよ。いくら引き止めても絶対地上に帰るって聞かないのよ。角兵衛、一体どうなってるの」
床に飛び散った壺の欠片を広い集めながら角兵衛は答えた。
「再三説得してますけど、あの能天気男、いや、浦島さんもなかなか強情で、理屈がわからぬアホはアホなりに、いや、浦島さんなりに決めたようでして」
「何ひとつ不自由がない竜宮城で、それも絶世の美人の私と毎日遊んで暮らせることの、一体どこが不満なの」
乙姫の白いしなやかな手がまたいくつもの花瓶を壁になげつけた。
「このヒステリーさえなければ、心身完璧な美人なんだが、海神様も二物を与えずか…」
割れた花瓶のかけらを拾いつつ角兵衛は乙姫をなだめる。
「乙姫様、もうお諦めになった方がよいかと思います。私がまた地上でいい若者を探してまいりますから」
なだめたつもりが、火に油を注いたらしく角兵衛に向かって花瓶が飛んできた。
「浦島様じゃなきゃだめなの。あの丹精な顔立ちとほがらかな性格そして話し上手。浦島様みたいな方はこの世に、いえこれから先にも二人といないわ。あーどうしようどうしよう」
乙姫は御殿の中をぐるぐると飛び周り始めた。乙姫は感情が高ぶった時、また何か考え事をする時にはいつも金の衣をなびかせて御殿の中を舞う。人間世界では綺羅びやかな絵となって巻物に描かれているそうであるが、大概良からぬ結果が待っていることを角兵衛は知っていた。
乙姫が舞い降りた時、その手には玉手箱があった。乙姫は穏やかな顔に戻っていた。角兵衛は嫌な予感がした。乙姫は角兵衛を呼び寄せて耳打ちした。角兵衛は話を聞きながら「それはそれは身勝手な。私の性格上そうしたことは。」と小さい声で愚痴をこぼす。
「角兵衛何ぶつぶつ言ってるの。わかりましたね」
今度は気持ちよさそうに乙姫は御殿を舞うのであった。
気の乗らぬ指令を受け、重い足取りで竜宮宴会場に這って行く角兵衛の前に死んだ父角太郎が現れた。
「いつも済まんなあ。竜宮に来た時は、ああも怒りっぽい性格じゃなかったんだがなあ。そりゃあお前、人間とは思えぬ美しさでな。なんでかなあ。寂しんかなあ」
乙姫と一悶着ある度に成仏しきれない角太郎が現れる。父として息子を励ます優しに角兵衛は感謝はしているが、これまで役に立ったことは一度もない。
「はいはい。その話は何度も聞いてますから、ゆっくり死んでて下さい」
父角太郎の中をゆっくり通りすぎ、角兵衛は竜宮宴会場へ向かった。
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