2話 精霊と異邦人(4)
水晶が弾けて割れて、その中から、これでもかというほどの、禍々しい力が外の世界にあふれ出した。
色としては黒。非常に重く、生命を吸い取る悪意に満ちたそれは、龍の姿を象って現出する。
異変はすぐに訪れた。
コハクが作り上げた土壁の外側から、呻き声が聞こえ始めた。―――悲鳴と、そこから巻き起こる混乱が、大地を埋め尽くす。
人が、狂乱する何かが解き放たれたことを、アデルは悟った。
「これ、は……!」
アデルもまた、軽微であるが息苦しさを感じた。
生命力そのものを、あの龍の姿をした何かは吸い取っている。
膨張していく、無理やりに徴収していく。
それは、まるで。
精霊たちを縛るために人間たちが開発した、契約術によく似たもので、嫌悪感がこみ上げてくる。
「この、クソ野郎!」
あれを止めなければ、とアデルの本能が告げてきていた。拳を龍に向かって振うが、龍の体はまるで霧のようで、拳は突き抜けて手ごたえは全くなかった。
「無駄だぜ。お前らのような退化した精霊の力じゃ、あのマナは捉えられない」
アポストロがせせ嗤い、宣告する。
「このまま死ねよ。その分、あのマナは強くなる」
「させないわ」
凛とした声が、辺りに突き抜けた。
コハクが手元に作り上げた急造の身長ほどある昆の先を地面に幾度か叩きつけた。何か、清浄な波紋のようなものが、昆の先を中心に大気中へ突き抜けていった。その波紋が龍に触れた途端、体の端から龍の体が崩壊を始めた。
龍の体が崩壊するのとほぼ同時に、辺りに立ち込めていた重苦しい何かが消え去っていった。アデルの体が軽くなる。悲鳴もいつの間にか止んでいて、穏やかな静寂が一瞬、場を支配した。
一方のコハクは、疲れ切った様子でその場に膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。
今しがた使った力の反動だろうか。いや―――そもそも、コハクが行使した力は。
「―――調律……」
アポストロの呟きが答えだった。
調律、という言葉に聞き覚えは無かったが、コハクが行った行為を指し示していることは明白だった。
アポストロの表情が異常なほどの歓喜へと変化していることに気づき、アデルの背筋に冷たいものが奔る。
「なんてことだ、ガルディアンか……!」
アポストロが懐から黒い水晶玉を取り出した。見ただけで、アデルはそれが何かとんでもなく危険なものと認識した。大地に命令を出す。大地が波のように蠢いた。指示を出しただけでは居ても立ってもいられずに、アデルは駆け出す。
「逃げろ!コハク!」
コハクがアポストロの手元の黒い水晶玉に気づいたのとほぼ同時、その水晶玉から帯状の光が飛び出して、コハクの体を貫いた。
コハクの体はゆるりと傾き、帯状の光によって中空に繋ぎ留められた。大きく見開いた瞳は力を失い、ゆっくりと閉じられていく。
それは、ほんの数秒の出来事だった。それでもアデルにとって、後悔するに十分な時間だった。
たった一人の妹を。
たった一人の大切なものを。
傷つけられた怒りが沸き起こる。
「貴様ああああああああ!」
アデルの怒りに呼応して、大地が激しく揺れ始めた。悲鳴が周囲から上がったが、そんな事は気にも留めずに、アデルはコハクの元へと駆け寄ろうとした。しかし、足止めするかのように熱線が飛んできた。
頭に血が昇っていたアデルは、思わず熱線を、霊力を込めた拳で弾き飛ばす。
その一瞬が、分岐点だった。
アポストロはコハクを抱え込んで、空へと真っすぐに逃げ出した。
「逃がすか!」
アデルの指示に従って、大地が一斉に空へ向かうアポストロへ向かって伸び上がる。しかしそれでも、大地の質量は有限で、重力にも逆らえない。大地から出来上がった隆起物は、伸びるにつれて、徐々に先にかかる負荷が大きく、やがて折れ始める。
届かない。
空へと逃げたアポストロに届かない。
それを察したのか、アポストロはくるりと回ってアデルに告げた。
「このガルディアンはありがたく使ってやる、感謝しろ!」
使う。
大事な妹が、一体どんな仕打ちを受けるのか。
考えたくもない光景が脳裏に過り、アデルは大地に指示を出す。
―――この大地の上にいる何もかもが壊れても構わない。伸ばせ、あれを止めろ。コハクを取り戻せ。
それがどのような指示であるのか、アデルは知っている。しかし、正確な判断はできていない。
大地のバランスの崩壊。陥没が起こり、人が住めない地域が出てくる可能性もある。死者も大量に出るかもしれない。巨大地震が起こるかもしれない。それでもかまわないから、とにかくアポストロを止めなければ、と心は焦る。
たとえこの世界が全て壊れたとしても、妹を取り戻さなければ、と。
自分には存在しない遠い彼方の記憶が、訴えかけてきてくる。
(ぶち壊す)
全身に霊力を込め、大地を壊す勢いで本気を出そうとした、その瞬間。
ぱん、と。
乾いた音が、辺りに響き渡った。
アポストロの片側の翼を、銃弾が貫いた。アポストロは空中でバランスを崩してよろついた。
「えっ……?」
「は……?」
信じられない光景に、アポストロも、そして怒りに感情が支配されていた筈のアデルすら、間抜けた声を出した。
コハクの蹴りと同様に、人間が作った武器が、アポストロの体に傷をつけた。
その事実に驚き―――思わずアデルは、銃弾が飛んできた方向を見た。
崩壊しかけた建物の屋根の上。黒い髪を持つ小柄な少年が、つまらなそうに銃を握って立っている。
「戦うか逃げるか、どっちかに専念しろっての。色々と舐めすぎ」
言いながら。
屋根の上の少年―――異界の人物であるらしい桜江雪路は、笑う。
「だから早死にするんだよ、お前」
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