2話 精霊と異邦人(3)

 表口には巨大な土壁が出来上がっていた。

アデルが周辺の大地をかき集めて作り上げた、急造の壁だ。高さと厚さは最初の爆撃の攻撃を防ぐ程度の硬さを誇る。


 しかし。

 その土壁を細い熱線が貫いた。熱線は一直線にアデルの顔へと向かって行き―――アデルは拳でそれを払い除ける。僅かな熱が拳を伝わる。それでもアデルの拳に傷一つつけられない。熱線は、そのまま地面に焦げ跡を残して消え去った。


「うっそだろ。今の攻撃を防ぐとか……かなりランクの高い精霊術士か……?」

 驚きの声は上空から。

 アデルは目を細め、足先で地面を擦り、自らの力を通す。

 土壁が即座に自壊し、幾つもの礫となって声がした方へ向かって飛んでいく。

 土壁で遮られていた視界が広がっていく。アデルが作り上げた礫は、強固な何かに直撃して粉々になり、土煙として空に靄をかける。


「結界ね」

 コハクが空を睨んで囁いた。

 空。土煙に覆われた、霞んだ青の空。そこに、巨大な一対の白い翼を生やした人間がいる。ただ、鳥のように羽ばたきを繰り返してその場に浮き続けているのではない。まるで見えない地面があるかのように、その場に立っている、という表現が適切だろう。なにせ、翼は一切動いていないのに、空中に留まっているのだから。

「ん?あれ、精霊術士じゃなくて、精霊じゃん。嘘だろ?」

 首を傾げる翼を生やしたアポストロは、見た目は短い焼け焦げたような色合いの髪を持つ、二十代前半の青年だった。口調にはどこか幼さが混じっている。


 彼は赤い目を見開いて、興味深そうにアデルを見る。

「うわぁ、初めて見たなぁ、ナマの精霊。へぇ、人間に使われている時よりも、生き生きとしてんだなぁ!」

 へらへらと笑いながら、物珍しそうにこちらを見つめてくるアポストロを、アデルは睨んだ。

「おい、一体なんの用でここに来た!」

 その言葉に、アポストロは当然の如く答える。

「勿論、暇つぶしだよ。丁度人間が沢山集まっている居住区があったから。なら新しい魔術の試し打ちをしようって思ってね」

 新しいおもちゃを与えられた子供ように無邪気に残酷な話をするアポストロに対して、アデルは苛立ち、激昂する。

「お陰で妹との大切な買い物の時間がぱあだ!一体どうしてくれるんだ!」

「え、ええ……?怒るところ、そこなの……?なんかもうちょっと、人間に対する同情とか、そんな感情、ないのかよ……?」

 あまりに身勝手で自己都合。アデルの想定外の激昂の理由に、アポストロが狼狽える。


 今、彼が攻撃を加えた居住区は凄惨たる状態だった。苦しみ呻く人間たちの声。悲鳴に混乱。崩れたビルに焼けた大地、溶けたアスファルトが煮えたぎっている。死体がそこかしこに転がり、生き物のが焼ける異臭が立ち込める。

 それなのに、アデルは“妹との買い物を邪魔されたこと”に怒っている。それは、まるで人間がいくら死のうと、どうでもいいと言わんばかりの反応だ。

「オレたちにとっては、人間なんざどうでもいい存在なんだよ」

 低く、唸るようにアデルが答えると、アポストロは腑に落ちた様子で頷いた。

「あー……それはちょっと分かるや。……オレも人間はどうでもいいっつーか、この壁の中の奴らは、嫌いっつーか……」

 僅かに。アポストロの表情から、残忍さが消えた。思い出すような。忘れてしまった記憶を掴むような。

 だが、感傷に浸っているような、アポストロの事など、アデルには関係がない。


「覚悟しやがれ、糞ガキ!」

 アデルは腕に力を込める。『術』を手の内に発動し、大気中に投げ飛ばす。

 自身の霊力と合わさって、術は一つの『命令式』となり、事象を引き起こした。

地面が割れて、幾つもの礫が空中に浮きあがる。ただ、今度はその礫は収縮し、一瞬のうちに不格好ながらも、先が鋭い槍へと変化する。

「……へへ。人間に隷属していない精霊と戦うなんて初めてだ。なんだか、とてもわくわくするな!」

 楽しそうにアポストロは呟いた。禍々しい気配が空中に集まったかと思えば、瞬時にアポストロの周辺には凝縮された熱が強く輝く光となって現れる。

 槍と熱線の打ち合いが、始まった。


 一見すれば土で作られた槍のほうが弱弱しく、簡単に破壊されるかのように思われた。しかし、アデルという強力な精霊の霊力を得た槍は、居住区のアスファルトすら溶かした熱線を、物理的に打ち砕いた。

 弾けた火花のように、熱線が大気に霧散していったのを見て、アポストロは驚きに目を見開いた。

「え、嘘だろ」

 熱が辺りに飛び散って、流星のように降り注ぐ。建物に直撃した熱は着火し、見る間に炎へと変化して辺りは熱気に包まれていく。


「とっておきの熱線術式をこうもあっさり破られるなんて……」

 ぼやくアポストロの視線は、今、完全にアデルから外れていた。

(チャンスだ)

 アデルは足元の大地から自らの力を通す。伝達されていくのは、アデルから発信された命令。それに応えた大地の力が、アデルの足場を瞬時に隆起させ、アポストロに届くほどの高さまで足場を伸ばした。

 精霊術は、端的に言えば、世界に一切の悪影響を与えずに、自然界に指示を出す文面のようなものだ。

精霊各自が従わせる対象は、精霊の属性―――火、土、水などによって決定する。

 アデルの場合は大地の属性を持つために、大地に向けて命令を出せる。

 今しがた出した命令は―――『俺の足場を隆起させろ』『アポストロに届くほど』。


 その命令の通り、アデルは今、彼の声に応えた大地に運ばれて、宙に浮くアポストロと同じ位置にいた。

「へっ……?」

「おぅ……らっ!」

 握りしめた拳にあらん限りの力を込めて、アデルはアポストロの頭上から殴りつけた。鈍い音が辺りに弾け飛び、力を失ったアポストロが矢の如き勢いで地面に叩きつけられ、ックレーターを作り上げる。

 大地が揺れる。みしり、みしりと悲鳴を上げた。

 精霊は、属性ごとに特性が決定される。大地の属性を持つアデルの場合は、異常なほどに力が強い、という特性を持っていた。それこそ、大地を易々と割れるほどの力である。しかし、その力を込めたというのに、

「あいちちちち……」

アポストロは頭を摩ってその場に尻餅をついていた。未だ生きている。

「―――これ、で!」

 拳を握りしめたアデルは、アポストロに向かって一直線に駆ける。速度を乗せた拳が、アポストロの顔面に向かって放たれるが―――直前、アポストロの交差させた腕によって、拳が受け止められた。

 否。正確には、アポストロの体の周辺に張られている、不可視の壁によって、である。

 全くもって嫌になる。アポストロ達の体を包む、不可視の壁は、そう簡単には突破ができない。

 彼らに決定打を与えるには、不可視の壁をどうにかしなければならない。


「今度は……近接戦?」

 楽しそうに、アポストロが呟いた。右手が輝いたかと思えば、そこには剣が握られていた。

 思わずアデルは背後へと跳んだ。今しがたアデルが居た場所に、アポストロが鋭く剣を振り下げた―――かと思えば、軽やかな足取りでアデルとの距離を詰めてくる。

 アデルは小さく舌打ちをし、アポストロの足場を隆起させる。アポストロは地形の変化に僅かに気を取られはしたものの、すぐさまその場から前に跳んだ。

 横凪の、一閃。刃がアデルの胴を捉えようとした。


(防御を)

 あくまで冷静に対処しようと、アデルは次の術の指示を飛ばそうとし―――アポストロは、その鼻先に思い切りの蹴りを入れられて、自身の背後にあったビルに吹き飛んでいった。

「私のお兄ちゃんに、何をするのよ、この、ブサイク」

 コハクだ。

 いつも通り、人間の安全を最優先していたらしい。アデルを中心に、人避けになるように高さ五メートルほどの土壁が円を描いていた。


「ブサイク、だと……?」

 ビルの瓦礫から身を起こし、アポストロが不思議そうに眉根を寄せている。対して、

「だって、鼻が潰れているじゃない」

「この鼻の怪我は、お前のせいだからな!」

コハクの言葉に、アポストロはやや顔を赤くして怒りを顕わにする。

 そのこめかみに、銃弾が当たった。銃弾はアポストロに当たった途端に、跳弾して地面に小さな傷をつけた。

 アポストロは銃弾が飛んできた方向を見た。

 そこには、武器を手にした男が、しゃっくりを上げながら銃を構えていた。

「邪魔」

 当然のように、アポストロは熱線を男へと放った。

 男は悲鳴を上げる間も無い。一瞬にして骨すら溶けて影すら残さずに掻き消えた。

 そうして、今しがた殺した人間の事などすぐに忘れて、笑う。


「さてさて……それにしても奇妙な話だな」

 彼は怪我をした鼻を摩りながら、コハクを見る。

「どうしてお前、結界の鎧を纏っているオレに攻撃できたんだ?」

「……偶然じゃないかしら」

 コハクの口調はいつも通り、冷静だ。だが、必死に感情を押し殺している。

 アポストロの体の周辺に薄膜のように張られた不可視の壁―――結界の鎧は、そう簡単に突破できるものではない。

 ましてや、普通の蹴りなどでは。

「へぇ、じゃあ、そういう事にしておいてやるよ」

 素っ気ないコハクの返答に、アポストロはにやりと笑った。

そうして懐から取り出したのは、一見は掌に納まる程度の水晶玉だった。だが、その水晶玉の内側には、アポストロがいつも発している禍々しい気配が荒れ狂っている。


 あれは、ヤバい。

 アデルの背筋に冷たいものが奔る。

 それはコハクも一緒であったらしく、彼女にしては珍しく、顔に焦燥が色濃く現れていた。

「喰らえ!」

 狂ったように笑いながら、アポストロが水晶玉を地面に強く叩きつけられた。

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