1話 異邦人と精霊(4)

 少女の背中が小さくなっていくのを確認してから、雪路は空で熱線を放出し続ける、黒い球に向かって指をさす。

「さて……適当なところで切り上げよう」

 呟いて。

 空中に浮かぶアポストロに向かって、時間をかけて構築しておいた“リンク”を通じて、黒い球を構成している、魔術式に干渉を開始する。


 魔術とは、奇跡の一片である。

 それは、ときに、科学にすり替わる。その程度の、さして大したことのない力だ。

 科学と異なるのは、必要なエネルギーが一貫して魔力―――マナであるということ。発動させるには、魔術式が必要であるということ。その二点だ。


 アポストロの魔術式は、帯状に姿を現す。帯には大量の情報を組み込まれており、その一つ一つが、魔術を起動させる回路である。

 回路とは、正しくなければ意味をなさない。

 魔術を打ち破りたいのであれば、魔術を破壊する威力の力で魔術を破壊するか、魔術式そのものに干渉するか。その、どちらかに自然と限られていく。

 魔術を破壊する魔術には、破壊対象の魔術を上回る莫大なマナが必要であり、魔術式そのものに干渉するには、精緻な技術が必要とされる。


(あー、もう!面倒くさい!)

雪路に魔術を破壊するほどの魔力は残っていない。自分から湧き出るマナは現在、封印しているからだ。

 と、なれば、手は一つ。


 雪路は、黒い球を構成する魔術式に干渉を開始する。

 非接触で、且つマナが無いとくれば、“リンク”を繋げるには時間が掛かるのが、まだるっこしい。

 だが、調子よくアポストロが熱線を地上に落としている時間は、“リンク”を繋げるには十分だった。


 “リンク”を通じて、意識を奔らせる。人の体感にして一秒足らず。その間に、帯の形として表出している魔術式の中に潜り込み、爆弾を仕掛ける。

 概念そのものに干渉する、『調律』と呼ばれる技術だ。

 張り詰めた弦が切れる音と同時に、大気が震えた。音からワンテンポ遅れて、黒い球がはじけ飛び、残骸が大気に溶けて消えて行く。

「……なんだと……?」

 驚愕にアポストロが目を見開いた。その驚き様から、この世界に魔術式そのものに干渉できる存在がいない、と彼女が思い込んでいたと、容易に推測できる。

「油断大敵……ってね」

 ついでと言わんばかりに、雪路はアポストロの背中に生えている翼にも、調律を施す。


 翼も魔術で構成されているため、調律を受けて翼は先の方から消え去り始める。空中で留まる手段を失ったアポストロは、地上へと落下を開始した。

 これで、上空から何かを探しながら、適当に物を破壊する、という行為はできない。

(よしよーし、後は退散……)

 逃げようとする雪路は、瞬間、アポストロと視線が合った。

(あ、まずった)

 直感した直後。


 消えかけた翼にマナを収束させ、勢いよくアポストロが雪路へと突っ込んできた。

 身体能力が平均値以下と化した雪路には、それを避ける術がない。そのまま、アポストロに首を鷲掴みにされた。

「がっ……!」

息が詰まる。指が首に食い込み、みしりと筋繊維が音を立てた。

「今、眼が合ったわね?」

 翼が完全に消え去ったアポストロは、しかし人を遥かに上回る筋力で、雪路を片手で吊り上げた。

「気のせいじゃないかな?それとも自意識過剰なのかな、お嬢さん?」

 笑いを含ませながらお茶らけた口調で尋ねれば、アポストロの赤の瞳には怒りと不快が滲み出る。


「私を……アポストロを前にして、軽口叩ける時点でかなり異常ね?何者なのかしら?この翼を消したのも貴様か?」

「……さあて、どうだろうねぇ?」

 軽口をたたけば、首を掴む指に力がこもる。本気で殺しに来ている。いや、殺されたフリをして、この場を凌ぐという方法もある。


 なにせ、魔力が使えない現時点で、桜江雪路の戦闘能力は皆無に等しい。

 『調律』を使った干渉は行えるが、あれは戦うための力ではない。『正しいもの』に対する攻撃力など皆無に等しい。

(死んだふりってどうやったっけ……)

 久方ぶりの演技の記憶を思い起こし始めた雪路の耳に、覚えのある凜とした声が響く。


「そこまでだ!」

 そこには、赤い髪の女性軍人が手に立っていた。

名前はイライナと言ったか。先ほど精霊を吸い込んだ剣とは別の、真っ赤な刀身の剣を手にして、アポストロを睨んでいる。

(……あの剣……なんだ?)

 呼吸困難で朦朧とする意識の中でも、雪路の“性能”である解析がひっきりなしに続く。


 視界を巡らす。周囲には数名の軍人。彼らが握っているのは、通常の銃だ。銃弾にも気配がないあたり、神秘の力を宿した武器ではない。

(もしかして、知らない……なんてことないよな……?)

 通常の武器では、アポストロは倒せない。たとえ核兵器だろうと、通用しない。アポストロとは、そういう性質を持つ生命である。

「その少年から手を離せ、アポストロ!我が剣が貴様を貫かぬうちにな!」

「ふん、遅いお出ましね、精霊術士」

 勇ましいイライナの言葉をアポストロは一笑で伏す。表情に余裕がある。

 どうやら、精霊術士はアポストロにとって、天敵ではないらしい。

 だが、精霊術士が一番前に出てきている辺り、人間側にとっては切り札の扱いなのだろう。


 精霊とは、一般に神秘の一部に属する生命なのだから、アポストロへの対抗手段としては間違っていない。

「そんな付け焼刃の力で我らに対抗しようとは、なんとも浅ましい。聞こえないの?精霊たちの苦痛の悲鳴が」

 嘘つきめ。鎖に封じ込められた精霊は、悲鳴すら上げられない様子なのに。

「精霊は自然が人間の姿を模倣している、虚ろな力だ。苦痛など持っていないだろう」

 イライナの返答は、精霊に対する認識をコンパクトにまとめたものだった。

 根本から、彼らは精霊という生命を、生命として扱っていない。ならば、悲鳴を聞いても心を痛めることはない、ということか。


(うーわ、アウト、アウト)

 これは、根本からトチ狂ってしまった人類の果てだ。アポストロという処刑人が、人を殺す十分な理由となってしまう。

 実際、アポストロの瞳には人を遠慮なく殺せる理由ができた時特有の、残虐な喜びの色が浮かび上がる。


「生きる価値もない、劣悪種が。今ここで、殺してやる」

 言うや否や、アポストロは雪路の首の骨を砕いた。

(おいおいおい、いきなりか!)

 慌てて雪路は白目を剥いて、死んだふりをしてみる。が、呼吸を止めることを忘れていたので、内心焦る。

 だが、非常に運がいいことに、アポストロは雪路の生存確認をすることなく、雪路を手放した。

 雪路を殺されたと思い込んだイライナが、アポストロに向かって突っ込んだからだ。

 剣からは炎が噴き出し、彼女の速力を補助している。炎はイライナを傷つけず、剣に纏った炎が、我先にとアポストロに襲い掛かる。

 弱弱しいながらも、神秘の力の一撃。アポストロに傷をつけることができる、一撃だ。


「ふん」

 だが、アポストロは鼻で笑い、向かってくる剣に向かって手を翳す。

 力の差を示すかのように、剣を片手で受け止めた。

「くぅ……!」

 イライナは苦悶の表情を浮かべながらも、剣を握る手に力を込める。


「何度も言っているでしょう、私たちに貴様らの精霊術は効かない!」

 受け止められると分かっていながらも、仕掛けた攻撃だったらしい。

 イライナの腕の筋肉が更に隆起する。炎が重さを伴ってアポストロを押し始める。 アポストロの足に僅かに力が入っていく。だが、剣はアポストロの掌すら切れない。

 霊力とマナがぶつかり合い、火花が辺りに散り、大気中で何度も弾けた。

(いや、もう少しじゃん。なんでそんな悔しそうな顔をしてんだよ)

 アポストロが全身に、薄皮のように纏っている結界に罅が入っているのを見て、雪路は不思議に思う。


 結界とは、様々な干渉から自身を護るための、基礎的な守りの術のことだ。

 アポストロは常に、全身を結界で守っている。薄くて堅く、しかし重さと厚さがない鎧をまとっているようなものだ。

 だが、アポストロの性能によって結界の強度も変わってくる。

(コイツは最低ランクのアポストロだ。結界に罅も入っている。もう少し、うまく精霊術を使えれば壊せるってのに……)

 イライナは勝機が見えないのか、絶望的な表情を浮かべ始めている。


(え、嘘、まさかガチで、結界が見えてない?)

 よく考えれば、呪いの虫すら見えない民衆の一人である。結界という一般には不可視の力が見えないと言われれば、納得できる。

 しかし、神秘を扱っている精霊術士のくせに、神秘が見えないとはこれ、何事か。


「ほらほら、私は一番弱いアポストロよ?その私に一太刀を入れられないということは、二等精霊術士か?ならば、一等か特級を連れて出直してくることだな!」

 アポストロが嗤いながら、イライナの剣を押し返し始めた。空いている手には、マナの塊ができ始めている。

 イライナの剣を退けると同時に、彼女を殺す拳を叩きこむつもりだろう。

(あー、死んだ、あの子死んだ)

 死んだふりをしている雪路は、そう判断した。


 結界が見えない。しかし精霊術は使う。彼女が精霊術を使えるのは、その手首にぶら下がる、呪いの鎖のお陰だ。人の魂を吸い、精霊を隷属させているという自覚すらなく、自らの力のように生命を使役する。

 業が深い。彼女を助ける価値はない。

 普通ならば。

 赤い髪の彼女でなければ。


 こんな時、雪路の脳裏に蘇るのは、決まって赤い髪の少女との約束だ。

 ―――面倒な約束をしてしまったものだ。


 雪路は素早く起き上がった。

「何!?」

 死んだと思っていた人間が起き上がったことで、アポストロが見るからに動揺した。動きまで止まる始末だ。

 馬鹿だねぇ、と雪路は心の中で嘲る。


「E―114番。さてはお前、起動したばかりだな?」

 口元に薄く笑みを張り付けながら、雪路はアポストロに触れる。―――アポストロの体を包み込んでいる結界の鎧が、触れた途端に解けた。

「下手くそな鎧を組んでんじゃねーよ、バーカ」

 掌には、今しがた解いた結界の鎧を構成していた、僅かなマナが残っている。それを瞬時に自身の配下に置く。

(このマナは、吸われないんだ)

 自身のマナは吸われて、アポストロのマナは吸われない。と、なれば、自身がマナを封じる原因となった、惑星からのマナの強制接収は、桜江雪路を対象に機能していたということになる。


(嫌らしい世界に来たもんだ。惑星の意思でも起動してんじゃないの?)

 悪態を吐きながら、得たマナを体内に巡らせる。

 アポストロの瞳に怒りの炎が灯った。

 鎧を解かれたところで、アポストロ自身の肉体になんら悪影響はない。彼女はそのまま拳を作るが―――その肩口に炎の剣が食い込んだ。

 怒りに我を忘れる、とまではいかない。だが、現状を忘れたのは確かだ。

「がっ……!」

 アポストロの顔が、痛みを堪える表情になった。

 隙だらけである。


 そのまま、雪路は、マナを巡らせて強化した肉体で、アポストロの腹に掌底を食らわせた。

 アポストロの体が面白いくらいに吹き飛んだ。地面を二転、三転し、首の骨を折る勢いで転がっていく。

 まあ、生半可な打撃では、死なないのであるが。

 今の一撃で奪ったマナは殆ど切れた。

 アポストロを斬ったという事実が余程受け入れられないのか、イライナは呆然とその場に立ち尽くしている。

 気配が動く。殺気と、魔術の気配だ。

 倒れ込んだアポストロの頭上に、一本の槍が現れている。その切っ先は、真っすぐに雪路を狙っていた。

 魔術は事前に作り上げておき、後から条件を付けて起動させることができる。

(鍵起動の魔術か。だが……)

 あまりに古い魔術式だった。

 この種の魔術式ならば、魔力なしでも、対処方法が編み出されているほどに、研究され尽くしている。


「ちょっと失礼」

 雪路は隣に立ち尽くすイライナの腰から、一本の剣を引き抜いた。

 白い刀身。先ほど、白い精霊を閉じ込めた剣である。

「あ、お、おい、ちょっと待て……!」

 イライナの制止は聞かない。

残ったマナを剣に込める。剣の内に宿る精霊の気配が、マナに反応し、冷気を放出し始めた。

(ふぅん、主は選ばない、いや、選べないのか)

 剣の内の精霊に意識を繋げつつ、雪路は剣先を槍に向ける。

 槍は、雪路に狙いを定め、銃弾のごとく向かってきた。

 ここからは自動対応だ。相手の速度と強度を自動解析した自分自身の無意識の動きにより、槍の最も強度が弱い部分を狙う。

 剣の刃がするりと、槍の穂先に入り込む。そして、切り裂く。獲物を捕らえた穂先は、しかし獲物に届くことなく、剣によって槍は二つに切り裂かれた。

 魔術式で作られた物質だ。調律で干渉すれば、土くれのように脆くなる。

(そして……これはおまけ!)

 雪路は素早く、今しがた槍を分解して取り込んだマナで、魔術式をくみ上げる。

 構築式、確認。マナの充足を確認。

精霊の力と自身の意識を連結する。

(ちょっとだけ力を借りるよ)

 おそらく届かないだろうが、一応断っておく。

 目の奥が、ちかちかと瞬いた。大気中の微小な何かが、剣に集めっていく気配がする。マナではない。アニマでもない。それ以外のエネルギー体が、確かにそこに居る。


 だが、深く考える時間はない。アポストロの動きを止めなければ、後々が面倒だ。

(―――魔術、起動)

 雪路が作り上げた魔術と、剣の内に宿る精霊の力を混ぜて作り上げられた精霊術が、起き上がりかけていたアポストロの両手と両足を一瞬で凍結させる。アポストロは驚いて暴れようとするが、彼女の両手足は地面に固定されている。

 動けないのだろう。

 アポストロの顔が真っ赤になる。四肢に力を込めるが、氷は砕けない。肩口にできた傷から、地面に血が滴るばかりだ。

 これでマナは完全に使い終わった。できれば少しでも余らせておきたかったが、仕方がない。


「ま。あとはお互い、死力を尽くして頑張って……」

 いつも通り軽口を叩こうとした雪路は、ふと空を仰ぐ。

 もう一つ、使徒―――いや、アポストロの気配に変化があった。しかも、その気配の近くに、先ほど出逢った精霊の少女のものもある。

 互いのマナと霊力は弾け、膨らみ、ぶつかり合ってまた弾ける。―――戦闘している。

 しかも、マナから構築された魔術式が、要所要所で書き換えられ、かき消されている。


 魔術式そのものに干渉できる力は、雪路の知る所ではあまり多くない。そして今、魔術式に干渉している手法は、雪路が良く知るものだった。

「調律……あの子、使い手だったのか?」


 世界の法則を壊す力があるように、世界の法則を正す力もある。

 それが、調律と呼ばれる、全ての世界に共通して存在している技術だ。なので、調律を誰かが使ったとしても、それに関しては特に雪路は驚かない。

 雪路が驚いたことは別にある。

「けど、ならなぜ……この世界はここまで異常に変化した……?」

 調律とは、『正す』技術だ。精霊が存在するのに、アニマが存在しない。人間はマナを視認できないのに、精霊術は扱える。


 僅か五時間で、この世界は一貫性がない、ちぐはぐだと分かる。

 ―――思考を中断するように、男の咆哮が辺りに轟いた。

 まるで大地そのものが怒りに吠えているようかのようだ。

「おっ……?」

 雪路はその場でよろついた。足元がふらついたのではなく、地面の微弱な揺れに足を取られたからだった。しかし、雪路は足元を見て目を瞠る。


「は?なにコレ……」

 声にこたえるように、先ほど、剣を通じて精霊の力を使用したときに見えた、光の粒が地上から噴き出した。それらが、咆哮のした方へと向かって行ったかと思えば、まるでベルトコンベアのように、地面そのものが動き始めたのだ。

 周辺の建物も、地面が動くのにつられて動いていく。


「わきゃ!」

 隣で尻餅をついたイライナが可愛らしい悲鳴を上げたが、無視する。

 兎角も、相変わらずアポストロが居る方へ行ってみようか。大地が集まっていく方向も、丁度同じなのだから。


 そのまま雪路は、異変の渦中へと駆け出した。

「あ、おい、待て!」

 イライナの呼び止める声がする。

 ちらと見れば、彼女は追ってこようとしているが、なまめかしく動く大地に足を取られて、うまく走れないらしい。

「危ないから、そこでじっとしていなよ、お嬢さん!」

 無駄だろうと思っていたが、軽く忠告する。

 その手に、イライナが所持している白い剣を握っていることを、雪路はすっかりと忘れていた。

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