1話 異邦人と精霊(3)

「ダメダメ、子供は立ち入り禁止」

「だから、子供じゃないって言ってんだろ、おっさん!僕はこれでも二十……」

「いや、どう見ても十二、三歳でしょ、キミ」


 新しい世界に来てから、最初にすべきことは、なんといっても資金調達だ。少し文化が発達すれば、人間は必然と貨幣と流通を発達させる。

 世の中、金である。

 そこで、雪路はいつも通り、資金集めのためにカジノへ足を伸ばしたのだ。

自分の見た目が今、子供だということをすっかりと忘れて。


「とにかく、カジノは十八歳になってから!あと五年くらいは待ってからのご来店、お待ちしていますからね、ボク」

 警備員の男は面倒くさそうに雪路の前に立ちはだかる。

 その態度に、雪路は苛立ちを覚えた。

(っの野郎……。僕はお前よりも数百倍、年上だっての……!)

 この場で警備員の脳神経を弄って雪路を視認できないようにして、カジノの中へと潜入することも考えた。

 だが、店の中にいるだろう数千人の人間に対して魔術を行使する魔力の余裕は無いので、断念した。


「あー……面倒くさい」

本日、何回目かも分からないため息を吐きながら、踵を返す。

 仕方がないので、資金繰りは手持ちの鉱石を換金しよう。

だが、この世界では、どのような鉱石が貴重で、どのくらいの値でやり取りされているのか、全く知識がないのは痛手だ。

いいようにカモられても困る。

(こりゃあ、もう一度、あの精霊兄妹を見つけ出した方が、色々と早いかな)

人間を警戒する様子を見せても、親身になって質問に答えてくれた。嘘を言っている様子もなかった。

得体の知れない呪いを使い、魂を吸い取られても元気な人間たちよりも信頼できる。

 雪路は、軽く靴先で地面を叩く。

音は微弱な力の波紋となり、雪路を中心に広がっていく。その波紋に意識を乗せて、雪路は精霊兄妹の気配を探る。


 そして、精霊兄弟の気配よりも早く、覚えのある力の気配―――マナを感知した。


(えっ……)

 雪路は目を大きく見開いて、気配が向かってくる空を仰いだ。

 真っ青な空に、ぽつりと人影が浮かんでいる。まるで立つように白い翼を持った黒髪の女性である。彼女の体から絶えず漏れ出すのは、魔力、またはマナと呼ばれる不可思議を引き出すためのエネルギー源だ。まだ、この世界の物質から、マナを観測していない。つまり、この世界の物質には存在しないかもしれない力である。

 ならば、マナを保有する、翼を持つ女性は何者か。

 答えは明確。外部の生命体だ。


 そして、その姿は、雪路にとってはあまりに馴染みのあるものだった。

(まさか……あれは使徒?なぜこの世界に……)

 街を行きかう人々は、まだ誰も、翼を持つ女性に気づいていない。

翼を持つ女性は、まるで値踏みするかのように、地面を蟻のように忙しなく歩く人間たちを、瞳で追っている。


 明らかに何かを探している。

 だが、探し物は一目では見つからなかったらしい。

「ふん。まあ、取り敢えず破壊するか」

 呟いた、翼を持つ女性の頭の上に、複雑な文様が刻まれた帯が浮かび上がる。帯は輪となり、その中心には、一つの黒い球が現れる。

 帯は、射出の性質を持つ、単純で威力のある魔術式が刻まれている。そして、現れた黒い球は、圧縮したマナの塊だ。


(やべ)

 雪路はそれをどのように使うモノか知っている。そのため、慌てて攻撃が来ないと予測されるビルの影に隠れた。

 黒い球は、一瞬、視界を奪うほどの眩い光を放ち、直後。

 黒い球から放たれた無数の熱線が、居住区へ雨のように降り注いだ。

 熱線は建物、或いは地面、或いは人間に直撃し、貫く、熱を受けた物質は膨らみ、弾けて爆発する。飛び散るのは資材か、大地か、それとも人の肉か。

 平和な街は、恐怖の色へと染まった。


 悲鳴と破壊音が何重にも重なって不協和音を生み出した。あまりにも遅い警報がそこに加わって、耳がおかしくなりそうだ。

「アポストロだ!」

 混乱しながら逃げ惑う人々の中、誰かが叫んだ言葉を、雪路は聞き逃さない。

「……アポストロ?」

 聞き覚えのない呼称に、雪路は目を細めた。


 あの翼のある人間に対し、この世界の人間が独自に付けた呼称だろうか。

だが、嗜虐的な笑みを浮かべる翼を持つ人間―――アポストロの姿は、大抵の人物が 見れば、別の呼称を付けるだろう。


 悪魔、と。


 その表現が余程適切だ。

 少なくともアポストロ―――代行者、神の遣いには見えない。

 それではなぜ、アポストロという通称が付けられたのか。


(それに……何がしたいんだ、あいつ)

 疑問は積もる。

 アポストロのあまりに非効率な殺戮だ。

 狙いがまばらで、適当が過ぎる。

 急所を狙わない一撃。威力の弱い攻撃も多い。人間を殺すことが目的ではないことは明らかだ。

 では。

(奴の目的はなんだ?……いや、奴ら、か)

 もう一つ、マナの気配がある。


 紫色の瞳を細め、マナの気配の詳細を探ろうとした。

「―――何をやっているの、キミ!」

 不意に、手首を掴まれる。

 十代半ば頃の、長い金色の髪を三つ編みにした少女だった。彼女は力づくで雪路をビル影から引きずり出し、走り出す。

「早くシェルターに避難するわよ!」

 どうやら、きちんと避難場所があるらしい。彼女は雪路を連れて、逃げる人々の流れに乗ろうとする。


―――。

この大混乱の最中、他人の心配し、その命を救うべく行動に出た、その精神にまず、敬意を表さなければならない。

 無関心の領域から、干渉の領域に引っ張り出した、彼女の勇気には報いなければならない。

 桜江雪路とは、そういう生き物である。

 故に。


「待った」

 彼女の手を握り返して、雪路は全身に力を入れて、彼女を逆に引き留めた。

「そっちはダメだ」

「は?何を言って……」

 丁度、少女が向かおうとしていた方向。人々の流れの塊へ、一本の熱線が降って来て、直撃した。


 熱線に直に触れた人間の肉体は溶け落ちる。熱線の余波を受けた人間の皮膚は焼けただれる。死んだ人間の肉に折り重なり、傷を負った人間の苦痛の声が、焼けた肉の臭いと共に辺りに漂ってきた。

 悲鳴が上がる。ほとんどの彼ら彼女らは、まだ生きている人間を捨て置き、我先にと逃げていく。

(死んだのは十五人、現時点で生き残っているのは六人。そのうち動けるのは三人……と)

 雪路は冷静に人数を数える。

 動ける人間はそのまま立ち上がって、よろけながらもその場から避難しようとしている。皮膚は焼けているが、数時間は生き残れるはずだ。


「……大丈夫ですかっ!」

 今しがた目前で起こった凄惨な光景を見て絶句していた、金髪の少女は、自身の危険を顧みずに飛び出した。そして、生き残った人の一人に手を差し伸べる。だが、手を差し伸べられた顔の皮が焼けた男は、少女の手を取らず、垂れた金色の髪を掴んだ。

「痛い、痛い、痛い……!どうして、どうしてオレがこんな目に……!」

 指の力に引っ張られ、少女の髪が引きちぎれていく。男の体から力が抜けていき、まるで木の板のように、無機質に、その場に倒れた。


(死に掛けが二人……のうち、一人は死亡)

 倒れた男の身引かれた瞳を、少女はゆっくりと手で閉じている。それを横目で見ながら、雪路はもう一人の死に掛けた人間のもとに歩み寄る。

 妙齢の女性の下半身は、焼失していた。この状態から生き残るための設備はこの場には存在せず、彼女を救う手立ては、魔力が減退した雪路の手の内にない。

 それでも歩み寄ったのは、理由があった。

「この、こ……」

 通常ならば下半身が焼き貫かれた時点で消え去るだろう魂を、肉体に留めるだけの理由と意思が、女性にはあった。

 彼女の胸に抱かれ、五歳ほどの子供が声すら出せず、恐怖と混乱で泣いている。その子供を雪路は母親の下から引き出した。

 その頃には、母親は既に死んでいた。

 子供を守ろうとした意思の琴線が切れると共に、肉体から魂も離れたのだ。


「……お、か……」

 子供は口を何度も動かして、声を出そうとする。しかし、声は詰まり、うまく出ない。

 構わず、雪路は人の死を前に、呆然としている金髪の少女に声を掛ける。

「おーい、そこのお嬢さん。こっち来て」

 少女の顔に生気がない。それでも雪路の要請に応じて彼女は動く。

「……その子は……」

「はい、落ち込んでいる暇はないよ。抱いて、抱いて」

 呆然としている子供を抱き上げて、金髪の少女に押し付ける。

 相変わらず、熱線は断続的に大地に降り注ぐ。どのタイミングで、どこに落ちるか分からない熱線を避けながら、彼女ら二人が無事にシェルターに逃げ込める確率は低いだろう。

 逆に言えば、熱線が短時間でも止めば、彼女らの生存率はぐんと高まる。


「今から少しだけ熱線が止むから、一番近くのシェルターとやらに逃げ込みなさい」

「キミ、さっきから本当に何を言っているの?」

 戸惑う少女には答えずに、抱きかかえられている子供の頭に軽く触れる。

「大丈夫。お母さんが守ってくれているから」


 魂とは。

 この世界に於いても、未練を残せば生者の世界に留まるものなのだろう。少女の近くで彷徨う、小さな光の粒を眼で追う。

「待て。キミ、何をしようとしているの?」

 少女の質問に、雪路は答えない。知る必要はないし、知ったところで彼女は何の力にもなれないからだ。

「はいはーい!そんじゃあ、合図とともに走ってね!さん、に、いち……ぜろ!」

 少女の足が、雪路のカウントダウンの終了と共に、自然とシェルターの方を向いて駆け出した。子供を抱えているとは思えない素早さで、彼女の意思とは関係なく。

 魔術による簡単な暗示の一種であるが、少女はそれを知らないだろう。


 ―――少女は、あまりに軽い自身の足に戸惑う。

 自身の意思とは関係なく動く体に戸惑う。

 ふと、振り返って見れば。

 今しがた自身の背中を押した少年の姿が遠のいていく。

 少年は、とても優しげな表情を浮かべていた。

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