1話 異邦人と精霊(2)
土を固められた、簡易な道が、新緑眩しい森の中に続いていた。
この世界に四季という概念があれば、今は春なのだろう。
(自然エネルギーの代表格であるアニマも、それ以外のエネルギー要素も存在しない世界に、命が芽吹く季節とは、これはまた、奇妙だ)
不思議に思いながら、雪路は土を踏みしめる。
精霊の兄妹に連れられて、しばらく道を歩くと、やがて高い壁が見えてきた。
先ほどの廃墟とは異なり、新品同様に磨き上げられている。しかし、よく見ると、ところどころ大きな傷がついている。
「なに、あれ」
すると、コハクが淡々とした口調で返してくれる。
「居住区。人間の住んでいる場所よ」
「へぇ、割と賑やかな所じゃん」
まず、雪路はそう評した。
自然豊かな外の風景とは一変し、居住区の中は文明が進んだ都会のような場所だった。
高い壁に阻まれ、全く気付かなかったが、地上十階程度の銀色のビルが所狭しと立ち並んでいる。道路には凝ったデザインの車が行きかっており、生活音が賑やかに飛び交っている。
人間たちが持っている小型通信機器はタッチパネル式だ。それなりの科学技術を有していることが分かる。
居住区は、他にも全世界に数千と存在しており、定期的な交流や、物品資源の流通も活発であるらしい。
だからこそ、気になることがあった。雪路は振り返る。
今しがた通り抜けてきた、白く高い壁。壁の高さは五十メートルほどだ。壁の材質は一見コンクリートに見えるのだが、実際はかなりの強度の物質で作られている。
どう見ても外部から内部を守るために作られた壁に囲まれているくせに、入国審査ならぬ入区審査は、非常に雑だった。
まず、武器持ち込みは禁止されていないというので、持ち物検査がない。
過去に犯罪を起こした人間ではないか、顔認証システムで犯罪者ブラックリストのデータベースと照らし合わせるだけで、審査は完了した。
「この壁、さっき遭った異形を避けるためのものなの?」
この白い壁は人間を仮想の敵と想定して作り上げた者ではない筈だ。
もしも“敵”が人間であるならば、人間に対する入区審査はもっと慎重で細かなものになるのは、どの世界でも変わらない。
雪路がアデルに尋ねると、「異形?」彼は目を丸くした。それから、不審そうに目を細めつつ、答えてくれた。
「ああ、さっき古跡で遭った奴は……古跡獣、と呼んでいる。あれらは古跡から離れられない性質だから、人間の居住区までは来ることができない」
古跡と呼ばれる廃墟から出た途端、化け物たちの気配が無くなったのはそのためか。
雪路は納得した。
新しい世界に来たばかりの弊害で、未だ体の感覚は正しく機能していない。そのせいで、登録した異形の気配が感知できないとばかり思っていたのだが、どうやら気のせいではなかったらしい。
「あの壁はおよそ三十年前に、人が突如作り上げたものだ」
「へえ?」
つまりはそこが、この世界の一つの転換点。
「壁は、アポストロの襲撃を防ぐために建設された」
「アポストロ?それって……」
おお、と人間の声が辺りに膨らみ弾けたので、雪路の声は途中でかき消された。
一体何事か、と群衆が集まる方へと視線を向けた雪路は、
「あれが新しい精霊か」「美しいなぁ」
声の中から拾われる言葉に、アデルたちの表情が曇ったのを見た。
『さあさあ、皆さま寄った寄った!本日手に入った、若い精霊、そのお披露目だ!』
拡声器で拡張された声の主が居るのは、大広場に造られたステージからだ。
ステージの上では、洒落たスーツを着た商人らしき男が、マイクを持ち、周囲に自身の存在を主張している。
その声に引き寄せられて、人間が次々と集まっていく様子は、まるで餌を目当てに群がる魚の群れようだった。
(成程、精霊は見世物ってわけね)
興味が引かれたので、雪路は“精霊”を見るために群衆の後ろから背伸びをするが、今の自身の身長が小さい。大人たちの背丈が丁度、邪魔な壁になってしまい、前が見えない。跳んでみても、当然見えない。
と、後ろから迫ってきたアデルにひょいと抱き上げられて、肩車をされた。
「どうだ?見えるか」
「………………滅茶苦茶恥ずかしいんだけど………」
絞り出すように感想を述べた。
「お前、軽いな」
「本当の身長はもっと大きいんだけれどね。成長前の体に戻っちゃったから」
ため息交じりに答えてから、雪路は視線を前へと向けた。
マイクを持った男の隣に、白い少女が虚ろな瞳で座り込んでいるのが見える。気配がコハクとほぼ一致するので、あの少女が、マイクを持った男が言う、『若い精霊』なのだろう。
白い肌、白い髪、銀色の瞳。冷たい雪のようだ。質素なワンピースには不釣り合いな、太く重そうな首輪と手枷、足枷をはめている。どこの時代の奴隷だろうと思うほどの、劣悪な扱いだった。
文明が進んでいるのに、正しい倫理観が構築されなかったのか、或いは。
「本当に綺麗な精霊だな」「誰があれを使うのだろう」
人々の感想から聞くに、これがこの世界の正しい倫理と成り果てたのか。
精霊とは、人ではない物として扱われている、ということは、アデルたちの渋い表情を見ても明らかだった。
「……助けたりとか、しないの?」
こそりと雪路が尋ねる。
「馬鹿ね。助けるためには精霊術を使わなきゃいけないじゃない。そんな事をしたら、私たちも精霊だとばれて、人間に追われることになるわ」
答えたのはコハクだった。
「ふぅん。つまり、精霊術を使わなきゃ、精霊だってばれない、ということか。この世界の人間は鈍いんだね」
雪路の何気ない言葉に、コハクの瞳が少し揺らいだ。彼女は目を地面に伏せて、ぽつりと言葉を漏らす。
「……そうね。人間っていうのは、馬鹿だから。見ただけでは私たちが精霊だって分からないの。けど、精霊術を使えば、たちまちばれる」
それは、精霊術は、一般的に使われる能力ではない、ということは暗に意味していた。話の端を折りたくなかったので、雪路はそのまま、黙ってコハクの話を聞く。
「仲間が人間に捕まった時点で、基本的には見捨てることが精霊たちの間で取り決めた約束なのよ。精霊にとって、より多くの仲間が人間の手から逃れ続けること。そして、霊力を維持することが、先決なことなの。だから助けられない」
霊力、というは精霊の力、という部分から作られた単語だろう。その辺りは他の世界の精霊と一緒であるらしい。
自らを嘲るようにコハクは笑った。
「私たちのこと、薄情だと思ったかしら?」
「いや、別に。僕もかなり薄情な奴だからね。そこは批判しない」
「あら、そうなの。そうには見えないけれど」
いやいや、実際、世界の三つか四つは見捨ててますよ、と雪路は心の中で呟いた。
そして、改めて白い精霊に視線を戻す。
彼女の体に取り付けられている枷から、奇妙な気配が漂っている。
先ほどのコハクの話から鑑みるに、あの枷は、精霊の体内の霊力とやらを絶えず吸い続けるという代物だ。
おそらくあの鎖に触れた途端、力が出せなくなってしまう。おそらく、思考力も低下するのだろう。
精霊は人間に捕まった精霊を助けられない。自身で脱出することもできない。
意志のはく奪。自由の拘束。
成程、八方ふさがり。
「……少しだけむかっ腹にくる程度の倫理は持ち合わせているけどね」
雪路は自身の感情のままに、言葉を吐き出した。
「あ、来たぞ!」
誰かが指し示す先。
カツ、とやや力強い軍靴の音が辺りに響き渡って、歓声が沸き起こった。黒と金を基調とした軍服。腰には細い剣。揺れるのは、深紅の長い髪。海のように深い青の瞳。二十代前半の凛々しい顔立ちの女性が、人々の歓声に微笑して、手を振りながら、壇上へと上っていく。
「統一軍だ」
「軍?」
「そう。軍だ。この世界をアポストロから守る、という名目で、精霊を道具扱いする戦闘狂の集まりだ」
女性が付けている腕章には、鷹を中心に据えた刺繍が緻密に縫い込まれている。
「イライナ様!」「今日もお美しいなぁ」
男性陣が鼻の下を伸ばし始めた。
確かに美人ではあるが、雪路はイライナと呼ばれた軍人の、その赤髪を見ただけで今までの経験が蘇り、嫌気がさす。
(ああ、君とはまた、この世界でも巡り合う運命なのか)
それは、なんとも災難な話だ。
「ねえ、もしかしてイライナ様の精霊になるのかしら、あれは」
「そういうことでしょう。お嬢様は違うなあ、二体目の精霊じゃないか」
女性は白い精霊に向かって歩いて行き、彼女の前で止まった。ぼんやりとした表情で、精霊が顔をゆっくりと上げれば、女性は精霊の白い髪を梳いて―――まるで紐を掴むかのように強く掴んで無理矢理立ち上がらせた。
(痛い、痛い。あれは地味に痛いんだよな)
雪路は思わず白い精霊に同情する。尤も、白い精霊は苦痛の表情一つ作らない。痛覚も鈍っているのだろうか。
「成程。白雪の精霊。これは珍しいな」
「ええ、ええ。イライナ様が気に入ると思い、急ぎ持ってきた次第でございます」
商人は両手を擦り合わせながら、イライナに満面の笑みを作る。
「スヴィン殿はいつも、私の好みの精霊を持ってきてくれるな。礼を言おう」
「いえいえ。仕事ですから」
へらへらと笑う商人から、イライナが精霊へと視線を移した。彼女の全身に僅かに力がこもる。その手首にある、銀色のチェーンが強く輝きだした。
(―――え?)
雪路は目を疑う。
イライナという軍人の女性の、手首のチェーンから噴き出たのは、呪詛だった。いわゆる呪い。禍々しい気配が辺り一面に広がっていく。それは通常の人間ならば、体調を崩すほどの強い呪いなのだが、
「おお、始まった」「なんと神々しい」
集まった群衆の誰一人、その禍々しさに気づかない。呪詛は辺りに舞い、目の無い羽虫へと変化して、人間の体内から命の輝き―――魂を掠め取っていく。その一体が雪路へと向かってきたので、雪路は舌打ちをしてそれを指で弾き飛ばした。羽虫「ヂ」と小さな声を上げて、消し飛んだ。
(たかが呪いが)
雪路がため息を吐く傍ら。コハクが、雪路の行動に僅かに目を見開いたことに、雪路は気づかない。
羽虫たちは細い六本の足で、人間の体内から徴収した魂の欠片を運ぶ。欠片は以て、イライナの手首の鎖へと収束し、吸い込まれていった。
「―――命ずる」
イライナは謳う。
「我が名はイライナ・エベンスロ。今この時より、汝の父であり母であり、そして主人である。汝は力果てるまで我が命を護り続けよ。白雪の精霊―――汝は今より、フェリル―――わが剣である」
直後、甲高い悲鳴が辺りに響き渡った。
それは、精霊が発した苦痛の悲鳴だった。呪いを掛けられた対象としては、至極まっとうな反応だ。
叫びをあげながら、フェリルという名を与えられた精霊の輪郭は崩れ去っていく。氷のような透き通った髪や手足は、煙へと変化していき、イライナが持つ剣へと吸い込まれていく。
すべての煙が剣に吸い込まれた時、辺りで歓声が沸き上がった。
「なんて美しい!」「おめでとうございます!」
称賛の声に笑みを浮かべ、イライナが手を振る光景。
傍から見ればまるで王の凱旋のようにも見える。しかし、今しがた起こった出来事を正確に理解できる雪路にとっては、呆れるような地獄絵だった。
「何アレ」
一連の出来事の後、身を隠すようにアデルとコハクが路地裏に移動した。それについて行った雪路は、その場にしゃがみ込んで尋ねた。
異界探索は慣れているが、今回は自分の経験が中々活きてこない。
情報のキャパオーバーだ。
「人間が開発した契約術だ」
アデルがコハクの顔色を伺いながら答える。
「はあ。契約。あれが」
嘘つけ、と雪路は心の中で呟いた。
「契約術っていう名前を付けた奴は、“契約”という単語の意味を分かっていて付けたのか、疑問だね。本来は相互の合意の下で結ばれるのが契約だろうが。あれはどう見ても隷属の呪いだ」
「呪い……相手を目に見えない力で殺す、あの呪いのことか?」
「場合によっては魔法みたいな超常現象を呪いと称する世界もあったけど……まあ、今回は人を殺す方か」
こめかみを摩りながら、雪路は息を吐いた。
「どうなってんのさ、この世界。隷属の呪いを“美しい”と称賛する人間がいるとか。マジ気持ち悪いんだけど。あんな姑息な呪い、久々に見た」
「契約術をかけられた精霊は概念化し、精霊術士の武具に宿って、その力を振るわれることになる。本人の意思に全く関係なく、な」
アデルもやや疲れた様子だった。それでも、非常に律儀な性格なのだろう。吐き出すように説明してくれた。
正しく、それは呪いである。
鎖を媒介に、呪いを発動している。呪いの発動に必要な魔力の代わりに、他者の魂を削り取って使い、精霊を隷属させる。
利点が精霊術士と呼ばれる人間たち以外には存在しない。外道の法である。
「そんな非道極まりない契約術にいつ捕まるとも分からないのに、よく人間の中に紛れようと思えるよね」
「食材や衣類とかは、人間の居住区に来ないと買えないから、仕方がないのよ」
「ああ。成程」
人間と同様に食事と睡眠を必要とする精霊。その種類の精霊とは出逢ったことがあるので、雪路は即座に、精霊とは―――コハクの種とは何たるか、理解した。
「そりゃ難儀なことで……っと」
雪路はよろつきながら腰を上げ、背伸びをする。
「さて。僕はもう行くよ。ここまで案内、ありがとさん」
「一人でこの後、大丈夫なの?」
「ま。古跡獣っていうヤツが古跡にしかいないのなら、そこを避ければいいだけだし。なんとかなるだろ」
コハクがやや心配そうな声音で尋ねてくる。対し、雪路は素知らぬ顔で肩を鳴らし、体をほぐす。
「何より、この世界には偶然不時着しただけだから、あまり関わるつもりが無いしね。だから借りを作りたくないし」
それじゃ、と軽く手を振りながら、雪路は特に振り返らず、精霊の兄妹の元を後にする。
あまりにもあっさりとした別れだったが―――これが雪路の常であるため、本人は気にしてもいなかった。
つい、先ほどまでは。
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