12話 第二十一居住区(6)

 朦朧とする意識の中、それでも馴染みのある臭いが漂う古跡の中では、ヒョウカの意識は比較的はっきりとしていた。

 アポストロなるものは初めて見たが、なんと恐ろしいものか、と認識した。

 エネルギーを凝縮して放つ。単純な工程を踏んだ術式で、爆発的な威力によって古跡を破壊した。たった二人の人間を殺すため。ただそれだけのために、周辺の被害など全く考えずに。

 こんな奴らに逆らおうとする人間は何とも馬鹿だ。

 放っておけばいい。逃げればいいというのに。

 なぜ、常に立ち向かおうとするのか、ヒョウカは全く理解ができなかった。



 銀髪のアポストロは、人混みの間を縫うようにして去って行く。

「あ――――」

 追おうとしようとして、思い直す。

 あの男、一体何をしに、ここまで来たのだろうか。

「どうしたんだ?ヒョウカさん?」

 背後から声を掛けて来るイライナの声で、思いついた。

「あなた、確か雪路様たちと通信できる無線機、持っていましたね?今すぐ通信を繋いで下さい」

「え?あ、ああ」

 突然早口でまくし立てるヒョウカを怪訝に思いながらも、イライナは耳元に常につけているイヤホンを何度か叩いた。

 そして、

「……繋がらない」

と、一言。


 思わずヒョウカは舌打ちをした。

「使えない人ですね」

 言いつつ、銀髪のアポストロを見失わないように目で追い続け、そして。

 アポストロが手を振りながら、ある人物の前に立って足を止めた。見覚えのある人物だった。

 確か、ミカヤだったか。いきなり雪路とアデルに勝負を挑んだ、精霊術士の女性である。彼女は顔をやや赤らめながら、楽し気にアポストロと話している。

(ちょっと、ちょっと、ちょっと!どういうこと、コレ!)

 アポストロの方が何かを言い、ミカヤが頷いて、二人が移動を始める。まだばれている気配はない。

「おい、一体何があったんだ?」

 後ろの赤髪の悪魔がさっきから煩い。が、こればかりは仕方がない。イライナはアポストロの顔を知らない。

「……声を小さく。騒がず、私の指示に従ってください。これから、アポストロを尾行します」

「―――はっ……」

 言った傍から驚きの声を上げようとしたので、慌ててヒョウカはイライナの口を抑え込んだ。


「声を出すなと言ったでしょうが。馬鹿かあんたは」

 凄みをつけて忠告すると、がくがくとイライナが頷く。それを確認して、ヒョウカはイライナの口から手を放す。悪魔を触った手。汚い。後から手を洗わなければ。

「ぐ、軍部に連絡を……」

「阿呆ですか、あんたは。アポストロが本気になれば、この居住区など数秒の内に吹き飛び粉みじんにできるんですよ。今は何かしらの理由で、居住区全てを破壊しないようにしているみたいですが……居住区をアポストロが絶対に破壊しない、なんてことはないでしょう。特にあいつは、二人の人間を消し飛ばすために、古跡全てを破壊したのですから」

 アポストロが移動を始めた。こそりこそりと後を追いながら、こそこそとヒョウカが語ると、イライナはごくりと息を呑んだ。

「人間二人を……て」

「まあ、雪路様とアデルさんですけど。雪路様が結界とやらを張ったお陰でアデルさんは無事だったのですが」

「……あの古跡か」

 おそらく今、イライナは、アポストロを追って、そしてアデルと初めて出会った古跡のことを思い出していることだろう。イライナは細く長い息を吐いた。さすがに慎重になったらしい。


「では、ばれないように後をつけること自体も危険じゃないか?」

「じゃあ、どうやってあいつの動きを見張るというのですか。あいつの目的も分からないというのに……いえ、そもそも、あのミカヤという悪……人間と接触をして、何をするつもりなのでしょうね」

「……」

 イライナもミカヤのことは気づいていたらしく、黙りこくる。

「人間側の情報を漏らしているのではないですか」

「そ、そんなことは、」

「ないと言いきれますか」

 強い口調で尋ねれば、イライナはまた黙ってしまった。

 剣の中で散々と見てきたから分かる。イライナという女性は、基本的に人間の中にあるという善性を信じている。だが、目の前の光景を素直に受け止めることもできる。つまり、無数の悪性と偽物が蔓延るこの世界に於いて、非常に生きにくい性格をしている。


「……ともかく、私がやるべきことは、あのアポストロを見張ることです。貴方は、雪路様とアデルさんと、なんとか連絡を取る努力をしつつ、アポストロと彼らが接近しないように、周囲に目を配ってください。彼らが見つかったら……アポストロは殺しにかかる可能性があります。自分が古跡で消し去ったはずのお二人が、奴の目の前に現れたなら、おそらくは」

 アポストロとミカヤが、カフェに入って行く。基本的に飲食について疎い悪魔たちにとっての、唯一といっても良い、前時代の系譜を踏む、憩いの場だ。

「よし、入りましょう」

「え、そんな近づいていいのか……って、待て待て、ヒョウカさん」

 早足でカフェに入り込むヒョウカの後にイライナも続く。

 ―――それを見届けた、一人の少女が口角を上げていることも感知せず。



 カフェに入ったアポストロとミカヤは、向かい合って席に着く。少し離れた場所を選んで、ヒョウカとイライナもまた、席に着いた。一応、飲み物としてコーヒーを頼んだ。

 視線はアポストロに向けず、意識のみを彼らの会話へと集中する。

「体の具合は、どうかな、ミカヤさん」

 穏やかな口調で、アポストロが尋ねる。

「ええ、お陰様で。大分よくなりました。これもカズイ様が薬を提供してくださったお陰です」

 ミカヤも穏やかな口調で返す。


「もし、あの時にカズイ様が助けて下さらなかったら、今頃私は死んでいた筈です。本当に感謝しています」

(体の具合?どういう事だ?)

 怪訝そうにヒョウカが眉根を寄せていると、目の前にすっと電子デバイスが差し出された。イライナだ。画面には、ミカヤのパーソナルデータが表示されている。

 どうやら、予めミカヤのデータを、軍部のデータベースから引っ張り出していたらしい。

 仕事が早い。気に入らない。

 ヒョウカは舌打ちをしてから、画面の文字を素早く読む。


『ミカヤ・ハルマン。十九歳。二年前、精霊術士の試験に挑戦。健康上の理由で不合格。半年前に精霊術士の試験に合格。健康にも問題なし』

 それから、イライナは画面に文字を打ち込み始めた。

『彼女が精霊術士試験で受からなかったのは、心臓の病気のせい』

 そして。

『けれど、半年前に突如として完治した』

(胡散臭……)

 ヒョウカは顔を歪めた。

 今、ミカヤの目の前にいる人物がアポストロということを知らないということを、置いておいても、心臓の病気が現代の技術で、僅か一年半で完治するまで至ることは、まずあり得ない。医療という行為に対して、やや過敏且つ保守的な、壁の中の悪魔たちの性格を考えれば尚更のこと。


(ならば、彼女に投薬されたのは、アポストロの技術で作られた薬、か……?)

 そう考えるのが妥当だろう。

 アポストロの医療技術がどういうものか、ヒョウカはよく知らない。ただ、エネルギー波で古跡を吹き飛ばしたり、他人を操ることもできる奴らだ。人間の病気を治すことも、造作ないかもしれない。

(どうして助けた?)

 人間などゴミ屑のようにしか思っていない筈なのに。

 なぜ、わざわざ投薬をして、ミカヤを助けたのか。


「最近、とても体が軽いんですよ?」

「それは、良かった」

 カズイと呼ばれたアポストロと、ミカヤの会話は続く。

「精霊術も評価が高いし、第一級に昇格できるかもしれないのです」

「それは、良かった」

 カズイはただ、ひたすらミカヤの話に頷く。胡散臭い笑顔を浮かべたまま。

「そういえば、以前カズイ様が興味あるとおっしゃっていた、人間に協力しているアポストロと、精霊がこの地区に今、居ますよ!」

 しかも、いらない話をミカヤが始めた。

 うっすらと、カズイが目を開いた。


「ほう。それは、本当かい?」

「ええ。よろしければ、今から会いますか?もしかしたらアポストロのおチビちゃんからは、異世界の医療技術について、聞けるかもしれませんよ」

 雪路が医療についてどの程度詳しいか、ヒョウカには分からない。だが、カズイの瞳の奥に邪悪な光が灯ったのは、分かった。

人が発する感情に対して、ヒョウカたち精霊は、敏感だから、分かってしまう。感じ取ってしまう。息が詰まるような悪意が、蠢いた。

「それは良かった」

 カズイは微笑みながら言う。

「是非とも私の、実験の、感想をいただきたい」

 ヒョウカはほぼ反射的に、近くにいたイライナの袖を掴んだ。同時に、カズイに攻撃を仕掛けようと体内に意識を集中し、術を呼び起こした。

 けれど、遅い。圧倒的に遅い。

 変化はすぐに、ミカヤの身に起こり始めていた。



「……ん?」

 アポストロ探しをほどほどに、公園で飲み物を飲んで休憩していた雪路は、ふと空を見上げた。

「どうした?」

 見た目がイケメンになったせいで、町中で馴れない女性の対応に追われたことで、少しやつれたアデルが尋ねる。

「ああ、いや……。間に合わなかったみたいだ。……どうするかなぁ」

 雪路は奇妙なことを口走り、顎を撫でる。

「けど、近くにこれ、ヒョウカちゃんとイライナがいるし……。助けに入った方がいいか」


 更に面倒そうに、雪路はため息まで吐き始めた。

「あー……、もう、なんでこうもイベントを重ねてくるのだか。もう少し時と場所を考えろっての」

「……おい、一体何の話をしている?」

 イヴァンが怪訝そうに眉根を寄せて尋ねた時。

「気にしないほうがいいわよ。そいつ、昔から独り言が多い性質だから」

 やや高い、凛とした女性の声が掛かった。見れば街路から公園へ、一人の女性が入って来る。少女、と言ってもいいかもしれない。黒い髪を高い位置で二か所結び、やや派手な赤いコートを着込んでいる、可愛らしい顔立ちをしている女だ。瞳は赤く、きらきらと宝石のように輝いているようにも見える。

 その気配は、以前出逢った銀髪のアポストロのものよりも、更に濃密だったので、まだアポストロの気配の感知に疎いアデルでも気づいた。

 単純にこいつは強い、と本能が予感し、アデルは全身に力を込めた。


「ああ、身構えなくていいわよ、精霊さん。別にアンタたちに攻撃するつもり、毛頭ないから。私が用があるのは、そこで座り込んでいる“番外殺し”だから」

 アポストロの少女は、雪路を指さしながら近づいてくる。

 雪路のほうは心底面倒そうな声を出す。

「あー……その呼び方をするっていうなら、そういうことか」

「は?」

 アポストロの少女が眉間に皺を寄せる。


「別にこっちの話。で、何さ。何を馬鹿らしい悪だくみをしてんの、お前ら」

「悪だくみじゃないわ。……あの女の指示でもないけれど」

 ふん、と鼻を鳴らし、不快そうにアポストロの少女は答える。

「アンタは、あの女の指示でここに来たのでしょう。ご愁傷様。思う通りに力が発揮できなくて、苦しんじゃなくて?」

「いや。大分慣れたケド」

 更に少女の眉根がぴくりと不快そうに動く。

「……その図太い神経だけは称賛に値するわね、ホント」

 何の話をしているのだろうか。アデルは警戒を解かないように、少女を睨み続ける。


「ところで、人間を改造した悪趣味なアポストロって、お前の友達?」

 今、雪路は何と言った?人間を改造?

 その時、周辺に警報がけたたましく鳴り響いた。

『緊急事態発生、緊急事態発生。居住区内に古跡獣が現れました。場所は第B―4区画です。住民の皆さんは、速やかにシェルターに避難してください。繰り返します……』

 やや焦ったような放送が響き渡っていく。

「ど、どういうことだ?古跡獣がなぜ、居住区に……」

 事情がまるで呑み込めていないイヴァンが、それでも手元の携帯端末を見る。そこには『緊急事態』という文字のみが大きく浮かんでいる。

「第十四地区でも同じことがあったとは聞いていたが……なあ、お前ら、何か知っているんじゃないか?」

 自身の中の知識を思い起こし、イヴァンがアデルたちに尋ねる。が、答えるつもりはないので、無視をする。

「ああ、あいつ―――カズイ、ね」


 アポストロの少女は鳴り響く警報など気にした様子もなく、舌打ちをしながら胡乱げに肩に乗った長い黒髪を手で払った。

「一応、今のところ利害が一致しているから、協力してあげているだけ。私はアイツのやり方、口出しするつもりはないけど……嫌いよ、あんな奴」

「成程あれか。人間を改造して笑みを浮かべるマッドな奴か。お前、昔からなんだかんだ言って優しいもんね。人間を助ける程度には」

 どこか揶揄うような口調で、雪路が言うと、少女は突然耳を真っ赤にして声を裏返した。


「う、うっさい!や、優しいわけがないじゃない!あれよあれ、人間なんて改造するにも値しないっていうか、時間の無駄っていうか!」

「はいはい、ツンデレツンデレ。もうちと正直になれば?」

「ツンデレじゃない!今のは私の正直な心の内よ!この万年チビ!」

「僕、成長すればお前の身長、余裕で越すことが分かっているから。大人の余裕で今の蔑みはスルーしてやろう。因みに二回目はないぞ」

「はん!アポストロは成長しないように体弄られているじゃない!成長すれば、なんて想像、してんじゃないわよ!何を根拠にそんな事を!」

「はははははは。そのうち分かるさ」

 雪路が余裕の笑みを浮かべながら、乾いた笑いを口にする。その態度に苛立ったのか、アポストロの少女はその場で地団太を踏む。顔は真っ赤だ。


(お、俺は今、何を見せられているんだ……?)

 まるで久々に邂逅した幼馴染のようなノリで、会話が明後日の方向に脱線していく二人を見つつ、アデルは毒気を抜かれた気分で肩を落とす。

「ま、そういうことだから、アデル。さっさとあっちの、騒がしい方に行った、行った」

 ひらひらと雪路が手を振りながら、アデルに指示を出す。

「あちらの方が大変そうだ。このツンデレ女の相手は僕一人で十分だからさ」

「だから、誰がツンデレよ、ツンデレじゃないってんでしょうが!」

 噛みつくように雪路の言葉に反応する少女だが、攻撃する気配はない。ある程度自制できるタイプなのか、それとも。攻撃をしたくないのか、騒動を起こしたくないのか。今はそれを考えている場合ではないかもしれない。

 街の中心からは、爆音が先ほどから轟いている。


「コハクちゃんの居場所が分かるかもしれないから。あの銀髪男、思う存分締め上げてきなよ」

「……つまり、今、暴れているだろう場所に、コハクを攫ったアポストロが居る、ということか?」

「うん」

「それを早く言え、阿呆が!こんな痴話げんかに付き合っている場合じゃないじゃねぇか!おい、イヴァン!道案内しろ!爆発している場所への最短距離を教えろ!今すぐ!」

 言いながら、アデルは動くかどうするか、迷っているイヴァンを担ぎ上げ、急いで公園を後にする。

 雪路はまあ、死なないのだからどうとでもなる。

 今大切なのは、コハクの居場所を聞くこと。彼女を攫ったアポストロに鉄拳制裁を加えること。それだけだ。



「……行かせていいの?」

 アデルが立ち去ったのをしっかりと確認して、アポストロの少女が落ち着いた様子で雪路に尋ねた。

「折角の戦力でしょう。あなた一人じゃ、私には勝てないわよ」

「やっぱ戦うつもりで、僕のところまで来たのか」

 雪路が困ったように肩を竦めた。


「……しばらく会わない内に、他人を気遣う程度の優しさは身に付けたのね。いえ、身に付けてしまったのね」

 少女は目を細める。懐かしむように、どこか悲しそうに。

「どーゆう意味さ、それ。お前、僕を何だと思っているワケ?」

 対して、雪路は特に感慨ない様子で、ベンチから立ち上がって、軽く肩を回した。

「別に僕だって感情くらいある。そして、心は成長するものだ。僕自身がその証明だ。……お前らはどうだ?日々、成長しているかい?」

「先へ進むためのチケットを手に入れるために、今、行動してんのよ、馬鹿」

 ひゅるり、と笛の音のようなものが鳴り響く。少女の指先から発せられた、帯状の術式から発せられた音だった。術式が大気に触れると、柔らかく空間が裂け、そこから一つの槍が現れ、少女の手に納まった。

「悪いけど、あなたにはあの女についての情報、洗いざらい吐いて貰うわよ」

「……悪いって思っている時点で、お前はこの方法には向いていないよ、イリス」

 雪路は腰のポシェットから昆を取り出し、ため息交じりに呟いて、そして。ゆっくりと昆を構える。

「どんな時でも、進んで悪役を演じようとするのは、お前の悪い癖だ」

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