12話 第二十一居住区(5)

 あまりにもさらりとした口調だったので、アデルと、イヴァン伍長も一瞬だけ、雪路の発言を理解できずに硬直した。

「……って、え、なんだよ、気配って……アポストロの気配感じ取れんの、お前」

 まず反応をしたのはイヴァン伍長だった。そして、至極当然の反応だった。

「いや、それよりもアポストロがこの地区に居るとは……マジ、でか?」

「マジ、マジ。近くにいるな、とは思っていたけれど、この居住区に入ってハッキリと分かるほど」

 すっと何かを探るように目を細めて、雪路は結論付ける。


「コハクちゃんを攫っていった銀髪野郎が、ここに居る」

 アデルの脳内で、鮮明にあの瞬間が蘇る。眠っているコハクを攫って行った、やたらとぼんやりとした口調の銀髪の、白い翼を背負った男。

 同時に、もう一つの記憶が現れる。赤い血に濡れた、黄色い花。花畑に人が一人、倒れている、黒髪の青年。それを見下ろす、銀髪の白い翼を背負った男。その顔に張り付いた、下品な笑み。

「「あの野郎が、ここに居るのか!」」

 声が僅かに重なる。それはアデルのものであり、もう一つ。アデルの中に宿っている、名前を忘れた、アポストロとして働かされていた青年の魂だ。

「よし、殺す。すぐに殺す。どこにいるんだ、あいつは!」


「どうどう、落ち着いて、二人とも」

 雪路は馬を宥めるようにアデルの背中を強く叩く。

「殺す前に拷問をしなきゃいけない。コハクちゃんの居場所、どこへ攫って行ったのか、後は何を企んでいるのか。殺すのはその後で」

「そ、そうだな。……少し頭に血が上った」

「殺す前提で話が進んでいる……」

 小さく息を吐いて、なんとか怒りを収めたアデルを見ながら、イヴァン伍長は小さく呆れたように呟いた。

「あの糞銀髪野郎は、大分気配を薄めているようだから、大まかな位置までしか分からない。ただ、探すにしても僕らはこのまま姿じゃ探せないでしょ。一度、奴に顔を見られているから、見つかって居住区内で暴れられたら厄介だ」

「まあ、それは、確かにな」


 たった数分しか顔を合わせていない間柄だが、あの男は有無を言わず、アデルを殺しにかかって来た。その程度の凶暴さは持ち合わせている。もし、殺したと思っていたアデルたちが生きて目の前に表れたら、即座に殺しにかかって来るだろう。

 周囲の被害を考えずに、気にも留めずに。

 現在、それなりに全力が出せるようになったアデルにとっては、あの男と戦うと、周囲の被害を考慮しない場合、確実に勝てるだろう。だが、人間を護りながらとなると話は別になる。


「だから、まずは簡単に変装しよう。はい、これ」

 そう言って雪路から渡されたのは、やや重さを感じる腕時計だった。

「それを腕に付けて、側面にある赤いボタンを押して」

 雪路に指示された通り、腕時計にある赤いボタンを押す。特に何も起きない―――が、イヴァン伍長は目を丸くしてアデルを凝視している。口もぽかりと開いているあたり、どうやらアデルの見た目に何らかの変化が生じたらしい。

「はいさ」

 雪路がどこからか(というか、あのなんでも入っているポシェットから、だが)手鏡を取り出し、アデルに渡した。アデルはその手鏡を覗き込み、

「んんん!」

驚き、声を詰まらせる。


 自分の姿は今、見覚えのない青年へと変わっていた。黒髪に藍色の瞳、優男というに相応しい、スーツ姿の美青年だ。

「んだよ、これ!」

「体の周りに新しいテスクチャを貼り付けて、別人に見せる道具。身長ばかりは変えられないけど。あと、見た目は僕の知り合いに設定を合わせた。科学技術だから、アポストロでも騙せるよ」

「すげえ……。これも異世界の技術なのか……」

 言いながら、手鏡から視線を目の前にいるはずの雪路にへと動かすと、そこには灰色の髪の、いかにも人の好さそうな少年が、雪路がつい今まで着用していた服の姿で立っていた。

「ああ、これは俺が勝手に姿を変えたんだけどね。俺は魔術とかは使わず見た目は変幻自在だけど、元の見た目の人間の性格に精神が引きずられるから、なるべく話しやすいタイプの奴を選んだんだけど……どう?話しかけずらそう?」

「いや。寧ろ人が良すぎて、厄介ごとに巻き込まれそうな気配がする」

「だよねぇ」


 へらへらと笑う、今の雪路の表情は確かに、普段はどこか心の中では笑っていない雪路のものとは異なり、本当に人懐っこそうなものだった。これは、聞き込みに最適だろう。

 さて。

「イヴァン伍長」

「は、はい!」

 アデルの姿が変わり、更に雪路の姿も変わるという、普段ならばあり得ない光景を目前にして、眼球が飛び出そうなほど目を丸くしていたイヴァン伍長は、アデルに声を掛けられてから、やっと我に返る。


「これから町中を歩いて、アポストロの気配を追うから。案内をよろしく。なるべく大通りの、よく人が通る場所ができればいい」

「……アポストロを見つけるのならば、それこそハルマン少将にお伝えして、総出で探したほうがいいんじゃねぇか?」

 イヴァン伍長が提案をしてくる。至極まっとうな考え方だと思う。相手が通常の人間であれば、その方法は十分機能するだろう。安全だともいえるだろう。だが、今回の相手はアポストロである。二人の命を奪うために、古跡そのものを粉々に吹き飛ばした輩である。

「駄目だ。こちらに感知されていることが、奴にばれる。奴はまだ、俺たちが死んだと思っていただろうが、軍の間ではそれなりに俺たちの話が広がっているんだろう?奴の耳にもその話が入っていて、尚且つ奴の事を軍が探し始めたら……どうなると思う?殺し損ねた俺たちを殺すために、ここの居住区を吹き飛ばしかねぇぞ、奴ならば」

 アデルの言葉に、雪路が同意するように頷いた。


「そうだね。それよりも俺が足で歩いて、気配を特定して、奴を結界で捕まえるほうが余程、危険が少ない。捕まえることが難しかったらアデルの出番だし。少なくとも周囲に被害が及ばないように、予め仕掛けをすることもできるしね」

 イヴァン伍長は何か言いたげな様子だった。何度か口を開閉し、反論の言葉を探したようだった。けれど、結局、アデルと雪路のやり方が最適解だと思い至ったらしい。

「……信頼していいのか?」

「しなくても別にいい。俺たちは勝手に、自分ができる最大限をやるだけだ」

 イヴァン伍長はため息を深く吐いた。数秒の後、

「仕方がねぇな。協力してやる」

そう言ってから、ふと、思い出したようにアデルへと視線を移す。

「そういやさ、お前、妹がいるのか?」

 イヴァン伍長が意外そうに言うので、

「なんだ、悪いか」

喧嘩腰でアデルが答えて睨む。

 イヴァン伍長は少し肩を竦めて、答えた。


「いいや、気を悪くするなよ。精霊ってのは、やはり超常的な力を使うだけで、生き物なんだな、と思っただけだ」

 それは、精霊を武器として扱っている軍人にはあるまじき発言だった。意外に思っていると、イヴァン伍長はやや誇らしげに、持論を語り始める。

「だってさ、ただのエネルギー体なら、人間の姿をわざわざとる必要、ねぇじゃん?人間の姿をするっていうことは、少なくとも人間と意志疎通したいから、できるから、または同等の知能を兼ね備えているからだろう。だから精霊契約とは、実は危険な……精霊という生命を冒涜する行為じゃないか……って思ってな!」

「で?それ、誰の受け売り?」

 すらすらと喋るイヴァン伍長に、雪路が妙に楽しそうに尋ねた。イヴァン伍長は固まって、それから雪路を見ずに、アデルも見ずに、視線を天井へと逸らす。


「…………ハルマン少将……だが……」

 他人の言葉だから、あそこまですらすらと喋れたのか。

「ていうか、なぜ分かった!」

「いんや。お前の場合は、大概が他人の言葉をなぞるだけだろなって思って」

「何を知った風な口を!お前と会ってから、まだ一時間も経ってねぇぞ!気持ち悪ぃ!」

「傷ついたなぁ、僕も心を持っているのだから、気持ち悪いと言われると傷つくなぁ」

 全く感情の籠っていない声で、雪路が取り敢えず言葉を並べる。


「けど、あのおっさん、堅物そうなのに随分と思い切った考え方をするんだね」

「それがハルマン少将の魅力なんだよ!ハルマン少将は、部下に精霊術士を持たないようにしているし、上層部にも精霊契約の仕組みの見直しを迫っているんだ」

「だが、娘のミカヤは精霊術士だろう?」

 胸を張って自身の上司を自慢するイヴァン伍長に、アデルは疑問を投げかける。

 仮にハルマン少将が精霊契約に対して疑問を持っているのならば、家族にも自分の考えを語っているかもしれない。そうなれば、ハルマン少将の影響を受け、精霊契約を行うことを躊躇う筈だ。

 だが、イヴァンは口元に苦笑いを浮かべて、それから項垂れた。

「……だから娘さんとハルマン少将は今、絶賛仲違い中だ」

「ああ……」

 ハルマン少将の顔を見て、真っ先に逃げ出したミカヤの事を思い出し、アデルと雪路は納得して、呆れた声を思わず漏らした。



 どうして、こんなことになったのだろうか。

 ヒョウカは何度も自問自答するが、常に答えは一つ。

 押し付けられた。

 桜江雪路が自分の事をどのように感じているかは分からないし、そのところは、実はヒョウカはどうでもいい。兎にも角にも、あの方の元に付いて行けば、自分の新しい生き方の道が開けるのではないか。そんな気がしてならないから、嫌いな女と一緒に車に乗り、彼らの旅に付いて行くことを決めたのだ。

 基本、桜江雪路からは離れないことを前提として。

 壁の中の悪魔たちは嫌いだ。自分たち精霊を拘束し、その魂を消費することで、精霊の能力を無理矢理扱うことができるように、世界のシステムを書き換えた。更に、精霊は単にエネルギー体であり、“生きている”と定義しない、ときた。

 だから、彼らは悪魔なのである。自分たちの種族以外は、全て自分たちのために存在している、消費されるべきものである、という考え方が根強いから。


 だと言うのに、早速、壁の中の悪魔の一人―――しかも嫌いな女と一緒に買い物をすることになった。

 あまりに雪路に対して表面上の愛想を浮かべすぎると、媚びへつらいすぎると、逆に嫌われて置いて行かれるか、故郷に返されるか。そのどちらかが起こるのではないか、と危惧したから、粘らずにあの方から離れたのだが。


「こ、こういうのは、どうだ?」

 やや緊張に問いかけて来る嫌いな女――――イライナの、今の姿はあまりにひどすぎた。上のシャツは赤。ズボンは青。スタンダードな聞こえだが、どちらも蛍光色なので、眩しいことこの上ない。服のサイズも体に合っていない。鍛えられた太ももに、細すぎるズボンはあまりにみっともない。

「ど、どうだ?」

 嫌いな女は、なんとかヒョウカと仲良くなりたいらしく、積極的に尋ねて来る。その都度無視をし続けているのだが。いるのだが。


「………ああああ!もう、なんて、なんてみっともないのでしょうか、この人は!」

 我慢はいずれ、限界がくる。もとより、お洒落というものは昔から好きなヒョウカにとっては耐え難い目の前の光景だ。

 素材はそれなりにいいのに。彼女の無頓着さが全てを台無しにしている。ふんだくるようにしてイライナに似合いそうな服を取って来て、上下を指定して有無を言わさず着用させる。簡単に手入れできるもの、着用し易さ重視、見た目が派手ではなく、動き易そうなもの。

 そうして服を選んでいくうちに興に乗り、気づけば七日分の上下服を買い上げて、店先にヒョウカは立っていた。


「……あれ」

 おかしい。なぜこんなことをやっているのだろうか、私は。

「ひょ、ヒョウカさんは凄いな……私にぴったりな服をあっという間に選んでしまって……」

「い、いえ、別に」

 正直言って、結構楽しかった、などとは口が裂けても言えないので、ヒョウカはそっぽを向いてイライナから自分のやや満足そうな表情が見えないように気を付ける。

「私、こういう買い物は苦手なんだ。実家ではいつもメイドが選んでくれていたから」

 更に突如としてイライナは自分語りを始めるので、苛立ってしまう。

 一緒に買い物をして、仲良くなった気になったのだろうか。あまりにも図々しい。いかにも悪魔らしい。

 苛立ちを、そのままヒョウカは口にする。


「別にあなたの事など聞いてはいないのです、けれ……ど……」

 だが、その言葉は徐々に途切れ、ある一点へ視線は集中していく。

 人が行きかう繁華街。賑やかで、人通りが多くて、誰が何者だか分からない、雑踏の中。それでも目に付く銀髪に銀の瞳。あまりに見覚えのある青年。

 呼吸が止まる。知っている。精霊契約で狭い場所に閉じ込められ、朦朧とした意識の中でも、はっきりと覚えている、覚えるしかなかった残虐性を持つ男が、人間の中に混じって歩いていく。

 銀髪のアポストロ。アデルの妹を攫って、古跡を一瞬にして破壊した驚異的な化け物が、そこに居た。

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