13話 遠い貴方との契約(1)
砲撃、また、砲撃。
爆破、厚い壁以外は吹き飛ぶ。人々の悲鳴。煙、混乱、泣き声。そして、血。全ての音と臭いと光が混じり合って、混乱を巻き起こしている。
その音の中に混じって、人がすすり泣くような笑い声が響き渡り続けている。
「ど、どうなっているんだ、これは!」
爆撃で掘り起こされた巨大な瓦礫を背にして、イライナが呻いた。
「まあ、見た通りですね」
声色だけでも落ち着かせようと意識しながら、ヒョウカはイライナの言葉に応える。
砲撃を仕掛けているのは、白と黒のまだら模様の体を持った、古跡獣―――に変貌した、ミカヤ・ハルマンだ。顔だけが、彼女のままで、首より下は蜘蛛の巣のように各方向のビルに無数の手を伸ばして、体を固定している。体の各所には砲台のような穴が空いており、そこから、アポストロ同様のエネルギー弾が発射される。
古跡獣には、あのようなエネルギーを発する機関は備わっていない。だから、厳密には古跡獣と言えない。だが、この世界に於いては人の形をしていないものは全て古跡獣として処理されるのだから、古跡獣と呼ぶほかないだろう。
化け物、と言ってもいいのだろうが。それは、得体の知れない何かであることを人に認識させ、恐怖を倍増させる結果になるのだから、今は避けるとしよう。
「古跡獣です」
「獣……?馬鹿を言うな!あれは……!」
一部始終を見ていたイライナは、はっきりと言った。
「人間、だ!」
ミカヤ・ハルマンの体が膨らんだかと思ったら、肉体から周辺へ無数の手が伸びて、体を固定した。その間に彼女の体は十メートルほども大きくなっていて、人間の形は残ってもいなかった。
顔だけを残して。
見た目は既に人ではない。
「はあ。あれを見ても、人間と言うのですか」
「第十四居住区で捕まえたアポストロは、死んだ人間が変貌したものだった。更に古跡獣のような化け物になった。あの時と、今の彼女の状況は似ているように……思う」
こういう時の勘ばかりはいい。本当に頭にくる。
「それに、私の目で捉えられるのは微かだが、彼女の周囲にアポストロの魔術とやらの帯が漂っている。あれは術にかかっている状況なのだろう?」
そういえば、こいつも魔術の術式というものが、見えるようになっていたのだった。
「なら、あの銀髪を優先的に倒せば、もしかしたら彼女は元に戻るんじゃないのか?」
それは、希望的観測だ。確信がないだろう。
ヒョウカは上空、ミカヤ・ハルマンの横に浮遊し、楽しそうに彼女の殺戮を眺めているカズイを見やる。
「で、あれに勝てる算段はあるのですか?」
「え」
イライナは停止する。アポストロに勝つ方法について、イライナたち壁の中の人間側は未だ捻り出せていないのが現状だ。その足掛かりを雪路が提示しているのだが、アポストロを倒すまでには、まだいくつもの行程を踏まなければいけないだろう。
「勝てないのに、向かっていくのは、あまりにも愚かでは?」
「そ、それは分かっているが……」
「因みに私は勝てる自信がこれっぽっちもありません」
はっきりとヒョウカは自身の考えを述べる。
そもそも、アデルと比べればヒョウカの力など米粒程度。雪路や他の精霊のサポートを受けて、やっと空間の冷気を操るまでに至れるほど、弱い精霊だ。
「……例えば、アデルさんに頼むとか。私よりは遥かに強いですよ」
「駄目だ。あの人がその意志を示さない限りは、頼れない。アポストロを倒すのは、人間側の都合なのだから」
あの銀髪を見つけたら、アデルの場合は「妹は何処だ」と怒鳴りながらタコ殴りにしそうな気がしたら、ヒョウカは敢えて黙っておく。
「では、雪路様に頼むとか」
「それも……駄目だろう。仮にもあの人は、アポストロじゃないか。同族殺しを頼むのは、例え相手が人殺しを行っているとしても、あまり気分のいいものではない」
雪路の場合は特に感慨なく殺しにかかりそうだ、と思ったが、これもヒョウカは指摘しない。
要はイライナという女性は、自身の感覚を他人に押し付けるタイプなのだ。自分が嫌だと感じるだろうことは、相手も同様に感じるだろうと、思い込む人物なのだ。誰もが同じ感覚を持っているわけがないというのに、誰もがどこか清廉潔白な存在ではないと、信じて疑っていないのだろう。
だから頭に来る。自分の考えを押し付けてくる彼女に。
そして、彼女の思考回路が分かるようになってしまった自分に腹が立つ。
精霊契約とは、本来そういうものなのだから、仕方が無いのだが。
「そんな律儀に自分の考えを貫きたいならばどうぞご勝手に。いつまでもここで手をこまねいていればよろしいかと」
「刺々しい言い方だな……」
困ったようにイライナが頭を掻いた。一応打開策を考えているが、良い案が浮かんでいないという顔だ。
腹立つ。
「―――お母さん、お母さん……!」
どこかで、子供泣き叫ぶ声が聞こえてくる。瓦礫と砂塵の中で、子供が一人、よたりながら走っている。周辺を必死に見渡している。母親を探して走り続けている。自分が古跡獣の標的になったことには、当然気づいていない。
「まずい!」
古跡獣の体から飛び出している砲門の一つが、子供のほうへ向きつつあることに、イライナは気づいた―――と思ったら、既に彼女は瓦礫の影から飛び出していった。
「え、ちょっと馬鹿!」
引き留めようとしたヒョウカの手は宙を掻く。速い。全速力でイライナは子供の元へと駆けていく。駆けて子供を抱えて、その後どうしようと言うのか。砲弾が既に砲門から飛び出している。人間が走る速さよりも、砲弾のほうがはるかに速い。マナの使い方も精霊術の使い方も知らない壁の中の人間は、避ける術を持たない。
それにイライナも気づいたのか。咄嗟に子供を庇うように抱きかかえる。
(死んだ)
ヒョウカが確信した、直後。
イライナの腰の剣の鞘から炎が噴き出した。それはまるで自意識を持っているかのように、優しくイライナと子供を包み込み、爆撃を完全に防ぎきる盾に変化する。
「な、にが……?」
突然の奇跡にイライナは目を丸くしている。炎の盾が、彼女の仕業ではないことは明らかだ。いや、そもそも精霊術士と名乗る悪魔が使う術にしては、精度が高すぎる。
本物の精霊術だ。イライナの剣に宿る精霊が、イライナを護った。
「なんで……」
ヒョウカは思わず呟いた。
イライナの剣に宿る精霊が、なぜイライナという名を持つ悪魔を護ったのか。あの老人は何を考えているのか。
理解ができなかった。
「全員、取り囲め!」
怒声に似た声が辺りに響き渡る。
統一軍が到着したらしい。精霊の気配を携えた軍人たち―――もとい精霊術士たちが、一斉に物陰から出てきて、手に持った銃を古跡獣へと向けた。
「撃て!」
合図と共に、銃弾が古跡獣へと一直線に飛んでいく。しかし、銃弾は全て、古跡獣に届く前に、不可視の壁によって弾き返されてしまう。
ひひひ、と愉快そうに笑うカズイが見えた。雪路が言っていた“結界”というやつだ。その術式らしきものが、古跡獣の体に巻き付いている。
「イライナ二等精霊術士!子供をこちらへ!」
軍人の声に応じて、イライナは子供を抱え込んだまま、急いで古跡獣から離れる。彼女が走る先には、ハルマン中将が居た。
「ハルマン中将……」
「……あの化け物の、あの悪趣味な顔は、私の娘の顔を貼り付けているだけかね?」
やけに落ち着いた声だった。感情を押し殺しているとしか考えられない声だった。
「……娘さんが、突然……あのような姿に……。犯人はおそらく―――いえ、絶対に」
イライナは視線だけを、宙を浮遊するカズイへと向ける。ハルマン中将もそれに倣い、カズイを見た。睨んだ。憎悪を孕んだ、強い視線だった。
「精霊術士たちは、化け物の撃退を」
即断だ。するりと残酷な言葉は、口から滑り出す。
「ですが!」
「あれはもう化け物だ。何千人も殺した化け物だ」
イライナが食いつくように抗議しようとして、ハルマン中将は自分自身に言い聞かすように繰り返す。
「戻し方も分からんのならば、殺すしかあるまい」
父親としてではなく、街を護る軍人としての決断だ。もう決意をしてしまったのだ。揺らぐことはないだろう。
少しだけ、本当に少しだけ、ヒョウカの胸がちくりと痛んだ。揺らがないハルマン中将の瞳の奥では、父親としての情が必死に表に出まいと隠れ込んでいる。
以前故郷で、村を出ると告げた娘を心配した、病床の父親のことを、ヒョウカは思い出してしまった。
(ああ、嫌だ。情が移る)
ヒョウカは耳を塞ぐ。何も見ないように、何も聞こえないように。人間の名前を借りた悪魔に、手を貸そうとしないように。
「ハルマン中将!攻撃が通じません!」
炎や水といった精霊術が古跡獣へと飛んでいく。そのどれもが結界で弾かれる。
「具体的な対抗策がない以上、火力で今は攻めろ!」
「ははは!無駄、無駄、愚か、愚か!」
決壊するように突如、げらげらとカズイが笑い始めた。
「ぜぇんぶ無駄なんだよ、この蟻んこ、いや、蚤蟲共が!攻撃は届かない!この町はここで破壊し尽くされる運命にあるんだよ!大切な実験体の初舞台!壁の中の弱っちい人間共は、どこまで堪え切れるかな?もっと派手にきなぁ、え?」
笑う、嗤う、哂う。怒りにハルマン中将は手を握りしめている。司令官である以上は感情を乱すわけにはいかないと、必死だ。他の軍人たちも、悔しさを表情に滲ませる。
これが今の、壁の中の人間たちの現状。たった一人のアポストロにさえ何も言い返せない。せめて感情を乱さず、どう考えても挑発である言葉に、言い返さないのが精一杯。
「どうしたぁ?もう踏ん張れないのかぁ?いやはや、この惑星に不要の命なのだからさぁ、せめて俺たちの役に立って死んでくれねぇかなぁ?」
優越感に浸ってぺらぺらと口を回すカズイを、ヒョウカはぐっと睨みつけた。
あまりに喋りすぎた。そして、割とこの惑星の事情を知っている。あれ以上喋られても困る。だから。
言い訳を重ねた上で、精霊術を使ってカズイの翼を凍らせようとし―――それよりも早く、隆起した地面が完全に油断していたカズイに直撃した。彼の周囲を渦巻いていた結界の術式は粉々に砕け、よって結界を越えて土の柱がカズイの腰にがつんと当たる。
「あぎゃっ!」
カズイが変な声を上げた。更に土の柱は柔らかく曲がり、軌道変換する。即ち、上空へ向かっていた土の柱の先は、カズイを貼り付けたまま、まっすぐに地面へ向かう。
「―――この糞野郎が――――」
向かい来るは鋼鉄を思わせる拳。それを握るのは、大地の精霊。
「妹を―――どこにやったぁあああ!」
否、大切な妹を持つ兄。
アデルの拳が地面に落ちつつあったカズイの頬にめり込んだ。横からの衝撃に倣い、カズイの体が吹き飛んで、ビル壁にめり込んだ。
「ついでに今すぐ人間を元に戻せ!俺の要求は以上だ!」
アデルは手に付けたグローブの位置を直し、舌打ちをしながらそう告げた。
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