11話 オグドアード(7)

 それは、アデルとイライナが、滝から突き落とされた少女の事を発端に、村人たちと論争を繰り広げていた時。

 一人、イーゼはこっそりとキャンピングカーに入り込み、雪路と対面していた。

 僅かに雪路から感じる気配が、つい最近遭遇し、サリファを狂わせた“アポストロ”と呼ばれる生物によく似ていたからだった。

「―――へぇ、つまり、僕の元仲間が、君の相方を変にしちゃったっていうこと?」

「そうだ」

「ていうか、精霊って生き物の気配を追えるんだ。できないかと思ってた」

「自分の領域内では、ある程度追える。領域とは、私たちの体と同じようなものだから」

 車内に設置された簡易な椅子に座り、雪路はつまらなそうに前髪を弄っている。その態度が気に食わず、イーゼは眉根を寄せつつも、丁寧に説明をしてやる。


「で、君の相方を変にしちゃった責任を僕が取れ、と。そういう事?」

「そうだ……と言いたいところだが、ともかくも、サリファを元に戻せ。同じ力を持っているのならば、できるだろう?」

「寧ろ、お前たち精霊はできないの?ほら、なんか加護的なもので」

「私の力ではできない」

「君以上の力の持ち主ならできる、ということか。成程、やっぱり」

 どこか納得した様子で、雪路は軽く相槌を打ってから、手を差しだした。

「ん?」


 どういう意図か分からず、イーゼが首を傾げた。

「助ける条件。精霊という仕組みを丁度知りたかったんだ。ほらほら、手を握り返してよ」

 どう考えても怪しく、イーゼは半歩下がって警戒態勢に入る。

「……は?待て、怪しすぎるだろう。何をするつもりだ?」

「痛くはないし、別に何か起こることもない。ただ、精霊というものが具体的にどうできているのか、“知る”ために相手に触れる必要があるんだよ。そうしないと、この剣に封じられている子の解放するための最後の一手が出来上がらないみたいでさ」

 雪路は壁に立てかけてある白い剣を指さした。契約で縛りつけられた“精霊”の気配を読み取り、イーゼは目を細めた。


「……」

 説明を鵜呑みにするのならば、どうやら手を握るだけで、自分のことを知ることができる手段を、彼は持っているようだ。

 だが、自分たちのことを同胞以外の何者かに“知られる”のは、遠い昔に禁じられている。破れば天罰が待っている。

 天罰が落ちたら、まずサリファのことは助けられなくなる。

「断る。そういう事なら、別の奴にあたる」

「そんな悠長なことを言っていていいの?大事な子なんだろ?」

「当然だっ!彼女は私のオグドアードだぞ!」

 当たり前の如く、即答。

「オグドアード?何それ?」

「……っ!貴様には関係ない……!」

 思わず滑り出た言葉が、相手の興味を惹くものだと気づいて、イーゼは雪路から視線を逸らした。


「まあ、そう言うならいいけどさ」

 イーゼが憂慮したほど、雪路は“オグドアード”という単語については追及せず、話を続けていく。

「助けたいなら、別に迷う必要ないじゃん。僕も助けてやらない、とは言っていないんだし。僕は、約束を必ず守ることを信条にしているけど、色々複雑な事情があって、“頼み事”に対してタダで請けることが今はできないんだ。だから条件を持ち出したんだけれど」

 怪訝そうに眉根を寄せるイーゼに対し、雪路はため息を吐いた。

「君達精霊がどういう制約を誰に受けているのか、までは分からないけれどね。お前が僕の条件を呑むかどうか躊躇う理由と、君の助けたい人と、どちらが大切なんだい?」

 それは、イーゼに決心をつけさせるに十分な理由だった。当然のように、自身の半身ともいえるサリファだから。

 だから。




「それで、雪路に俺たちのことを教えた、ということか」

「…………まあ、そういうことになる、かなぁ……」

 仁王立ちするアデルの前で、正座をしているイーゼは頷いた。

 事が全て終わった後、イーゼの領域内にある小さな農村の、その一室を借りて、二人は話していた。

 サリファはとりあえず、村中に残る自身が暴れ回った傷跡(主に浸水関係であるが)を修復すべく、奔走している。

 雪路やイライナ、そして氷華と言われる少女も、今はそのあたりをふらついていることだろう。

 そしてアデルは神妙な面持ちで、イーゼに詰問を続けていた。


「だからどうして、あの『咢』を雪路が引き出せたのかまでは?」

「それは本当に分からないって。ただ本当、五秒くらい手を繋いだだけで『うん、分かった』とか言ってそれきりだったからね。あとは『村ですることがあるから、適当な時間帯にアデルたちを連れて来て』って言われてさ。君達を村に送り届けた後にひょいと現れて、あっさりと領域に渡しを引き入れるし……。なんだい、彼は?アポストロとは、あれほどまでに物事の法則を無視するものなのかい?」

「知らねぇよ」


 アデルは舌打ちをしながら答えた。

 知らないし、あまり踏み入れるつもりはなかったのだが、ここまでくると話は別になってくる。

 精霊が作り出す世界法則である領域の無視。

 さらに『咢』を、無意識精霊を介して呼び出した。

 この二つの要素は、遥か昔に精霊たちが交わした誓約に関わってくる。

 だからこそ、放置していい話ではない。

 もし、全てのアポストロが、雪路と同じ芸当ができるのであれば、大問題。精霊の“長老”たちが世界を滅ぼそうと躍起になる可能性もある。

「結構一緒に旅をしているのに、君は彼のことを何も知らないのかい?」

「特に興味はなかったからな」

「……ああ、そう」

 あっさりと答えるアデルに、呆れ果てたようにイーゼは肩を落とした。


(詳細は知らないが……)

 アデルは、想起する。以前、妹のコハクが攫われた遺跡で、雪路が言っていた言葉だ。

―――僕、沢山の世界を管理している神から離反したから、今、実質アポストロの間では指名手配犯みたいなもの。味方なんて一人しかいない状況だから。

―――僕は他のアポストロとは生まれ方が違ってね。そのことで揉めて一回殺しちゃって。

 桜江雪路というモノは、神を殺したことがある。

 神を殺せるほどの力を持っている。

 危険な存在かもしれない、ということはこの時点で確定していた。

 それでも雪路と同行したのは、初めて出会った居住区で、何の見返りも無しにコハクを追う手助けをしてくれたからだ。

 根本は悪い奴ではないかもしれない。

 だが、危険な奴ではない、とは限らない。


「だが、少し問い詰める必要は……ありそうだな」

 低い声でアデルが唸った時。

「はー、疲れたわぁ」

 サリファがノックもせず、部屋に入り込んできて、空いている椅子にどかりと座り込んだ。

「お疲れ様。村の修復は?」

 アデルとも、イライナとも話したときとは異なる、非常に穏やかな口調でイーゼがサリファに尋ねる。

「ええ。一通り終わったわ。あとは変質していた領域も修復すれば、村全体の“異常”も全て元に戻るでしょう。自分を失っていた期間に私が誤って殺してしまった村人たちも戻るわ」

「間に合ったのか。それは良かった」

 朗らかにイーゼが笑った。


 どうやら何とか、丸く収まりそうだ。

 アデルは小さく息を吐いて、踵を返して部屋のドアノブに手をかけた。

「差し支えがなければ、でいいのですけれど」

 アデルの背に、サリファが声を掛ける。アデルはドアノブを回した手を止める。

「貴方の領域はどこなのかしら?かなり高位の方だとお見受けしましたが……そうも自由に、悪魔たちの世界をうろついていて、いいものなのでしょうか?」

 数秒、悩んで。

「…………いや。どうだろうな。もうずっと、自分の領域には戻っていないが、世界は続いているからな。気にしたことはあまりない」

「ん?君は領域にオグドアードを残してきているのではないのかい?」

 不思議そうに小首を傾げたイーゼに、アデルは、彼らには見えないように目をそっと伏せる。


「……さて、な。俺は生まれて此の方、記憶にある範囲内では……俺自身のオグドアードというものを認知したことがないからな」

 アデルはそのまま、イーゼ達が次の言葉を口にする前に捲し立てる。

「兎も角も。お前ら、俺らが出て行ったらしばらく、領域の出入口を強く引き結んでおけよ。アポストロすらも入ってこられないほどにな。じゃねぇと、今度は本当に、この領域が滅びるかもしれねぇからな」

 言い残して、アデルは扉を開く。次の言葉が、自身の背中に投げかけられる前に、その場を足早に立ち去った。

 まるで、何かから逃げるかのように。



 村の中で一番高い建物―――物見矢倉の屋根に、雪路はやや疲れた表情で、薄い雲に覆われた空をぼんやりと座り込んでいた。

「あー、やっぱり慣れないことはしないってモンだなぁ」

「慣れないこととは何だ?」

「うおっ!びっくりした!」


 屋根の下からアデルが声を掛ければ、雪路は大げさに驚いた。他人の気配を読めるはずなので、わざと驚いてみせたのだろうか。

「アレを呼び出すなぞ、随分なことをしてくれたな」

「あー、やっぱりあの『咢』、あまりよろしくない奴だったんだ。そんなに睨まないでよ。いや、ホントごめんて」

 軽い口調で謝られても、アデルは雪路を睨むことを止めない。すると、雪路は急いで言葉を続ける。

「だって、あの場ではアレが一番早い方法だったからさ。そんなにダメな方法だったのなら、今後はもうやらないよ」

「信頼できん。あれが何か分かったうえで、俺を使ってアレを呼び出しやがって……」

 嫌悪感に吐き出すようにアデルが言えば、雪路は小さく肩を竦める。

「そもそも、何故あれを呼び出せた?あれは―――」

「愚問、愚問。それ、愚問」


 屋根の淵を右手で掴んで、くるりと器用に屋根の下に着地しつつ、雪路は謳うように呟いた。

「今までの僕との会話と自分の知識をすり合わせて、ちょっと考えれば、予測はつく筈だよ。僕がわざわざ自分の口から話すまでもない」

「お前のことを今は信頼できん、と言っただろう。きちんとお前の口から聞いて、それから真偽を判断する」

「えぇ?何、それ?」

 物見やぐらの階段に足を掛けながら、雪路は唇を尖らせた。


「ちょっと不公平。お前は自分の事を何も話していないのに、なんで僕だけぺらぺらと、自分の身の上話をしなきゃいけないのさ。ていうかさ、前に僕のことを信じてくれるって言ったじゃん?あれは嘘?」

 以前の古跡での会話のことを引き出してきた雪路に対し、アデルは返す。

「お前が怪しい行動に出なければ、信じてやる、と以前に言ったろう?手を繋いだだけで他人の情報を読み取れるなど、俺たちにとっては普通ではない―――これは、怪しむには、信頼できなくなるのには、十分な理由になる。基準の問題だ、要は」

「あー……、まあ、成程、とは言えるけど……その常識のズレは、多分僕は誰とも共有できないのだろうなぁ、とは……うーん……」

 納得した後に、ぼそぼそと悩まし気に雪路はぼやき始めた。雪路には雪路なりの、何か困ったことがあるようだが。当然、彼の心を読めるわけではないので、アデルには分からない。


 口にしてもらわなければ、伝わらない。

 口にしたくない、と言われれば、そこまでだ。


「お前、絶対人間や壁の中の奴らに、イーゼから得た知識のことを話すなよ」

「うん。そりゃ、ね」

「あと、俺はお前がお前自身のことを話すまで、お前のことを警戒し続けるぞ」

「どうぞ、どうぞ」

 相変わらず雪路の返答は軽い。本当に解っているのか、と疑わしくなるほどだ。

 だが、これ以上、釘の差し方が分からない。口を封じるには殺すことが一番だが、雪路は死なないので、どうしようもない。アデルが見張り続けるのが、今のところの最善策か。


「ああ、そういえばさ」

 雪路は思い出したように、会話に付け足す。

「さっきからコハクちゃんの位置がゆっくりと動き始めているんだよね。これ、もしかしたら―――彼女、捕まっていた場所から逃げ出しているかも」

 重要事項。

「てめぇ!早くそれを言え!」

「ぐぎゃっ!」

 アデルは雪路の襟首を掴み吊り上げた。雪路が潰れる蛙のような声を出したが、特に死なないので気にはしない。そのまま、物見やぐらから地面へ向かって跳んだ。


「おら!早くしろ!」

 アデルはキャンプカーのエンジンを急いでふかし、特に理由を話されず、さりとて猛烈に機嫌の悪いアデルに尻を叩かれるようにして車に向かうイライナと氷華と名乗る少女に怒鳴った。

「いきなりなんだ、一体?」

「いいから席に着け!シートベルト付けろ!飛ばすぞ!」

 イライナに向けての説明を省き、アデルは車を早々に発車させる。

「うわってぇ!」

 特にシートベルトを着けずに助手席に座っていた雪路は、強く後頭部を座椅子の背もたれにぶつけて、小さな悲鳴を上げた。それを気にせず、アデルは雪路が指した方向へと車を動かす。


 最中。

 後方、あの水の精霊たちの領域を抜けた直後、領域の出入り口が引き絞られて言っていることを、アデルは感じ取った。

 どうやら彼らは、アデルの言った通り、領域を深い場所まで封じることを選んだようだ。

 精霊の気配が遠ざかる。領域の気配は薄れていく。誰も見つからない場所へ。邪魔されない場所へ。


 約束の、その時まで。

 人を護るため。自然を護る為。自分たちを護る為に。

 領域ごと、世界の中心へと、落ちて行く。

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