12話 第二十一居住区(1)

 空から大粒の水が幾つも降って来て、大地を濡らす。時折遠くで、雷が轟いた。

 奴の忘れ形見。世界創成の残滓だ。

―――声が聞こえる。

 ぬかるんだ大地の上を、しっかりと踏みしめて走る。

―――泣いている?

 大雨の煩いコーラスの中で、隠れるように、しかし堪え切れないらしく、彼女は泣いている。

 小さな少女が、全身を雨で濡らして、小さく震えて泣いている。

「どうして、泣いている?」

 俺は尋ねる。

「一人だから」

 彼女は答える。



 コハクと離れ離れになってから、一か月以上が経った。

 あの子は泣いていないだろうか。

 心配で、心配でならない。

 だというのに。


「雪路様、折角綺麗な髪をしているのですから、もう少し丁寧に手入れをしたほうがいいですよ?」

 氷華はそんな事を言いながら、寝ぼけ眼の雪路の髪を梳いている。

「いや、別にいらんて。ていうか、様は止めてって何度も……」

「いいえ。止めません。恩人であり、尊敬すべき存在である雪路様の事を、様付け出呼ばずして、なんとしましょうか!寧ろ“様”の後ろに“殿”も付けたいほどです!」

「止めとけ、馬鹿に聞こえるぞ」

「はい、分かりました、雪路様!」

 氷華は、雪路がイライナから奪った白い剣に宿らされていた精霊だ。本来だったらそのまま自我を取り戻すことは叶わず、命をすり減らし、使い潰される運命だったが、雪路によって契約は完全に解かれた。


 恩義を感じるには十分であるが、彼女は、やや感情のぶつけ方が強く、極端な傾向にあるのは、ここ二日、一緒に過ごしてみて分かった。

「アデルさん、お飲み物はいりますか?」

「ああ。ありがとう」

 先日ゼーレから奪うようにして貰った清水を入れたペットボトルを、氷華は差し出してくる。受け取って、礼を言った。

 精霊であるアデルに対しては、やはりと言うべきか、氷華は敬意を忘れず、穏やかな口調で接してくる。気もかなり利く。

 対して。


「なんですか?じっと見つめてきて」

 突然剣呑な目つきで車両の後方で、様子を伺うように氷華を見つめているイライナに対しては、どこまでも態度が刺々しい。

「貴方の分の水はありませんよ。精霊術士さんはそこら辺で泥水でも啜っていていればいいのです」

「そ、そんなに喉は乾いていない……」

「は?生きるつもりあります?ああ、けど壁の中の皆様は、死にながら生きているようなものですからねぇ、すみません、理解が至らなくて」

 言葉も刺々しい。声色の至る所に敵意が点在しているのが、傍から聞いていてよく分かる。結構怖い。


「いや、だから!ああ、だから、なぁ……」

 イライナは困った様子で頭をがしがしと掻いた。何を言えばいいのか思考しているらしいが、結局何も言葉は思いつかず、しょげて車内に設置されている柔らかいソファに座り込んで、蹲ってしまった。

「……狭い車内だから、空気の悪くなるような言葉は控えてね……頼むから」

 雪路がため息交じりに本日何度目かの忠告を呟いた。

「はい、分かりました。できるだけ努めます」


 この返事も、今日だけで何回聞いたことか。氷華は全く聞き入れるつもりはないらしく、およそ三十分後にまた、イライナを罵倒し始めるのが目に見えている。

 なんというか、先が思いやられる。

「おい、雪路。方向はこのままで、本当に合っているんだろうな?」

 アデルは向かう先の方向を確認する。

 アポストロに攫われたアデルの妹―――コハクの気配が徐々に移動しているらしく、雪路はその都度行先の修正を加えて来る。

 道なき道を進むことに加え、時折崖などと鉢合わせることがある。尤も、殆どの場合はアデルが橋を精霊術で作り上げるので、特に問題はないのだが。


「あと何日ほどでコハクの所に着くのか、などは分からないのか?」

「うーん、まだ何とも……」

 アデルの質問に雪路は首を捻る。

「遠くは無いんだけれども、なんていうか。ほら、コハクちゃんの気配って、どっかの誰かさん達と比べて、かなり弱いからね」

 随分と含みのある言い方をする。

「おい、誰が弱いって?」

 対して、アデルの琴線に触れるのは、常に妹に対する感想の部分ばかりである。

「コハクはそんじょそこらの野郎と比べれば余程強いぞ」

「じゃあ、別に助けに行かなくてもいいんじゃない?自力でなんとかできちゃう子でしょ、きっと」

「何を言っている。コハクは繊細なんだ。助けてやらないと」

「……矛盾、微妙に矛盾」

 アデルの言葉に、雪路は苦笑いをしながら、ため息を吐く。


「いや、ほんと、シスコンって面倒くさい……」

「あぁ?家族を大事に想うのは、普通だろうが!」

「世の中にはねぇ、家族を大切にできない馬鹿な奴も沢山いるんだよぉ」

 思わず零したアデルの言葉に対し、雪路は至極まっとうな返答をしてきた。

 知能の低い獣などはともかく、知能の高い獣や人間などの生きものは、総じて自身のコミュニティの中にいる存在を大切にし、互いに助け合うことを前提とした生き方を、自然と選んで生きてきた。

 選んだうえで、大切であるはずの存在を傷つけることを厭わない人間も、一定数存在する。

 知性があるが故に、欲望があるが故に。


「……お前も、家族がいるのか?」

「いるわけないじゃん。僕は最初、独りだったさ。勝手に作り出されて放置されて」

「育児放棄……」

 雪路の言葉をそのまま鵜呑みにした場合の結論を、アデルは口にした。すると、雪路はきょとりとして、ちらりとイライナの方を見てから、言葉を紡いだ。

「育児も何も。僕には人間のような赤ん坊の時期はないよ。一般的に定義される生き物とはかけ離れているからね」

 引っかかる物言いだ。生き物とは違う?どういう意味だろうか。追及したいところだったが、なんともタイミングよく、目の前に巨大な白い城壁が見えてきたので、自然と会話の流れは切れた。


「居住区か」

「えぇと……あそこは、第二十一居住区だって」

 雪路は巨大な地図を取り出し、現在位置と照らし合わせ、目の前に現れた居住区の名前を当てる。

「それにしても、携帯にタッチパネルが搭載されている文明なのに、GPSの一つも使えないなんて……なんて不便な世界だ」

「GPS?なんですか、それは」

 雪路の呟きに機敏に反応した氷華が尋ねて来る。

「現在位置が分かる機械装置。電波で宇宙に打ち上げた機械とやり取りをするやつ」

 非常に簡単な返答を雪路がしたが、氷華は小首を傾げている。

 GPSや宇宙などという単語は、彼女たちにとっては理解の外の存在だ。仕方が無い。


「外壁を回るか」

「賛成」

「は、反対だ!」

 アデルと雪路の意見が一致したが、今までいじけていたイライナが突然飛び起きて、大声を上げて運転席まで駆けてきた。

「寄ろう、絶対に!お願いだ、寄ってくれ!」

 かなりの必死さだ。手には携帯電話。画面は点灯している。メール文が見て取れる。

「居住区を見つけたら、必ず寄るように上司に言われているのか?」


 アデルの言葉は的確にイライナに突き刺さったらしく、イライナはうぐぬぅ、と唸りながら肯定しようか否定しようか、たっぷりと悩む。良心が痛むので、肯定したいところだが、肯定をしたら確実に居住区に寄ってもらえないだろう、と予測しているのか。

 イライナは面白いほど考えが顔に出る。常に正しくあろうと頑張っている。人間の中では別に嫌いではないタイプだ。


「た、頼む……。妹さんのことで必死なのだろうが……寄ってくれ……。半日で用事を済ますから……」

 肺の奥から絞り出すような声で、イライナが頼み込んできた。

 葛藤の末の結論がこれか。

「本当に半日で済むんだな?」

 一応、アデルは確認を入れた。

「ああ、それはもう!報告書を書いて提出するだけだから!」

 仕事関係。書類提出関係だったか。これだから勤め人は。

「それなら、今から書いたらどうですか?」

 氷華の提案に、イライナは目を見開いた。それから名案と言わんばかりに、

「そうだな!今から書く!それなら数時間で済む!ありがとう、氷華!」

素直に礼を言って、車内の奥の方へ戻っていき、自分の荷物からペンとくしゃくしゃになった書類を取り出し、机に向かい始めた。


「ありゃ、駄目だ。書類管理ができないタイプ」

「物を無くすタイプですね。愚かな」

 イライナの所持品の管理の雑さを見て、雪路と氷華が痛烈な言葉を、それぞれ零していた。



 そうして、居住区に入って数分後。

「よぅし、勝負だ、勝負だ!アポストロとA級精霊!私が勝ったら、私の下僕になってもらおうか!」

 矢鱈と威勢の良い軍服の女性が巨大な剣を手に持ち、勝負を挑んできた。

 どうやら、今回も何事もなく居住区から出ることは、できないらしい。

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